• ※大事なことを書き忘れましたので追加します

    [ひふみ神示の大道]はあえて日月神示を否定し、ひふみ神示の一部を否定し【弥勒の世】に向かいます。

    1 [不幸な予言と間違った他者の身霊磨き]

    2 [日月神示の不幸な霊域]

    3 [悪]と[裏]

    4 [霊能力と身霊磨き]の違い

    5 [弥栄]

    6 [悪の御役とは]

    7 [弥勒の世とみろくの世]

    8 [弥勒の世]

    9 [天日津久神]

    10 [信仰と宗教]

    11 [西の法] 

    ひふみ神示の大道として理である一本道である大道とその時節時節に合せた法で後の新しい時代には必要でない法は区別していかないとこの時代を切り抜けてはいけません。

    創世記から現代までは八次元迄の世界観、天照大神(イエスキリスト)、月読神(釈迦牟尼仏仏陀)、素戔嗚神(アダム、アブラハム、モーゼ)の世界観です。

    少し前に法は【西】で説かれる、何故【西】か、それは国名が現していると書きました。

    【西】はイエス・キリストが法を説いたイスラエルです。

    創世記には【東】のムー大陸にムー文明があって、【西】には別天地のエデンの園がありました。

     ムー大陸ムー文明ですが現在その存在が認められていません。ムー文明があったのは現在の北が南で南が北であった時代で現代でいう巨人の時代です。巨人の時代の終りにポールシフトにより地球が180度回転したのでそれより前と言うことになります。

    前にも書きましたが【東】はムからウが生れました。ムからまず造化三神が現れ高天原ができ、神代七代が現れます。そしてイザナギ神とイザナミ神により国生み、神生みが行われていきます。そして多数の星の宇宙船からそれぞれの民族(星人)が召喚されて地上に降りました。

    西ではエデンの園にアダムが生れましたが追放されてアフリカ・メソポタミア地方に子孫を増やしていきます。

    長い年月が経ち、やがてアブラハムの時代から後にモーゼによりユダヤの民がカナンの地に導かれます。モーゼとアロンはカナンの地に入りませんでした。

    ヤコブが神からイスラエルという名を頂きます。イスラエルの国名はイスラの神です。ヤコブがイスラエルに入る時に祈った神の名は主エルです。イスラの神とはいったい誰かは今は書きません。ユダヤの民の神は888であるエンキ神、イシュタル神、エンリル神です。

    終末期イスラエルの民、イスラムの民、イスラの神が次の時代の法を現わすことになります。今【西】では終末が説かれ第三神殿の建設が囁かれていると思います。神への信仰の価値観の戦いが起きます。これが西の法となります。

    ※大事な追加

    アヌ神である天之御中主神は大神の命である大調和を求めながら祓いを行っており、多民族の大調和が実現できませんでした。【西】ではモーゼは十戒を説き、その後イエスキリストは身分や民族を越え、地球文明を愛とする為に救世の法を説きました。しかし時代厳しく後に多くの天使、伝道師が死を迎えました。今、そのイエスキリストの説かれた法はどうなったのでしょうか。現状では戦争となっています。

    聖書には終末期にユーフラテス、チグリス川が干し上がって道となり、世界各地から王が参集されることが記載されています、その時に東の王も行くことも記載されています。

    ひふみ神示大奥山 弥勒の世 蓮みろく

  • [ひふみ神示の大道]はあえて日月神示を否定し、ひふみ神示の一部を否定し【弥勒の世】に向かいます。

    1 [不幸な予言と間違った他者の身霊磨き]

    2 [日月神示の不幸な霊域]

    3 [悪]と[裏]

    4 [霊能力と身霊磨き]の違い

    5 [弥栄]

    6 [悪の御役とは]

     7 [弥勒の世とみろくの世]

    8 [弥勒の世]

    9 [天日津久神]

    10 [信仰と宗教]

    信仰と宗教について書いていきたいと思います。

    以前何度か記事にしているのですが通常のひふみ神示の読み方難しいと思われるのはこれが現社会について書かれているのか、大峠のことを書いているのか、大峠以降のことを書いているのか、弥勒の世について書いているのか、判断しながら読まなくてはならないことです。

    これまで日月神示を読んでこられた方々でこれは現社会に合っていないと感じながら読む部分もあったのではないでしょうか。または無理やり当てはめて読んでいたこともあるのではないでしょうか。

    ひふみ神示を読む時には特に大峠前のことか、後のことか考えながら読む必要があります。

    私は以前、大峠前のことはひとつの宗教として書くとしていました。現在も分けて書いています。

    過去の大きな宗教は歴史的背景とその時節があります。

    大峠前の現社会ではこの部分は常識的にはこう解釈されるのではないか、この部分が重要ではないかということはありますがそれについてはひふみ神示としては久遠の法というより、時節上、歴史上必要な法であると思いますし、ひふみ神示を解読して現在の状況に合わせて法を説くというのは一つの宗教であると思います。

