心の科学を仏教からとらえる。
四諦八正道。
「苦」「集」「滅」「道」のこの「苦しみ」とは実際どういうものなのか、それを「因果の理法」「縁起の法」でとらえてみてそれを「集める」ところから始める。
それから苦しみがなくなった状態をイメージし、それに向かっていく道程を考え行っていく。
そうすると「抜苦与楽」
苦しみを抜いて、幸福な人生を歩むことができる。
ひふみ神示(日月神示)の大奥山
心の科学を仏教からとらえる。
四諦八正道。
「苦」「集」「滅」「道」のこの「苦しみ」とは実際どういうものなのか、それを「因果の理法」「縁起の法」でとらえてみてそれを「集める」ところから始める。
それから苦しみがなくなった状態をイメージし、それに向かっていく道程を考え行っていく。
そうすると「抜苦与楽」
苦しみを抜いて、幸福な人生を歩むことができる。
きのうのブログを修正した。
心の科学は「原因結果の法則」がある。
仏教で「因果の理法」と「縁起の法」というものがある。
まず「因果の理法」
「因」「縁」「果」「報」
「因果の理法」は原因があって結果がでてくる理(ことわり)、よく「因果応報」ということばを聞く。
何か苦しみがあったら自分がその原因を作ったのだから今結果としてこの苦しみがある。
それは原因があって結果が出たのだから自分のせいだから当然その報いを受けることになる。
これは良い意味でも同じことがいえる。
良い事があったら自分がよい種の蒔いたからよい果実が実ったのだ。それは原因結果でそうなった。
因果はその空間(環境)と過去・現在・未来の三世で捉えることができる。
そして「縁起の法」
「因」「縁」「生」「起」
何か「因」となる事象があると仏さまが「縁」をつけて、更に前の「因」から次の「因」が生まれ、そしてまた事象が起きてくる。
「縁起の法」は「空間縁起」と「時間縁起」がある。
何か「因」があると「空間~今現在の環境」の中で仏さまの縁で事象があり、また同時に「時間~今までの人生や前世」の中で仏さまの縁で事象が起きる。
この世に偶然はない。
しかし、人間心で仏さまの縁を全て理解できるものではない。
潜在的に不幸を呼び寄せたい人はその縁を不幸の縁としてしか捉えられないし、発展的に考えられる人はそこから「幸福の芽」を探し出すことができる。
人間はいつも同時にこれを見る目を持たなくてはならない。
この物質でできた三次元にいながら「精神世界」「心の世界」に生きる姿である。
こちらが本来の姿なのだ。
「心の存在」「心の価値」がある「心の時代」、心の向上を目指していくことが大切なのだ。
決して霊的なインスピレーションを常時受けたり、霊能者である必要はない。
世代間連鎖をひも解くものがこの中にある。
そして世代関連鎖をひも解くカギは「心」なのだ。
決して「虐待をされた」ことが原因でまた「虐待をしてしまう」ことで解決することではない。
心を科学する。
「人間中心療法」「認知行動療法」
必要なのは心を科学するセラピストの存在。
そして神仏の存在であり、死後の世界観である。
何がその時代の、その国の正義なのか。
永遠の生命をもち、人は生まれ変わるのか。
仏教からこの療法を考えてみると神仏はこの世界に「時間」と「空間」を作られた。
「空間論」の中で療法があり、「時間論」がない。
ないというより少ない。
仏教にはこの「時間論」である世代間連鎖をひも解く、因果の理法がある。
心を科学する。
先日、現在の日本を「苦集滅道」で考えた。
国民の心、民意でとらえると・・・
日本の国民は「自由」を享受していたい。
安定した生活が困難な人は安定した生活がしたい。
そして行きついたのは「公務員に対する怒り」である。
民主主義から全体主義に向かっているように見えるとも書いたが、一部の意見が国民の多数の意見のようにみせる扇動作用が働いていて、その意識を使って全体主義に向かっているようにみえた。
しかし、ここまできて国民の「怒り」の思いが消えてきていて今度は「不安」に変化している。
この不安を解消すべく強く先導していくカリスマ性は現政権にはないのだ。
民意、心の作用として捉えると国民は自由を享受したいと思っていて、ここで全体主義に向かっていくものではない。
全体主義は一時的なもので、そして神仏の思いにかなったものではない。
心の時代とはどんな時代だろうか。
心の時代で大切なのは「絶対的な他者の存在」
依他起生のところで書いたとおり、自分以外の他の人がいないと人は生きれない。
それを様々な人を通して感じていくこと。
では「心」って何だろう。
「心の存在」「心の意味」「心の価値」
心ってあるのか、どんなものか、心って明確に意味づけできるのか、心に価値なんてあるのかという疑問が出てくるかもしれない。
自分の心がわからないという人がいたらそれはいつも思いったったら行動している人、思いと行動が常に一緒な人、悪く言えば、頭にくることがあったらすぐに怒る人、心の存在を知っている人は
今、自分が怒っていることわかるから、その怒りをどうしたらいいかって考える。
誰かに「今、こんなこと考えているでしょう。」
なんて言われてそのままその通りっていうときのそれが「心」
人は「心」の中で様々な思考を繰り返している。
そして悲しいと感じるのは頭ではなくて「心」
苦しいって感じるのは頭でなくて「心」
さみしいって感じるのは頭でなくて「心」
それから
楽しいって感じるのは「心」
うれしいって感じるのは「心」
ありがたいって感じるのも「心」
幸せって感じるのも「心」
「心」は精神世界を通し他の人とつながっているからだから「心」が大切。
今、目の前にいる人とそしてこの国の人とそして世界の人とつながっている。
「心」の世界はお互い影響を及ぼしあう、そういうものだから、だからお互い、愛し合いたい。
その1

