「心」って言われてどう考えるだろうか。

心が大切だと言えば自分の気持ちを大切にすること、人を傷つけないこと、人の心を大切にすること。

このブログには心が大切だと何度も書いてきた。
「心」には「力」がある。
いくら自らの口で言葉で「夢をかなえたい」と言っている人がいてもその心中で「どうせ、できないだろう」と思っている人は現実としてその夢はかなうことはない。「心」に力がない。

逆に「思う」ということについての「心」の力を使い、自己実現のための希望を強く思うことで道を開いていく人もいる。
「心の力」と「心の作用」だ。

しかし、人生の中で心で自己実現の希望をもって努力していってもどこかで人の力ではこれ以上は進めない時があったり、あるとき予想もしないような壁にぶつかってしまったり、大切なものをなくしてしまったり、体を壊してしまい、自分の思うようにいかないことにぶつかる。
自己実現の成功はひと時のことになるかもしれない。
世の中の成功者は成功が永遠に続かないことを知っている。
だから人に気づかれないところで努力していることも多い。

「心の価値」は「心の尊さ」、それは仏性につながり、仏さまへの信仰につながっていくものだと思う。

仏さまは「愛」である。
「愛」は人と人を結びつけ、調和や発展を生んでいく。
そんな「心」を持つ人は長く成功していくものだと思う。

「心」の力はまた多くのものを守っていくこともできる。
多くの人を愛し、守るということを大切にしていくこと。
民主主義国家では、愛する人を守る、家庭を守る、地域を守る、職場を守る、または企業を守る、国家を守る。
そういう「愛」の心が調和の中での発展を生んでいく。
そして国家は企業を守り、職場を守り、地域を守り、家庭を守り、個人を守ることをしなくてはならない。

仏さまの「愛」
全く反対に「排他的な価値観、排他的な心は仏さまの愛に遠く、また多くの争いをも生んでいくことになる。

「排他的なところに魔が入る」ということばがある。
小さなことろにも大きなところにも隙があり、排他的なものに亀裂がはいり、やがて大きな苦しみを生んでしまうことがあることを知っていなくてはならない。

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