私のこのblog、【幸福の芽】は2009年9月に幸福の芽1を書き始めました。

今年の9月24日で16年となります。

今、思い浮かぶ言葉は私のblogの私の【幸福の芽 happy sprout】が終ったのではないかということです。

8/27の記事に以下のことを書いています。

私の悪い噂を流している元凶の会社のことで思い出したことがあったのでここに書き留めておきます。

その会社で私に”仕事ができないとかキャバレーで働いていたとか悪い”レッテルを貼った方が居たと思います。私が居たその事務所は1987年(昭和62年)当時、その会社の全社の中でいち早くオフィスコンピューターを導入しました。そのオフコンをオフコン会社担当者から説明を受けて社内で使えるようにマニュアル化して業務に仕える様にしたのは私ですし、一人で行ないました。その業績をこの会社は隠しています。

尚私はキャバレーで働いたことはありません。その時の所長に体を触られるという酷いセクハラに遭いました。当時私がガマンするしかなかった。それを言われない様に逆に言われたようです。

そして清〇さんですが他の女性職員が入ると私を避ける様になり、いつの間にか私が嫌がらせをしていることになりました。その時に聞いたことは清〇さんは議員さんの紹介でうちに来たから清〇さんの方が大事だということでした。

某法人の金子氏と幸福の科学を中心に長く私を追い続け悪口を言い続けて実際にそうであるという現実を創作して追い詰めて殺そうとまでして来た闇の勢力。私は某法人の名前で法を説きたい、幸福の科学の名前で法を説きたいと思った訳ではない、何の関係もないのに何故追い続けるのか。

私の神の為にも私の法として説きたいと思って活動しています。また神の法を説く者にとってそれを奪い取る者は闇であり、悪です。通常の善悪とは違います。

ここまで来て思ったことは元凶の会社は1987年の後で私を悪者にして辞めさせて私が当時の先駆けであったオフコンのマニュアルを作った功績を奪い取って全社の中で自分たちの功績にしたこと、それと同じことを幸福の科学が今もってなおハッカー迄使って私を追い詰め私の法を奪い取って自分たちの功績にしようとしている、この行為は一緒です。他人の功績を奪って自分たちのものにしても良いという同じ思考です。彼らが悪口を吹聴した福祉団体も同じ思考でした。私を認めることなく現実を悪く創作して追い詰めていました。噂通りの私を創作したのです。

このblogの題名、【幸福の芽】には非常に強い思い入れがあります。

幸福の芽1の2009年12月10日の記事です 

幸福の芽 happy sprout

http://mi77337733.blog76.fc2.com/blog-entry-102.html

苦しいとき、辛くて涙が止まらないとき
幸福の芽を探して、がんばってみる。
そうすると幸福に向かっていけるんだっていう意味。

落ち込んでも、やがて時間が癒してくれたら、
幸福になろうと思って幸福の芽を探す。
初めに心が幸福になろうと思っていることが大切。
幸福の芽は心の中にあるのかもしれない。
自分の心が「幸せになりたい」って
本当に思うところから始まる。
そしてそれから自分の幸福の芽を探そう。

ずっとずっと前の私・・・
辛くて自分の時間を止めたくて・・・
そんなときに見ていた植物の小さな芽が
私が時間を止めようとしているのに
毎日少しづつ少しづつ成長していく。
そんな姿を見て、
時間はただ流れているだけではない、
時間が流れるにしたがって植物は成長していく。
世の中に時間の流れと共に成長しようとする力がある。
時間の流れの中で全てのものは成長していく。
そんなことに気がついてから
また私も前向きに生きなくてはならないと思った。
そして今、こうしている自分がいる。
仏さまがおられると毎日毎日感じながら・・・。

