ひふみ神示の大道 1では日月神示は不幸な予言の実現を望み、自身の身霊磨きより他者を否定する姿勢があり、そういう想念を形成していることで大道から外れていることを書きました。
ひふみ神示の大道 2では日月神示関係者は既に不幸の予言が成就することを根底では願っており、霊域にその種を作っているので弥勒の世とは別の世界であり大道から外れていることを書きました。
少し前の記事に日月神示は裏の道か悪の道と書きました。それについて書いていきます。
よく社会でいう裏社会というのは全く意味が違うので別として神の道でいう【裏】とはどういうものか、本来なら神の世を形成するのに補助する立場というとイメージが付くでしょうか。
例えば一番有名なところで言えば、神が最初に地に降りた時には神を奉る為に神の眷属であるイシヤが神殿やそれに纏わるモノを用意しました。イシヤは皆神への信仰が篤く神の為に精進しその喜びを知っていました。その後年月の中でイシヤは分れていきます。
裏と言えば占星術等も地上に降りた神を補佐する者、占星術師がいました。地上に降りた神人を補佐したり、護る立場は裏と呼ばれるものです。それも後の年月の中で分れていきます。
この分れていく道は神を支える道に行くか、我欲の道に行くか大きく分れます。
他にもどなたか必要な内容があったら教えてください。
では裏がこのような立場であるとすると悪とは何か、悪は神に反逆するもの、または神を蔑ろにして自らを神とする者です。自らを神とする者とは何も宗教の教祖でなくても自分より偉い存在は居ない人のことを言います。
神の世界はフトマニ図や仏教で言う曼荼羅のようなモノを形成しています。これが自分の上にあることが解り、自らを知る者が悟りというものに至ると思います。神はいても神棚に上げっぱなしで我欲に走っている人も神は不在でしょう。
悪は神の道では神に抗う者、また信仰の中で神の存在を知っているが自分が偉くなりすぎて神を蔑ろにしている者、または神を利用している者など、それにより我欲を見たそうとしている欲深い者になります。
日月神示を知り、自分に知識としての日月神示が身につくと自分を省みず、やたら他人を裁きたくなってそうする、小さな悪神を形成します。
日月神時にはそのような想念がみられます。
ひふみ神示は個々の身霊磨きの指南書であり、日月神示は神の不在と共にその知により他人の悪口を行く指南書になっています。
ひふみ神示大奥山 弥勒の世 蓮みろく
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