• ※2024.2.6 豊受大神について修正しました。

    ムー大陸が沈み、日本に降り立った神々、そして三神、天照大神、月読神、素戔嗚神。

    ムー文明の人々は日本や世界各地に広まりました。

    前にも記事を書きました。

    天之御中主神、そしてシュメール文明~日月神示

    天照大神はのちに天孫降臨で日本に子孫を増やします。

    天界の月読神、素戔嗚神は地に降りて月読命、素戔嗚命となり、西に移動します。海流に乗って、当時動力源が限られた中で

    渡航するには潮目や海流を読んで自然の力を最大限に利用したことだと思います。

    天照大神は天孫降臨から日本に子孫を増やします。

    素戔嗚命、月読命は地上世界、シュメール文明を治めましたが地上生命が終わると天界に帰り、神となって世界各地の指導を

    しています。

    地上で素戔嗚の民、月読の民はメソポタミアで直系子孫を増やし、一方では陸路で山を越えて素戔嗚の民は半島から

    日本に、また陸路別ルートで山を越えた者、そうでない者は海辺から日本に渡って出雲地方や大和まで来ます。

    そして高天原に三神揃い、地上に天孫降臨が起きることになります。現在の神話になります。

    先日書いたようにシュメール文明で素戔嗚命は国造りをしましたが日本では封じられ、代わりに大国主命と

    少名毘古那神が日本を周り、神話を残して「人はどのように生きたらよいか」と指針を示しています。

    天之御中主神にお聞きしたところ、正統竹内文書には真実が多いが違うところもあるとお聞きしています。

    月読の民はどうだったでしょう。

    天孫降臨前にシュメール文明から帰還した月読の民の直系そして素戔嗚の民と直系月読の民で帰還した神大市比売が

    素戔嗚の直系の民の妻となり、大年神、宇迦之御魂神が生まれています。

    また神大市比売と素戔嗚の民、月読の民が帰還するとそれぞれの神は素戔嗚神、月読神、豊宇気毘売神は豊受大神を名乗ることになります。

    当時の神々の直系は子孫を残す為に結婚を繰り返しています。

    大年神、宇迦之御魂神は素戔嗚神の元を離れて一部の月読の民のゆかりの地、東北へ向かっています。

    地球創世記、人は土から造られました。

    人類の時間の経過の中で内なる魂の個性が表立って個性ができ、民族ができています。

  • ※追加しました。

    シュメール文明から聖書に基づいてしばらく書いてきましたが、その後の歴史について書きたいと思います。そう言っても歴史で学ぶ内容ですので書き留めておくと思ってください。

    モーゼを仲介者として神と契約したイスラエルの民はイスラエル国を建国しましたが後に北イスラエル国と南のユダ国に分かれます。その後、他国の侵攻により離散することになりました。離散したユダヤ教徒は世界の国々でトーラーを守り続けます。キリスト教徒は全世界伝道に向かいます。やがて巨大なローマ帝国はキリスト教を国教とするまでになりました。

    その後はペルシアに滅ぼされ、アレクサンダー大王による征服、分裂していきます。

    イエスキリストの誕生とされる西暦元年から数えて西暦610年にアブラハムの子イシマエルを祖とするイスラム教は成立しました。

    初期にユダヤ人と対立しています。

    ウンマという共同体を築いて遠征し630年にはムハンマドの生地であるメッカを獲得しました。その後も遠征して国を大きくしていきます。

    イスラム教はコーランを経典としていますが旧約聖書も新約聖書も経典の一部としています。しかしイエスキリストをメシアとはしておらず、ムハンマドが最後の預言者だとしています。

