• ひふみ(日月)神示の預言について、書いていきます。

    私のblogでは通常、預言はしないことになっています。

    ただ、感染症のパンデミックな流行については、

    新型コロナウィルスが流行する前の2009年10月31日の記事で

    「世の中が混迷し、また災害やパンデミックな病気が流行する。」

    と書いています。

    預言について、私のblogではどのように考えているか、通常は

    神から聞かないことになっています。

    そして今、日月神示を読み始めて思ったことは、やはり聞く必要が

    ないのだと思いました。

    日月神示の預言で良いと思います。

    私は信仰を持ち、一定の魂修行を行なっています。

    そしてこのままできる限り、blogを書き進んでいきます。

    日月神示の預言が明らかになったり、事実となれば、その場で

    神に祈り、大難を小難に切り替えるにはどうしたらよいか、考え、

    行動していくしかありません。

    この予言の一番大事なところは、この世がどんな状態にあっても

    神を求め、一条の光を求めることが大切なのだと多くの人に知って

    いただくことだと思いました。

    しかし、私は既に現実的に突き付けられ、後で預言を知ると

    いうことも起きていて、今後も起きると思います。

    blogの預言についての記事は「maitri diary慈愛へ」の

    東日本大震災があった月の31日に記載しています。

    ーーーーー

    2011年3月31日 my diary
    このようなブログを書いている私は地震が起きることを

    知っていたのではないかと考えていらっしゃる方も
    おられるようなので、そのことについて書いておきます。

    事実は「知らなかった」ということです。
    数年前から時々この世界が破壊の道を歩くというイメージは
    時々浮かんでいました。しかし、私はこの世界に今、

    このブログを読んでくださっている皆さんと「同じ時代」に

    生きています。私は「同じ時代」に生きる者として自分で

    できることをやっていきます。

    Masterに祈ります。
    「何とかしたい、何か手立てはないか」
    しかし、Masterが何かなさしめることを私が直前に

    知ったとしてもそれをどうすることもできません。
    「それならば皆さんと同じく、知らされないことを選びます」

    と祈ります。

    実際は今回の地震の数日前から神仏の怒りの念いが

    大きいことは感じていました。それは本当に怖いものです。
    何か起きるということはわかっていました。
    だからどんなにじゃまされても(尋常でないPC攻撃)ブログを

