• 本日のニュースで、幸福の科学大川教祖が死亡しましたと聞きました。

    と、言うことで少し、関連していることを書いていきたいと思います。

    私自身ですが、彼は以前から神々から怒りを買っていたので、

    感想はこれで良かったと思っています。もっと強い感情ですが。

    冥福?誰の?逝去?誰の?

    因果の理法が成り立つのは、死後の世界があるからです。

    死後、清算してください。

    神からのインスピレーションです。

    2023年2月11日 「幸福の科学、今後、彼らにとって衝撃的なことが

    起きる、それは天罰である。」「これからは急成長を遂げてきた姿を

    見ることはないだろう」

    ここ数年は、お家騒動で何度も何度も形を変えていく。

    とは言え、私は関係者でも何でもないので、これ以上書く必要は

    無いと思います。

  • 私のblogは2009年9月に書き始めました。

    その内容には私個人のことも、たくさん含まれています。

    人に聞かれたくない、書きたくない内容も書いています。

    一方で神は私に、神の言葉をくださいます。

    そしてそれにより、攻撃を受けて死んでしまうくらい苦しんでいると

    「愛している」と言葉をくださいます。

    「私は何も悪いことはしていない」という人がいます。

    私が人生の中で様々なことがありながら、神の言葉を聞くことが

    できることに対して、自分は何も悪いことはしてないから、

    神に優先されるべきではないかという意見だと思います。

    この話の先は、私が神と共に説いた法を無断で取っても良いのだと

    すり替えが起こります。

    「神よ、私は信仰深く、善に生きたのに何故このようなことが

    起きてしまうのでしょうか」と与えられないことを嘆くということは

    どういうことか、過去の歴史で聞いているとおりです。

    こんな私が何で神の言葉を聞くことができ、言葉をいただけるのだろうかと

    いうことですが、私は過去、1991年より前に、神の意思の下で人生を

    見直した経験があるからです。

    神は全てをご存じで私に言葉をくださいます。

    そして後々のことですが、それは救済力と浄化力に変化していくと

    聞いています。

    文献にはあまり載っていないと思いますが、弥勒菩薩とはそういう菩薩なのです。

    他人の悪いところばかり探して、弱みに付け込む。

    そういう他人を無き者として、ユートピアの中には入れない、

    自分の存在が在るように、他人の存在も在り続けます。

    殺人でもしなければ、無くなりません。

    そういう世界は救済力の全くない、選民的な、自分たちだけが

    生き残ればいいというユートピアだと思います。

  • 日本の少子高齢化のパラドックスについて

    先日、この内容でtwitterを2ツイートしました。

    2月15日

    「少子高齢化のバラドックスについて、財政面から「人口、税収、人材」で

    書いてみたいと思います」

    2月14日

    What’s the paradox of the declining birthrate and aging papulation? It’s an economic perspective , but it’s a theory without any backing. Wouldn’t that be nice a large mechanization and big wage increase? Do you thlnk I’m stupid?

    少子高齢化のパラドックスとは? 財政的な観点ですが、裏付けのない理論です。大規模な機械化と大幅な賃金上昇はどうですか? バカげたことですか?

    日本の少子高齢化のバラドックスについて、財政面から

    「人口、税収、人材」で書いてみたいと言いましたが、前日に既に

    少子高齢化のパラドックスは少子化を解消するだけでなく、

    大規模な機械化と大幅な賃金アップですと解答を書いています。

    これについて興味関心を寄せてくださった方が多いように思いますが、

    以前のblogを読んでいた方の中には、また自動書記なのではないかとか、

    誰かのモノを使っているのではないかとか、いろいろな憶測が出た様に

    感じます。

    現在の私はblogを書き始めた頃のように体は丈夫ではなく、また仕事に

    より、非常に多忙です。いつ、作業に取り掛かろうかと思っていました。

    そこで、財政面から見た少子高齢化のパラドックスについて、

    私がこの内容を記載するのは1カ月くらい先にしたいと思います。

    我こそはと思う方はぜひ、この内容について日本社会や国に

    提示していただければと思います。

  • ※加筆しました。

    *日記*

    今ほど、「信仰について2」を掲載しました。

    現社会では自由に生きたい、楽しく生きたい、

    おもしろく生きたいなどと思う方も多いように思いますが、

    そうでなく、真剣に神を思う方々もおられます。

    特に私のblogを読んで、ご自身の神への信仰について深く考える方々も

    おられたと思います。

    その方々の為に、私と他宗についてもう少し書くことにしました。

    読んだうえで、ご自身の心でどう捉えるか考えてみてください。

    私のblogは2009年に始まっています。

    今年1月に開始した「Happy sprout maitri / 幸福の芽 蓮みろく 3」

    今までに「幸福の芽 happy sprout みろく maitri 2」

    「幸福の芽 happy sprout みろく maitri 1」

    そしてこのblogの別室で

    「maitri diary 慈愛へ 2」

    「maitri diary 慈愛へ1」

    その前身である「desire of the moon 月の想い」

    その前に「アルパカのひとりごと1」と2

    (単にアルパカが流行していたため、名前を付けたもの)