    東ローマ帝国の支配下にあったエルサレムはイスラム帝国の前身ウマイヤ朝が制服し、岩のドームを建て第三のメッカとなり

    ました。岩のドームの「岩」の意味はイシマエルの父アブラハムが息子イサクを神のために捧げようとした台だとされています。

    イスラム教圏は630年以降遠征を繰り返し、巨大なイスラム帝国を築き、711年にフランスにまで遠征しました。

    11世紀末になって聖地を奪われたキリスト教圏は「十字軍」を組み、イスラム教圏に遠征し、1270年まで続きますが最後は

    敗北しています。

    その後はオスマン帝国の支配を受けました。

    ※追加

    イスラエルは約束の地カナン、

    信仰の祖、アブラハムはなかなか子供ができず、高齢になって妻の侍女にイシマエル、妻サラにイサクという子を持ちます。

    サラが先に亡くなり、その後も子を増やしています。

    妻の侍女ハガルの子が産まれた時にアブラハムは86歳でした。

    神はアブラハムが99歳になったときに言われました。

    「これがあなたと結ぶわたしの契約である。あなたは多くの国民の父となる。わたしはあなたをますます繁栄させ、諸国民の父とする

    からである。王となる者たちがあなたから出るだろう」「わたしはあなたとの間に、また後に続く子孫との間に契約を立て、それを永遠の契約とする。そしてあなたとあなたの子孫の神となる。

    わたしはあなたが滞在しているこのカナンの全ての土地を、あなたとその子孫に永久の所有地として与える。私は彼らの神になる。」

    「だからあなたもわたしの契約を守りなさい。」

    サラの子イサクが産まれた時、アブラハムは百歳でした。

                      創世記第16章

    イスラエルは1882年にシオンへの帰還が始まり、1948年5月イスラエル独立宣言が行われました。

    聖書に基づいて書いてきましたが、ここで終了します。

  • 昨日、ダニエルは聖書の縁起の法に気が付いたと書きました。

    ダニエル書については別に書くとしましたが、私のblogを読んでくださっている方々は続いて読みたいと思われますので書いていきます。

    預言者ダニエルはバビロン捕囚でした。

    カナンの地にイスラエル国が初めてでき、ダビデ王、ソロモン王が治めた後、北イスラエル国と南のユダ王国に分かれます。

    北イスラエル国はアッシリアに滅ぼされ、南のユダ国はエジプト、そして新バビロニアに侵攻されて敗北しました。

    その時バビロン捕囚となったのが預言者ダニエルとエゼキエルです。ダニエルは非常に優秀だった為、バビロンの王に重用されました。ダニエルはメシヤの到来の預言をしましたがバビロンの王の夢の解き明かしもしました。

    聖書に基づいて書いていきます。

    ダニエルはバビロン捕囚時、バビロンの王に重用されてそこでモーゼ五書、エレミヤ書を手にします。それにより自分の祖先、民族がモーゼ五書の法を守らず、他国に侵攻されたことを知り、自らのこと、祖先、民族のことを神の御前で泣き伏せてお詫びします。神はモーゼ五書の法によりイスラエル国を外部からの侵入から守っておられました。それは神との契約による奇跡です。祈りにより大難を小難にしていたと思います。

    日本でいうところの結界になるでしょう。

    イスラエルの民は法を守ることで祝福され、いつしか当たり前になり、「のろい」を忘れて間違った道を選んでしまいました。

    バビロン捕囚のダニエルのところへ大天使ガブリエルが舞い降りて言います。「あなたの民とあなたの聖なる町(エルサレム)について70週が定められています」「これはとがを終わらせ、罪に終りを告げ、不義をあがない、いと聖なる者に油を注ぐためです。

    それゆえ、エルサレムを立て直せという命令が出てから、メシヤなるひとりの君が来るまで7週と62週であることを知り、かつ悟りなさい。その62週の後にメシヤは断たれるでしょう。」

    とメシヤの到来、そして断たれると預言を頂くことになります。

                        ダニエル書第9章

    1週は7日ですが預言の1週は7年で数えられていました。

    70週の時が満ちた時とはメシヤが現れてイスラエルに帰還したユダヤの民が再度神の国を建国する時です。

    時は62週目(55週+7週)です。

    ローマ帝国が新バビロニアに侵攻し、新バビロニアが敗北したことでバビロン捕囚は解かれ、イスラエルに帰還しました。

    イスラエルに戻ったダニエルは預言を伝えます。

    新バビロニア王国を滅ぼしたアケメネス朝ペルシアの王がエルサレムの再建命令を出して再建します。

    時は定められた70週のうちの69週目(7週と62週)です。

    それまでもそして62週から69週までの間も神は預言者を遣わし、神の天使たちはユダヤの民に気づきを与え続けています。

    しかしイエスキリストがイスラエルに現れますがユダヤ教律法学者によりユダヤ教徒のメシヤ、ダビデ王の子孫ではない、偽者だと言われ磔刑となります。ユダヤ律法学者やユダヤ教徒は現在でもメシヤであるイエスキリストの到来を信じず、新約聖書やダニエルによる預言も信じていません。

