この地球の仏さまが編まれた法、正法といわれるもの、真理ともいう。
普遍的にあるもの。
そしてその時代時代の正義があるとこのブログに書いた。

神示とは何か。
神を示すという字を使う。
他の解釈はわからないが今、私が考えていることをブログに書いていく。

私のいう神示とは降魔に近い。
降魔とはいったいどういうものか。
魔はそもそも存在するのか。
その説明が必要なときがあったら書いてみたい。
神示が降魔に近いのは今の世の中で病気や大きな災害等、そこに魔ともみえる神仏にかなわない想念が溜まっていたり、特別な神仏の意図があったりする場合、神示として現すとその言葉の影響力と精神世界の変化で実際、災いが起きなくて済む場合と言葉ありても聞かなくてはならない人々に届かない、
また届いても変化に乏しく精神世界に変化が現れにくい場合、または逆の方向で変化した場合、実際に起きてくる。
起きたからそれ自体が魔だと解釈してはいけない。
むしろ魔だと認識できるものは少ない。
やはり神仏の心は更に良くなってほしいという心だからだ。
そういうものだと解釈している。

仏さまは愛である。
前にもブログに書いたが仏さまは人間に自由を与えた。
その自由を仏さまの心に合うように使えば幸福になり、その逆に使うと苦しみを産む。
人間は苦しい時だけ「なぜこんなことが起きるのか」と神仏に問うことが多い。
しかし、もとより心正しく、自他ともに幸福な道を選べば苦しまずに済む。もうひとつ停滞を選ばないことも大事なことだ。

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