    その前に「明日へ 幸福実現 happiness realization」があります。

    この中で幸福の科学と関係あるのは最後に記載した

    「明日へ 幸福実現」だけです。これでさえ公けには伝えていませんが、

    幸福の科学について、政治、政党について、

    幸福の科学那須精舎について書いています。

    また、介護や認知症ケアについても書いています。

    2009年12月23日から2010年2月5日までで終了しています。

    「幸福の芽 みろく」については、全く教団に伝えていません。

    教団が見つけて、攻撃を仕掛けてきたということです。

    何度か書いていますが以前、幸福の科学にいながら、

    教祖に祈ったことはありません。

    何処にいても私は根本神仏に祈ります。

    いろいろな霊場、霊的磁場にいるとその時に現れる太陽神、

    他の神も私に言葉をかけてきます。

    例えば、出雲に行ったら、根本神仏に祈り、神道の神、神々、

    伊勢に行ったら、根本神仏に祈り、天照大神や神道の神、神々、

    (現在に至るところは先日、記載しました)

    幸福の科学の宇都宮総本山、那須精舎に行ったら、

    根本神仏と神、神々です。

    大本教にも何度も行きましたが、霊場としては私を受け入れますが、

    神や神々は黙しておられ、私を見守っていると状態でした。

    意識体や磁場を感じながら、黙して見守られていることは多いです。

    また時間の経過の中で、開教当初の神が不在になることがあります。

    私は2009年より前の数年間、在家でありながら週末を

    幸福の科学宇都宮総本山、那須精舎で過ごしていました。

    たくさんの教団の職員と知り合いました。今もご活躍の方々も

    いらっしゃるでしょう。

    たぶん、私のblogを読むのは禁じられてると思います。

    その時に私は、幸福の科学の転機に立ち会うことになりました。

    ある時、急に政治活動を開始しました。2009年5月です。

    開始した途端に、教団への神の意志が変わりました。

    人間信仰に変化していった幸福の科学に神(その時の太陽神、Master EL)

