• 人類は過去、神の言葉を聞いて暮らしていたことがあった

    人類が増えるについて、やがて神の声を聞く者が

    神の言葉を伝えるようになった

    人よ

    あなた方は忘れて久しい

    自由を求めて、神の言葉を聞こうとしなくなった

    今、この世には学問があり、

    通信において、世界を知ることができる

    多くの知識を身につけることができるようになった

    しかし、この世は豊かであろうか

    物質を求め、孤独に生き、そして争う

    今、神を求める人よ

    神近くになろうとするな

    その心は既に間違っている

    心を正し、愛に生き、人から奪うな

    学問において良し悪しを見極めよ

    信仰において素直であれ

    そのような心を持って、神と一つであれ

    次元上昇である

  • 先日、blogに「自由と繁栄2023 信仰」を書いてから、

    その続きを書かなくてはと思っていました。

    過去、歴史の中で人間は「信仰生活」から出て、

    「自由」を選択し、一人ひとりが思考し、創造する生活をしてきた。

    しかし、「自由」とは何か。

    その問いに答えたならば、そこに神を見出すことができるだろう。

    この後に続く内容を説明として、自由とは何か、一言で言うなら、

    この社会には多くの人が住んでいる、この多くの人、一人一人が

    自由を享受したいと思うなら、自ずから正しさを求め、自制を

    しなくてはならない、自由にはそういう意味があるということです。

    ここで、私のblogに記載した2009年12月末の日月神示について

    再掲します。これは現在発行されている日月神示の本を手に取っただけで

    読んだ後のものではありません。

    2009年12月30日

     日と月

    日は光り、世を照らす法となる
    月は日の光を法とし、法を行じ光となる
        
    私は今、この地上に法をおろした
    それはこの地球を
    善き地球、幸福なる地球にしたいと思うからだ
        
    地球に住む人よ
    共に生きよ、幸福なれ

    日はあくまで法でなくてはならない
    なぜなら、法がねじ曲がっていくことが
    この地球を破壊することになるからだ

    信仰ある人よ、その信仰におごるなかれ
    私は人と人が共に
    幸福になるようにこの地球に法を編んだ
    そして法をおろした

    しかし、行じるものがなければ
    その法にいったいなんの価値があるか

    人の涙の数だけ涙を流すことだ

    2009年12月31日

    『 善き人となれ、人を愛せ 』

    様々なことが起き、
    そこに地球の法となっているものが確認されるだろう
    そこに地球を内包する神の姿を

    かいま見ることになるだろう

    地球を内包する神は言われる。
    世界で過去の歴史でも言われている神

    『 私はすでに地上に法をおろした
      人が共に幸福になる法をなぜ、行じようとしない。
      法を行じていれば、苦しむことなどなかったはずだ。
      求めよ真理を、求めよ信仰を、 
      自他共に幸福なる道が真理である 』

