自由主義について先日書いたが
続いて書いていく。
「 神の見えざる手 invisible hand of God 」
ということばがある。
「自由」は多くの発想を生み、競争原理も働き、
そしてそれを実行していくことで
「富」を多く生み出すことができる。
「神の見えざる手」とは自由主義経済が
発展していくと結果として全体の利益が
達成されるというものだ。
しかし、実際は市場原理主義による弊害や
社会問題がおき、「市場の失敗」という結果を
みることになる。
そして福祉政策として国家の介入が必要になった。
ではこのとき「神の見えざる手」はなかったのか。
神仏はこの世の中を時間の中で
「調和」と「発展」をめざすように考えておられる。
「発展」は「自由」の中人間にまかされているのだろうか
「調和」については神仏の手が差し伸べられるのだろうか。
自由主義経済で「発展」ばかりに心が
向いてしまってはいけない。「調和」と「発展」とを
目指していくことが大切なのだ。
「自由」というものも、この「調和」と「発展」について
考えていかなくてはならない。
そこに神仏の心にかなった「繁栄」がある。
「生老病死」、人には避けられない苦しみがある。
「依他起生」、人は人に依って生きている。
そして人は皆、個性をもち、様々な人生を歩んでいる。
もっとも大切なのは個人の「努力」だと思う。
しかし、全ての人がその人の「努力」のみでは
どうにもならないものがあるのが事実である。
そこに福祉が必要となる。
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