一人ひとりが幸福になることが大切、
そしてたくさんの人が共に生きているのだから
隣にいる人も、遠くにいる人も
お互い、幸福であることが大切。

【幸福の芽 ~慈悲】

http://mi77337733.blog76.fc2.com/blog-entry-103.html

苦しいとき、辛くて涙が止まらないとき
やがて時間が癒してくれたら、
幸福になろうと思って幸福の芽を探そう。

ずっとずっと前の私・・・
辛くて自分の時間を止めたくて・・・

あるきっかけではじまった周囲の
容赦ない攻撃の気持ちや態度に辛かった、苦しかった・・・。
長い間理由もわからなかった。
最初は「なぜ?」「どうして?」と思った。
どんどん悪者にされていく。
随分たってからわかった理由も理不尽なものだった。
濡れ衣、きせられたりもした。
この苦しみをこのままにして許せるか、
涙が止まらない・・・。
止まらない涙に一言「すみません」と言ったら
それで全て私があやまったことにされた。
いっそ私の時間を止めたら、そうしたら終わる。
私の心は辛さと苦しみでいっぱいだった。

そのとき「正しさっていったい何か。」と
知らず知らずのうちに模索していた。
自分が間違っているのか、どうなのか。
相手の人たちが正しいとも思えなかった。

苦しみが長い間続いた。
そのとき、心の奥から何度も響いてくることばがあった。
「育む心が大切なのだ、慈しむ心が大切なのだ。
それが一番価値のあるものだ。」というものだった。

その環境から離れ、幸福の芽を探しはじめたとき、
私はこの心に響いていたことばを思い出した。
「慈しむ心」これは「慈悲」なのか。
「慈悲」ということばには畏怖の思いがある。
今考えれば「慈悲」は仏さまの心を
現すものだからなのかもしれない。
私はあのときとても辛かった、
だからこそ、人には「慈しむ心」を忘れないでいたい。
そう考えていたら「慈愛」ということばが心の中に浮かび、
そしてこの「慈愛」ということばが好きになった。

ずっとずっと前の私・・・。
22~25年くらい前の私・・・。

この記事の内容は冒頭に書いた元凶の会社で追い詰められて神の声を聞いた時のものです。

容赦ない攻撃は元凶の会社の太田氏によるもので3年以上挨拶をしてもらえない、口をきいてもらえない、仕事を教えてもらえず完全無視されるというものでした。そして長い嫌がらせの末突然「あなたが私の車を壊したのに黙っているから無視したのだ」と言われました。私はその場に居合わせましたが全くの濡れ衣でした。

そして私の心は壊れました。辛くて涙が止まらなくなったのです。眠れない夜を過ごし、短い時間眠れても唇を嚙みしめて起きると口から血が流れていました。食欲が出ず非常に痩せて、それでも僅かな昼食を食べているとその人から「なんだ、食べれるじゃないか」と言われました。

長く苦しい時間を過ごしました。絶望のどん底にいました。

苦しみの中で私は【正さとは何か】【慈悲とは何か】と宗教書や自己実現の書籍などを読み続けました。植物の芽が伸びていく姿を見て自分が時間を止めても全てのモノは【成長】というベクトルを持つことを知りました。

そして一歩を踏み出す勇気を持ったのです。

幸福の芽 ~幸福になろうと思って幸福の芽を探そう。

そう自分に言い聞かせました。

それがこのblog【幸福の芽】の題名となりました。

私のblogの私の【幸福の芽 happy sprout】が終ったのではないか、冒頭に書きました。

私のblogの題名に含まれる私自身の【幸福の芽】の意味がどんな形であろうとも終った、そのように感じます。

しかし、【幸福の芽】はどなたの人生でもそのどん底の苦しみの中で喘ぎ苦しみながら勇気をもって一歩前に進む為の一つの芽、一条の光を見出すことで再出発ができる、やり直していくことができるそういうものであると思います。

信仰は私を強くしました。このような私であるからこそ、神は私に法をお授けくださいます。

【弥勒の世へのパラダイムシフト】

現世の世が終る大峠の後の蓮みろくの【弥勒の世】を創る為、日々大神の信仰の下で価値観を構築しています。

私はblogを書き続けますが題名を【幸福の芽】のままにするか、他のものにするかは今思案しています。

ひふみ神示大奥山 弥勒の世 蓮みろく

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