「底から光を放つ」とはどういうことだろうかと考えた人が
  いただろうか。仏さまの世界からもう少し書いてみたい。

  心の時代へのパラダイムシフト3で「心の価値」に目覚めるとは、
  今ある常識や価値観から「心が大切」という価値観に変換が
  起きてくる、パラダイムシフトがおきてくることになると書いた。

  次から次へと苦しいことばかりつづく。苦しみがわが身に
  押し寄せてくることがある。
  「なぜ、自分に、自分のところにこんな不幸がやってくるのだ、
  こんなはずはない」と思う。誰を恨んでも呪っても物ごとは
  解決しないことに気がつく。そしてどんな努力をしても
  壁が立ちはだかり、解決の道を見出せない。
  にっちもさっちもいかず、とうとう苦しみのどん底に
  きてしまった。あらゆる努力が無駄になってしまった。
  苦しみの底に落ち込んでしまった。

  こんな苦しみのどん底の底を打ち破ると光が出てくる。
  この光はまさに価値観の変換を生むことになる。
  集団(組織)でおきてきたらその集団で小さなパラダイムシフトが
  起きる。国家でおきたら時代の精神、時代の奔流となる。

  仏教のことばに「諦観の境地」ということばがある。
  このブログの最初に仏教についてかなり書いてきた。
  そのときもそうだが既成の意味についてはとらわれずに書いていく。
  
  仏さまに信仰があったり、まだ自分が気がつかないけれど
  仏さまとの縁が深い人の場合、苦しみが続き、次から次へと
  壁が出てきてどうしても進めない、どうにもならない
  そういうときは「諦観の境地」に至っていると思う。
  どん底の境地、あきらめの境地である。
  この境地になる人は自分では気がついていてもいなくても
  「正しく生きたい、努力してなんとかしたい」と思っている。
  あるいは長い苦しみの中、何かを恨んだりしていたが
  何かのきっかけで強くそう考えるようになった状態である。
  自分自身がこの苦しみの境地にいるということを自分に
  つきつけられた状態。どうにもならない。
  
  しかし、「諦観の境地」は単なるあきらめの境地ではない。
  あきらめてその苦しみの人生を受け止めて生きるのではなく
  あきらめて「心の価値」に目覚めるためにあるのだ。
  
  仏さまはこの「諦観の境地」に至った苦しみ、悲しみの
  深い人のすぐ近くにおられる。私がすぐ近くにいることに気が
  ついてほしいと思っておられる。

  このときに大きな宗教的な目覚めを求めることが大切、
  自分は仏さまの心に合っていなかったのではないか、
  この世の価値観だけで成功を求めていたのではないか、
  自分さえ良ければよいという考え方が強く、
  他の人の気持ちを考えたことがなかったのではないか、
  自分のみを生かそうとしていたのではないか、
  他の人の存在自体を否定していたのではないか、
  因果の理法をひもとける人はひもといてみるといいと思う。

  どん底を打ち破ると光がでる。
  仏教のことばで「真空妙有」― 真に仏さまの世界を
  悟ったら、この世が妙なる世界にみえてくる。
  個人の悟り(心)の修行とこの世がつながっていき、
  そこに仏さまの意図がみえてくる人もいるだろう。
  今までの自分と決別し真理と共に生きて生きたいと強く
  思うようになり、そしてそういう生き方をしていくようになる。

  今までの自分の、自分たちの価値観が通用しない境地から、 
  その中でやがて大きな気づきを得て「心の価値」に目覚める。
  これがたぶん、私がブログを書き始めてから知った
  「次元上昇」「アセンション」というものになるのだと思う。

  そしてこの先にもう一段の「次元上昇」の考え方がある。
  いつかこのブログに書くことになると思う。

Posted in

コメントを残す