仏教を学ぶと気がつくことがある。
仏教は悟りを求める。
悟りは個人としての我が心を見つめていく。

そのせいだろうか。
考え方がいつも個人から発して考えていく思考回路をイメージしてしまう。
われが存在し、われは何か、突き詰めていき他の存在を考える。

キリスト教は愛を教えている。
愛は他者から始まる。
激しく言えば自己犠牲までいく。

歴史の織物はずっと前から今まで織られ続けている。

過去、仏教の時代があり、キリスト教の時代があり現代はどうか。

現代は仏教よりキリスト教より進化している時代となることを望まれるようになる。

現代の「心の時代」は悟りと愛を融合しそして進化した時代
そういう時が今来ているのだと一部の人は感じているのではないだろうか。



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