自由とは何か
信教の自由は憲法20条第1項前段で
「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する」と規定している。
例えば自由を求めて大陸に移動した米国国民がこれを読んだら神を信じる自由を保障していると解釈するだろうか。神はおられるがその信仰対象としての神について自分の信じる神とその教えを信じる自由と考えるのではないか、現在の日本はまず神をいるかどうか信じる自由があるだろうと言い、そして信教の自由である。
ユダヤ教やキリスト教は信仰生活に重きを置き、その教えの中の因縁果報の見定めが難しいことやその形に捉われた、他宗教の科学的な発展を自らの中で教義と科学の融和を得られずに自由を求め、違う道を選択した人たちがいた。
元々信仰からできた王政ではやがて王朝と民との間の格差が激しくなった。信仰が薄れ、王朝と民の格差に疲弊して個としての信仰と自由を求めて変化し民は科学と学という力を持った。
日本の神道も古くは強く神への信仰を持ち神への畏敬と、人と人、人と自然と調和した社会だったが、やがて文化や科学に自由を求めて神を鳥居や神棚に収めて組織の支配と人と人との調和の社会を作った。
王政から離れ、民は一人ひとりが等しく価値があるという価値観を元に社会作りをしたが経済的な発展があれば豊かに生活したがやがて平等故に低下や経済の衰退により互いの平等を厳しく求めるようになり、そして平等という権力が生じた。
人の信仰、その人の宗教は生まれた時からの環境によって大きく左右される。その教義を深く知ることで疑問を持って改宗する人もいるし、婚姻関係によって改宗する人もいると思われる。
しかし、現代の日本はどうだろうか。前述したが神を信仰する自由があり、聞けば無宗教だと言い科学や学のみの力を信じる。
日本は信教の自由の前に神を信じることすら忘れている、そして思考の自由が与えられているに関わらず、自らの思考より誰かや何かに依存している状態で良しとしているのではないか。
日本人が今与えられているその自由とは何か。
日本人はこの先どんな世界を望むのか、戦争が起きず、現在と変化が無い世界を望んでも自然環境や金融が大きく変化して
いき、現状を維持はできない。また世界の状態の応じて変わらざるを得ない。
自由を求めるならば精神の基盤に神への信仰を取り戻すことが今、重要である。
この社会に生きるために神の与えた自由とは何か。
自由な発想と選択ができる人と自由な発想と選択ができる人が調和して共に生きる、その中でお互いの中に神を発見し成長するために与えられたものである。
神のキ(光)を持つ森羅万象は自由な発想と選択ができる人間がその成長の中に神を見出し、調和して生きていくために与えられたものである。
自由は決して人ひとりが他の人を自由にしたり、人が森羅万象を我が物にする自由ではない。
みろくの世 miroku_F_G 蓮みろく
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