その2

その3

その4
本日も天気が良かった。
あまり、期待もせずにまたお昼に太陽の写メを撮った。
今日の方が光線が強かったようで同じ携帯でとっても本日の方が青空が青くならない。
本日は9枚。
題名をスピリチュアルな日としたせいか、本日は「心の時代」について考えていた。
私は今日まで考えたことがなかったが、「心の時代」は霊感の強い人や霊能者だけが生き残り、精神世界からのインスピレーションをいただきながら、作る時代だと思っている人がいるのだろうか。
私が思っている「心の時代」はそういうものではない。
神仏はおられる。
3次元以降の世界がある。
だからUFOがいたっておかしくない。
だからってこれから到来する時代がUFOが行き来したり、霊感の強い新しい人類だけが生き残る世界ではないと思う。
ある一定の人だけが生き残る選民的な時代ではない。
しかしあえてどうかと言えばひとつキーワードが思い浮かんだ。
いつか、そのことについて書きたいと思う。

本日のお昼過ぎ、たいへん天気が良くて秋に植えた草花の様子をみていたら、急に太陽の写真が撮りたくなってまた撮ってしまった。
本日はカラーが強く出ていてあとから見直すと少し怖さがある。
写真では太陽の中央に黒点があるが太陽の光線にまぎれて大型のUFOがある。
写メ20枚をみるとそれが円型だとわかる。
太陽の周りにあるものはそれから映し出されているのではないかとも思える。
先日、UFOのことをこのブログに書いたからだろうか。
先日のものは今年、4月に撮ったものだ。
この世の中だけでは完結しないもの・・・。
神仏を信じ、この宇宙に他にも地球と同じような星があると思っている私にはあまり、驚きはない。
しかし、今、なぜという疑問とともに未来への予兆を感じざるを得ない。

