※9/30追記しました

2009年12月30日の【日と月】を再掲載、その後みろく神示1~7を再掲します。 

http://mi77337733.blog76.fc2.com/blog-entry-127.html

2009年12月30日 日と月

日は光り、世を照らす法となる

月は日の光を法とし、法を行じ光となる

    

私は今、この地上に法をおろした

それはこの地球を

善き地球、幸福なる地球にしたいと思うからだ

    

地球に住む人よ

共に生きよ、幸福なれ

日はあくまで法でなくてはならない

なぜなら、法がねじ曲がっていくことが

この地球を破壊することになるからだ

信仰ある人よ、その信仰におごるなかれ

私は人と人が共に

幸福になるようにこの地球に法を編んだ

そして法をおろした

しかし、行じるものがなければ

その法にいったいなんの価値があるか

人の涙の数だけ涙を流すことだ 

2009年12月31日 みろく神示 1

日月神示の本当の意味は[日と月の間に地球を内包している仏さま(大神)が現れる]ということを意味する。

地球の仏さま(大神)は巨大な霊意識なのでその姿を現すことができない。

神仏はこの世を創造したことからその姿を現すことができない。

だから過去の歴史の中でもそして現代でも神仏がこの世界を発展と調和のベクトルで幸福な世界を現すために「法」を残している。必要な時代に必要な宗教によって人間に法を残している。

これから世の中が大きく変化し苦しみの中に入る。

実際、私はこのブログ以外に今までにできる限りのことはした。この身とこの心がまるで鋭い刃物かなにかで切り刻まれてしまい、そして痛み続けている。

昨日のインスピレーションからみれば初めに「信仰者」

この時に大切なのは「法を体現すること」宗教の中で真理となって説かれている法

   「 善き人となれ、人を愛せ 」

様々なことが起き、そこに地球の法となっているものが確認されるだろう

そこに地球を内包する仏さま(大神)の姿をかいま見ることになるだろう

地球を内包する仏さま(大神)は言われる。

世界で過去の歴史でも言われている master of master

私はすでに地上に法をおろした

人が共に幸福になる法をなぜ、行じようとしない

法を行じていれば、苦しむことなどなかったはずだ

求めよ真理を、求めよ信仰を、 

自他共に幸福なる道が真理である 

2010年1月1日 みろく神示 2

本日あらためて言われた。仏さま(大神)は言われる。

    

日と月はふたつでひとつにならなくてはならなかった。

法を行じ、ふたつがひとつになれば苦しむことはなかった。

しかしひとつにならなかったからみろく神示が行われることになった。

      

そして仏さま(大神)の悲しみもまたとても深いのだ。

2010年1月3日 みろく神示  3

日月の本当の意味は[日と月の間に地球を内包している仏さま(大神)が現れる]、そして[自他共に幸福なる道が真理である]

まず、日本

信仰をもつということは正法を行い、現すこと。 

自分の都合のよいところだけやっていくとか自分の都合のよい解釈をしてやっていくとかしていないか。

自分に甘く他人に厳しく正しさを求めてないか。

様々なことが起きた時に自己保身になり、周りのせいや、誰かのせいにしていることがないか。

法をねじ曲げて伝えていないか。

自分のみ救われようとしていないか。

正法とは過去のものを集積した法であり、また今新たにあるものである。

仏さま(大神)は言われる。

そうでなければ幸福な世界は現れない

そうでなければ私があなた方を救おうにも救えないではないか 

2010年1月4日 みろく神示 4

日月の本当の意味は[日と月の間に地球を内包している仏さま(大神)が現れる]、そして[自他共に幸福なる道が真理である]

本日、世間で言われている日月神示のことを知らずにここ数日同じ題名でブログを書いたがいけないのではないかと

思い、日月神示を改め、みろく神示に直した。

ただ、最初のインスピレーションが「日月」だったためこの言葉はそのまま使用していく。今だ、日月神示を読んでいない。そして私は他のことについてもこのブログに書いていきたい。

私がこれがみろく神示だと思うインスピレーションがあったらブログを書いていくことにした。

だから日月神示と全く違う話になる可能性がある。

私のこのみろく神示は非常に流動的でその日につかんでいるインスピレーションで大きく方向性が変わっていく可能性さえ感じるところだ。

2010年1月5日 みろく神示 5

この地球の仏さま(大神)が編まれた法、正法といわれるもの、真理ともいう。普遍的にあるもの。

そしてその時代時代の正義があるとこのブログに書いた。

神示とは何か。

神を示すという字を使う。他の解釈はわからないが今、私が考えていることをブログに書いていく。

私のいう神示とは降魔に近い。降魔とはいったいどういうものか。

魔はそもそも存在するのか。その説明が必要なときがあったら書いてみたい。

神示が降魔に近いのは今の世の中で病気や大きな災害等そこに魔ともみえる神仏にかなわない想念が溜まっていたり

特別な神仏の意図があったりする場合、神示として現すとその言葉の影響力と精神世界の変化で実際、災いが起きなくて済む場合と言葉ありても聞かなくてはならない人々に届かない、また届いても変化に乏しく精神世界に変化が現れにくい場合、または逆の方向で変化した場合、実際に起きてくる。起きたからそれ自体が魔だと解釈してはいけない。

