[ひふみ神示の大道]はあえて日月神示を否定し、ひふみ神示の一部を否定し【弥勒の世】に向かいます。

1 [不幸な予言と間違った他者の身霊磨き]

2 [日月神示の不幸な霊域]

3 [悪]と[裏]

4 [霊能力と身霊磨き]の違い

5 [弥栄]

6 [悪の御役とは]

 7 [弥勒の世とみろくの世]

8 [弥勒の世]

9 [天日津久神]

弥勒の世に向かい、ひふみ神示を解読する私ですが、非常に困難なことがあります。それは今迄も記載していますが天之御中主神ともう一柱天日津久神です。前回そのように書きました。

天之御中主神(アヌ神)については今迄も何度か書いています。

6月27日の記事の中では以下のことを書いています。

天之御中主神が太陽系で九の神として現れた時にヒルコが現れました。天之御中主神が太陽系の長い歴史の中で何度も出会ったであろうヒルコであり邪基の存在をその度にどうしたかが重要なことであり、文明を滅ぼしたり、星が爆発したりしています。天之御中主神が目指す大調和が果たせぬまま終末時期に入っています。ヒルコはヒルコの魂の成長が必要ですが天之御中主神が祓いをしている姿でもあります。この姿はとても深い深いものです。

弥勒の世に向ってこのことについて元津大神と十の神である大神にお伺いを立てました。

その結果、天之御中主神は引き下がったのです、引き下がった結果悪神になることはありませんがその姿の後を知る者はこの世にはいないと聞いています。

4月18日の記事では以下のことを書いています。

私の最近の記事では弥勒の世に向って天津日嗣皇ミコト大神が現れていることを書いています。

古事記の最初には天之御中主神が書かれており、天之御中主神は9次元の高位の地球神であり、シュメール文明のアヌ神であり、ムー文明のラ・ムーであり、神道の饒速日であることを書いてきました。

しかし、時節は終末期になって地球は破壊へと進んでいます。もはや9次元神霊、天之御中主神では未来を築くことは難しくなり、十次元の神である大神の神霊から天津日嗣皇ミコト大神、実子が現れた(生れた)のです。

日月神示はそのままでは大調和する【弥勒の世】を築くことはできません。そこには日月神示、ひふみ神示の根幹を成し、もっとも多くの神示を占める天日津久神(天之日津久神)が関わっています。

天日津久神はバラバラにすると天(あめの)=天之御中主神の天の世で活動する神

              日=火の神、太陽の神

              津=水の神

              久=永久の神

となります。

また3月21日の記事[ひつくの神 国常立尊]の記事では【ひつくの神】の一柱としての国常立尊について記載しています。

ひつくの神、日津久の神、日嗣の神

日つぐの神、日嗣の神

他にもあります。

ひつくのか三、一二⦿、一二のか三、ひつ九のかみ、ひつ九のか三、ひつ九の⦿など。それぞれの解釈はまだ詳細におこなっていないのでここで書きません。九の文字が入っているものは九次元神霊の可能性は高いと思います。

岡本天明氏が昭和19年麻賀多神社の境内にある【天日津久神社】に行き、自動書記により下ろした日月神示、そこへ行くきっかけとなったフーチでは【天之日月神】と記されています。

ひふみ神示では天日津久神は一柱ではないと書かれています。

天の日津久の神と申しても一柱ではないのざぞ、臣民のお役所のようなものと心得よ、一柱でもあるのざぞ。この方はオホカムッミノ神とも現れるのざぞ、時により所によりてはオホカムッミノ神として祀り呉れよ、青人草の苦瀬なほしてやるぞ。

天つ巻 第26帖

6月27日の記事[弥勒の世に向かうひふみ神示]に天之日津久神について書きました。

以下、抜粋しました。

大神の意を代弁して神示を下ろしていることはほとんどだと思いますがひふみ神示(日月神示)にあるこのような記載や小ばかにしたようなところは天之日津久神の個性に当たる部分と言って良いと思います。

このことについて元津大神、十の神である大神はひふみ神示の中でそのようなところは弥勒の世に向って修正して良いと言われました。

また天之日津久神は天之御中主神と同じ九次元の神であり、長く共に太陽系の文明を築いてきました。日月神示を下ろした頃には二柱神は終末期に来て天界の建替えが行われ、その後は弥勒の世になることを知って自身の存在の危うさを感じていたところだと思います。

私にとっては今迄の私の人生に必要以上の負荷をかけてきた天之御中主神が天之日津久神と揃って日月神示を下ろすにあたって自身の課題を残していった、あえて尻拭きをさせるように仕向けたと言えると思います。

今私の指導は天之日津久神ではなく祖神である元津大神がおられます。天之日津久神は後々に戻って来られると聞いています。

このような内容なのですが、先に書いたように天日津久神は一柱ではないが一柱でもあると書かれています。お役所とも書かれているので天津神、国津神の中でも天日津久神として登録している神という感じでしょうか。

時によって所によってはオホカムツミノ神として祀りくれと書かれています。天日津久神の中でもオホカムツミノ神は時によって所によって別に祀ってほしいという意味だと思います。天之日津久神は八、九次元ですが、同じ世におられてもオホカムツミノ神と同じかと言えば、違うことになります。