    やがてローマ帝国の侵攻によりユダヤの民は離散します。

    この時にユダヤの民はモーゼ五書であるトーラーを信仰するユダヤ教徒と、イエスキリストを信じて異邦人も教徒とするキリスト教に分かれ、ユダヤ教徒は世界に離散しますが差別を受けて苦しむことになります。それでもダビデ王の子孫が救世主として到来することを信じています。一方キリスト教徒は教会を作り神の祝福を受けて全世界伝道に向かいます。

    イエスキリストが磔刑されたことで70週のカウントが止まり、残り1週は終末期に始まることになります。

    残り1週の始まりは終末の始まりになります。まず滅びの子が現れ、そして携挙が起きることが書かれています。

    70週のカウントはエルサレム第三神殿が建設された時から始まります。

         

    ダニエルの預言に戻ります。

    時はダニエルがバビロン捕囚となり、王に重用されていた時です。

    バビロンの王はある日、この先を案じて夢を見ます。「一つの像」ですが王にとってその夢は恐ろしく、不吉な予感がするものでした。

    バビロンの祭祀は解き明かせず、ダニエルは祈りによってその夢を幻で見て解き明します。

    「王様、あなたはこれから起こる出来事を夢でご覧になりました。

    あなたが見たのは人の形をした巨大な力のある像でまぶしく光り輝き、ぞっとするほど恐ろしい姿をしていました。この像の頭は純金、胴と両腕は銀、腹と腿は青銅、脛は鉄、足は一部が鉄、一部が粘土でできていました。けれど王が見ておられるうちに一つの岩が人の手によらない力で山から切り出され、その像に向かい、鉄と粘土の足を粉々に砕きました。」

    「あなたはその純金の頭です。しかしやがて強国に変わり、その国が敗れるとまた次の強国に変わります。また鉄のような

    強国が現れて制服します。しかし足の鉄と粘土の部分は、混じり合わないのでそれを現す国々は成功しません。

    この時代に人の手によらない岩が切り出されて足の部分を破壊し、永遠不滅の国を築きます。神がそれをお示しになりました。」

    この足の鉄と粘土の部分は終末時期を現します。

    携挙について

    テサロニケの信徒への手紙一

    「主は号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が蘇り、次に生き残っている私たちがたちまち彼らと一緒に雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちはいつまでも主とともにいることになります。」

  • 先日、仏教の縁起の法で聖書の創世記について書きました。

    私が研究し作成した仏教の三諦円融(さんたいえんゆう)、宇宙の法と縁起の法の図です。日月神示では悪因によるメグリ(縁起の法による悪果)を取ることが重要だと言っています。そして聖書も縁起の法があります。

    ムー文明はラ・ムーによって神と直結した文明でした。

    ラ・ムーが治めた霊性の時代も縁起の法が説かれており、それを大事にしたからこそ、調和した社会が営めたことは否めないでしょう。

    ムー文明、そして日本の神道の森羅万象に神が宿るという八百万の神の信仰による全てのものには神性が宿っていること、仏教では一切衆生悉有仏性(実際は森羅万象に対して)、当時身分制度が酷かったところ、身分立場関係なく人には仏性が宿っていることを説いています。

    全ての人、全ての森羅万象には神性(仏性)が宿っています。

    だからこそお互いに人や森羅万象に宿る神性(仏性)を大切にして調和して生きる必要があります。

    そして仏教では依他起生(えたきしょう)という言葉があります。

    人は一人で生きているのではない、自分以外の他者、他のものに依って生きている存在である。

    だからこそ他者を大切にし、全てのものを大切にして愛する必要が、あります。必要というよりそれを理解して心から愛でることです。

    ムー文明はラ・ムーにより霊性の時代を築き、輪廻転生、縁起の法を信じて実践していたからこそ、調和した文明が築くことができました。神を信じ、お互いの神性(仏性)を信じ、愛と感謝、思いやりの心で社会ができていました。

