• 現代のコミュニティケアの形成の要素として?福祉とした。

    このコミュニティケアを地域でまとめる人はどんな人がするか。普通はコーディネーターと言われている人のことだと思う。

    今、世の中で言われているのは定年退職後で社会でまとめ役だった人だろうか。
    今までに地域でリーダーとして活躍した人だろうか。

    私とコミュティについて話をする友人がいる。かなり長い友人。その友人との話。

    その友人は私に言ったこと。
    まとめ役は福祉の支援業務をしている人がいい。
    なぜって一人一人の心を考えてくれるじゃない。
    いろんな人のいろんな意見をまとめてやっていく。
    高い理想をトップダウンでやっていくのでは人はついていかない。
    高い理想を持ちながら人の意見をよく吸い上げられる人がその地域に合ったものをみんなで一緒に作り上げていくのがいい。

    納得して、今日ここに書いた。
    彼女にそのシステム一緒に考えてねとつけたして別れた。
    たぶんこれからも登場してくる。

  • 「依他起生~えたきしょう」
    人は人に依って生きる。

    人に依って生かされているから他の人に感謝をする。
    人に依って生きているから人と人の間の苦しみにも意味がある。

    自分ってどういう人間だろうって考えてもわからない。
    自己満足に良いように解釈しても他の人はそんなこと思ってもいない。
    自分がどんな人であるかは自分の周りの人によって表現されている。
    他の人がどんな人間か自分でもあの人はこんな人って思っているものがある。
    それが集まってだいたいその人物というものが表現されている。
    個性としての自分は自分としてあるものはある。
    しかし、自分がどういう人間かと言われるとそれは自分の周りの人がその人をどう思い、どう表現しているかに依る。

    だから天使になりたいと思っている人は他の人に天使だと思われていることが大切。
    自分が仏だって、菩薩だって思っている人は他の人に仏だ、菩薩だって思われていることが大切。
    普通の人でいたいという人は常識的に生きて普通の人でいることが大切。

    自分ってどんな人って思われたいかと考えてみたらやっぱり人にやさしい人、人を大切にできる人、立派な人でいたい、徳ある人でいたい、偉い(偉人という意味で)人でいたい、なんて考えるのではないだろうか。

    人は人に依って生き、周りの人に依って自分が表現される。
    人を愛する人はとてもすばらしいなって思いませんか。
    人を愛する人だって周りの人に表現されるってとてもすばらしいなって思いませんか。
    だから人を愛する人間になろう。
    人を愛すると周りの人はあなたが愛する人だって思う。
    そうすると相手の人からも愛が表現されてくる。
    どんどんいろんな人を愛するといろんな人の愛も見えてくる。

    「重々無尽~じゅうじゅうむじん」
    人と人は網のようにつながっている。
    人と人はお互い影響しあい、人は人に依って成り立っている。
    愛する人が増えると人と人との網の糸が愛に変わってくる。
    自分が見ている世界が愛になってくる。

    そんな姿を見て仏さまは喜ばれておられると思う。

  • 仏教のことばで「依他起生~えたきしょう」
    人は人に依って生きている。

    人は自分と仲のよい人と会いたいと思い、相性のよい人とめぐり逢いたいと思う。

    しかし、そんなめぐり逢いだけではない。
    四苦八苦という言葉がある。
    普通は苦労してたいへんなことっていう意味。
    仏教のことばで「四苦」とこの四苦にもう4つ苦しみを足して「八苦」になる。
    最初の「四苦」はよく聞く言葉「生老病死」
    後の4つは
    「愛別離苦」愛している人と別れること
    「怨憎会苦」いやな人と出会ってしまう苦しみ
    「求不得苦」欲しいものが手に入らない苦しみ
    「五陰盛苦」いろんな欲が止まらない苦しみ

    人は人に依って生きている。
    自分がほしいと思っているものはなかなか手に入らない。
    「怨憎会苦」
    会いたくない人にも会ってしまってこの人に出会いたくなかった。
    この人さえいなければよいのにって思ってしまう人に出会ってしまう。

    しかし、人は人に依って生きている。
    お互い生かしあっている。

    だから自分のこの苦しみをこの問題を心の向きを変えて解決して幸せになろう。

    人は転生輪廻をしてその心を磨いて自分も他の人も共に幸せになろうとしているのだから。

  • 現代のコミュニティの要素に家族があるといった。

    家族の力が大切と言ったが同時に家族がいる家庭でもコミュニティケアが必要なのではないか。

    この少子高齢化の時代、共働きの家は多い。
    仕事をやめて介護をするかどうか。
    また子育てと介護と同時にしなくてはならない、介護が重複しているなど。

    家族の多い家庭にコミュニティケアがいらないのか。
    必要なのではないか。
    それがコミュニティケアの参加者を増やしていくことになるのではないか。
    それが経済にも影響があることではないのか。
    そんな視点も必要だと思う。