むしろ魔だと認識できるものは少ない。

やはり神仏の心は更に良くなってほしいという心だからだ。そういうものだと解釈している。

仏さま(大神)は愛である。

前にもブログに書いたが仏さま(大神)は人間に自由を与えた。

その自由を仏さま(大神)の心に合うように使えば幸福になり、その逆に使うと苦しみを産む。

人間は苦しい時だけ「なぜこんなことが起きるのか」と神仏に問うことが多い。

しかし、もとより心正しく、自他ともに幸福な道を選べば苦しまずに済む。もうひとつ停滞を選ばないことも大事なことだ。

2010年1月7日 みろく神示6

日月の本当の意味は[日と月の間に地球を内包している仏さま(大神)が現れる]、そして[自他共に幸福なる道が真理である]

信仰者よ

信仰のなかにあって、自らの過ちを正せない者よ

他の人を傷つけて下におき、なお自分が正しい信仰者だという者よ

相手を傷つけ相手の存在を否定することの罪を忘れてしまったか

自分のみを生かさんとする道はまた自分をも否定する道なのだ 

その心をこそ正せ、そこからはじまる 

これは自らが信仰者と名乗るものがそうであるからこそ、間違いがあった時にそれを認められず相手を否定し続けることがある。たぶん、世間の人より信仰あるものはその信仰によって激しく、強く神仏より正義を求められるものなのだということだと思う。

2010年1月7日

みろく神示6はもうひとつ重なったインスピレーションがあったことがわかったので重ねて再度本日、書いておく。

仏さま(大神)は言われる

信仰者よ

自らを正しい者とし、自ら愛する者だけを愛しそうでないものを排除する者よ

信仰のなかにあって、自らの過ちを正せない者よ

他の人を傷つけて下におき、なお自分が正しい信仰者だという者よ

その己の心を見てみるがよい     

いかなる心か

相手を傷つけ相手の存在を否定することの罪を忘れてしまったか

私は自他はひとつだと言ったはずだ     

自分のみを生かさんとする道はまた自分をも否定する道なのだ 

その心をこそ正せ、そこからはじまる 

     

相手の痛みを感じることができない者よ

相手を傷つけ、痛め、そして自らが傷んだからといってなお他の人を恨もうとするか 

     

仏さま(大神)の悲しみははかりしれない。

2009年12月から翌年1月始めに私に降りた【日と月】についてまとめました。

この時の【日】は太陽のような愛の法、【月】は仏教による悟りと言えます。そしてこの時の舞台である幸福の科学教団において既に逝去していた【日】富山誠氏を依り代としたイエスキリストの法、そして【月】は仏教の弥勒菩薩、蓮みろくです。

幸福の科学教団において主エル、イエスキリストの大神霊は大川教祖の兄である富山誠を依り代として愛の法を説きましたが大川教祖と幹部によって抹殺されました。中川家の親子、2003年8月12日に死去した父中川忠義氏(善川三郎)、1993年6月29日に死去した中川力氏(富山誠)、そして2023年3月2日に死去した中川隆氏(大川教祖)の三名、三名により教団の元となる霊媒師による霊言(精査は必要)を下ろしました。その中核は富山誠氏によるものです。基本三法は加筆や変更されたものも多く含まれています。大川教祖はエルカンターレを名乗り全てを自分のものとして教団は高学歴のエリートのみの優性思想と選民思想と化しました。大神と弥勒菩薩、蓮みろくとの法を受け入れる余地など少しもなかったのです。蓮みろくは霊媒となって行う霊言や自動書記は僅かしかしません。大神と共に終末(大峠)に向って法を説き、構築する役割です。

大神は私と共に在ります。私が一般会員だった時にも共に在りました。教団と共に在った訳ではありません。主エルは大川教祖ではないと少し前に書きましたが、そもそも世界線を考えず主エルとエルカンターレと同じであるという姑息なことを考えたのはどなたでしょうか。

私は今回生きてこのように法を説くことができましたが、イエスキリストの依り代となった富山誠氏の御魂は未だ教団に憑りついて離れることはありません。短い生涯を燃焼し法となるものを下ろしましたがその生涯は浮かばれることなく、在籍、その名も抹消されています。

私は関係者ではありませんが異常な嫌がらせを受けたために書いています。

幸福の科学教団は大神に畏敬の念を持ち、教祖の悪行を詫びることをお勧めします。

そして富山誠氏の御魂が報われるようにお詫びと供養をなされることをお勧めします。

私、蓮みろくは教団とは無関係です。しかし教団から長く嫌がらせを受けたことについては関係あります。

大川ワールドの方々は大川教祖と関係の無い大神と私の法を奪い取らないでください。

現在私が解読しているひふみ神示における【日】はエンキ神であり天照大神の太陽信仰と愛の法、【月】はイシュタル神であり月読大神の悟りの法となります。

現在、蓮みろくは蓮みろくとして大峠(終末)に向かう準備と法を説き構築することが役割です。

ひふみ神示大奥山 弥勒の世 蓮みろく

blog 弥勒菩薩

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