    ラ・ムーにより法が説かれ、法により外部からの攻撃に守られた文明だったのです。

    やがて成長の渦によって変化し、大陸は沈んでいきました。

    聖書に書かれている縁起の法は、個人の縁起を追求していく仏教のような形では書かれていませんが原因結果は含まれています。

    仏教もまた非常に暑く生きにくい時代、制度により生きにくい時代に魂を救済することに重点を置いたものです。「生老病死」による苦しみは何故起きるのだろうか、それは多くの人の苦しみの声でもあったでしょう。だからこそ、そのような時代において魂が浄化し昇華したあとのことを積極的に残していません。

    縁起の法について仏教と聖書の理解には幅というか違いがあるように思います。

    聖書の神も縁起の法を説いています。個の人の法も含んでいますが最も重要なのは民族、血族の縁起の法になります。

    旧約聖書にある神との契約「祝福とのろい」です。

    縁起の法は宇宙の法なので地球に住む全ての人、ものが生命活動をしている限り、関係ありますし外れることがありません。

    聖書以外の人々のことを考えてみましょう。

    人は善いことをすれば善いことが還ってくる、悪いことをすれば悪いことが還ってくると言われますし、多くの人が知っています。

    生まれるときはリセットして生まれますが後にメグリが現れます。

    しかし、人は悪いことをしたらすぐに悪いメグリがみられたら解り易いのですが、時間経過と共に神仕組みの重層的な縁しによって現象が現れてきます。それがメグリだと気がつかないことが多いかもしれません。またこの世で生を持ち、他者に対して悪く生きた人がなぜそのままなのかと思うことがあると思いますが、これも神仕組みの重層的な縁しです。最終的には死後に清算することになります。これに個人でなく社会的な縁起、団体、宗教、民族などがあると個人としては余計に解りにくいことになります。

    それはその人がその環境に縁があり、現在あえてそこに居るとしか言えません。聖書に関係無い人でも縁起の法は動いています。

    全ての人に縁起の法はあります。

    それを神があえて先に形にして契約としたものが「祝福とのろい」です。「私は今日、あなたがたに対して天と地とを証人に立てる。

    私はいのちと死、祝福とのろいをあなたの前に置く」

    聖書の民、イスラエルの民には何度も何度も振り返って法に戻れば解るようにしてあったのです。

    聖書に縁起の法がありましたがいつか「祝福」が当たり前になり、「のろい」を忘れてしまって間違った道を選んでしまいました。

    時は初めのイスラエル建国の後、ダビデ王は非常に信仰深く、モーゼの法を理解し忘れず、国を治めました。

    しかしその後は時間と共に民族は法から離れてしまい、他国から度々侵攻されてしまうことになります。

    侵攻されバビロン捕囚となったエゼキエル、そしてダニエルは預言者でした。

    ダニエルは聖書を読むことで縁起の法に気が付き、神の前に泣き伏せます。ダニエル書には民族、血族としての縁起の法が

    書かれています。

    内容はまた別に書く機会があると思います。

    話は逸れますが日本は縄文に戻るということが言われています。

    ムー文明は科学的にどうだったでしょうか。

    先日、X-twitterに書きました。

    Suppose you have a question like this. 

    Which is better : Atlantis or Mu ? 

    Mu is before, and after Atlantis. 

    このような問いがあったとします。

    アトランティスとムーのどちらか良いか。

    ムーは前にあり、後にあります。

    ムー文明はアトランティス文明にある科学を先に持っていて、アトランティスの科学も知っていました。

    しかし、人の進化、人の成長にとって何が重要なのか、物ではなく何が大切なのか、それを示した文明でした。

  • ※追加しました。

    アブラハムはアダムから20代目、イサク、イシマエルはアダムから21代目になります。

    イシマエルはアブラハムの妻、サラの侍女の子で長男、イサクはサラの子で弟になります。

    2人は別々のところで生活することになります。

    先日書いたように、

    兄イシマエルの母ハガルは神の御使いに「彼は野生のろばのような人になる。あらゆる人にこぶしを振りかざすので彼は兄弟すべてに敵対して暮らす。」と言われ、アブラハムも「あの女の息子も一つの国民の父とする。彼もあなたの子であるからだ。」と言われます。