    書き続けていました。

    神仕組みは幾重にも重なりと書いてきていますがその念いの

    一部でも表現することで、その怒りの念いが減少すると

    いうことがあるのです。

    いつかこの震災が神仏の怒りのその神仏の真意を書くことが

    できるのでしょうか。
    それを書くにはたくさんの人が本物の信仰を掴んだときに

    なると思います。

    ーーーーー

    神から天変地異などの預言を聞かないと決めたのは、

    まだ、某宗教団体に入る前、最初に神からの指導を頂いて

    いた時のことです。

    特に預言の霊指導を好む、人を惑わす霊が多く存在すると

    思います。地震が来る、災害が来る、天変地異が来ると耳元で

    囁く霊には気をつけたほうがよいと思います。

  • 連日、ひふみ(日月)神示に書いています。

    ひふみ(日月)神示は国之常立神からの神示で日本を中心とした

    預言を含む、生き方を教え、導いているもので、神による世の

    建て替えが行われるので心して生きよというものだと思います。

    私のblogの「ひふみ(日月)神示」は、

    ・完全な自動書記でなく、インスピレーションである。

    ・2009年末のインスピレーション「日月神示」は突然、

    降りたものでその時の漢字そのままであること。

    ・神はこの宇宙に法をめぐらす神、根本神仏であること。

    ・根本神仏もまた永遠であり、そこで止まるものでないこと。

    ・私の霊的指導を行ったのは天之御中主神であること。

    ・今までの日月神示とその言葉と書いている視点が違うこと。

    そして今年、

    1月2日のインスピレーションは、

    「神の国を現す、神の国を建てる」でした。

    2023年4月10日から11日にかけてのインスピレーションで

    「blogに未発表の部分がある。それを明らかにする」と言われ、

    出てきたのが「日月神示」でした。

    そして4月12日のインスピレーションで

    「これからは(blogに書く神のインスピレーションは)、

    日月神示に変わる」というものでした。

    そして今、こうしてblogに記事を書いています。

    いつか、以前の記録もたどってみたいと思います。

  • *日記*

    4月11日からひふみ(日月)神示が気になり、以前購入してほとんど

    読まずに触れただけで終わっていた「ひふみ(日月)神示」の書籍を

    開くことになりました。そしてnet情報。

    4/11日月神示、4/12次元上昇の内容で記事を書きました。

    書籍はまだ半分しか読んでいませんが、途中でnet検索をしました。

    まず、書籍の内容では、この内容の一部分は書籍を読む前から

    知っていると思いました。

    2009年年末、最初に記事を書いた時に、多少のnet検索をしたと

    思います。それ以前にも僅か。

    ただ、今知っていると思う内容は文字ではなく、以前、随分前に

    受けた霊指導の内容でした。

    2009年の私のblogの日月神示は、完全な自動書記というより、

    インスピレーションです。

    大本、日月神示は自動書記ですが、思い返してみても、今までの

    私のblogで自動書記のみで書いたものは少ないように思います。

    神示のような形のものは神と会話をしながら書いています。

    私の、いわゆる自動書記のような状態の時は燦燦と光が降りているか、

    穏やかな光に包まれています。腕に力が入っている感じはありません。

    再度書きますが霊媒師ではありません。私自身が好まないので通常、

    入ることはできません。

    今、net情報を見て驚いたのは、日月神示の預言によると2022年から

    10年間は時代の変化、地球規模の変化の時期に当たるのではないかと

    いうこと。まさしく、今です。

    私のblogにもしばらく、日月神示の内容も書いていくことになると

    思います。

    しかし、日月神示は過去、大本と関係が深かった岡本天明(1897-1963)の

    自動書記によるものです。故人となってからその後、研究家の方々が

    かなりの書籍を出しています。また、よくわからないところですが

    その続編を書いている人も何人かおられるのでしょうか。

    今、私が日月神示について書いていくとその何人かのうちの一人に

    なるわけですね。あまり気にせず、書いていきます。

    日月神示の世の建て替えの時期は、子の年真中にして前後10年が

    正念場、火と水と言われているようです。

    子の年が2020年なら、前後10年が正念場なので

    2010年から2030年になります。

    私のblogの日月神示の内容のインスピレーションは2010年を前にした

    2009年の12月31日未明、もしくは2010年1月1日に受けています。

    現在が2023年ですから、今から2030年までが世の建て替えの時期の

    まさに正念場です。

    できるだけ、blogを書いていくつもりですが、

    ただ、私は体が丈夫ではありません。身体的にも脆く、内臓も弱く、

    抵抗力(免疫力)が通常の人より弱いのです。このまま世の建て替えが

    始まったら、長く生き残れないように思います。

    今後、日月神示を読んでみたいと思いました。

    今の私の環境は私に全く時間を与えてはくれないので、blogの

    更新は悲痛な思いで週に1、2度書くくらいで精いっぱいであると

    思います。

    それでも縁のある方々、すでに控えている方々に

    読んで頂きたく、書いていきたいと思います。

  • 人類は過去、神の言葉を聞いて暮らしていたことがあった

    人類が増えるについて、やがて神の声を聞く者が

    神の言葉を伝えるようになった

    人よ

    あなた方は忘れて久しい

    自由を求めて、神の言葉を聞こうとしなくなった

    今、この世には学問があり、

    通信において、世界を知ることができる

    多くの知識を身につけることができるようになった

    しかし、この世は豊かであろうか

    物質を求め、孤独に生き、そして争う

    今、神を求める人よ

    神近くになろうとするな

    その心は既に間違っている

    心を正し、愛に生き、人から奪うな

    学問において良し悪しを見極めよ

    信仰において素直であれ

    そのような心を持って、神と一つであれ

    次元上昇である

  • 先日、blogに「自由と繁栄2023 信仰」を書いてから、

    その続きを書かなくてはと思っていました。

    過去、歴史の中で人間は「信仰生活」から出て、

    「自由」を選択し、一人ひとりが思考し、創造する生活をしてきた。

    しかし、「自由」とは何か。

    その問いに答えたならば、そこに神を見出すことができるだろう。

    この後に続く内容を説明として、自由とは何か、一言で言うなら、

    この社会には多くの人が住んでいる、この多くの人、一人一人が

    自由を享受したいと思うなら、自ずから正しさを求め、自制を

    しなくてはならない、自由にはそういう意味があるということです。

    ここで、私のblogに記載した2009年12月末の日月神示について

    再掲します。これは現在発行されている日月神示の本を手に取っただけで

    読んだ後のものではありません。

    2009年12月30日

     日と月

    日は光り、世を照らす法となる
    月は日の光を法とし、法を行じ光となる
        
    私は今、この地上に法をおろした
    それはこの地球を
    善き地球、幸福なる地球にしたいと思うからだ
        
    地球に住む人よ
    共に生きよ、幸福なれ

    日はあくまで法でなくてはならない
    なぜなら、法がねじ曲がっていくことが
    この地球を破壊することになるからだ

    信仰ある人よ、その信仰におごるなかれ
    私は人と人が共に
    幸福になるようにこの地球に法を編んだ
    そして法をおろした

    しかし、行じるものがなければ
    その法にいったいなんの価値があるか

    人の涙の数だけ涙を流すことだ

    2009年12月31日

    『 善き人となれ、人を愛せ 』

    様々なことが起き、
    そこに地球の法となっているものが確認されるだろう
    そこに地球を内包する神の姿を

    かいま見ることになるだろう

    地球を内包する神は言われる。
    世界で過去の歴史でも言われている神

    『 私はすでに地上に法をおろした
      人が共に幸福になる法をなぜ、行じようとしない。
      法を行じていれば、苦しむことなどなかったはずだ。
      求めよ真理を、求めよ信仰を、 
      自他共に幸福なる道が真理である 』

