昨日三法印の話で終わったけど仏さまの時代は悟りの時代だった。
仏さまの時代から時流れ・・・
現代に生きる私たちには悟りからもう一段「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」の次がある。
「光明荘厳」という。
仏さまの時代のことで言えば執着を断って悟りの境地に入って仏さまと一体になることまでだった。
来世はその次があると。
「光明荘厳」
仏さまの法を体現して生きること。
この世界に法を張りめぐらしている仏さまが存在し、それを実感した時に今まで見ていた世界に仏さまの意図がわかり、その中で生きていくこと。
現代で言えば自分のものとか自分がとかって思ってもそれは一時的なものでそこに苦しみがある。
その執着を断って安らぎの心境になったら今度は自分でつかんだ大切なものを大事にして今を生きていく。
この大切なものって、「栄枯盛衰」に全く関係のない価値のあるものなんだ。
それはきっと心の幸福が増えていくこと・・・。
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きのう栄枯盛衰の話になったけれどやっぱり思い出すのは平家物語の一節
今日はちょっと仏法の話。
仏法三法印と言えば「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」
仏さまは悟りのために三法印を説かれた。
仏さまは僧団を作り、その中で悟りのためにこの法を弟子に説かれた。
今を生きる私たちにとってこの三法印が必要だろうか。
実社会でいえばどうだろう。
諸行無常・・・
自分はこれが全てだって思っても時間がたつと色あせ、また違うものになってしまう。
自分自身も次の瞬間にはまた違うものがほしいと思ってしまう。
自分も周りもいつも同じなんてことはありえない。
諸法無我・・・
いろんな理はあるけれど、これって誰が決めたのか。
自分が、親が、世間が決めたのか。
そうじゃない、長い人類の歴史の中でできていて自分なんてものはない。
涅槃寂静・・・
涅槃は天国と考えると全てのものは移ろい流れていく、そこに自分が自分がと我を張ったところでどれほどの意味があるのか。
その執着から離れれば天国的な安らぎがくるのだ。
(仏さまの世界に心境が達するともいうけれど)
仏さまの僧団の中ではこの心境になると仏さまと一体になる。
でも私たちは今を生きているのだ。
あらゆる自分のものとか自分がというものを去って苦しみから、執着しているものから離れよう。
そして解き放たれたら、現実に戻ろう。
自分にとって本当に大切なのは何か、その何かをつかみ大切にして生きていこう。 -
街並みを抜けて自然を楽しむ。
気分がすっきりする。
自然の中には栄枯盛衰がある。
栄枯盛衰は何も偉い人のものだけではない。
自分にもあるし、花や草にだってある。
すごく大きくてきれいな花もやがて枯れる。
踏みそうな草の中を覗けば小さいけど今が盛りと小さな光を放って咲いている花がある。
とても栄えた人もその時は得意だったりするがその人が下り坂になったときは若くて何も持たない人がうらやましかったりする。
栄えた人も病いに休めば何も持たなくても元気な人がうらやましかったりする。
人は自分にないものを他の人に求めうらやましがる。
だから視点を変えればあなただって持っているものはいっぱいあるのだ。 -
もちろん、ブログに「みろく」と書いているように弥勒菩薩に以前から興味はあった。
でもだからってそんなに気にもしていなかった。
でも最近、弥勒菩薩について少し勉強してみた。
私が興味を持ったのは広隆寺の弥勒菩薩の脇にある泣き弥勒のほうだった。
泣き弥勒の写真を見ているとなんともいとおしく感じてしまう。近くに行って「大丈夫だから」って言ってあげたいとそんな大それたことも考えてしまう。
救世仏と言われる弥勒菩薩は仏様の説かれる法を得とくして、人の苦しみに同じ苦しみを感じて、なんとかしたいといつも考えてくださるのだろうか。
未来仏の弥勒菩薩はこの苦しみの世の中に既存のシステムでないものを世に現わし、希望を与えてくださるのだろうか。 -
弥勒菩薩って昔、インドのお釈迦さまの時代に
生まれたと言われている。
救済仏とも未来仏とも言われている。
もし、弥勒菩薩がいたら、
「泥中の花は自分を磨き、きれいに咲くが、
泥も根も暗闇の中、もがきながら一生懸命生きている。
泥も根も心のどこかで花にあこがれ、花になってみたいと