    「自由」には人が「正義」を求め、お互いを「愛し、生かす」と

    いう意味も含まれているのです。

    そして一番大切なことは神に対する信仰です。

    日月神示は幸福の科学宇都宮正心館2階で

    満月に近い月を見ていたときのものです。

  • 2月19日に日本の少子高齢化のバラドックスについての記事を書いています。

    それから1カ月以上たちました。

    社会保障からみると

    財政面からみたら大幅な税収の増加ですので、

    少子高齢化のパラドックスは「人口、税収、人材」からみて、大規模な機械化と

    大幅な賃金アップです。

    2050年の肩車社会において、支える生産年齢人口を増やす努力の他、

    賃金のアップと消費を増加させること、日本は今、賃金アップに向かっています。

    経済面で国際的な観点を大事にしすぎた日本、脱出したほうがよいと思います。

    このように単純にいくことではない、でも必要なことだと思います。

  • 私のblogには「自由と繁栄」について書いている。

    「信仰」と「自由」はかけ離れたものか。

    信仰はその対象となる「神」がおられる。

    では神は何か。

    神は永遠である。

    神は何故、永遠なのか。人間が知り得た事象は最終的に

    「誰がこれを創ったのか」という問いに勝てないからである。

    この社会には「空間」と「時間」がある。

    人間が知り得た知識でいうこの世界を創造した神、

    創造神は永遠に流れる時間の中で人間を創造した。

    男女の性別を与えたのである。

    男性か女性か、わからない神ではない。

    創造神は人間そのもの、そして性別を創造したものである。

    宇宙に流れる神の法の中で、

    この地球も神性を宿した魂がその魂の向上を目指している。

    過去、歴史の中で人間は「信仰生活」から出て、

    「自由」を選択し、一人ひとりが思考し、創造する生活をしてきた。

    しかし、「自由」とは何か。

    その問いに答えたならば、そこに神を見出すことができるだろう。

  • blogを書いていると、時々悲しみが伝わってくることがある。

    以前、私のblogで書いたウクライナの悲しみ、それはチェルノブイリの

    悲しみだった。

    尽きることない悲しみを抱え、その土地を離れることもなく、生きる人々

    いつもいつも悲しみを抱えながら生きている、

    その悲しみが伝わってきたのだ。

    今、目の前に3本の道がある。

    目の前には等間隔に並んだ大きな2本の道があり、

    他の1本は細いが強く見える。

    今の時点では、その3本の道はやがて遠く離れていくように見える。

    でも、そうだろうか。

    大きな2本の道をよく見てみると1本には自由、平等、民主主義と

    いう文字が順不同に繰り返し、書かれている。

    もう1本の大きな道は平等、社会主義、そして自由、社会主義と

    順に繰り返し、書かれている。

    この2本の道だが、これは相容れないものだろうか。

    長い歴史の中でそれぞれが主張をしてきて、今最も近いところに

    いるものではないか。

    もし、そうでないと言うのなら、元々が違うのである。

    いづれも、良きところ、悪しきところはあるであろう。

    しかし、

    人類の実りを生かそう、そう考えるものはいないのか。

    そして3本目の細くみえる道は、よく見ると調和、発展と書いてある。

    人々がこの地球に共に生きる道しるべを現している。

  • ※追記 この記事を書いてから、ニュースで「民主主義サミット」の

    開催を知りました。どなたかお誘い下さいましたか。注目します。

    私は2010年から「自由と繁栄」について何度か、記事を書いている。

    主に自由主義、民主主義の視点である。

    2023年の今、どうだろうか。

    当時書いたものは既に過去のモノとなっている。

    自由主義とは何か

    民主主義とは何か

    社会主義とは何か

    宗教国家とは何か

    軍事力による国家とは何か(専制主義)

    時代は変化した。

    社会も国家も主義主張も変化しなくてはならない。

    神は言われる、

    「神は戦うことはない、

    人が人とその歴史の中で何を選択するかである」

    God say,

    [ God never fights.

    What people choose to do in people and history.  ]

