何度も泥中の花について書いているが
蓮華の花は仏教の言葉で「上求菩提下化衆生」に
つながっていくと思うと書いた。
インドの頃の僧団では心の修行を行い、
自らの悟りの向上を目指し、仏さまに近づいていき
悟りを得ることを修行としていた。
インドの時代は階級があったので上下という表現だが
仏道修行者は自らは仏さまを求め修行をしていくが
一方では衆生に仏法を伝え、悟りの道に
導いていくことが大切だった。
泥中の花はインドのお釈迦様の時代に
仏道を求め、心を磨き清らかな花を咲かせることが
大切というものだと思う。
心の時代を生きる1では「三諦円融」
あの世とこの世があり、心の向上を目指し、その中で
仏さまの意図を感じ取りながら生き、そしてそれを
社会にも反映していくこと、仏さまの意図に添って
今の時代を生きていくことが大切であると思うと書いた。
インドのお釈迦さまの時代から年月がたち、
学問、教育がある時代、そして情報社会に生きる
私たちにとって「心の時代を生きる」とはどんなことか、
それには仏さまはいったいこの社会をどうみているのかと
考えてみることが大切だと思う。
本来、仏さま、神仏の目は
この世とあの世の全てを見つめている存在である。
現代社会であの世の存在を知りながら、神仏と一体になって
神仏の目で見たらこの世はどう見えるか、、
「どうしたら多くの人が幸福に生きることができるか」を思い
それを社会に反映しながら生きていくことが大切であると思う。
「 泥中の花は自分を磨き、きれいに咲くが、
泥も根も暗闇の中、もがきながら一生懸命に生きている。
泥も根も心のどこかで花にあこがれ、花になってみたいと
思っている。 」
仏さまは蓮華の花のみではなく、その泥も根も暗闇の中で
迷っている。また葉があり、花が終わって実になろうと
するものもある。その全てに仏性が宿っている。
そして空気があり、太陽の光がある。
その環境の中で仏性をもつ泥も根も
花に向かっていくにはどうしたらよいか、
幸福になるにはどうしたらよいか、そう考えていると思う。

Miroku shows the god 32
「 仏道を求める者よ
蓮華の花を咲かさんとするものよ
神仏の存在があり
そして永遠の生命があることを
多くの人に伝えてほしい
そしてあなたがたのその悟りの力で
この世の多くの人々を幸福に導いて
いってほしい
それは泥中に咲く蓮華の花が
自らが花を咲かさんとして
努力してきた道を伝え
また目の前にいるその人が
自らの過去世の修行の姿であると思い
導き、そしてその人の花を咲かす
手助けをする姿である
それが菩薩の境地である
Master of Master 」
これは現世に自らが花咲かせようとする
地湧の菩薩の境地、世のリーダーの境地である。
大いなるものへの信仰のもと
自らの心をつかみとり、
自他共に心を大切にし幸福な世界を築かんとする
そういう心の時代を生きることだと思う。
次元上昇の2段目である。
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