    「自由」には人が「正義」を求め、お互いを「愛し、生かす」と

    いう意味も含まれているのです。

    そして一番大切なことは神に対する信仰です。

    日月神示は幸福の科学宇都宮正心館2階で

    満月に近い月を見ていたときのものです。

  • 2月19日に日本の少子高齢化のバラドックスについての記事を書いています。

    それから1カ月以上たちました。

    社会保障からみると

    財政面からみたら大幅な税収の増加ですので、

    少子高齢化のパラドックスは「人口、税収、人材」からみて、大規模な機械化と

    大幅な賃金アップです。

    2050年の肩車社会において、支える生産年齢人口を増やす努力の他、

    賃金のアップと消費を増加させること、日本は今、賃金アップに向かっています。

    経済面で国際的な観点を大事にしすぎた日本、脱出したほうがよいと思います。

    このように単純にいくことではない、でも必要なことだと思います。

  • 私のblogには「自由と繁栄」について書いている。

    「信仰」と「自由」はかけ離れたものか。

    信仰はその対象となる「神」がおられる。

    では神は何か。

    神は永遠である。

    神は何故、永遠なのか。人間が知り得た事象は最終的に

    「誰がこれを創ったのか」という問いに勝てないからである。

    この社会には「空間」と「時間」がある。

    人間が知り得た知識でいうこの世界を創造した神、

    創造神は永遠に流れる時間の中で人間を創造した。

    男女の性別を与えたのである。

    男性か女性か、わからない神ではない。

    創造神は人間そのもの、そして性別を創造したものである。

    宇宙に流れる神の法の中で、

    この地球も神性を宿した魂がその魂の向上を目指している。

    過去、歴史の中で人間は「信仰生活」から出て、

    「自由」を選択し、一人ひとりが思考し、創造する生活をしてきた。

    しかし、「自由」とは何か。

    その問いに答えたならば、そこに神を見出すことができるだろう。

  • blogを書いていると、時々悲しみが伝わってくることがある。

    以前、私のblogで書いたウクライナの悲しみ、それはチェルノブイリの

    悲しみだった。

    尽きることない悲しみを抱え、その土地を離れることもなく、生きる人々

    いつもいつも悲しみを抱えながら生きている、

    その悲しみが伝わってきたのだ。

    今、目の前に3本の道がある。

    目の前には等間隔に並んだ大きな2本の道があり、

    他の1本は細いが強く見える。

    今の時点では、その3本の道はやがて遠く離れていくように見える。

    でも、そうだろうか。

    大きな2本の道をよく見てみると1本には自由、平等、民主主義と

    いう文字が順不同に繰り返し、書かれている。

    もう1本の大きな道は平等、社会主義、そして自由、社会主義と

    順に繰り返し、書かれている。

    この2本の道だが、これは相容れないものだろうか。

    長い歴史の中でそれぞれが主張をしてきて、今最も近いところに

    いるものではないか。

    もし、そうでないと言うのなら、元々が違うのである。

    いづれも、良きところ、悪しきところはあるであろう。

    しかし、

    人類の実りを生かそう、そう考えるものはいないのか。

    そして3本目の細くみえる道は、よく見ると調和、発展と書いてある。

    人々がこの地球に共に生きる道しるべを現している。

  • ※追記 この記事を書いてから、ニュースで「民主主義サミット」の

    開催を知りました。どなたかお誘い下さいましたか。注目します。

    私は2010年から「自由と繁栄」について何度か、記事を書いている。

    主に自由主義、民主主義の視点である。

    2023年の今、どうだろうか。

    当時書いたものは既に過去のモノとなっている。

    自由主義とは何か

    民主主義とは何か

    社会主義とは何か

    宗教国家とは何か

    軍事力による国家とは何か(専制主義)

    時代は変化した。

    社会も国家も主義主張も変化しなくてはならない。

    神は言われる、

    「神は戦うことはない、

    人が人とその歴史の中で何を選択するかである」

    God say,

    [ God never fights.