    しかしひふみ神示に書かれている大神の信仰の下、久遠の法というものも非常に大切、最も大切です。

    今も未来も同じですという方々はもし自分の身近に大災難が起きた時、万が一戦争が起き時に同じ心境を維持できますか、そのような心がけはありますか。そのように置き換えて考えてみることも必要であると思います。

    ひふみ神示の大道として理である一本道である大道とその時節時節に合せた法で後の新しい時代には必要でない法は区別していかないとこの時代を切り抜けてはいけません。

    ひふみ神示にはこの時代は方便の時代とあります。その方便に合せることもあればそうでない時もある、それが現代の法であり、一つの宗教的な意味を持つことになると思います。

    創世記から現代までは八次元迄の世界観、天照大神(イエスキリスト)、月読神(釈迦牟尼仏仏陀)、素戔嗚神(アダム、アブラハム、モーゼ)の世界観です。

    ひふみ神示を通じて今地球文明は十次元の世界観に変わり、【大神】そしてその御子(実子)である天津日嗣皇ミコト大神への信仰が大切です。そこから久遠の法が説かれます。

    ひふみ神示大奥山 弥勒の世 蓮みろく

  • [ひふみ神示の大道]はあえて日月神示を否定し、ひふみ神示の一部を否定し【弥勒の世】に向かいます。

    1 [不幸な予言と間違った他者の身霊磨き]

    2 [日月神示の不幸な霊域]

    3 [悪]と[裏]

    4 [霊能力と身霊磨き]の違い

    5 [弥栄]

    6 [悪の御役とは]

     7 [弥勒の世とみろくの世]

    8 [弥勒の世]

    9 [天日津久神]

    弥勒の世に向かい、ひふみ神示を解読する私ですが、非常に困難なことがあります。それは今迄も記載していますが天之御中主神ともう一柱天日津久神です。前回そのように書きました。

    天之御中主神(アヌ神)については今迄も何度か書いています。

    6月27日の記事の中では以下のことを書いています。

    天之御中主神が太陽系で九の神として現れた時にヒルコが現れました。天之御中主神が太陽系の長い歴史の中で何度も出会ったであろうヒルコであり邪基の存在をその度にどうしたかが重要なことであり、文明を滅ぼしたり、星が爆発したりしています。天之御中主神が目指す大調和が果たせぬまま終末時期に入っています。ヒルコはヒルコの魂の成長が必要ですが天之御中主神が祓いをしている姿でもあります。この姿はとても深い深いものです。

    弥勒の世に向ってこのことについて元津大神と十の神である大神にお伺いを立てました。

    その結果、天之御中主神は引き下がったのです、引き下がった結果悪神になることはありませんがその姿の後を知る者はこの世にはいないと聞いています。

    4月18日の記事では以下のことを書いています。

    私の最近の記事では弥勒の世に向って天津日嗣皇ミコト大神が現れていることを書いています。

    古事記の最初には天之御中主神が書かれており、天之御中主神は9次元の高位の地球神であり、シュメール文明のアヌ神であり、ムー文明のラ・ムーであり、神道の饒速日であることを書いてきました。

    しかし、時節は終末期になって地球は破壊へと進んでいます。もはや9次元神霊、天之御中主神では未来を築くことは難しくなり、十次元の神である大神の神霊から天津日嗣皇ミコト大神、実子が現れた(生れた)のです。

    日月神示はそのままでは大調和する【弥勒の世】を築くことはできません。そこには日月神示、ひふみ神示の根幹を成し、もっとも多くの神示を占める天日津久神(天之日津久神)が関わっています。

    天日津久神はバラバラにすると天(あめの)=天之御中主神の天の世で活動する神

                  日=火の神、太陽の神

                  津=水の神

                  久=永久の神

    となります。

    また3月21日の記事[ひつくの神 国常立尊]の記事では【ひつくの神】の一柱としての国常立尊について記載しています。

    ひつくの神、日津久の神、日嗣の神

    日つぐの神、日嗣の神

    他にもあります。

    ひつくのか三、一二⦿、一二のか三、ひつ九のかみ、ひつ九のか三、ひつ九の⦿など。それぞれの解釈はまだ詳細におこなっていないのでここで書きません。九の文字が入っているものは九次元神霊の可能性は高いと思います。

    岡本天明氏が昭和19年麻賀多神社の境内にある【天日津久神社】に行き、自動書記により下ろした日月神示、そこへ行くきっかけとなったフーチでは【天之日月神】と記されています。

    ひふみ神示では天日津久神は一柱ではないと書かれています。

    天の日津久の神と申しても一柱ではないのざぞ、臣民のお役所のようなものと心得よ、一柱でもあるのざぞ。この方はオホカムッミノ神とも現れるのざぞ、時により所によりてはオホカムッミノ神として祀り呉れよ、青人草の苦瀬なほしてやるぞ。