    荒れ野に水が沸き、子孫を増やしていきます。

    一方弟イサクは神は啓示によりアブラハムの直系として指名されてあなたの子孫はイサクによって伝えられると言われています。

    イサクの子のヤコブの子は聖書による十二氏族となります。

    多くの人と違うのは二人は人生の初めに神により啓示を受けていることで人生も通常の理解と違うことになります。

    三諦円融

    先日、再々々掲載した三諦円融(仏教)のこの図ですが通常は一人の人の人生の始まりからその対象者の現時点までのことを縁起の理法を現しています。

    三諦は三つの真理、

    「空諦(くうたい)」-この世の価値観から離れ、仏さまの世界(空)があるという真理

    「仮諦(けたい)」-仏さまの世界があるが一旦否定した今生きているこの世(この世は仮の世、有の世界)があるのも真理

    「中諦(ちゅうたい)」-仏さまの世界と今生きている世界と二つの世界があるという真理はあるが、それぞれの世界で

    それぞれの中だけに真理があるのではない。その二つの中に真理がある。

    今の時代を生きていくには「空諦」、「仮諦」、そして「中諦」の三つの真理、それぞれの世界があり、それぞれを円融(妨げることなく、またそれぞれの世界を融合)して生きていくことが大切であり、その中で仏さまの意図を感じ取っていかなくてはならない。

    仮にイサクとイシマエルですが、

    この時、イサクは直系として信仰深くアブラハムの民を導いていたと思いますが、遠く離れて暮らすイシマエルの民から戦いを挑まれるようにこぶしを振りかざされて敵対しています。

    イサクはそれはなぜなのかと思いますが、先に啓示を受けているのでイサク自身とイシマエルはそのような関係にしかならないのだと思って対応することになります。イシマエルも同様です。

    この2つの子孫は今後そのような形で歴史を刻んでいくことになります。

    しかし啓示を受けていなかったらどうでしょうか。イサクもイシマエルも敵対する双方が置かれた立場は、なぜこのような

    形にしかならないのだろうか。和解できないのだろうかと考えたかもしれません。この何故というものの答えが個々の悟り

    になります。その悟りに至るにはそれまでの人生のいろいろな縁がらせん状に絡み合い、そのらせん状に絡み合うところに

    神の天使たちは良い状態になるように導きを与えています。

    二人はなかなか気づきが得られず時間を要します。

    イシマエルはやがて人生の終わりになって、弟であるイサクが生まれた時にイサクに嫌なことをしたことを思い出します。

    イサクは直系の跡取りである自分の立場がそのようにしたのかもしれないと悟ります。

    通常はここで終わるのですが民族の血縁からもっと遡ります。

    時は創世記、アダムとエヴァの子、兄カインと弟アベルです。

    聖書に書かれているとおり、兄カインと弟アベルは同じように神に実りを供えたのですが神はアベルのものを選びました。

    カインは嘆き悲しみ、アベルを殺しました。

    神がアベルの供え物を選んだ理由ははっきりと書かれていません

    が、供え物を準備するときから二人の全ての行動を見ていた神がそれをもって決めたことなのか、それとの供え物にこもった二人の思いを知り、決めたのかわかりません。聖書の様子からカインにも信仰の心があったけれどアベルのほうがより信仰が深かったのだろう思います。その後カインは家族と離れ遠い町に行き、そこで結婚しています。

