自由主義はそのままでは共産的なものはない。
自由には責任がともなう。
民主主義は多数決の民意で決める。
良識ある多数の民意でこの国を良くしようと考える。
だから今自由に生きていることの責任を持たなくてはならない。
国民が国を良くしようと思っていたら皆が生活基盤を自分で保ちながら自由に生きて力のある人が経済を大きく発展させることもできる。
そして福祉のことも考えられる。
しかし、みんなが国全体のことを考えず、国に何とかしてほしいと考えていったら全体主義に変化する。
全体主義は一時的なものでしかない。
そこに保障を求めるかもしれないけれど残念ながら保障の代わりにあるのは統制、今のように自由に生活していて好きなことを言っていることはできない。
国力が減退していき、やがて国民は選択しなくてはならない。
民主主義がいいのか、社会主義がいいのか。
カリスマ的な誰かに国自体をまかせるのか。
仕事したり、しなかったり自由にもできない。
仕事がないのではなく、好みなんかいっていられない、仕事は無理にでもやらなくてはならない。
今の日本人は思っているだろう。
このまま自由を享受したい。
でも保障もほしい。
そこにどうしても必要なのは国民一人ひとりが日本という国を愛し、繁栄させたいと思う心、それによって自分も自分のできることはがんばろうと思うこと
なんだか、最近の動向をみていると民主主義を超えるものという話よりむしろ病気になって逆行していく日本に処方箋が必要なようだ。
民主主義は人間の多数の良識で成り立つ。
良識は人の仏性に近いところにあるのでだから仏さまの世界も民主主義から更に発展を望んでいる。
まず、日本人の心の傾向性を修正することが大切なのかもしれない。
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