苦しいとき、辛くて涙が止まらないとき、
やがて時間が癒してくれたら、幸福になろうと思って幸福の芽を探そう。

ずっとずっと前の私・・・
辛くて自分の時間を止めたくて・・・

あるきっかけではじまった周囲の容赦ない攻撃の気持ちや態度に辛かった、苦しかった・・・。
長い間理由もわからなかった。
最初は「なぜ?」「どうして?」と思った。
どんどん悪者にされていく。
随分たってからわかった理由も理不尽なものだった。
濡れ衣、きせられたりもした。
この苦しみをこのままにして許せるか、涙が止まらない・・・。
止まらない涙に一言「すみません」と言ったらそれで全て私があやまったことにされた。
いっそ私の時間を止めたら、そうしたら終わる。
私の心は辛さと苦しみでいっぱいだった。

そのとき「正しさっていったい何か。」と知らず知らずのうちに模索していた。
自分が間違っているのか、どうなのか。
相手の人たちが正しいとも思えなかった。

苦しみが長い間続いた。
そのとき、心の奥から何度も響いてくることばがあった。
「育む心が大切なのだ、慈しむ心が大切なのだ。
それが一番価値のあるものだ。」というものだった。

その環境から離れ、幸福の芽を探しはじめたとき、私はこの心に響いていたことばを思い出した。
「慈しむ心」これは「慈悲」なのか。
「慈悲」ということばには畏怖の思いがある。
今考えれば「慈悲」は仏さまの心を現すものだからなのかもしれない。
私はあのときとても辛かった、だからこそ、人には「慈しむ心」を忘れないでいたい。
そう考えていたら「慈愛」ということばが心の中に浮かび、そしてこの「慈愛」ということばが好きになった。

ずっとずっと前の私・・・。
22~25年くらい前の私・・・。

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