民主主義を超えるものとは2で
先日、「新しい現実」を気がついた人が
まずその手で掴まなくてはならないと書いた。
「ポスト資本主義社会」とも関係が深いと思うが
この内容は民主主義を超えるものというより
民主主義が成熟してきた考え方そのもので
あるのではないかと思う。

いかなる人も神性を持ち、人権を有する。
その有する権利に基づき、
自立に向かうことを理想とすると
ある者が与え、持たぬ者が与えられる、
またはある者が奪われ、持たぬ者が取るという
そういうある者と持たぬ者のギャップという
スケールそのものが異なるものになる。

「新しい現実」というう言葉は数年前に亡くなった
経営学者ドラッカー氏の残した言葉だが
このブログに書かれている「新しい現実」を
共産主義や社会主義と捉える人がいるだろうか。
過去、現在、未来を見つめて未だそう捉えられるだろうか。

自由主義国家でも社会主義国家でも既にリーダーの方は
このブログに書かれた内容が「そうだと思う」と心の中で
共感した方々も多いと感じている。
それは「すでに起こった未来」であるからである。

これからの「ネクストソサエティ」は「自由と繁栄」の社会。

その「自由と繁栄」はある者(持てる者)が
他の人に対する慈愛の心を持つことが必要。

私はドラッカー氏の本を何冊か持っているが
あまり読んでいないと書いた。
しかし、縁が深いと思うと書いた。
本日はたくさんのドラッカー氏の言葉を含んでいるので
経営学者ということでなく、お名前を記載している。

私は「持てる者」が公正さや他の人に対する思いやりと
いう心があったならば、過去の戦争さえ
起きなかった可能性があると思うが
ドラッカー氏もそう思っておられるのではないかと思う。

そして国民も「持たぬ者」も自助努力の精神を
持ち続け繁栄に導かれることが大切であるとと思う。

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