    天つ巻 第26帖

    6月27日の記事[弥勒の世に向かうひふみ神示]に天之日津久神について書きました。

    以下、抜粋しました。

    大神の意を代弁して神示を下ろしていることはほとんどだと思いますがひふみ神示(日月神示)にあるこのような記載や小ばかにしたようなところは天之日津久神の個性に当たる部分と言って良いと思います。

    このことについて元津大神、十の神である大神はひふみ神示の中でそのようなところは弥勒の世に向って修正して良いと言われました。

    また天之日津久神は天之御中主神と同じ九次元の神であり、長く共に太陽系の文明を築いてきました。日月神示を下ろした頃には二柱神は終末期に来て天界の建替えが行われ、その後は弥勒の世になることを知って自身の存在の危うさを感じていたところだと思います。

    私にとっては今迄の私の人生に必要以上の負荷をかけてきた天之御中主神が天之日津久神と揃って日月神示を下ろすにあたって自身の課題を残していった、あえて尻拭きをさせるように仕向けたと言えると思います。

    今私の指導は天之日津久神ではなく祖神である元津大神がおられます。天之日津久神は後々に戻って来られると聞いています。

    このような内容なのですが、先に書いたように天日津久神は一柱ではないが一柱でもあると書かれています。お役所とも書かれているので天津神、国津神の中でも天日津久神として登録している神という感じでしょうか。

    時によって所によってはオホカムツミノ神として祀りくれと書かれています。天日津久神の中でもオホカムツミノ神は時によって所によって別に祀ってほしいという意味だと思います。天之日津久神は八、九次元ですが、同じ世におられてもオホカムツミノ神と同じかと言えば、違うことになります。

    私は大神からその部分について十分に思恵しなさいと言われました。弥勒の世にとって大事なことであると。非常に抵抗の圧を強く感じてなかなか思恵が進みませんでした。

    天日津久神は置き換えれば天の世に永久に存在する火と水の神ということになります。この解釈ですと古事記にある活神様が多くその中におられる筈です。

    さてオホカムツミノ神ですが古事記ではイサナキ神が黄泉の国から逃げ帰る時に黄泉比良坂の坂本にあった桃(一二三)実として書かれています。三つ取って迎え撃つと追手は敗退した。その功によりイサナキ神は意富加牟豆美命(オホカムツミ)という名を与えた、神界では桃は祓いの木とされています。

    人民のうきせになやむを救うのはオホカムツミの神であるぞ。この能の神名わすれてはならん。このほうはオホカムツミの神とも現れるぞと知らしてあること忘れたのか。

    月光の巻 第19帖

    何んな難儀も災難も無くしてやるぞ、此の方意富加牟豆美神であるぞ。神の息と合はされると災難、病無くなるのざぞ、大難小難にしてやるぞ、生命助けてやるぞ、此の事は此方信ずる人でないと誤るから知らすではないぞ…。

    日の出の巻 第15帖

    このように読んでいくと天日津久神の一柱であるオホカムツミノ神(意富加牟豆美神)は九次元霊で天日津久神のまとめ役であり、天界の建替え、立直しの時にはそのお姿を現し、今回のように大神の命でひふみ神示を地上に下ろすお役があります。

    天之御中主神と天日津久神の一柱でありまとめ役であるオホカムツミノ神は日月神示の上つ巻から夜明けの巻辺りまでは今私が書いているような事態になることを全く知らなかったのだろうと思います。[かかってこい]のような非常に挑戦的な言動があったり、所々に小ばかにしたような神示がある、これはオホカムツミノ神の個性に当たる部分で大神が言っている訳ではありません。

    しかし二柱の大神霊は徐々に気が付いたと思います。月光の巻に至っては自身の存在の危うさを感じていたところだと思います。

    私が一括りに天日津久神と書いてしまいましたがひふみ神示を読んで困難なのは天日津久の神々ではなく、オホカムツミノ神の個性です。ですからオホカムツミノ神の行き過ぎた神示の部分、ひふみ神示の一部を否定します。

    ひふみ神示をよく読むとオホカムツミノ神がどのような神か判ります。地球上で言えば、様々に存在する神が創造したモノそのものです。例えば木があれば木が成り立っている組織、組織を通って生かしている水など、神のキを入れて地上のほとんどのモノを物質化している神そのものです。しかし木を生かしているのはオホカムツミノ神のみではありません。日と水を動かす神の息吹です。空気があり、空気を動かす風があり、木に潤いを与える雲や霧であり、神に生かされている動植物であります。私たちの体を造っている組織や血の組織などありとあらゆるものとなります。それらは神の創造したもので神のキが宿っているからです。

    ひふみ神示の内容ではその個性は天之御中主神の指導の下の伊邪那岐神の祓いとなります。伊邪那岐神は片輪です。男女がありそれぞれの個性がありますが男神としての世を生み出しました。酷く言うと女性軽視の世界です。ひふみ神示の内容からこの部分を修正していかなくては調和する【弥勒の世】には迎えません。否定されたイザナミ神は大峠を越して八次元から九次元または十次元に上がります。また別に書くことにします。

