「神仏への畏怖」ということを「因果の理法」について書いていく。
神仏は「愛」であるけれどもその崇高さを知れば、「畏怖」するものである。
人は人生の中で何が正しく、何が間違いか考え、選び取っていかなくてはならない。
なぜか・・・。
因果の理法があって地獄に落ちないためか、来世天国に行くためか、そういう個人的なものではない。
自分自身の原因結果の法則の苦しみの元を修正し、人と人とがお互い幸福になるためにある。
その「因果の理法」を司るということで人は神仏に対し「畏怖」の心を持たなくてはならないと思う。
Miroku shows the god 17
「 人よ
因果の理法があるのは
神仏が人々を幸福にしたいと
考えているからである
だからお互い愛し合いなさい 」
この地球の仏さま、master of master は「愛」である。
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