    通常は死後、人生を清算し生まれ変わるのでここで終わりですが、これがイシマエルとイサクの血縁の初めだと仮定すると、

    イシマエルはカインであり、アベルはイサクかもしれません。

    アベルが殺されたのでアダムの子としてその後セツが生まれたのでセツが直系となりました。

    兄カインは弟アベルを殺したことで神や神のおられる天上を見上げることができなくなりました。しかし兄カインは神が

    なぜアベルの供え物を選んだのか解らない、または理解しようとしなかったのだと思います。神はそのことについて黙って

    いた訳ではなく、兄カインが解るように幾つもの導きをしたけれど、どうしても理解ができなかったのかもしれません。

    アベルは霊界で叫んでいます。信仰深く善に生きたのになぜ、殺されたのだろうか。

    兄カインと弟セツ、その因縁は血縁として兄イシマエルと弟イサクに繋がります。

    時は現代、

    今、イスラエルは戦争の真っただ中です。

    ※追加

    この結果どうなるのかと聞かれました。

    一刻も早く戦争を止めてほしいと思いますし、皆さんもそうでしょう。

    そんな中である地点で結果がでるでしょう。時は終末、個々に悟ることはあると思います。最終的には最後の審判があります。

  • 人生は日々、一瞬一瞬に自分自身の心に飛来した思いをどう選択したか、その選択の連続でできています。

    今はとても生きにくい世の中、人は積極的にものを考えずに生活していると次々にいろいろな思いを抱きます。

    自分の心とは何か、それをまず掴むことが大事なことです。

    そうでないと飛来してくる思い、自分が本当に考えているのかわからないような自分の思いに振り回された人生を歩むことに

    なります。良い思いだけなら良いですがそうはいきません。

    まず自分の心、思いの世界には次々といろんな想念が浮かんでくるという実態を知ることです。心の存在を掴むことです。

    以前にも書きましたが自分の心に飛来している思いや感情を1日何回か紙に書いてみる、繰り返してみるとある程度わかると

    思います。瞑想をする方はそれでよいと思います。

    書いたものをひとつひとつこれはどのような思いなのか、感情なのか、本当に自分自身の心で考えていることなのか、深く

    考えてみる、点検してみることを勧めます。

    そうすると自己評価と違い、これが自分が考えていることなのかこんな悪い思いを抱くことがあるのかと自分でも驚き、気が付くことがあると思います。それはあなた自身の癖かもしれませんし、それはあなた自身ではないかもしれません。

    自分自身にとって良いものではない思いは取り除く必要があります。

    夏目漱石の代表作に「心」という書籍があります。まさに主人公の心に一瞬飛来した思いにより心に影を持ち、一生引きずることになります。

    人は善に生きたいと思いますが現社会で人の成長を妨げるものや悪い誘惑や嘘、陥れなどにより人生を狂わせることがあります。

    また相手自身は省みず、悪者に仕立てる人もいます。

    特に人生の岐路で良い選択できれば良いのですが選択の余地なく、良くない道に進んでしまうことも現社会では多いと思います。

    非常に苦しく、後悔することになります。

    それは人間の行ないであったり、人の心に侵入してくる悪いインスピレーションを与える心の声であったりします。

    それも自分の心です。人は心に飛来してくる思いを選択し続けて自分の人生を決めている、自己責任になります。

    神や神の元にいる天使たちは地の人々のそのような姿を見て嘆き悲しんでいます。なんとかしたいと思っています。

    神は愛です。

    神のもとにいる天使たちは神の愛を受けたその御使いです。地の人々に迷って苦しんでほしいと思っていません。

    以前聖書の携挙のことを書きました。携挙により天界の天使たちが一挙に増えます。人が神の御心に合うように心を掃除して身霊を磨くと、人数が増えた天使たちは地の人々が迷わないようにより多くの良い導きをしてくださいます。

    みろくの世は地にいる人々が悪い誘惑やインスピレーションにより迷い苦しむことが少ないように天使たちが導く世界です。

  • 日月神示を読んでいる方々や読んで無い方も、今縁があって私のblogを読んでくださっている方々全ての魂には個性があり、癖があります。少なくとも日月神示を読んでいる方々は意図的に自身の向上を目指しておられるでしょう。