    日月神示、ひふみ神示自体が【弥勒の世】を説いていながら天之御中主神とオホカムツミノ神の二柱の立場が危うくなる為弥勒自身を落とし込み、無き者としようと書かれています。

    私が神示を解読し法を説いていかなくては【弥勒の世】は先に進みません。ひふみ神示の大道には間違ってもやり直すことができるという法と共に蓮みろくとしての法として書いていきます。日月神示をひっくり返し、ひふみ神示の中でも天界の祓いについてはひっくり返した価値観になります。

    以前から書いていますが単なる祓いはカルマを残します。

    3月16日[祓いの大道]では以下のことを書きました。

    はらひは結構であるが、厄はらひのみでは結構とはならんぞ。それは丁度、悪をなくすれば善のみの地上天国が来ると思って、悪をなくすることに努力した結果が、今日の大混乱を来したのと同じであるぞ。
    よく考えて下されよ。善と申すも悪と云うも、皆悉く大神の肚の中にあるぞ。大神が許し給へばこそ存在してゐるのであるぞ。この道理をよく会得せよ。
    はらふと申すのは無くすることではないぞ。調和することぞ。和して弥栄することぞ。
    (ひふみ神示 月光の巻第27帖)

    大神(十の神)から神示

    個人、そして国も自分は変わらないが、禍いや災難から逃れたいと祈るのは間違いであろう。
    神に祈り、祓い、そして悟る、それが誠の大道である。
    自らの心を省みてその心の底でこれは自分の間違いだと思うなら、そこを改めよ。

    天界の神々よ、そなたたちも同じである。改め私の許に還れ。
    それが私の願いである。

    その国々ぞ、あたまあたまで、まつり結構ぞ、まつり呉れよ。

    邪はらふとは邪無くすることではないぞ、邪を正しく導くことざぞ、追払ふでないぞ、まつろへよ。引き寄せて抱き参らせよ、取違ひならん大切事ぞ。

    (ひふみ神示 〇つりの巻第5帖)

    今オホカムツミノ神は沈黙しています。元津大神のもとで個性を修正しておられるだろうと思うところです。

    ひふみ神示の書籍は音読するように書かれています。天のひつく神記す神示ばかりですが、時には静読するとオホカムツミノ神ではなくて国常立神が一緒に読んでくださることを感じる方々がいらっしゃると思います。

    ひふみ神示大奥山 弥勒の世 蓮みろく

  • 先日、[ひふみ神示の大道]のタイトルで 1~ 5を書いて日月神示を否定して一旦終了し、追記 1、追記 2を書きました。[ひふみ神示の大道]としてもっと記事を書きたいと思いましたので追記 1を[ 6 悪の御役とは]、追記 2を[ 7 弥勒の世とみろくの世]と修正します。[ひふみ神示の大道]のタイトルでもう少し書きます。

    [ひふみ神示の大道]の1は[不幸な予言と間違った他者の身霊磨き]について、 2では[日月神示の不幸な霊域]、 3では[悪]と[裏]、 4は[霊能力と身霊磨き]の違い、 5は[弥栄]として記載しました。

    今迄の記事、少し前に[ひふみ神示の大道]の内容の記事がありますので記載しておきます。

    2025年3月16日 祓いの大道

    2025年3月21日 ひつくの神 国常立尊

    2025年4月18日 四つの花が五つに咲く ~ひふみ神示

    2025年4月20日 大奥山と集団のカタについて

    2025年6月27日 弥勒の世に向かうひふみ神示

    弥勒の世に向かい、ひふみ神示を解読する私ですが、非常に困難なことがあります。それは今迄も記載していますが天之御中主神ともう一柱天日津久神です。

    もともと宇宙王族に継がれる文字を使用し、地上に下ろされた日月神示、それは王族では無く、民間に下ろされました。

    民間に下ろされた神道系宗教について書きます 。

    幕末三大新宗教-ひふみ神示の独特の方言は岡山弁と言われている

    黒住教: 1814年岡山県発祥、主祭神は天照大御神と八百万神、人は神の子、孝心を持つ

    天理教: 1838年奈良県天理市発祥、主祭神は親神天理王命、おふでさきの和歌、人間が共に楽しく暮らす道

    金光教: 1859年岡山県発祥、主祭神は天地金乃神 神と人と共に生きる道 ~病、死の苦難を救いたい、難儀な人を救いたいという神様の願いの取次

    戦前・戦後の新宗教(新興宗教)のひとつとして

    大本(大本教): 1892年京都市綾部発祥、主祭神はうしとらのこんじん(艮の金神)と名乗った国祖国常立尊、、開祖出口なお氏のお筆先と言われる自動書記[大本神諭]、後に出口王仁三郎氏の霊言による[霊界物語]が継ぐ、万教同根思想、立直しの終末論と訪れる[みろくの世]、出口なお氏は開宗前に一時金光教に行っていた、出口王仁三郎氏は巨大霊能者と言われて神降ろしを行い、霊言を行っていた。内部では霊能力修行を行っていた。