私は大神からその部分について十分に思恵しなさいと言われました。弥勒の世にとって大事なことであると。非常に抵抗の圧を強く感じてなかなか思恵が進みませんでした。

天日津久神は置き換えれば天の世に永久に存在する火と水の神ということになります。この解釈ですと古事記にある活神様が多くその中におられる筈です。

さてオホカムツミノ神ですが古事記ではイサナキ神が黄泉の国から逃げ帰る時に黄泉比良坂の坂本にあった桃(一二三)実として書かれています。三つ取って迎え撃つと追手は敗退した。その功によりイサナキ神は意富加牟豆美命(オホカムツミ)という名を与えた、神界では桃は祓いの木とされています。

人民のうきせになやむを救うのはオホカムツミの神であるぞ。この能の神名わすれてはならん。このほうはオホカムツミの神とも現れるぞと知らしてあること忘れたのか。

月光の巻 第19帖

何んな難儀も災難も無くしてやるぞ、此の方意富加牟豆美神であるぞ。神の息と合はされると災難、病無くなるのざぞ、大難小難にしてやるぞ、生命助けてやるぞ、此の事は此方信ずる人でないと誤るから知らすではないぞ…。

日の出の巻 第15帖

このように読んでいくと天日津久神の一柱であるオホカムツミノ神(意富加牟豆美神)は九次元霊で天日津久神のまとめ役であり、天界の建替え、立直しの時にはそのお姿を現し、今回のように大神の命でひふみ神示を地上に下ろすお役があります。

天之御中主神と天日津久神の一柱でありまとめ役であるオホカムツミノ神は日月神示の上つ巻から夜明けの巻辺りまでは今私が書いているような事態になることを全く知らなかったのだろうと思います。[かかってこい]のような非常に挑戦的な言動があったり、所々に小ばかにしたような神示がある、これはオホカムツミノ神の個性に当たる部分で大神が言っている訳ではありません。

しかし二柱の大神霊は徐々に気が付いたと思います。月光の巻に至っては自身の存在の危うさを感じていたところだと思います。

私が一括りに天日津久神と書いてしまいましたがひふみ神示を読んで困難なのは天日津久の神々ではなく、オホカムツミノ神の個性です。ですからオホカムツミノ神の行き過ぎた神示の部分、ひふみ神示の一部を否定します。

ひふみ神示をよく読むとオホカムツミノ神がどのような神か判ります。地球上で言えば、様々に存在する神が創造したモノそのものです。例えば木があれば木が成り立っている組織、組織を通って生かしている水など、神のキを入れて地上のほとんどのモノを物質化している神そのものです。しかし木を生かしているのはオホカムツミノ神のみではありません。日と水を動かす神の息吹です。空気があり、空気を動かす風があり、木に潤いを与える雲や霧であり、神に生かされている動植物であります。私たちの体を造っている組織や血の組織などありとあらゆるものとなります。それらは神の創造したもので神のキが宿っているからです。

ひふみ神示の内容ではその個性は天之御中主神の指導の下の伊邪那岐神の祓いとなります。伊邪那岐神は片輪です。男女がありそれぞれの個性がありますが男神としての世を生み出しました。酷く言うと女性軽視の世界です。ひふみ神示の内容からこの部分を修正していかなくては調和する【弥勒の世】には迎えません。否定されたイザナミ神は大峠を越して八次元から九次元または十次元に上がります。また別に書くことにします。

日月神示、ひふみ神示自体が【弥勒の世】を説いていながら天之御中主神とオホカムツミノ神の二柱の立場が危うくなる為弥勒自身を落とし込み、無き者としようと書かれています。

私が神示を解読し法を説いていかなくては【弥勒の世】は先に進みません。ひふみ神示の大道には間違ってもやり直すことができるという法と共に蓮みろくとしての法として書いていきます。日月神示をひっくり返し、ひふみ神示の中でも天界の祓いについてはひっくり返した価値観になります。

以前から書いていますが単なる祓いはカルマを残します。

3月16日[祓いの大道]では以下のことを書きました。

はらひは結構であるが、厄はらひのみでは結構とはならんぞ。それは丁度、悪をなくすれば善のみの地上天国が来ると思って、悪をなくすることに努力した結果が、今日の大混乱を来したのと同じであるぞ。
よく考えて下されよ。善と申すも悪と云うも、皆悉く大神の肚の中にあるぞ。大神が許し給へばこそ存在してゐるのであるぞ。この道理をよく会得せよ。
はらふと申すのは無くすることではないぞ。調和することぞ。和して弥栄することぞ。
(ひふみ神示 月光の巻第27帖)

大神(十の神)から神示

個人、そして国も自分は変わらないが、禍いや災難から逃れたいと祈るのは間違いであろう。
神に祈り、祓い、そして悟る、それが誠の大道である。
自らの心を省みてその心の底でこれは自分の間違いだと思うなら、そこを改めよ。

天界の神々よ、そなたたちも同じである。改め私の許に還れ。
それが私の願いである。

その国々ぞ、あたまあたまで、まつり結構ぞ、まつり呉れよ。

邪はらふとは邪無くすることではないぞ、邪を正しく導くことざぞ、追払ふでないぞ、まつろへよ。引き寄せて抱き参らせよ、取違ひならん大切事ぞ。

(ひふみ神示 〇つりの巻第5帖)

今オホカムツミノ神は沈黙しています。元津大神のもとで個性を修正しておられるだろうと思うところです。

ひふみ神示の書籍は音読するように書かれています。天のひつく神記す神示ばかりですが、時には静読するとオホカムツミノ神ではなくて国常立神が一緒に読んでくださることを感じる方々がいらっしゃると思います。

ひふみ神示大奥山 弥勒の世 蓮みろく

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