ここのところ、「現代のコミュニティ」について
  書いていますが、もう少し続けて書きます。

  私が「生老病死」から何か世の中が幸せになるための考え方を
  世の中に打ち出していきたいと思ったのは20年くらい前の
  ことでした。それから現在に至っています。

  その中で明確に「心の時代」を築いていきたいと思い、
  「現代のコミュニティ」と「心の時代へのパラダイムシフト」の
  中心部分が明らかに形づくられてから3年たっています。

  「現代のコミュニティ」について考えはじめたのは、前にも
  書きましたが現代の社会問題を解決のキーとなると考えたからで、
  人が悲しみ、苦しみから離れ、幸せになっていくためのものになると
  思ったためです。

  それから、
  「私の悲しみを握りしめたこの手を今世、開くことはないだろう」
  先日そう書いたことがありましたが、あのとき、どんな悲しみを
  握りしめているのだろうと考えたでしょうか。

  ひとつは私の希望を奪われる苦しみ、この「現代のコミュニティ」の
  中心部分が明らかになった3年くらい前から二河白道の道を歩いて
  います。この考え方は社会に役立つと確信しましたが、
  私自身を一方で認められながら、一方で私を虐げ、私を否定し、
  そして成りかわりたいという人たちから道を阻まれる苦しみ、
  先日感じたような濡れ衣きせられそうになったり、何度も
  この身を切り刻まれるような苦しみの中、進んできています。

  もうひとつは私の信仰が深くなればなるほど、私を悪とし、
  私から信仰を奪おうとする人たちからくる苦しみです。
  それはたった一言の意見から始まった。
  しかし、信仰は本来奪えるものではないのです。

  私の悲しみを握りしめたこの手、
  この手は握っていたら、「希望」がありますが、
  開けば、パンドラの箱を開いたときのようになるかもしれません。 

   Miroku shows the God 24
   
   「 信仰者よ
     何度も何度も私のことばを聞いているはずである

     それでも変われないというのなら
     その運命を受け入れよ            」

   みろく神示 1
   
   「 日と月の間に地球を内包していた仏さまが現れる 」

    法を体現することが最優先である

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