    What people choose to do in people and history.  ]

  • 長年の私の研究について掲載します。

    三諦円融を知り、菩薩の境地について図式化したものです。

    2010年5月11日に「心の時代を生きる1」という記事があります。
    ここで再々掲します。

    仏道を求めるなら、仏さまを求めながら今の時代を生きていくことが

    大切だと思う。仏教のことばに「三諦円融」というものがある。
    そのことについて書いてみたい。

    三諦は三つの真理、
    「空諦(くうたい)」― この世の価値観から離れ、仏さまの世界(空)が

    あるという真理
    「仮諦(けたい)」― 仏さまの世界があるが一旦否定した今生きている

    この世(この世は仮の世、有の世界)があるのも真理
    「中諦(ちゅうたい)」― 仏さまの世界と今生きている世界と二つの

    世界があるという真理はあるが、それぞれの世界でそれぞれの中だけに

    真理があるのではない。その二つの中に真理がある。

    今の時代を生きていくには「空諦」、「仮諦」、そして「中諦」の

    三つの真理、それぞれの世界があり、それぞれを円融(妨げることなく、
    またそれぞれの世界を融合)して生きていくことが大切であり、

    その中で仏さまの意図を感じ取っていかなくてはならない。

    仏さまが見ている世界があり、現実社会の事象を見つめ、そしてその中に

    真理を見つけていく。

    仏さまは愛であり、このときの愛はそれぞれの人がそれぞれの人の悟りを

    得て、心の向上を目指すことにある。
    そしてこの個人の心の向上が社会に反映していくことが大切。

    仏さまの意図を感じ取って、または仏さまの意図にできるだけ添って

    今の時代を生きていくことが大切であるとそう思う。

    2010年8月13日に「心の時代を生きる2」を続けて再掲します。

    何度も泥中の花について書いているが蓮華の花は仏教の言葉で

    「上求菩提下化衆生」につながっていくと思うと書いた。

    インドの頃の僧団では心の修行を行い、自らの悟りの向上を目指し、

    仏さまに近づいていき、悟りを得ることを修行としていた。
    インドの時代は階級があったので上下という表現だが、仏道修行者は

    自らは仏さまを求め修行をしていくが、一方では衆生に仏法を伝え、

    悟りの道に導いていくことが大切だった。

    泥中の花はインドのお釈迦様の時代に仏道を求め、心を磨き、清らかな花を

    咲かせることが大切というものだと思う。

    心の時代を生きる1では「三諦円融」、
    あの世とこの世があり、心の向上を目指し、その中で仏さまの意図を

    感じ取りながら生き、そしてそれを社会にも反映していくこと、

    仏さまの意図に添って今の時代を生きていくことが大切であると思うと

    書いた。

    インドのお釈迦さまの時代から年月がたち、学問、教育がある時代、

    そして情報社会に生きる私たちにとって「心の時代を生きる」とは

    どんなことか、それには仏さまはいったいこの社会をどうみて

    いるのかと考えてみることが大切だと思う。

    本来、仏さま、神仏の目は

    この世とあの世の全てを見つめている存在である。
    現代社会であの世の存在を知りながら、神仏と一体になって神仏の目で

    見たらこの世はどう見えるか、
    「どうしたら多くの人が幸福に生きることができるか」を思い、それを

    社会に反映しながら生きていくことが大切であると思う。

    「 泥中の花は自分を磨き、きれいに咲くが、
      泥も根も暗闇の中、もがきながら一生懸命に生きている。
      泥も根も心のどこかで花にあこがれ、花になってみたいと
      思っている。 」

    仏さまは蓮華の花のみではなく、その泥も根も暗闇の中で迷っている、

    その姿を見つめている。

    また葉があり、花が終わって実になろうとするものもある。

    その全てに仏性が宿っている。
    そして空気があり、太陽の光がある。
    その環境の中で仏性をもつ泥も根も花に向かっていくには

    どうしたらよいか、幸福になるにはどうしたらよいか、

    そう考えていると思う。

    仏道を求める者よ
    蓮華の花を咲かさんとするものよ

    神仏の存在があり、そして永遠の生命があることを
    多くの人に伝えてほしい

    そしてあなたがたのその悟りの力で
    この世の多くの人々を幸福に導いていってほしい

    それは泥中に咲く蓮華の花が自らが花を咲かさんとして
    努力してきた道を伝え、また目の前にいるその人が
    自らの過去世の修行の姿であると思い、導き、

    そしてその人の花を咲かす手助けをする姿である

    それが菩薩の境地である

         Master of Master


    これは現世に自らが花咲かせようとする地湧の菩薩の境地、

    世のリーダーの境地である。

    大いなるものへの信仰のもと、自らの心をつかみとり、自他共に

    心を大切にし幸福な世界を築かんとするそういう心の時代を

    生きることだと思う。