    日月神示の自動書記を下ろした岡本天明氏ですが、岡山県出身です。大本(教)で活動していましたが第二次大本事件を機に大本が解散。そちらの活動から離れて終戦直前の昭和19年(1944年)に八幡神社の神主となり、同年日月神示の自動書記が下りました。

    日月神示は神界の難解な文字で記されていたため、神示が下りた当時、役員と呼ばれる方々が集まり解読しひふみ神示ができました。そしてひふみ神示を広める様に言われました。

    ひふみ神示の大道の主祭神は天の川銀河系、太陽系の【大神】です。

    これを間違えて他の神を祈っても中々【大神】には伝わりにくいと思います。ひふみ神示に書かれている通り、一本なのです。宇宙には様々な価値観の星々があります。しかし私たちは地球に暮らしており地球文明の一員です。その地球文明を内包しておられる大神がおられて9次元の神、8次元の神、7次元の神々がおられるというイメージを抱いてください。他の銀河の名があると言われてそのコンタクトと言っても地球を内包する大神の意識に入ってきている〇〇銀河の〇〇星〇〇星人の〇〇または〇〇星の神と言ってもあなたの大神が上の神です。

    【大神】の実子(御子)の御名は天津日嗣皇ミコト大神で只今十次元霊界にその存在があることは以前から記載しています。大神に祈れば天津日嗣皇ミコト大神に通じ、天津日嗣皇ミコト大神に祈れば大神に通じます。そういう存在です。

    日月神示はそのままでは大調和する【弥勒の世】を築くことはできません。そこには日月神示、ひふみ神示の根幹を成し、もっとも多くの神示を占める天日津久神(天之日津久神)が関わっています。

    天日津久神はバラバラにすると天(あめの)=天之御中主神の天の世で活動する神

                  日=火の神、太陽の神

                  津=水の神

                  久=永久の神

    となります。

    蓮みろくは【弥勒の世】を目指し、ひふみ神示の大道としてあえて日月神示を否定し、ひふみ神示の一部を否定します。

    宇宙王族の高天原からの神示が日本の民間に下りた理由は何処にも書いてありません。敗戦近くの日本に下りたこの神示、戦中一度は神の国日本になるかどうかと書かれていますが敗戦しました。しかし時は終末、大峠が来る今の日本社会を見れば、王族がこの法を社会的に説けることはないと思われます。

    ひふみ神示大奥山 弥勒の世 蓮みろく

  • ※7/19タイトルを[ひふみ神示の大道 追記2 ]としていましたが[ひふみ神示の大道 弥勒の世とみろくの世]に変更しました

    ひふみ神示の大道の終りに伴い、X-twiiterをポストしたので掲載します。

    2025年7月17日

     今世、生を受けてから今迄の間に一回死んで生まれ変わり転生2回分したんだと思う。

    (私は信仰に目覚めてそれまでの人生を省みて自ら修行を課した、それにより生まれ変わったのだと思います、そのイメージは自分でも納得がいきます)

    7月17日

    大本教の【弥勒の世】はひらがなの【みろくの世】だと主張していたと思う 。

    (みろくの世でポストしていないのに大本の記事が繰り返しポストされてきた)

    大本教の【弥勒の世】はひらがなの【みろくの世】だと主張していたと思う。

    【みろくの世】は大本教、蓮みろくの説く【弥勒の世】は私の法をして分ける。

    ご希望があったら何故分けられるのか書こうと思う。

    ちなみに大奥山蓮みろくの記念日は4月8日

    分けられるのは何故より日月神示の邪魔をしているのは大本教か。

    王〇〇郎氏は日月神示を認めていなかったと天明伝に書いてあったと思う。

    大本教と日月神示は違う。

    今更日月神示を自分たちのものにしようとしているのはそれは天意、神の御心に合っているのか、考えてほしい。

    邪魔したところで双方の利益とならず、利権のある人だけが得するのだ。

    そもそも論

    そもそも日月神示は利権者のモノになって支配されている。

    やはり日月神示とひふみ神示は異なるモノである。

    ひふみ神示大奥山 弥勒の世 蓮みろく

  • ※7/19タイトルを[ひふみ神示の大道 追記]としていましたが[ひふみ神示の大道 悪の御役とは]と変更しました。

    ひふみ神示の大道について1~5を書いてきましたが、追記をします。

    追記

    私がblogに繰り返し書いているようにひふみ神示の大道は間違ったら改めることができる道です。カルマですが改めて自分が修行を課してできる限りのことをしていくとある時に吹っ切れて非常にスッキリするという体験をします。

    私は過去、随分前ですが何度かこの体験をして自分が自分の心を救済することができ、強くなりました。

    またひふみ神示を読んだり、縁のある方が身魂磨きとして自らに修行を課していくとある時【岩戸開き】の体験をして神の声を聞いたり、自らの身魂の【夜明け】が来てそのイメージを強く感じたり視たり、【富士は晴れたり】の姿をくっきりと霊的な目で視る人も出て来ると思います。他には何かのきっかけで前世の記憶を強く思い出すことがあると思います。

