以前にも書いたがこのブログの副題は「心の時代へのパラダイムシフト」
現代のコミュニティを形成するのも「心の価値」に目覚めることが大切だと書いた。
「心の価値」に目覚めるとは今ある常識や価値観から「心が大切」という価値観に変換が起きてくるというパラダイムシフトがおきてくることになる。
パラダイムシフトは人の力でおこなわれるわけではない。
過去に新たな価値観の変換があったときも神仏の力は大きい。
時代によってはその時代の想念によってなんらかの「価値観」の変換が起きるときもある。
人は個人や家庭としての苦しみのほか、その団体、国家などの苦しみのときがある。
それまでは他の人が苦しんでいても「自分は、自分のところは大丈夫、自分に不幸はやってくることはない」と思っていることが多い。
また「自分はこんなに努力しているのだから不幸なんてやってくることはない」と思っているかもしれない。
しかし、その心の方向が間違い、その先に深い苦しみが待っているのに気がつかず、自分は正しい、自分は大丈夫と思っているとやがてその深い苦しみのときがやってきたときに「なぜ、自分に、自分のところにこんな不幸がやってくるのだ、こんなはずはない」と思うことになる。
ここで自らを省みれる人はやがて次の扉が開くだろう。
そしてこのときに自分の間違いを考え、改めようとするなら仏さまの愛について考えてみてほしいと思う。
人が苦しみのときにだけ、仏さまが現れるのではない。
仏さまはこの世の人を通し、この世に起きるさまざまなことを通し、そして「法」そのものを現し、何度も何度も「道はそちらではない、そちらにいけば苦しむことになる。気がついて改めなさい。」と言われている。
そういう仏さまの愛があるということに気がついてほしい。
しかし、その手を払い、「自分が、自分たちが良ければよい、自分は自分のやり方でやっていく」と思って突き進んでいくとやがてやってくるのは苦しみとなる。
もし、深い苦しみの底に落ち込んでしまったとき、そのときは誰を恨んでも呪っても物ごとは解決しないことにやがて気がつくだろう。
苦しみの底に落ち込んでしまったらそのどん底の底を打ち破ると光が出てくる。この光はまさに価値観の変換を生むことになる。
集団でおきてきたらその集団で小さなパラダイムシフトが起きる。
今までの自分の自分たちの価値観が通用しない中、その中でやがて大きな気づきを得て「心の価値」に目覚めるのだ。
このとき宗教的な人は大きな悟りを得る瞬間にもなるだろう。
私は私が見えている他の人の苦しみにその苦しみの道を歩いてほしくはない。
いくつもある道にはたくさんの「幸福の芽」が隠されている。
その「幸福の芽」は森羅万象を通し、またあるときは法を通し、この世にその人の周りに現されていることに気がついてほしい。
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