「罪」というと「悪いことをした」ということだと思うが、
最近また、このブログの「幸福の芽」の題名そのものに関係ある、
私自身の幸福の芽について書いたブログと同じようなことだと
思うような感触のあることがおきた。
その人は何か勘違いをしたのだろうか。
人の痛みがわからないのだろうか。
濡れ衣をきせられた感触がある。
さて生まれてこのかた、私自身が聖人のように生きたかと
言えばそんなことはない。
暗闇の中、迷い、苦しみ、「何が正しいのか」を考えた。
そして一番苦しいときに「幸福の芽」を見つけた。
その後、様々な本を読んだ。
本当に正しいことって何だろうと考えていた。
「因果の理法」と「仏さまがおられる」と実感するまでに
3年くらいかかった。
そんなことを考えながら
本日の沖縄普天間基地の首相の声明について
考えたことがあった。
「悪と知って犯す罪」と「わからずに犯す罪」
どちらのほうが罪は重いか。
知っていておこなう罪は悪いことをしたという
意識があるのでその認識ですでにその人自身が善悪を
分けているという事実がある。
「わからずに犯す罪」は現在3とおりくらいに
考えられるところだが、現在の首相について
このことばを考えてみた。
沖縄普天間基地のことで「迷走」と言われた
首相自身は悪いことを考え、行うようにはみえない。
そういうと多くの人はうなずくのではないだろうか。
しかし沖縄の迷走については結果をみて
国民は「悪い」と捕らえるのではないか。
これもその人自身からみたら「わからずに犯す罪」の
ひとつであると考えていた。
迷走の罪はやはり、人々の痛みとして残ってしまった
ことがあるだろう。「罪」は及ぼした影響の大きさでも
あると思う。
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