思っている。」という心の声を
聞かれることがあるのだろうか。 -
2009年9月29日から12月6日に投稿した[落ち込んで上がれない時]の記事をまとめました。
9/29落ち込んで上がれないとき①
落ち込んで上がれないとき、これって「うつ」ともいうのかな
落ち込んで上がれないときってあるけど、いろいろ
でも誰にも言えなくて、心が苦しくて苦しくてどうしょうもないとき、そのままにしないで
あきらめる前に自分のこと誰かに話をしてみよう
苦しくて苦しくて、その苦しみから逃れられるのは決して自分を消滅してしまうことではなくて解決策を探してみることだから
10/1落ち込んで上がれない時②
うつっていろいろ、「自分は完璧にやっているのに、誰もわかってくれない!」と心の中で叫んでいるときって苦しいよね
苦しくて苦しくって自分のこと認めてほしいのに、なのに周りの人は認めてくれない
「誰かわかって!私のこと認めて!他の人ってやってないじゃない」って叫んでも、でもよく周りの人を見てみて
周りの人はあなたみたいに頑張っていないかもしれない
でももしかしてあなたの目には頑張っていないように見えているだけかもしれない
そうじゃなきゃ、周りの人は頑張りすぎないけど、「みんなで仲良くやろうよ」って考えて少し遠慮しているのかも
他の人はあなたとちょっと違う視点でみているのかもしれない
周りの人もそして自分もそれぞれの視点でみたら完璧じゃないから、だから許し合おうよ
10/2落ち込んで上がれない時③
うつっていろいろ
話をしたくない、どうしてもごはんが食べれない、どんどん痩せていってどうにもならない、食べる気力もない
そんなときホントは生きていたくないんだよね
そんなとき、自分のこころ見つめてみて
誰かを許せないんじゃないかな
こんなときごはんを食べたって元気にならない
許せない人いたらその人許す前にその人に振り回される人生やめようよ
もっと自分をしっかりもって生きようよ
自分が自分の人生主体的に生きて幸せになろうと思わなかったら幸せになれないのだから
10/2落ち込んで上がれない時④
自分に突然ふりかかってきた大きな悲しみに自分が生きていることを肯定できないような深い深い悲しみの瞳で空間をみつめている人があなたの近くにいたら
そう、大切にしていたものを失った悲しみ、大切にしていた心を失った悲しみ、大切な人を失った悲しみ、大切な人に裏切られた悲しみ、その悲しみが大きすぎて言葉も動くこともできないでいる
そんなとき文字をみることすら意味を見いだせない、どうすることもできない
でもね、時間は流れていく
辛いんだね
だけど時間はその大きな悲しみさえ飲み込んで過去のものにしてあなたに新しい時間を与えてくれる
心が少し癒えたら私に声かけてね
近くにいる人、そう伝えてあげて
瞳にわずかに光を灯してあげて
10/3落ち込んで上がれない時⑤
うつっていろいろ
でもこれで取りあえず最後にしよう
がんばりすぎたあなたへ
良い人過ぎたあなたへ
周りの誰もあなたの頑張りように気付いてくれなかったね
ほんとに頑張っていたんだよね
「これ以上頑張れない」って心が叫んでいるのに聞いてくれる人いなかったね
心も体も少し休憩したら、今度は他の人に心の扉を開いてみて
そしてもしまた自分がいっぱいになってしまったら自分の心に閉じこもってしまう前に誰かに話してみよう
10/5落ち込んで上がれない時⑥
落ち込んであがれないとき、⑤までで終わりにしようと思ったけれどまだ、いくつか書きたくなった
何もやる気がおきない、今まで簡単にできたことに手がつけられない
体が今までの何倍も重く感じる、体が温まらない、生活をすることだけで精一杯
どうしてこうなったんだろう
なぜ、こうなったんだろうと考えてばかりいても解決しない
原因はあるかもしれないけれど、原因がわかったから解決することでもないかもしれない
だから、1日のうちで少し体の動きが良い時に外に出よう
まだ陽の出ているうちに
繰り返していくとだんだん、気持ちの切り替えができてくるから
10/5落ち込んで上がれない時⑦
自分が思っていたほど、世間が評価してくれず自分はすごく頑張ったのに 人は何も言ってくれない
自分じゃなく他の人の方が評価が高い
とても辛い
でもね、よく考えてみて
自分はまだ自分の殻から出ていないんじゃないかな
自分の価値観だけで判断しているから苦しいんだ
もっと世の中にはいろんな人がいる、自分にももっといろんな可能性がある
