ひふみ神示の大道1では日月神示は不幸な予言の実現を望み、自身の身霊磨きより他者を否定する姿勢があり、そういう想念を形成していることで大道から外れていることを書きました。
しかし、日月神示は主に預言書として知られているのが現実だと思います。その視点に立って視るとすると現在世に出回っている日月神示は都市伝説かエンタメであると思います。
ひふみ神示には様々な預言が含まれています。むしろ終末期、大峠のことが多く書かれているのは事実でしょう。現在の預言書は新約聖書の黙示録が一番有名だと思います。その他に死海文書や古史古伝の予言、口伝の予言等。また世界の近年ではサイキッカーがnet配信することがメジャーになってきているように思います。そのような予言と日月神示に書かれる大峠の預言は同じく扱われる、そうすると都市伝説でよく取り上げられているものと同じでエンタメであるのではないでしょうか。そこから日月神示に入ってくる方々は誰もが予言が当たるか外れるかに気を取られて本来の大道を忘れています。
初期にイエスキリストの弟子達がその教えを流布した時、その教えと共にイエスの再来についても広めていったと思います。それ故にその教えを信じると共にイエスの再来はいつ来るのか、すぐ来るのかに大きく揺さぶられていたことは書かれています。日月神示はその教えより預言が先立ってしまって、日月神示に纏わる想念はその不幸の預言の成就を願っていることを何処でも感じます。
私は預言は預言であり、悪い予言は外れたほうが良いと思っています。事前に知ることができたなら不安に駆られて日々過ごすより、与えられた時間の中で回避や軽減の道を探し歩むべきです。それなのに不幸の予言が当たったと言って他人事であると喜々とする、その心中が既に地獄です。そういう不幸の予言を待ち望んでいる人は真っ先に不幸の予言が当たる先頭に立って欲しいと思います。
日月神示にある戦いについては仮想敵は何国か、誰なのかなどの憶測を含めて既にその心の霊界で戦争を種を作っています。そのような霊界を作っているところに弥勒の世はありません。同じ霊域に創ることはできません。
ひふみ神示大奥山 弥勒の世 蓮みろく
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