※7/19タイトルを[ひふみ神示の大道 追記]としていましたが[ひふみ神示の大道 悪の御役とは]と変更しました。

ひふみ神示の大道について1~5を書いてきましたが、追記をします。

追記

私がblogに繰り返し書いているようにひふみ神示の大道は間違ったら改めることができる道です。カルマですが改めて自分が修行を課してできる限りのことをしていくとある時に吹っ切れて非常にスッキリするという体験をします。

私は過去、随分前ですが何度かこの体験をして自分が自分の心を救済することができ、強くなりました。

またひふみ神示を読んだり、縁のある方が身魂磨きとして自らに修行を課していくとある時【岩戸開き】の体験をして神の声を聞いたり、自らの身魂の【夜明け】が来てそのイメージを強く感じたり視たり、【富士は晴れたり】の姿をくっきりと霊的な目で視る人も出て来ると思います。他には何かのきっかけで前世の記憶を強く思い出すことがあると思います。

しかし、悪神に動かされ、悪の御役をしている人たちはこの体験をすることはありません。或いは酷く憑依されていると偽りの体験をするかもしれません。

ひふみ神示には悪の御役というものが書かれていますが社会的に言えば正法や正道を説く宗教には悪の御役はまさしく悪魔に魅入られた人、つまり悪人か悪魔に乗り移られた人です。自分から悪の御役をするというのはどこの宗教でもほとんど聞いたことがないと思います。それはイジメの世界で自分を正当化する為に使う悪魔の言い訳でしかありません。

ひふみ神示は個々の指南書であり、個々の悟りとして悪の御役というものがあるんだと知ることが示されていますがそれを悪用して悪の御役を自ら行うというのはやはり悪魔の仕業、悪人のすることです。邪基ヒルコの悪行はまさにここを突いてやってきて唆し、増大させその人間や社会を滅ぼすまで悪行を行ないます。また救世の仕事を担う天使たちを悪に陥れ善から悪にひっくり返そうとします。悪の御役では無く悪行をしたヒルコの魂自体はその悪因縁を断ち切ることはできず、多く抱えることになります。

この悪魔に魅入られた人の魂はその人と同じ性を持つ魂と嫌と言う程長い年月向かい合い、自分が悪の御役としてしたことがどういうことか知るしか悟れる方法がありません。それでもダメならその魂は天界でも霊界でもなく、その悪業の重みの分深く深く沈んで光眩しい天界を1000年間見つめて自分の行いが神の心に合っていなかったことを知ることになります。

知って犯す罪と知らずに犯す罪はどちらが重いかという仏教の問いがあります。

netで検索すると[知らずに犯す罪]は故意による犯罪であり、[知らずに犯す罪]は過失による犯罪と解釈できるとあります。一般的には故意の罪のほうが重いとみなされる。これは本人と相手がいて第三者がいるので社会的に合点がいく答えです。

しかし仏教でこの問いをするとここに因果の理法が入ってきて[知らずに犯す罪]のほうが重いことになります。

それは[知らずに犯す罪]は知らないので同じことを繰り返すからカルマが大きくなっていく為に言われることで、個の悟りとしては「知らずに犯す罪」は重い事になります。しかしこれは個の悟りの世界であり、社会的なものではありません。

では[知って犯す罪]についてですが個人の悟りでは知らないで行なった罪より軽く、社会的には故意の犯罪なので重い罪になります。

これをひふみ神示の悪の御役に当てはめていくと[知って犯す罪]を自ら行なって悪の役目を果たしているということなのでやはり悪人、悪魔の類になります。悪の御役をしている身魂はその身霊自身に悪い因果が発生します。大道を行く人の中でこのような性がある方は正さなくてはなりません。

ひふみ神示は個人の指南書として読むものであって後にあれは悪の御役だったのかと悟ることができますが、ひふみ神示を読んで相手を裁く為に悪の御役を自ら引き受けておこなうのはやはり善では無く悪です。

天使や神々の行う救済は悪の御役を行なっている人によって苦しめられている信仰深く善に生きようとする人に向かい、道に迷った人に救いのきっかけを与えたり、時には間違わないように護ります。今世信仰に目覚めるきっかけを作ることもあります。また自身のご先祖様は子孫が迷うと何らかの護りを与えることがあるでしょう。

弥勒の世に悪神はいないのだろうかと言えば弥勒の世の悪神は大峠前の悪神と違い、大神への強い信仰のもとにおられる悪神となり、言い訳や我欲がありません。

ひふみ神示大奥山 弥勒の世 蓮みろく

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