    しかし、悪神に動かされ、悪の御役をしている人たちはこの体験をすることはありません。或いは酷く憑依されていると偽りの体験をするかもしれません。

    ひふみ神示には悪の御役というものが書かれていますが社会的に言えば正法や正道を説く宗教には悪の御役はまさしく悪魔に魅入られた人、つまり悪人か悪魔に乗り移られた人です。自分から悪の御役をするというのはどこの宗教でもほとんど聞いたことがないと思います。それはイジメの世界で自分を正当化する為に使う悪魔の言い訳でしかありません。

    ひふみ神示は個々の指南書であり、個々の悟りとして悪の御役というものがあるんだと知ることが示されていますがそれを悪用して悪の御役を自ら行うというのはやはり悪魔の仕業、悪人のすることです。邪基ヒルコの悪行はまさにここを突いてやってきて唆し、増大させその人間や社会を滅ぼすまで悪行を行ないます。また救世の仕事を担う天使たちを悪に陥れ善から悪にひっくり返そうとします。悪の御役では無く悪行をしたヒルコの魂自体はその悪因縁を断ち切ることはできず、多く抱えることになります。

    この悪魔に魅入られた人の魂はその人と同じ性を持つ魂と嫌と言う程長い年月向かい合い、自分が悪の御役としてしたことがどういうことか知るしか悟れる方法がありません。それでもダメならその魂は天界でも霊界でもなく、その悪業の重みの分深く深く沈んで光眩しい天界を1000年間見つめて自分の行いが神の心に合っていなかったことを知ることになります。

    知って犯す罪と知らずに犯す罪はどちらが重いかという仏教の問いがあります。

    netで検索すると[知らずに犯す罪]は故意による犯罪であり、[知らずに犯す罪]は過失による犯罪と解釈できるとあります。一般的には故意の罪のほうが重いとみなされる。これは本人と相手がいて第三者がいるので社会的に合点がいく答えです。

    しかし仏教でこの問いをするとここに因果の理法が入ってきて[知らずに犯す罪]のほうが重いことになります。

    それは[知らずに犯す罪]は知らないので同じことを繰り返すからカルマが大きくなっていく為に言われることで、個の悟りとしては「知らずに犯す罪」は重い事になります。しかしこれは個の悟りの世界であり、社会的なものではありません。

    では[知って犯す罪]についてですが個人の悟りでは知らないで行なった罪より軽く、社会的には故意の犯罪なので重い罪になります。

    これをひふみ神示の悪の御役に当てはめていくと[知って犯す罪]を自ら行なって悪の役目を果たしているということなのでやはり悪人、悪魔の類になります。悪の御役をしている身魂はその身霊自身に悪い因果が発生します。大道を行く人の中でこのような性がある方は正さなくてはなりません。

    ひふみ神示は個人の指南書として読むものであって後にあれは悪の御役だったのかと悟ることができますが、ひふみ神示を読んで相手を裁く為に悪の御役を自ら引き受けておこなうのはやはり善では無く悪です。

    天使や神々の行う救済は悪の御役を行なっている人によって苦しめられている信仰深く善に生きようとする人に向かい、道に迷った人に救いのきっかけを与えたり、時には間違わないように護ります。今世信仰に目覚めるきっかけを作ることもあります。また自身のご先祖様は子孫が迷うと何らかの護りを与えることがあるでしょう。

    弥勒の世に悪神はいないのだろうかと言えば弥勒の世の悪神は大峠前の悪神と違い、大神への強い信仰のもとにおられる悪神となり、言い訳や我欲がありません。

    ひふみ神示大奥山 弥勒の世 蓮みろく

  • ひふみ神示の大道 1では日月神示は不幸な予言の実現を望み、自身の身霊磨きより他者を否定する姿勢があり、そういう想念を形成していることで大道から外れていることを書きました。

    ひふみ神示の大道 2では日月神示関係者は既に不幸の予言が成就することを根底では願っており、霊域にその種を作っているので弥勒の世とは別の世界であり大道から外れていることを書きました。

    ひふみ神示の大道 3では【裏】と【悪】、そして信仰の世界の小さな悪神について書き、大道から外れていることを書きました。

    ひふみ神示の大道 4では【霊能力】と【身魂磨き】について書き、身魂磨きを霊能力が欲しいという我欲に置き換えて修行していて大道から外れていることを書きました。

    【ひふみ神示の大道】は今回で終りにします。

    さて大神は人類、森羅万象の成長の渦です。これからの地球を含む太陽系の文明は終末、大峠を越して新たな時代を迎えます。

    日月神示の関係者は真に大神への信仰を持ち大道へ向かえば良いのですが、そうでなければ今迄どおり、地獄の様相を続け、闇の存在となるでしょう。

    ひふみ神示をお読みの方々は大神の存在を知ってほしい、そして大神を信仰し、自身の身魂を磨いて心の調和を図り、次なる新たな世界に向ってほしいと思います。

    人と人が、そして森羅万象が共に和し、共に成長し弥栄する世界。大峠を越えた新たな世界はそのような世界です。それが内包している大神が弥栄する姿でもあります。

    大神の成長の渦は新たな地球文明から太陽系全体が弥栄えるようになり、それは銀河にも及びます。以前から言っていますが成長とは物質文明の成長ではなく、霊性の成長、魂の成長です。神への信仰の心の成長です。