    人生は日々、一瞬一瞬に自分自身の心に飛来した思いをどう選択したか、その選択の連続でできています。

    人生の中で自分自身の前にある大きな分かれ道を決めなくてはならない時は悩みに悩み、決めていくと思います。

    何かを調べたり、誰かの助言が必要かもしれませんが、最後は自分の責任で選択しなくては、失敗したときに誰かのせいにしてしまってうまく進めなくなってしまいます。

    非常に自己肯定感の強く人の意見を聞けない人がいたり、または自分なんかと思う自己否定が強く人の話を聞けない人もいます。

    魂の癖はいろいろあるけれどそれはその人の姿はその人が選択したものが現れていることに違いありません。

    人が変化するときは出会いや言葉です。自分にとって大事な何かを知る機会が必要です。まず知らなくでは変化は難しいと思います。

    人は人を変えようとしても変えることは難しい。しかし、その人にとって重要な言葉や知恵を知る機会を与えることはできます。

    心の法則で有名なのは引き寄せの法則でしょう。人が壁にぶつかると出会うことが多い、たくさんの書籍も販売されています。

    ですが肝心な時に忘れてしまうこともあるでしょう。

    心の法則では選択したことを一瞬思ってただけでは成り立ちません。思いの持続も大事です。

    ポジティブシンキングを繰り返すということでしょう。

    人生には岐路があり、たくさんの選択をします。そのときに自身の成功や向上する方向を選ぶことは大事なことですし、その

    選択の積み重ねが道を開くと思います。

    そして重要なのがそれが神の御心に合っているかどうか、その時にしっかりと考える必要があります。

    しかし、高齢に差し掛かり自身の人生の先が見えた時や急に大きな不安にかられ意識が低下する、悪化するとうつ症状が

    酷くなる場合もあります。

    若い方々でも先に恐怖や苦しみがきた時に戸惑い、落ち込むことも通常だと思います。

    何かきっかけがあれば立ち上がれるということがあります。

    天災が起きた時、知らないことで恐怖や苦しみが増しているのなら、知ることは非常に重要になります。また知ったことで

    恐怖や苦しみが増したなら心に力をつけることが大事、また振り切るために体を動かしてみることも大事です。

    誰かと話をしたり、仲間を見つけて解放することも大事です。

    人は苦しい時「どうしてこんなことになったんだろう」と思い、悲しむのは更に辛い、自責の想いに駆られたり、誰かのせいにしたいけれどどうにもならないということもあります。

    苦しんでおられるならまずその心に寄り添うことが大事ですが、知るというとでその後の選択肢が広がり道を開くことがあります。

    今、お辛い方々に向かっていうことではありませんがこれから災害が多く起きることを知っていることはその人の魂を守ります。

    先に道があることを知れば、道を開くこともできると思います。

    過剰に反応し続けると心が疲労困憊してしまい力がでません。

    知ることで心の準備と備えをし、勇気をもって日々を送ることが大切であると思います。

    日月神示には災害が続くけれど、先の世界、新時代があることを告げています。

  • 人生の中で日月神示の書籍と出会う、

    そして日月神示を手にしたときに自分との「縁」を感じ、突き動かされる何かを感じる、神を知りたい欲求にかられるのではないでしょうか。

    日月神示を読んでいる方々は既に人生の何かを掴みたい、世界の何か重要なことを掴みたい、自分の向上を図りたいと思っている、もしくは神様が好き、神様に近づきたい、神の計画を知って神様の役に立ちたいという向上心を持っておられるのではないかと思います。

    読んでいくうちに自分自身について納得したり、修正しなくてはならないと思い当り、修正します。

    個々に本を読みながら心の掃除をし、身霊磨きをしていきます。

    社会に生き、当たり前と思える人生を歩んでいく、その中でこれが自分の人生の本当の目的なのかと気づくこと、それはいつ訪れるかは個々に違います。人生にとって重要な何かを掴むことはとても大切です。

    何かに失敗してそこで人生を終えるならその魂は苦しみ続け成長できません。人は永久に変わらないなら成長することは

    ありませんし、社会も悪い方向にしかいかないでしょう。失敗はそれを糧にして先に進まなくてはなりません。

    傍から見ていて急に人が大きく変化することがあります。

    何かに躓いたら、そこはその人の岐路になります。

    どんな選択をするか。

    どんなきっかけで変わるのか、どんな出会いで変わるのか、どんな本で変わるのか、どんな言葉で変わるのか、以前聞いた

    どんな言葉を思い出して変わるのか。

    自分を変化させ、成長する気付き。これはたいへん重要なことです。

    自分の立場に捉われ修正できるかできないか、それは大きな岐路です。これは日月神示にも書いてあるとおり、人だけでなく、神々にも同じことが言えます。

    どうしても修正できない魂があります。影響力の大きい魂があり人を責めて脅し、迷わせる魂、終末時期に現れます。

    その魂は自分が変わることができず、神が悪い、周りが悪い、人に対しても「人は変われない、同じ過ちを繰り返す」と

    言います。そのような言葉に騙されず、光を目指し成長の渦の中に入ることがたいへん重要です。

    なかなか気付かないかもしれませんが神や神々は人々に目覚めを与えるサインを繰り返し送っています。

    神、そして神々が人々のその気付きと目覚めの時を待っています。

  • 私は非常にコンプレックスに悩みながらも、とても伸びやかな環境に育っています。

    子供の頃は毎日、学校から帰宅すると自宅周りや近所の植物観察に出かけていました。植物たちが前の日とどのように変わっているか変化が楽しみで植物を良く愛でていたと思います。どこで何がどのように育っているか、たぶん誰よりも詳しかったと思います。

