過去、現在をみていくと「経済成長」を安定して
おこなっていくには「自由」が与えられている中で
「発展」と「調和」を目指すことにあると思う。
先日、もう少し「自由」について書きたいと書いた。
この「自由と繁栄」の締めくくりは
ひとつの意味で「民主主義を超えるもの」となる。
それが明らかにブログに書くことになるのは
未だ先で「時」が必要としたときだと思う。
米国の「自由主義」の考え方について書いていく。
逆に捕らえると「発展繁栄」していくのも自由だが
何もしないのも自由だ。
「自由」の実現のためには他からの「不干渉」と
個人の「自己決定」が必要になる。
「自己決定」には個人の「責任」が伴う。
他からの「不干渉」が「自由」であるなら、
米国の社会保障制度の受け入れは経済の再分配を
受け取るという社会主義ととらえられる、
そしてその分、再分配を受ける方は「干渉」を受け、
「不自由」となるということを受け入れると
いうことになる。
まだ、この続きを書いていきたい。
コメントを残す