*日記です*
   自分の人生の中で強く影響した人とか本とか
   他のものでもよいが自分の考え方、思想を大きく
   したものって振り返るとみんなあると思う。

   私に影響した大きなもののひとつにかなり前に
   (本当にかなり前のこと)読んだ芥川龍之介の
   「蜘蛛の糸」がある。
   私が芥川龍之介の本を読んだのはほんの一時だった。
   「羅生門」を読んで言いようのない重い気持ちに
   なったことは「蜘蛛の糸」と対象的に思い出す。

   昨年は宮沢賢治の「貝の火」についてときどき思いを
   めぐらせていた。
   「貝の火」はうさぎの子ホモイがひばりからお礼に
   もらった宝珠の話だがその「火」の意味の奥に隠された
   ものはいったいどんなものか考えていた。

   最近また「蜘蛛の糸」を思い出している。
   本は読む人や読むタイミングによって全く違うものに
   見えたり、奥深さがわかったり、そしてその本に
   出会った時の自分の姿を思い出してみたりする。

   「蜘蛛の糸」は天国のお釈迦様が雲の間から
   地獄に落ちたカンダタを見つけて、以前蜘蛛を
   助けたことを思い出され、カンダタに細い蜘蛛の糸を
   天国から垂らされる。
   カンダタは目の前の蜘蛛の糸を頼りに上っていくが
   あるとき下をみると自分に続いてたくさんの人が
   上ってきている。
   それを見てこれでは糸が切れてしまうと
   「この糸は俺のものだ」と言った瞬間、
   蜘蛛の糸は切れてしまう。

   この話を思い出すたびに視点が同じだったり変化したり。
   自分が苦しいとき、自分の目の前に蜘蛛の糸を
   見つけたときはその糸を切らないようにしたいと思う。
   また、誰かが苦しいときにその人の蜘蛛の糸を捜したい。
   それから全体のイメージを見て、
   仏さまの「救済」とは何かを考えさせられたり、
   人としての「救済」とは何かを考えてみたり
   仏さまは悪事をたくさん行ったカンダタが蜘蛛を
   助けたときのカンダタの仏性をみて助けようとされた、
   人の仏性をみることが大切なのではないか。
   仏さまはカンダタを見放したのではなく
   また天国に還るために地獄で悟るための時間を
   お与えになったのだろうか、
   地獄とはこのような心の人が落ちるのか、
   カンダタの下に続いて上ってきた者は糸が
   切れて悲しかっただろうか、同じような心を
   持っていたのだろうか。 
  

   ときどき「蜘蛛の糸」を思い出しては考えてみる。

   追記
   あれからまた思いをめぐらせ、「蜘蛛の糸」のカンダタが
   「この糸は俺のものだ」と言わなければ、一番先頭にいた
   カンダタも後に続いて上ってきた同じような悪事や
   心を持った人たちも一緒に天国にたどりついたのではないか。

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