  • 長年の私の研究について掲載します。

    三諦円融を知り、菩薩の境地について図式化したものです。

    2010年5月11日に「心の時代を生きる1」という記事があります。
    ここで再々掲します。

    仏道を求めるなら、仏さまを求めながら今の時代を生きていくことが

    大切だと思う。仏教のことばに「三諦円融」というものがある。
    そのことについて書いてみたい。

    三諦は三つの真理、
    「空諦(くうたい)」― この世の価値観から離れ、仏さまの世界(空)が

    あるという真理
    「仮諦(けたい)」― 仏さまの世界があるが一旦否定した今生きている

    この世(この世は仮の世、有の世界)があるのも真理
    「中諦(ちゅうたい)」― 仏さまの世界と今生きている世界と二つの

    世界があるという真理はあるが、それぞれの世界でそれぞれの中だけに

    真理があるのではない。その二つの中に真理がある。

    今の時代を生きていくには「空諦」、「仮諦」、そして「中諦」の

    三つの真理、それぞれの世界があり、それぞれを円融(妨げることなく、
    またそれぞれの世界を融合)して生きていくことが大切であり、

    その中で仏さまの意図を感じ取っていかなくてはならない。

    仏さまが見ている世界があり、現実社会の事象を見つめ、そしてその中に

    真理を見つけていく。

    仏さまは愛であり、このときの愛はそれぞれの人がそれぞれの人の悟りを

    得て、心の向上を目指すことにある。
    そしてこの個人の心の向上が社会に反映していくことが大切。

    仏さまの意図を感じ取って、または仏さまの意図にできるだけ添って

    今の時代を生きていくことが大切であるとそう思う。

    2010年8月13日に「心の時代を生きる2」を続けて再掲します。

    何度も泥中の花について書いているが蓮華の花は仏教の言葉で

    「上求菩提下化衆生」につながっていくと思うと書いた。

    インドの頃の僧団では心の修行を行い、自らの悟りの向上を目指し、

    仏さまに近づいていき、悟りを得ることを修行としていた。
    インドの時代は階級があったので上下という表現だが、仏道修行者は

    自らは仏さまを求め修行をしていくが、一方では衆生に仏法を伝え、

    悟りの道に導いていくことが大切だった。

    泥中の花はインドのお釈迦様の時代に仏道を求め、心を磨き、清らかな花を

    咲かせることが大切というものだと思う。

    心の時代を生きる1では「三諦円融」、
    あの世とこの世があり、心の向上を目指し、その中で仏さまの意図を

    感じ取りながら生き、そしてそれを社会にも反映していくこと、

    仏さまの意図に添って今の時代を生きていくことが大切であると思うと

    書いた。

    インドのお釈迦さまの時代から年月がたち、学問、教育がある時代、

    そして情報社会に生きる私たちにとって「心の時代を生きる」とは

    どんなことか、それには仏さまはいったいこの社会をどうみて

    いるのかと考えてみることが大切だと思う。

    本来、仏さま、神仏の目は

    この世とあの世の全てを見つめている存在である。
    現代社会であの世の存在を知りながら、神仏と一体になって神仏の目で

    見たらこの世はどう見えるか、
    「どうしたら多くの人が幸福に生きることができるか」を思い、それを

    社会に反映しながら生きていくことが大切であると思う。

    「 泥中の花は自分を磨き、きれいに咲くが、
      泥も根も暗闇の中、もがきながら一生懸命に生きている。
      泥も根も心のどこかで花にあこがれ、花になってみたいと
      思っている。 」

    仏さまは蓮華の花のみではなく、その泥も根も暗闇の中で迷っている、

    その姿を見つめている。

    また葉があり、花が終わって実になろうとするものもある。

    その全てに仏性が宿っている。
    そして空気があり、太陽の光がある。
    その環境の中で仏性をもつ泥も根も花に向かっていくには

    どうしたらよいか、幸福になるにはどうしたらよいか、

    そう考えていると思う。

    仏道を求める者よ
    蓮華の花を咲かさんとするものよ

    神仏の存在があり、そして永遠の生命があることを
    多くの人に伝えてほしい

    そしてあなたがたのその悟りの力で
    この世の多くの人々を幸福に導いていってほしい

    それは泥中に咲く蓮華の花が自らが花を咲かさんとして
    努力してきた道を伝え、また目の前にいるその人が
    自らの過去世の修行の姿であると思い、導き、

    そしてその人の花を咲かす手助けをする姿である

    それが菩薩の境地である

         Master of Master


    これは現世に自らが花咲かせようとする地湧の菩薩の境地、

    世のリーダーの境地である。

    大いなるものへの信仰のもと、自らの心をつかみとり、自他共に

    心を大切にし幸福な世界を築かんとするそういう心の時代を

    生きることだと思う。

  • 本日のニュースで、幸福の科学大川教祖が死亡しましたと聞きました。

    と、言うことで少し、関連していることを書いていきたいと思います。

    私自身ですが、彼は以前から神々から怒りを買っていたので、

    感想はこれで良かったと思っています。もっと強い感情ですが。

    冥福?誰の?逝去?誰の?