今が全てじゃない
5年、10年後にどんな実を実らせるか、そんな考え方もあるんじゃないかな
10/6落ち込んで上がれない時⑧
自分が悩みの中にあって、困難な壁に当たってどうして自分だけこんなことになるんだろうって長く考えているとき
そんな時は自分の心の中で同じことを繰り返し、繰り返し、オーム返しのように反復している言葉に流されているとき
こんなときはペンを持って思っていること書いてみよう
そして書いた内容の解決策を探そう
きっとその答えは自分の心の中じゃない、外にある、だから誰かに聞いてみよう
10/7落ち込んで上がれない時⑨
自分が辛いなあって思っているとき、そんなとき、私って素敵でしょ、私幸せって眩しく光る人を見たとき
ふと避けたくなる
なのにその人は明るく「大丈夫?」なんて声をかけてくれたとき落ち込みが倍になる
そんなときはその場を避けて解決策を探そう
同じような悩みのある人たちと話をしよう
そしてその中の人がどうやって立ち上がったか聞いてみよう
苦しみも悲しみも知っていてきっと話をしたら元気が出るから
10/7落ち込んで上がれない時⑩
自分はこうなんだ、自分って昔からこうだったんだ、自分はなんてかわいそうなんだろう
なんて決めつけないで
自分の中の可能性を信じて
そうじゃない自分たくさんいるのに同じシーンの自分しか思い出さないでいるだけ
よい自分のシーンたくさん思い出すようにすると元気が出てくるから
そして未来が変わるから
12/6落ち込んで上がれない時⑪
落ち込んで上がれないとき、そんなことが多くて
いつも自分は落ち込みやすいという人がいたら・・・
きっとまわりの人に完璧主義じゃない?って言われたことない?
もともと静かな人は落ち込みも静かだけれどにぎやかな人が落ち込むと目立つ
世の中に美しい女性は多いけれど美人じゃないなって思っている人は多少のことにこだわらない
美しい人ほど、自分の欠点を見つけやすいし、人のこともよくみてる
例えがちょっと悪いかな
完璧を求めると人は本当に細かいとこまで気にしてそれに労力を使い果たすけれど8割でいい、9割でいいっていう人はもっと大きな視点からみたら10割求める人より達成度は高いし、余力ができる
落ち込みやすい人は10割求めて落ち込むことが多い
だから8割、9割でもっと自分の可能性を求めてみよう
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心が壊れるときってある。
それはふとした瞬間「これが自分じゃない」
「こんなはずじゃない」って思った時。
その心の奥底にあるのはもしかしたら自責の心かもしれない。
逆にもっとも信じていたものに裏切られたときかもしれない。
長く続いた辛さに耐えかねたときかもしれない。
そんなときどうする?
時間は流れていく・・・。
しばらく立ち止まったら前へ進もう。
そして自分も他人も許して・・・
人を恨んでばかりいないで・・・
後悔していたらその分埋め合わせに人を愛してみよう。
相手の人にこだわるだけの人生から前に進もう -
幸福の芽って題名をつけてみたけれど・・・。
幸福って力を合わせて作っていかないといけないんじゃないかな。
みんな、幸せで当たり前って思って生きているからわからない。
でもいったん失ったら幸せって作らないといけない。
とても辛い、涙の時間をすごすことになるんだけれど。
その涙の時間の中には幸福の芽があちこちに
隠されているんだ、きっと。 -
初ブログになりました。
苦しい時、辛い時、そこから解放されたい幸せになりたいと思うけれど。
幸せってなんだろうと思うとあれこれ考えてもやっぱり心が幸せって感じるから幸せなんだなと思います。 -
蓮みろくです。
blog[ 幸福の芽 Happy sprout ]を書いています。
2009年9月24日からgooサイトを使用していましたが2025年9月末で投稿が終了し、2025年11月18日でサイトが閉鎖します。
その為、wordpressに引っ越ししました。
gooのblog[ 幸福の芽 Happy sprout ]は1、2,3があります。そのうち1と2は2009年9月から2022年12月迄書いたものになります。サブブログとしてコピーがありますのでご案内致します。
読者の皆様、よろしくお願い致します。
幸福の芽 happy sprout みろく maitri
《心の時代へのパラダイムシフト》幸福の芽をみつけて一歩前に出てみませんか