この数日とても辛い日を過ごしていた。
あの泣き弥勒が自分と共に泣いてくれているのではないか、そう思いたいくらいに。
人は人を愛したいと思っている。
その反面、自分が苦しいと傷つけようとする。
人の残酷性・・・
人の残酷性は大きく三つにとらえられるのではないか。
ひとつは自分が苦しいから他の人に対し残酷性が出てくること。
他の人とくらべて自分が下に見られている気がして他の人とくらべられて自分が劣ってみえる。
他の人とくらべて自分が劣っていると感じる。
そんなときに出てくる残酷性
ふたつは自分があまりに優秀であまりに欠けることなく生きていて人の優位にたっている。
その傲慢さで人の痛みが理解できない。
優位にいる人はその優秀さゆえに人と競い合うことが当たり前のことになり、自分が上にいないと自分が自分でなくなるような、そんな風に考えてしまう。
自分が上にいるために他の人を苦しめてでも引き下げて自分が上に立ちたい。
その傲慢さが他の人にとって非常に残酷なものだと気がつくこともなく。
三つ目はなにもかも自分の手にあってなお人を支配したい人の残酷性、
自分の世界を築き、自分の思い通りにしたいと思う心が自分の思い通りにならない人に対してでてくる残酷性、そんな人はそんなにいないっていうだろうか。
小さな世界、家族、会社、組織でも大きな世界、政治でも、国でも、思想でもそして宗教でも、いろんなところにある。
そのみっつの価値の中に仏さまの心はない。
仏さまは言われる。
あなたを愛している。
その心に仏性が宿っているのだ。
愛さずにはいられない。
その心の中に私と同じ性質があるのだ。
今は苦しくてそれが表現できなくてもきっとあなたは自分の足で力強く歩こうとしたとき、私と同じ性質が現れてくるだろう。
きっとあなたは悲しみの中、苦しみの中大切なものが何かに気づいたとき、自分の心が安らぐことに気がつくだろう。
仏さまははるか高いところにいるのではない。
あなたがたを内包し、そしてあなたのその心の深く深くにいるのだとそう気付くだろう。
それは仏さまの存在そのものに気付くのではなく温もりをもった風のようにやってくる。
そして仏さまに愛されていると気づいた人は強い。
自分の境涯がどうあろうと強く人生を歩いていくことができるのだ。
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