無我になると仏さまの世界が現れてくると書いた。
神仏の世界には法則がある。
森羅万象全て神仏の法則に基づいている。

その法則のひとつに発展のベクトルがある。
止観して無我となっているだけではいけない。
生きているということがすでに時間が経過している。
悟りのために一時的に止観するのは大切だが神仏の世界もまた止観して定まった状態ではないのだ。

いつまでも無我の中で止観しているとそれ自体がよいものではなくなる。
停滞は善ではない。
次の発展の芽を出さなくてはならない。

神仏は時間を作り、それは発展のベクトルをもって善となしている。



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