    )の意志が下りなくなったのです。神を差し置いて教祖という人間を

    信仰することに対する神、神々の怒り、悲しみは大きかった。

    しかし、私の神(根本神仏)は変わらなかった。神々も変わらなかった。

    だから、しばらく教団の活動に一方的なメールやコメントで

    神の言葉を伝えたことがあります。

    選挙開始当時のメールは「当たって砕けろ」から開始したと思います。

    大敗した後、私はある程度有名になっていたと思います。

    教祖の知るところとなり、総本山宇都宮と那須精舎の霊場に

    馴染んでいた私は、教祖によって拒絶されました。

    当然だと思います。私の存在は教祖を脅かすものでした。

    すでに選挙前に神の意志が変わっていたことを知っていた私は

    だからこそ「一人で立つ」とblogを開始したのです。

    幸福の科学の教義を自分のモノにしようと思った訳ではなく、

    神の導きにあって進んだということです。

    また幸福の科学の教義は過去のモノです。

    教義の整合性や実社会についてはどんどん崩れていったと

    思います。

    この世で生きていて私が神と話すのには、ある程度の霊場が

    必要です。または霊場とまで行かなくても良い磁場が必要です。

    霊的磁場ですね。選挙前の幸福の科学の磁場は良いものでした。

    後で思ったのですが、私がblogを書き始めるための前章であり、

    必要な時間だったことは間違いないと思います。

    幸福の科学に入る以前の神も、入会した後の神も、

    脱退した後の神も私には同一です。変わりありません。

    茨の道を歩む私に、神は「愛している」と語り続けました。

    私のblogの「アルパカのひとりごと」では、2010年に

    「15年くらい前の記録」として、幸福の科学に入会する前で

    幸福の科学を知る前の私が受けた、神から教えなどが

    簡単に記されています。15年、いや、もっと前のことです。

    1990年のことだと思います。神は根本神仏と天之御中主神です。

    神道、仏教的な教えが多かったと思います。

    最初に神から「みろく」とインスピレーションを頂いたのは

    この時です。しかし、その後も私はあまり気にしていなかった。

    この時から霊的現象は多かったが、何もかも1度では信じない、

    現象と伴う現実がなければ信じないというスタイルを

    取っていました。

    「幸福の芽 みろく1」に記載した「日月神示」については

    私への突然のインスピレーションから始まり、blogに

    記載することになりました。

    また後で記載することになるかもしれません。

    仏典にでてくる「弥勒菩薩」についてですが、

    これについてもblog開設してから文献を読んでみて

    思っていたことがありました。

    簡単ですが、他の宗教に関わる方々、いかがですか。

  • 前回、信仰についてを掲載しました。

    続いて書いていきます。

    私のblogに書かれている神 Godは根本神仏 Divine Originです。

    その点で主な他宗の神と別けます。

    世界は広く、歴史も長い、その中で過去も現在も、根本神仏への信仰を

    立てていた宗教は多くあると思います。

    その中で私、maitri 蓮みろくのblogを認識し、祈る神という意味で

    他宗の神と別けます。

    幸福の科学は現時点での主宰神はどなたが存じませんが、

    以前は総裁であり、その意識体である神の名だったと思います。

    私の呼んでいる神とは違います。

    かつてのMaster ELは悲しみを多く持った誠の意識から繋がるものです。

    今の私には認識している意識体ではありません。

    日本では明治から昭和初期、その後も多くの宗教が生まれました。

    戦中戦後には、以前の私のblogに突然現れた「日月神示」があります。

    日月神示には「ミロクの世」があります。

    大本教では信仰宗教神道の多く流れの元にあり、幸福の科学もそうであったと

    思います。大本教には「みろくの世」があります。

    現在の大本教もまた、私のblogの神と同一ではありません。

    いろいろなことがありました。

    時間の流れの中で私の意識の中で不動で変わらぬ神、それが根本神仏です。

    先日記載した「信仰について」の神と同一で、異なるところはありません。

  • Happy sprout maitri / 幸福の芽 蓮みろくの信仰について

    ※2023.2.5少し修正しました

    ※2024.2.19修正しました

    蓮 みろくです。

    Happy sprout maitri / 幸福の芽 蓮みろくのGod / 神は

    Root God / 根本神です。(Divine origin / 根本神仏から修正)

    ここで私のblogに現わされている神への祈りについて書いてきます。

    以前から書いていますが、私に敵対心、競争心がある人、人々、

    私を排除しようとする人々は対象ではありません。

    私のblogに現わされている神への信仰についての話です。

    基本的な祈りの対象は、

    ”God”で良いと思います。もしくは ” Root God “

    (Divine Originから修正)

