国家組織のリーダーについて、
民主主義、共産主義、軍事政権というもの、
また一定の間全体主義の形をとった後の独裁主義について
以前このブログに書いた。
国家組織にリーダーは必要である。
国民が幸せになるリーダーとは何か。
現在、軍事力をもった民主主義政権下で国民が「支配」を受けず、
民主的な中で自由を与えられているのはなぜか、
当たり前だといわれるかもしれないが現時点で三権分立が
取り入れているからだと書いた。
民主主義が全体主義になっていくとき、扇動的なものが
おきるということもこのブログの政治について書き始めた
最初のころに書いたと思う。
今、日本の政治に問われるものは、「責任の所在」では
ないかと思う。
国民全体の民意をどう組み入れて政治をおこなっていくか。
そしてそれが国民全体の利益となり、国民全体の幸せに
つながり、また個人としての幸せにもなるか。
国家組織のリーダーが一国を任せ、国全体を幸せになる
方向に動かしていけるか、
後日また書きたいがひとグループや限定された民意をそのまま
国全体の民意として取り入れるのでは政治として
不足があると思う。
現在の日本の民主主義では政党として責任を負っていると
いわれているが、責任が分散していることで問題の長期化、
また国民からみると政党の様々な意見が乱れ飛んで
情報に押し流されていって結果がみえにくいという
結果になっているようにも思える。
政治責任、政策の責任をはっきりとして
悪い意味でも良い意味でも責任の分散がないほうが
国民が納得していくものではないか。
ここで、自由の国である米国の大統領制が
独裁主義にならず、政治責任を果たしていることに
ついても考えていきたい。
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