日月神示の関係者の方々で【ひふみ神示の大道】の記事をもしお読みでしたら怒らないでください、私は日月神示にさようならを言ってから書いていますので怒るくらいなら読まなくて良いのでそうしてください。

ひふみ神示の大道 1では日月神示は不幸な予言の実現を望み、自身の身霊磨きより他者を否定する姿勢があり、そういう想念を形成していることで大道から外れていることを書きました。

ひふみ神示の大道 2では日月神示関係者は既に不幸の予言が成就することを根底では願っており、霊域にその種を作っているので弥勒の世とは別の世界であり大道から外れていることを書きました。

ひふみ神示の大道 3では【裏】と【悪】、そして信仰の世界の小さな悪神について書き、大道から外れていることを書きました。

大神への信仰があると口では言っても信じていなく、高度な知識や智恵を大量に得て自らが神の代理人や現人神になろうとするのは悪魔です。終末期になって様々なモノが行き詰る中、何も信仰心が無くても物質世界の中で科学や物理、高い知識、智恵があって宗教書や口伝などの預言があってそれを活用する力(金)と能力そして霊能力があれば現人神を名乗ることは可能ではないかと思います。

サイキッカーで数多くの霊能力を持っていて能力が高かったら神になれるかと言ったらそれは違います。世界には多くのサイキッカーが居ますし能力も様々だと思います。高度な能力者は隠れている人も多いのではないでしょうか。

人類の血族の中で霊能力の強い血族もいますし、シャーマンのように民族の中で血筋を持っている人もいるでしょう。

日本社会で霊能力があったとしても通常は自分が霊能者だと名乗る人は居ないと思います。名乗るのはそれが仕事であるか、社会貢献の為に使用している人たちであると思います。

話しはずれますが日本のアニメは本当に様々な霊能力者が出て来ますし、そのようなアニメは世界的にも売れています。何か意図は感じますね。

世界に多くのサイキッカーが居て能力も様々、中には多くの能力を持っている人もいます。その中も分れます。大神や自らの祖神に対し強い信仰を持っていて周囲の人たちに対して調和や愛、慈悲の心でその能力を発揮するか、それとも人を支配する為に能力を使うかだと思います。

さて某教団では次元構造を霊能力別に分けました。つまり多くの霊能力を身に着けた人が高度な神に近いというものです。これは一般の会員には植福(お布施)を求め、幹部職員となると霊能力次元構造となるのでしょう。社会的には高度な霊能力を持っている方々がおられるので某教団のこの次元構造は合っていないので否定します。

霊能力と悟りは関係あるかということに合わせて書きますが、ひふみ神示には【身魂磨き】が大切だと繰り返し書かれています。しかし日月神示の想念の身魂磨きは身魂磨きではなくて霊能力を磨くに置き換わっている方々がいるのではないでしょうか。

【身魂磨き】=【霊能力磨き】、これは【身魂磨き】≠【霊能力磨き】です。

ここを履き違えている人達は一定数いるのではないでしょうか。

日月神示を読む限り、身魂磨きは繰り返し繰り返し書いてありますが霊能力磨きについては書かれていないように思います。どこかで履き違えています。

ひふみ神示には身魂磨きを継続していくと捉われが無くなり、我欲が抑制されたり無くなったりして魂がスッキリして霊聴ができるようになることは書かれていますし、そのような魂が神の光を受けて言霊を発することは書かれています。

霊能力が欲しい、人より多くの霊能力が欲しいというのは非常に大きな我欲であることに気付くべきです。

また霊能力があるからと自ら誇示している人は自分が神になっていて大神からの光を自分で遮っていることもあり、大道から外れます。ひふみ神示には天狗のたぐいについて書かれていますしその行く先も書かれています。

霊能力があっても他者の悪い所ばかり目が行く、自分が他人の鏡だと言って人を裁く霊能者がいるとするとそれは自らが神になっていて大神を信仰してない。そしてそのような悪神に乗っ取られています。悪神に乗っ取られている人は即ち悪人です。行く先は自分と同じ性を持った魂と長い間やり合うことになります。また信仰はあるものの他者の不幸ばかり心に浮かんでいる人は大神とは違う、人の不幸を願う神を拝んでいるのだと思います。

ひふみ神示大奥山 弥勒の世 蓮みろく

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