    「神よ」「神様」で良いと思います。もしくは「根本神仏よ」

    祈りの時は目を閉じて、宇宙をイメージしてください。

    目を閉じて、宇宙のイメージを描いてみる。簡単に書いていますが、

    これ自体、難しい方もおられると思います。

    瞑想される方は、祈りとは別に宇宙をイメージした瞑想なども

    行なってみたら良いと思います。

    宇宙をイメージできたら、もしくはそのような心になったら、

    そのもっと遠く、もっと深くに意識をもっていきます。

    以前、天の川銀河の宇宙の写真を載せました。

    現れ方はその人の信仰の心によると思いますし、その方の心の在り方に

    関係がありますが、宇宙の深いところに神がおられると思ってください。

    祈りの姿勢は椅子に座っていても、正座でも良いです。

    弥勒菩薩半跏思惟像もそうですが、神に対する畏敬の思いを

    持っていることが大切です。

    足に痛みがあるのに無理な姿勢を取ることはありません。

    全身どこかが緊張している状態では無い方が良いと思います。

    神への祈りは朝夕、食事より前の時間に感謝の祈りを上げます。

    それから、毎日の中で祈りたいと思う時に行ないます。

    朝、夕は、神への日々の感謝の祈りを含んで行ないます。

    また、神に祈りたいときはいつでも祈りの姿勢を整えて行ないます。

    まず、祈りを行なおうと思う前に、両手を拭うか、洗います。

    姿勢を整えたら、両手を合わせます。

    手の位置が重要です。

    できる方は、合わせた両手を口より上に挙げてください。

    祈りの言葉が、両手首から合わせた手の先を通って

    神に届くように祈ります。

    祈りの言葉が終わったら、手を下げてしばらくそのまま、

    自分自身が何をどうしようと思っているか、

    思慧の時間を持ってください。

    最後に神に対し、感謝の祈りをあげて終了します。

    この祈りの形が私、maitri / 蓮みろくのblogに

    現れている神への祈りとして、根本神仏に向かっていきます。

    偶像崇拝という言葉があります。

    以前、祈りは私にではなく、神に向かってということを

    記載したことがあります。

    今、書いていて思ったのですが、祈りの時に誰かを思い描いていると

    それに縛られて制限ができたり、限界が生まれます。

    あなた方に言います。

    神は、善であり、愛です。

    美であり、協調であり、成長であり、発展です。

    そして、あなた方には神性が宿っています。

  • ※2/9追加しました。

    *日記*

    「幸福の芽」と言えば、幾つか代表的なものがあります。

    「現代のコミュニティ」もそうであったと思います。

    私はある時、Peter F. Druckerの思想に触れた時に「光を見つけた」と

    感じた時があります。一条の光です。

    他にもあります。この時は私自身の心の状態にも依ったと思いますが、

    有名な Beethoven Symphony  No.5 交響曲第5番「運命」

    聴いていくうちに光を感じました。

    この経験をした人は私だけではないでしょう。

    幸福の芽と言えば、Peter F. Drucker [ The Daily Drucker  3 January ]

    Management is indispensable

    Whoever makes two blades of grass grow  where only one grew before

    deserves better of mankind than any speculative philosopher or

    metaphysical system builder.

    マネジメントは不可欠

    経済の一方だけでなく、

    経済と福祉の2つの葉を持ち、社会を見ていく、

    そういうマネジメントが大切である。

    Management will remain a basic and dominant institution perhaps as long as Western civilization itself survies. For management is not only grounded in the nature of the modern industrial system and in the needs of modern business enterprise,to which an industrial system must entrust its productive resources,both human and material.Management also expresses the basic beliefs of modern Western society. It expresses the belief in the possibility of controlling man’s  livelihood through the systematic organization of economic resources. It expresses the belief that economic change can be made into the most poweful engeine for human betterment and social justice-that,as Jonathan Swift first overstated it three hundred yeas ago,whoever makes two blades of grass grow where only one grew before deserves better of mankind than any speculative philosopher or metaphysical system builder.

       Management-which is the organ of society specifically charged with making resources productive,that is,with the responsibility for organized economic advance-therefore reflects the basic spirit of the modern age. It is,in fact, indispensable,an this explains why,once begotten,it grew so fast and with so little opposition.