    因果の理法が成り立つのは、死後の世界があるからです。

    死後、清算してください。

    神からのインスピレーションです。

    2023年2月11日 「幸福の科学、今後、彼らにとって衝撃的なことが

    起きる、それは天罰である。」「これからは急成長を遂げてきた姿を

    見ることはないだろう」

    ここ数年は、お家騒動で何度も何度も形を変えていく。

    とは言え、私は関係者でも何でもないので、これ以上書く必要は

    無いと思います。

  • 私のblogは2009年9月に書き始めました。

    その内容には私個人のことも、たくさん含まれています。

    人に聞かれたくない、書きたくない内容も書いています。

    一方で神は私に、神の言葉をくださいます。

    そしてそれにより、攻撃を受けて死んでしまうくらい苦しんでいると

    「愛している」と言葉をくださいます。

    「私は何も悪いことはしていない」という人がいます。

    私が人生の中で様々なことがありながら、神の言葉を聞くことが

    できることに対して、自分は何も悪いことはしてないから、

    神に優先されるべきではないかという意見だと思います。

    この話の先は、私が神と共に説いた法を無断で取っても良いのだと

    すり替えが起こります。

    「神よ、私は信仰深く、善に生きたのに何故このようなことが

    起きてしまうのでしょうか」と与えられないことを嘆くということは

    どういうことか、過去の歴史で聞いているとおりです。

    こんな私が何で神の言葉を聞くことができ、言葉をいただけるのだろうかと

    いうことですが、私は過去、1991年より前に、神の意思の下で人生を

    見直した経験があるからです。

    神は全てをご存じで私に言葉をくださいます。

    そして後々のことですが、それは救済力と浄化力に変化していくと

    聞いています。

    文献にはあまり載っていないと思いますが、弥勒菩薩とはそういう菩薩なのです。

    他人の悪いところばかり探して、弱みに付け込む。

    そういう他人を無き者として、ユートピアの中には入れない、

    自分の存在が在るように、他人の存在も在り続けます。

    殺人でもしなければ、無くなりません。

    そういう世界は救済力の全くない、選民的な、自分たちだけが

    生き残ればいいというユートピアだと思います。

  • 日本の少子高齢化のパラドックスについて

    先日、この内容でtwitterを2ツイートしました。

    2月15日

    「少子高齢化のバラドックスについて、財政面から「人口、税収、人材」で

    書いてみたいと思います」

    2月14日

    What’s the paradox of the declining birthrate and aging papulation? It’s an economic perspective , but it’s a theory without any backing. Wouldn’t that be nice a large mechanization and big wage increase? Do you thlnk I’m stupid?

    少子高齢化のパラドックスとは? 財政的な観点ですが、裏付けのない理論です。大規模な機械化と大幅な賃金上昇はどうですか? バカげたことですか?

    日本の少子高齢化のバラドックスについて、財政面から

    「人口、税収、人材」で書いてみたいと言いましたが、前日に既に

    少子高齢化のパラドックスは少子化を解消するだけでなく、

    大規模な機械化と大幅な賃金アップですと解答を書いています。

    これについて興味関心を寄せてくださった方が多いように思いますが、

    以前のblogを読んでいた方の中には、また自動書記なのではないかとか、

    誰かのモノを使っているのではないかとか、いろいろな憶測が出た様に

    感じます。

    現在の私はblogを書き始めた頃のように体は丈夫ではなく、また仕事に

    より、非常に多忙です。いつ、作業に取り掛かろうかと思っていました。

    そこで、財政面から見た少子高齢化のパラドックスについて、

    私がこの内容を記載するのは1カ月くらい先にしたいと思います。

    我こそはと思う方はぜひ、この内容について日本社会や国に

    提示していただければと思います。

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