    人と人が弥栄できることは今この物質文明の社会では闇が深くとても大変なことです。時には沈黙しやり過ごすことも必要になります。新たな世界に向かって仲間を見つけてください。

    大神の存在を信じ、信仰の道に入ってください。

    心のベクトルを大神への信仰と調和し弥栄する方向へ向けてください。

    ひふみ神示を読んで仲間を増やしてください。互いに補い合い、弥栄してください。それは教会となるでしょう。

    ひふみ神示大奥山 弥勒の世 蓮みろく

  • 日月神示の関係者の方々で【ひふみ神示の大道】の記事をもしお読みでしたら怒らないでください、私は日月神示にさようならを言ってから書いていますので怒るくらいなら読まなくて良いのでそうしてください。

    ひふみ神示の大道 1では日月神示は不幸な予言の実現を望み、自身の身霊磨きより他者を否定する姿勢があり、そういう想念を形成していることで大道から外れていることを書きました。

    ひふみ神示の大道 2では日月神示関係者は既に不幸の予言が成就することを根底では願っており、霊域にその種を作っているので弥勒の世とは別の世界であり大道から外れていることを書きました。

    ひふみ神示の大道 3では【裏】と【悪】、そして信仰の世界の小さな悪神について書き、大道から外れていることを書きました。

    大神への信仰があると口では言っても信じていなく、高度な知識や智恵を大量に得て自らが神の代理人や現人神になろうとするのは悪魔です。終末期になって様々なモノが行き詰る中、何も信仰心が無くても物質世界の中で科学や物理、高い知識、智恵があって宗教書や口伝などの預言があってそれを活用する力(金)と能力そして霊能力があれば現人神を名乗ることは可能ではないかと思います。

    サイキッカーで数多くの霊能力を持っていて能力が高かったら神になれるかと言ったらそれは違います。世界には多くのサイキッカーが居ますし能力も様々だと思います。高度な能力者は隠れている人も多いのではないでしょうか。

    人類の血族の中で霊能力の強い血族もいますし、シャーマンのように民族の中で血筋を持っている人もいるでしょう。

    日本社会で霊能力があったとしても通常は自分が霊能者だと名乗る人は居ないと思います。名乗るのはそれが仕事であるか、社会貢献の為に使用している人たちであると思います。

    話しはずれますが日本のアニメは本当に様々な霊能力者が出て来ますし、そのようなアニメは世界的にも売れています。何か意図は感じますね。

    世界に多くのサイキッカーが居て能力も様々、中には多くの能力を持っている人もいます。その中も分れます。大神や自らの祖神に対し強い信仰を持っていて周囲の人たちに対して調和や愛、慈悲の心でその能力を発揮するか、それとも人を支配する為に能力を使うかだと思います。

    さて某教団では次元構造を霊能力別に分けました。つまり多くの霊能力を身に着けた人が高度な神に近いというものです。これは一般の会員には植福(お布施)を求め、幹部職員となると霊能力次元構造となるのでしょう。社会的には高度な霊能力を持っている方々がおられるので某教団のこの次元構造は合っていないので否定します。

    霊能力と悟りは関係あるかということに合わせて書きますが、ひふみ神示には【身魂磨き】が大切だと繰り返し書かれています。しかし日月神示の想念の身魂磨きは身魂磨きではなくて霊能力を磨くに置き換わっている方々がいるのではないでしょうか。

    【身魂磨き】=【霊能力磨き】、これは【身魂磨き】≠【霊能力磨き】です。

    ここを履き違えている人達は一定数いるのではないでしょうか。

    日月神示を読む限り、身魂磨きは繰り返し繰り返し書いてありますが霊能力磨きについては書かれていないように思います。どこかで履き違えています。

    ひふみ神示には身魂磨きを継続していくと捉われが無くなり、我欲が抑制されたり無くなったりして魂がスッキリして霊聴ができるようになることは書かれていますし、そのような魂が神の光を受けて言霊を発することは書かれています。

    霊能力が欲しい、人より多くの霊能力が欲しいというのは非常に大きな我欲であることに気付くべきです。

    また霊能力があるからと自ら誇示している人は自分が神になっていて大神からの光を自分で遮っていることもあり、大道から外れます。ひふみ神示には天狗のたぐいについて書かれていますしその行く先も書かれています。