  • コミュニティケアの中のさまざまなことにそれぞれのスキルが必要。

    でもスキルにはよくいう大義名分も必要なのだ。
    それは地域住民にその地域をよくしよう、地域のために何かしようとする人のものであったりマザーテレサにあこがれるような高度なものであったりすると思う。

    マザーテレサはきれいなところにいるわけでない。
    様々な人の生きざまを全て受け止め、真に強い他者への愛がそれを浄化していく力があるのだと思う。

    コミュニティケアは大義名分とシステム作りが必要なのだ。

  • 現在の福祉で最も大切なのは「心」と言いたいが一言でいえば「スキル」なのかもしれない。
    昔、昔から福祉はその時代の他者への愛、心から始まっている。
    それが無償の愛から始まっていることがある。

    現代、たくさんの人が福祉に関係し、携わり、そして利用していく。
    そこでそれぞれがスキルを上げて実際に行動するところにつかみ取る何かがある。
    これが大切なのだ。

    その環境にいる人たちから多くのものを学び、そして自分自身で「これだ」って思うものをつかむ。
    基盤にはやはりスキルがあるのも大切なことだ。

  • 先日、人の残酷性と仏の愛というブログを書いた。
    私のブログの中の仏=仏さまは根本神仏への思いに近い。
    神さまということばがよいなら神さまでもいい。

    神さまは言われる。
    あなたを愛している。
    その心に神と同じ神性が宿っているのだ。
    愛さずにはいられない。

    でもそれだけではあまりに抽象的かもしれない。

    仏さまって、ではどういうものだろう。
    世の中で言われる仏さまとか神とかと同じなのか、違うのだろうか。

    私のブログで書いている仏さまへの思いは根本神仏に近い。
    でもそれだけではあまりに抽象的かもしれない。

    根本神仏はこの宇宙を創造した神であり、仏とも呼ぶ。
    字の通りだ。しかし、私たちにわかりやすいとしたらきっと広大な宇宙の中に地球という星がある。
    宇宙の歴史の中に地球の歴史が含まれているのだ。
    だから私たちが認識できるのは地球を通しての宇宙の根本神仏ということになる。

    地球でも長く歴史がある。
    哲学でいうイデアの奥にあるもの、
    イエス様の時代、主と言われた方、
    お釈迦様の時代、仏と言われた方、
    孔子の時代、あの北極星のようなと言われた存在、
    古代の神々で太陽だったり、大きな目だったり
    それぞれの神が地球の歴史の織物のその時代を築くためにその時代に展開する思想を説く方々が天上を指ししめしていわれるのが神であり、仏さまでありその姿を法によって現わす。
    神は善悪を分けて罰する方という宗教では正しさ、善を現わし善悪を分けるのも神だが人は愛し合う存在という宗教では愛を表現するのも神である。

    私のブログでは主に仏教から書いているのでお釈迦様の時代、「仏さま」と表現している。

    根本神仏は光としても表現でき、万教帰一、すべての宗教には普遍性のある本質がある。
    この本質が人の仏性、神性とつながっている。

    根本神仏は地球の歴史や宗教の中でもっとも普遍性のある法をつかさどっていてそれ以上の存在だと思う。
    その本質を、それが何かを人はこの世で探し求めているものでもある。

    なぜなら人は仏性があるから・・・。

    善行を行う人を偉いと思ったり、愛ということばに照れくさかったりあこがれたり。
    人によい影響を与えている偉人の話を聞いたり読んだりすると感動したり。
    そして悪いことをしたらやはり後ろめたい、善ではないことを心が知っているから。
    善悪のつかないことでも時間がたつと自分の心が悪いことをしたんだと自分で気がつくことがあったり。

    人はより多く自分の仏性を表現できると幸せになれる。
    それによって神仏に愛され、心が満たされてくるからだ。


  • 現代のコミュニティ
    コミュニティケアになるがこの要素として①家族を書いた。

    思いつくままだが2番目に福祉とした。
    ②福祉のことは現在社会的に非常に大きく取り出されている。

    あまり細かく表現しないようにしたい。
    ここまで心が大切と書いてきたようにコミュニティには心の価値が必要なのである。
    心の価値とは・・・
    また後日にする。

