しばらくお休みしていました。その間、ひふみ神示を閉じていました。
掃除ばかりしていて手から腕に籠った熱感が何日も引かず、何度も腱鞘炎にもなりそうでした。
ひふみ神示を閉じていましたがこの間もひふみ神示の思恵は繰り返していました。
最初にひふみ神示を読み始めた時に何故こんな言い方をするのだろう、嫌だなと思いました。私以外にもそう思った方々はおられると思います。読んでいくと何ヶ所か同じように感じるところがありました。
例えば上つ巻第一帖の「その積りでかかって来い」から始まり、日月の巻の文脈などです。相手に向ってかかってこいと自分なら考え難いと思いました。また日月の巻には何となく人を馬鹿にしているように見えるところもあります。
ひふみ神示を読むと元の日月神示はこれは原本というか素案みたいに書いてある箇所があると思います。しばらく間が空いたこともあり、今調べても何処か出てきません。八通りに読めるひふみ神示、これが素案なら解読以外にも新たな視点や考え方はあって良いのではないか、弥勒の世を構成する為に必要な考え方、法はあるのではないかと思いました。
それが私がひふみ神示を読んで感じた違和感のところになります。369である弥勒、弥勒の世は大調和であって、大調和を描きながら消え、永遠の進化をする世となります。この視点からすると今までもblogに書いて来たように大峠前の世の中にある困難には現世に必要な法があり、それは後の弥勒の世では必要ないということも多く有り得ます。
ひふみ神示の夜明けの巻を良く読むと天之御中主神が天界の神だが悪神にもなってしまい、判らなくなってしまうことが書いてあります。
またひふみ神示を読むと古事記に出て来る水に流されたヒルコはイザナミ神が九の神である天之御中主神の指示を仰いでいることから天之御中主神の指示で流されたことが読み取れます。イザナギ神、イザナミ神の子供としての神はヒルコ、アワシマ、そして三貴神だけではありません。もっとたくさんいます。更に読むとヒルコは宇宙の川に流された邪基であることが判ります。
天之御中主神が太陽系で九の神として現れた時にヒルコが現れました。天之御中主神が太陽系の長い歴史の中で何度も出会ったであろうヒルコであり邪基の存在をその度にどうしたかが重要なことであり、文明を滅ぼしたり、星が爆発したりしています。天之御中主神が目指す大調和が果たせぬまま終末時期に入っています。ヒルコはヒルコの魂の成長が必要ですが天之御中主神が祓いをしている姿でもあります。この姿はとても深い深いものです。
弥勒の世に向ってこのことについて元津大神と十の神である大神にお伺いを立てました。
その結果、天之御中主神は引き下がったのです、引き下がった結果悪神になることはありませんがその姿の後を知る者はこの世にはいないと聞いています。
さて最初に書いたひふみ神示(日月神示)の私の違和感ですが、この部分はこのままだと調和に繋がらないというところがあります。それは天之御中主神のでなく、天之日津久神、日月神示の肝心要とも言える天之日津久神のところです。
先の大戦で日本は敗戦しました。日月神示には敗戦前の3月の東京大空襲が予言されています。北からロシアが降りて来て最後に攻めてくることも書いてあります。日本が敗戦に至るに当たっては霊的な戦いについても最終場面では負けています。霊的にも勝てなかったのです。綺麗事では済まされません。現界の霊戦で信仰の力、強い信仰を持った人数が足りなかったと言えると思います。
その状態で敗戦したのに終末期の今、私は「かかって来い」とはなかなか言えないと思います。読者に方々は自分事になって考えてみてください、言えますか?
大神の意を代弁して神示を下ろしていることはほとんどだと思いますがひふみ神示(日月神示)にあるこのような記載や小ばかにしたようなところは天之日津久神の個性に当たる部分と言って良いと思います。
このことについて元津大神、十の神である大神はひふみ神示の中でそのようなところは弥勒の世に向って修正して良いと言われました。
また天之日津久神は天之御中主神と同じ九次元の神であり、長く共に太陽系の文明を築いてきました。日月神示を下ろした頃には二柱神は終末期に来て天界の建替えが行われ、その後は弥勒の世になることを知って自身の存在の危うさを感じていたところだと思います。
私にとっては今迄の私の人生に必要以上の負荷をかけてきた天之御中主神が天之日津久神と揃って日月神示を下ろすにあたって自身の課題を残していった、あえて尻拭きをさせるように仕向けたと言えると思います。
今私の指導は天之日津久神ではなく祖神である元津大神がおられます。天之日津久神は後々に戻って来られると聞いています。
ひふみ神示大奥山 弥勒の世 蓮みろく
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