    霊能力があっても他者の悪い所ばかり目が行く、自分が他人の鏡だと言って人を裁く霊能者がいるとするとそれは自らが神になっていて大神を信仰してない。そしてそのような悪神に乗っ取られています。悪神に乗っ取られている人は即ち悪人です。行く先は自分と同じ性を持った魂と長い間やり合うことになります。また信仰はあるものの他者の不幸ばかり心に浮かんでいる人は大神とは違う、人の不幸を願う神を拝んでいるのだと思います。

    ひふみ神示大奥山 弥勒の世 蓮みろく

  • ひふみ神示の大道 1では日月神示は不幸な予言の実現を望み、自身の身霊磨きより他者を否定する姿勢があり、そういう想念を形成していることで大道から外れていることを書きました。

    ひふみ神示の大道 2では日月神示関係者は既に不幸の予言が成就することを根底では願っており、霊域にその種を作っているので弥勒の世とは別の世界であり大道から外れていることを書きました。

    少し前の記事に日月神示は裏の道か悪の道と書きました。それについて書いていきます。

    よく社会でいう裏社会というのは全く意味が違うので別として神の道でいう【裏】とはどういうものか、本来なら神の世を形成するのに補助する立場というとイメージが付くでしょうか。

    例えば一番有名なところで言えば、神が最初に地に降りた時には神を奉る為に神の眷属であるイシヤが神殿やそれに纏わるモノを用意しました。イシヤは皆神への信仰が篤く神の為に精進しその喜びを知っていました。その後年月の中でイシヤは分れていきます。

    裏と言えば占星術等も地上に降りた神を補佐する者、占星術師がいました。地上に降りた神人を補佐したり、護る立場は裏と呼ばれるものです。それも後の年月の中で分れていきます。

    この分れていく道は神を支える道に行くか、我欲の道に行くか大きく分れます。

    他にもどなたか必要な内容があったら教えてください。

    では裏がこのような立場であるとすると悪とは何か、悪は神に反逆するもの、または神を蔑ろにして自らを神とする者です。自らを神とする者とは何も宗教の教祖でなくても自分より偉い存在は居ない人のことを言います。

    神の世界はフトマニ図や仏教で言う曼荼羅のようなモノを形成しています。これが自分の上にあることが解り、自らを知る者が悟りというものに至ると思います。神はいても神棚に上げっぱなしで我欲に走っている人も神は不在でしょう。

    悪は神の道では神に抗う者、また信仰の中で神の存在を知っているが自分が偉くなりすぎて神を蔑ろにしている者、または神を利用している者など、それにより我欲を見たそうとしている欲深い者になります。

    日月神示を知り、自分に知識としての日月神示が身につくと自分を省みず、やたら他人を裁きたくなってそうする、小さな悪神を形成します。

    日月神時にはそのような想念がみられます。

    ひふみ神示は個々の身霊磨きの指南書であり、日月神示は神の不在と共にその知により他人の悪口を行く指南書になっています。

    ひふみ神示大奥山 弥勒の世 蓮みろく

  • ひふみ神示の大道1では日月神示は不幸な予言の実現を望み、自身の身霊磨きより他者を否定する姿勢があり、そういう想念を形成していることで大道から外れていることを書きました。

    しかし、日月神示は主に預言書として知られているのが現実だと思います。その視点に立って視るとすると現在世に出回っている日月神示は都市伝説かエンタメであると思います。

    ひふみ神示には様々な預言が含まれています。むしろ終末期、大峠のことが多く書かれているのは事実でしょう。現在の預言書は新約聖書の黙示録が一番有名だと思います。その他に死海文書や古史古伝の予言、口伝の予言等。また世界の近年ではサイキッカーがnet配信することがメジャーになってきているように思います。そのような予言と日月神示に書かれる大峠の預言は同じく扱われる、そうすると都市伝説でよく取り上げられているものと同じでエンタメであるのではないでしょうか。そこから日月神示に入ってくる方々は誰もが予言が当たるか外れるかに気を取られて本来の大道を忘れています。

    初期にイエスキリストの弟子達がその教えを流布した時、その教えと共にイエスの再来についても広めていったと思います。それ故にその教えを信じると共にイエスの再来はいつ来るのか、すぐ来るのかに大きく揺さぶられていたことは書かれています。日月神示はその教えより預言が先立ってしまって、日月神示に纏わる想念はその不幸の預言の成就を願っていることを何処でも感じます。

    私は預言は預言であり、悪い予言は外れたほうが良いと思っています。事前に知ることができたなら不安に駆られて日々過ごすより、与えられた時間の中で回避や軽減の道を探し歩むべきです。それなのに不幸の予言が当たったと言って他人事であると喜々とする、その心中が既に地獄です。そういう不幸の予言を待ち望んでいる人は真っ先に不幸の予言が当たる先頭に立って欲しいと思います。

    日月神示にある戦いについては仮想敵は何国か、誰なのかなどの憶測を含めて既にその心の霊界で戦争を種を作っています。そのような霊界を作っているところに弥勒の世はありません。同じ霊域に創ることはできません。

    ひふみ神示大奥山 弥勒の世 蓮みろく

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