    コミュニティケアの中の福祉は(専門職の人にみられたらコミュニティケア自体が福祉なのだと言われるだろうけれど)制度として評価的なものを求めすぎてはいけない。
    世の中のISOの基準にあてはまるものばかりに評価を求めるとスキルアップがあり均一なサービスはあるかもしれない。
    サービスは対価的なものという発想もある。
    しかし、福祉は人と人である。

    若い人や中年くらいの人が自分が年をとったときのことを考えると高齢になっても今の自分であるという発想が残念ながら生まれる。
    しかし、生老病死の四苦に勝てるものはない。
    高齢となってさまざまな喪失感の中で大切な何かを探し求める。
    今の超高齢社会はむしろこの大切な何かを探す時間をこの世でいただいている人も多いのかもしれない。
    均一で良質なサービスは必要といえば必要。
    しかしむしろ均一なサービスになかなか入りきれない人、言葉使いも荒い人にふと心温まる感覚をもらうことがある。
    そこであるものは均一なサービスを越えたものなのだ。

    均一で良質なサービスしか求めない人に福祉で言う心の関わりは無用かもしれない。
    むしろそんな人にはホテルマンのようなサービスが望まれる。
    一流ホテルでは高額で良質なサービスが展開する。
    そういう人は高額で良質な施設が似合っている。

    コミュニティケアの他の要素も考えるとサービスにも心の価値を見出さないといけないのではないか。

  • この数日とても辛い日を過ごしていた。
    あの泣き弥勒が自分と共に泣いてくれているのではないか、そう思いたいくらいに。

    人は人を愛したいと思っている。
    その反面、自分が苦しいと傷つけようとする。

    人の残酷性・・・
    人の残酷性は大きく三つにとらえられるのではないか。

    ひとつは自分が苦しいから他の人に対し残酷性が出てくること。
    他の人とくらべて自分が下に見られている気がして他の人とくらべられて自分が劣ってみえる。
    他の人とくらべて自分が劣っていると感じる。
    そんなときに出てくる残酷性

    ふたつは自分があまりに優秀であまりに欠けることなく生きていて人の優位にたっている。
    その傲慢さで人の痛みが理解できない。
    優位にいる人はその優秀さゆえに人と競い合うことが当たり前のことになり、自分が上にいないと自分が自分でなくなるような、そんな風に考えてしまう。
    自分が上にいるために他の人を苦しめてでも引き下げて自分が上に立ちたい。
    その傲慢さが他の人にとって非常に残酷なものだと気がつくこともなく。

    三つ目はなにもかも自分の手にあってなお人を支配したい人の残酷性、
    自分の世界を築き、自分の思い通りにしたいと思う心が自分の思い通りにならない人に対してでてくる残酷性、そんな人はそんなにいないっていうだろうか。
    小さな世界、家族、会社、組織でも大きな世界、政治でも、国でも、思想でもそして宗教でも、いろんなところにある。

    そのみっつの価値の中に仏さまの心はない。
    仏さまは言われる。

    あなたを愛している。
    その心に仏性が宿っているのだ。
    愛さずにはいられない。
    その心の中に私と同じ性質があるのだ。
    今は苦しくてそれが表現できなくてもきっとあなたは自分の足で力強く歩こうとしたとき、私と同じ性質が現れてくるだろう。
    きっとあなたは悲しみの中、苦しみの中大切なものが何かに気づいたとき、自分の心が安らぐことに気がつくだろう。
    仏さまははるか高いところにいるのではない。
    あなたがたを内包し、そしてあなたのその心の深く深くにいるのだとそう気付くだろう。
    それは仏さまの存在そのものに気付くのではなく温もりをもった風のようにやってくる。

    そして仏さまに愛されていると気づいた人は強い。
    自分の境涯がどうあろうと強く人生を歩いていくことができるのだ。

  • 仏教に「依他起生」ということばがある。

    人は他に依って生きる存在、他に依って表現されている存在

    他に依って生きる存在ということばのほうが普通に考えられる。
    人は一人では生きられない。
    いくら自分が頑張っても一人では生きれない。
    自分が食べている食べ物、衣類すべてが人の手を介し生きている。
    また生まれる時も親から人の手を介し生まれている。
    そして病のときや年老いてきたらやはり人の手を介し生きなくてはならない。
    いくら我をはって自分は何でもできる、自分が一番偉いといってもやはりどうしても他の人に依って生きている。
    自分が独りで頑張って生きてるように思っても他の人がいなければ生きてはいけない。

    他の人や万物は自分のために存在している訳でも自分の都合のために生きている訳でもない。

    だから・・・
    他の人や万物に感謝をしよう。
    だから自分のことが大切って思っても他の人もまた大切なのだ。


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