    いつでも良質のマネジメントが説かれるのは、社会が成長、発展している時である。

    もし、その社会や世界が戦争、災害、環境変化によって大きな変化が起きた時、変わらざるを得ないものが生じてしまう。

  • *日記*

    早く福祉について、しっかりと終止符を打ちたいと考えています。

    「現代のコミュニティ」

    何度も、思考のきっかけというか、提案を書いてきましたが、

    回答は書いていません。

    回答は既に厚労省が形にしています。またその時の首相によって、

    一億総活躍社会の中に取り込まれているということもあります。

    日本のコミュニティをどうするか考えた時に、政策として当然、

    過去の福祉や海外の福祉についての動向に目を向けます。

    日本はボランティアが支えるという考え方のみでは難しい。

    最近はクラウドファンディングを取り入れているところも

    ありますが、寄付の習慣に頼れず、運営費の捻出が難しい。

    国の施策としては幾つか現す、そして社会構造の変化や

    情勢の変化により、対応できる枠組みを作ったということです。

    しかし、福祉もその国のnationに依り、宗教に依るところもあり、

    またそれさえも変化して違う形になることもあるでしょう。

    以前、トマス・モアの「ユートピア」という書籍のことを書きました。

    この本を読んだ時に「時間軸」がないと思ったと書きました。

    その人の認識で平和を描く、多くの人の目線で平和を描く。

    しかし、常に時間は動いています。

    人は時計を身につけて、時間管理をします。多くの人にとって

    平等に与えられている「時間」です。

    不思議ですが、24時間、365日を過ごしているのは皆、変わらないのに

    同じ経験を同じ時間にしても、その後の認識の時間軸が違います。

    多くの人は自分の身の回りのことや過去経験したり、見たことは

    時間がたってもあまり変化していないだろうという認識を持ちます。

    しかし、実際は時間がたつにつれて変化し、他の人の認識が変わり、

    結果ずれが生じます。

    「社会構成主義」の時間軸は人それぞれ違う時間で動いていて、

    次に実在で確認したり、経験したりしないと書き変わらないと

    いうことです。

    「現代のコミュニティ」について考えた時、それをリアルタイムで

    読んだ人と、後から読んだ人で動いている時間が違います。

    今の情報社会では、何か新たな発見や知識があったとしても

    その次の瞬間には、既に時間が動いていて常に変化していく。

    「現代のコミュニティ」もリアルタイムの時の形と、

    その後の形も変化していて、そして今の形も常に動き、

    変化していくものだと思います。

  • *日記*

    「幸福の芽 蓮みろく3」ですが、

    しばらくの間は、「蓮みろく maitri」として内向きな内容を

    書いていきたいと思います。

    web攻撃が酷すぎて書き続けることが難しいことが多かったこと、

    1,2をリアルタイムでお読みの方はご存じだと思いますが、

    もっとも肝心な時に嫌がらせをして書かせないようにしむける、

    世の中を悪くならないようにしよう、良くしよう、大を小にしようと

    思うことの邪魔をする、悔しいことです。

    リアル社会で全く逆のことを言って邪魔をする、

    魔の手の攻撃ということになりますが、例えば、私を悪者にしたり、

    嫌がらせをされているのに、していると言われるなど私の立場を悪くして、

    内容を自分のものにしようと考える人が出てくること

    私はその都度、「キリストの磔」を思い出していました。

    リアル社会で身近にそういう存在がいるということ。

    それから、「幸福の芽 蓮みろく3」については

    「一人で立つ」、また、一から始めることになっています。

    しばらく書き進む必要があります。

    時間が必要です。

  • *日記*

    第3章の幕が開けたと書きましたが、少し整理する必要があるので

    以前掲載した1、2のことも書いています。

    blogを書くずっと前から、学問が幾つかの面で現状より

    遅れていることについて気になっていました。

    近隣他国が急成長している時に、日本は成長をしなかったのです。

    世界経済が現実的に大きく動いているのに、学問が追い付いて

    いませんでした。

    汚染が進み、新しい道を模索しなくてはならず、社会的現象や

    森羅万象が警鈴を鳴らしているのに動くことがありませんでした。

    1,2のblogにはそれらのことを書きました。

    また、福祉関係では、「現代のコミュニティ」として福祉の内容を

    多く、含みました。

    こちらも日本の福祉の理論に整合性がないものがあるのに、それに

    目をむけていない現状、他国の良いところを取り入れていく必要は

    あったものの、日本においておこなうべきものが見えていないこと、

    また私が動き出したとき、日本は介護保険制度が一段落し、安堵と

    共に時間が止まってしまっているような感覚があったことなど、

    私には危機感がありました。

    内容をblogに書いていく一方で私は追い詰められていきました。

    職種の団体関係者、H元教授には明らかに私がblog等で

    福祉や社会について投稿を続けていることを伝えていました。

    このH元教授のところでは、借金を追わせられそうに

    なったり、、ご本人は某企業と共に霊媒みたいな様子で本を

    出そうとしたり、私のblogの内容を全てご自身のものにしたいと

    いうことが徐々にはっきりしていきました。

    時間がたつにつれ、私は社会的に全く動けないような現状に至り、

    また年齢からくるような体調不調が襲い、日常生活が難しい状態に

    陥りました。体調のことや私の仕事上の地域性が変化したために

    そのまま何処かに行くこともできず、その地域にしばらく

    留まりました。

    blog2に書いたように結局、職種の団体関係者のS教授から

    「現在のコミュニティ」に書いた内容について、書籍として

    発表されました。

    内容についてご本人が納得していたかは疑問がありますが。

    一回発表されたものなので、もう私のblogの内容を誰が

    使用しても、それ自体が拡散していて止める意味がありません。

    むしろ拡散しなくてはならない時期をとうに過ぎていたのです。

    今、福祉関係者がそれを改めて説いても何ら、

    学術的な新しい影響を及ぼす意味がないでしょう。

    1月1日に記載したように、このblogの記事の内容で福祉について

    あまり書かないと思います。

    そしてもう10年くらいの間、私には情報屋の影が付きまとっています。

    一時はマスコミや情報屋が、明らかに目の前にいたり、

    入れ替わり立ち代わりしていましたが、今は影と言ったらよいでしょうか。

    これは単なるネタなのか、期待されているのか、逆なのかどうなのか疑問があります。

    ただ非常に感じるのは宗教関係の繋がりを探しているということです。

    全くありません。