「心」はある程度「科学」できるのだ。
「現在ある自分の心」を分析してそれがどのいうものなのか。
例えば自分の苦しみがあるとその苦しみはどういうものなのか。
いろんな要素の中で分析していくと原因がある。
それには法則性がある。
分析結果に基づいてその阻害要因を抑え、発展的に考えると「これからどうしたら良い結果がでるか」と考えられる。
心理学に「人間中心療法」というもの、精神医学に「認知行動療法」というものが最近聞かれる。
苦しんでいるその人そのものを中心に据えて苦しみの原因を知って、その心の方向性を変えて問題解決をする。
そう理解してもいいのではないだろうか。
専門性が高い人からみていかがだろうか。
ここには「心を科学している」セラピストが必要だと思う。
ただ、必要なのはセラピストだけではない、神仏の世界であり、死後の世界観である。
心を科学して苦しみから離れ、幸せな人が増えること。
それができたらいい。
「心の時代」ついてすでにいくつもブログを書いてきた。
「心の時代」に大切なことがある。
「心」はある程度「科学」できるのだ。
「現在ある自分の心」を分析してそれがどのいうものなのか。
例えばある人の苦しみがあるとその苦しみはどういうものなのか。
いろんな要素の中で分析していくとこの苦しみの原因はこういうものだというものがある。
それには法則性がある。
「心の科学]についてはまた後日追記する。
このことを仏教でいうこともできる。
仏教に四諦八正道ということばがある。
その四諦が「苦集滅道」である。
八正道は八つの正しさへの道である。
「苦・集・滅・道」
苦しみを集めてそれがなくなった状態をイメージしそれにいく道程を考え行っていく。
つまり仏教は「心の科学」なのだ。
先日、今の日本に処方箋が必要だとブログに書いた。
今、国民の中で苦しみを訴えている人の内容はなにか。
この「苦集滅道」に合わせてみた。
「苦」ー日本で苦しいと訴えている人は誰か、
「全ての人ではない。」
「無職の人たちが仕事がなくて苦しい。」
「子育てがたいへんだ。」
「集」ーなぜ苦しいか
「仕事をしたいが見つからない。」
「実際たいへんな人は食費を切り詰めなくては
ならない、学校へ行かせたくても行かせられない」
「滅」 ーその人たちの苦しみがなくなる。
「安定した職業につける、働き甲斐がある。」
「子供が安心して育てられる。子供の自己実現ができる。」
「道」 ーそのための道はどういうものか。
「雇用の政策が改善され、雇用が進む。景気が
よくなるよう経済政策がとられる。」
「子育ての政策が安定して継続的におこなえ、
子供たちの自己実現が国力をあげることができる。」
これは心の科学というより現在の日本の状況を「苦集滅道」にあてはめて考えたものだ。
これを「心」でとらえてみる。
内容を詳細に書かない。
結果を記載すると
日本の国民は「自由」を享受していたい。
安定した生活が困難な人は安定した生活がしたい。
そして行きついたのは「公務員に対する怒り」である。
今、苦しいと訴えている人は社会調査をしてもいい。
今、この苦しみをあまり感じていない人の割合を考えずにとらえる。
本当に訴えたいのは「公務員・政府」に対する怒りである。
現在の日本は公務員(たくさんの業種の人たちがいる)が賃金や社会的にも優位にいるがそれが国民に反映されていない。
そう感じている人たちの思いが集まっているように見える。
この意識に扇動作用がおきている。
処方箋は、その部分を解決しながらしっかりとした政策を早急に立てていただきたいと思うところだ。
日本の政治の先が見えない。
民主主義を超えるところまできていた。
しかし、先が見えない状態では民主主義は超えられない。
社会主義になったら社会奉仕活動を役務として国民に義務づけ、そこから形成に向かえばいいのかもしれない。
今、日本は全体主義に向かいつつある。
しかし、それは本来の全体主義ではないと思う。
それは国民の意見ではなく、大きく取り出されている問題をあおりその意識を使って扇動作用が働いているように見える。
それに振り回されて自ら自国の首を絞めて苦しんでいるようにさえ見える。
もっとも大切な理想もなく・・・。
少なくとも経済大国と言われる日本の本来の姿を取り戻したい。