    時々は引き抜いて植え替えたりしていました。

    空を見上げるのも、遠い山も見るもの、木登りも好きでした。

    小学校の頃には植物の挿し木ができて、中、高校の頃はアニメも好きでしたがお菓子作りが大好きで、手芸で小物を作ったり

    染料を作ったり買ったりして染物をしたり編み物をしました。

    高校の時は自宅近くで花壇に種を蒔いてを育てていました。

    なぜか機械類も好きでした。

    今でこそ過敏性大腸炎という名前がついていますが中学入学後からお腹の調子が悪くなり、貧血も相まって保健室に通い、

    高校生活では腹痛でよく早退していました。中学から集中力が非常に落ちたことを実感していました。

    最近、SHOGENさんの縄文の話を聞いて子供の頃のことを思い出していました。

    本日、X-twitterで食べ物について書きました。

    X-18歳くらいまで肉、生卵は吐き気が勝って食べれませんでした。魚は切り身を少しくらい。 自然の探訪が好きで毎日

    植物の成長する姿を見つけるのが好きでした。

    縄文かな。現代は荒波。

    肉類は食べれず、ハムやソーセージなら食べられたけれど、魚の皮を見ると吐き気に襲われて、小学校の頃は給食でいつも午後の授業時間ギリギリまで座っていました。

    何食べていたんでしょうね。納豆でしょうか。

    肉類は18歳以降食べれるようになりましたが一人で食べるときは吐き気はその後もずっと続いていて自ら購入して食べたのはここ数年の体力の必要な仕事をしていた時くらいです。現在はお魚は普通に食べています。

    一方では子供の頃から自然の中で育ったけれど、社会の変化、流行に非常に敏感だったと思います。高校の頃から大自然を好む私と、流行に敏感に反応し、何かと取り入れたり冒険してみたりする私と興味の赴くままだったと思います。

    時代は古いですが原宿の竹の子族とか、見に行ったことがあります。

    大自然の植物の成長の芽を見つけて愛でていた私。

    blogに書いた私自身の悲しみの中で見つけた植物の成長の姿、社会の中で、もみくちゃになった私に神様が見せてくださった

    幸福の芽だったのだと思います。

    今は大地と共にありたい。

  • 幸福の芽のblogは閲覧数が伸びないblogですが日本全国、世界各国に読んでくださる方がおられます。2010年頃にはアラブの国も読んでくださっていることを認識しています。

    アブラハムはアダムから数えて20代目です。

    アブラハムはなかなか子に恵まれず、高齢になってから2人の子を持ちました。

    イサクは直系でアブラハムの子孫を後々に伝えることになります。

    この時アブラハムはシュメール時代からの多くの民と共にいて導いています。

    イサクの後にモーゼとイスラエルの民に繋がっていきます。

    そして母ハガルと共に荒れ野に行ったイシマエルは一つの国民の父となります。

    アブラハムの子であり一つの国民の父イシマエル、すなわちイスラム教徒の父であり祖です。

    ムハンマドは天使から啓示を受け、自らを神としていません。

    経典はコーランですが旧約聖書、新約聖書も含むと言いました。

    信仰する者は戒律を守って教徒になれ、そしてイスラム教徒ムスリムは共同体を作り生活しています。

    一夫多妻制などはムハンマドの言葉を聞いた者たちの受け取りかたであったと思います。

    ユダヤ教、キリスト教の聖地はエルサレムです。

    そしてイスラム教には聖地が3か所あり、その1か所がエルサレムです。

    現在、エルサレムにはユダヤ教徒にとって巡礼地で嘆きの壁があり、神殿を建てる予定地です。

    キリスト教徒にとってイエスが復活した地、巡礼地となります。

    イスラム教徒にとってムハンマドが昇天する旅をした場所、岩のドームが築かれ聖地となっています。