人は人と違う。
  年齢も男女も顔も声も容姿も全て違う。  
  同じ人はひとりもいない。
  皆同じだったらこの世界も成り立たない。
  神仏は調和と発展を求めるが全ての人が同じで平等だったら
  発展していくことは少ない。
  同じ人はひとりもいないのに共産主義では全て平等に
  しようとした結果、階級、情報の統制、そして結局は
  もっとも差別を生んでしまったのではないだろうか。

  共産主義思想ではひとりひとりは同志であり、男女も平等、
  そして女性は子どもを産みたがらないように思う。

  ひとりひとりは他の人と違う。
  世界では様々な人種差別の問題もある。
  日本は現在男女別姓の議論をしているが本当に必要なのだろうか。
  この日本においてすでに男女差別の問題は
  かなり解消されてきていると思う。

  この「みろく」というブログを書いている私は女性である。
  以前もこのブログに書いたが弥勒菩薩はインドの時代、
  男性だったと思う。
  私がこの世の中で自己実現していくとき「女のくせに」と
  いうことばを何度か耳にしたように思う。

  日本は全く男女平等がなくなった訳ではないが、
  参政権、社会進出によって起きた社会での差別なども
  あったと思うが現代社会では本当に男女別姓の議論が必要だろうか。
  すでにその議論は随分前に行われていた。
  なぜ今また男女別姓の問題なのだろうか。

  求める人たちは社会的立場がある人に限られていくと思う。
  現在の日本の民主主義では普通に生活している多くの人には
  あまり関係がないのではないか。
  今、男女差別でこの問題をとりあげるのではなく、
  男女別姓を求めるのは明らかに共産主義か社会主義思想に
  よるものではないか。
  議論の根本は男女別姓ではないのではないか?
  今、なぜという疑問についての答えがでない。

  全てのものには仏性があり、
  この仏性があるということについて人は皆等しい。

  男女もまた等しく仏性があり、男女がそれぞれの特性を持ち、
  光を放っている存在である。

     Miroku shows the God 29

  「 人よ
    男女それぞれの特性を輝かせ、
    共にお互いの存在を大切に生きよ

    そしてあなたがたは人を愛するということを知るために
    男と女がおり、共に幸せの道を歩むことができることを
    大切にするがよい

    それぞれがそれぞれの光を放ち、生きていくのだ。

       Master of Master              」

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