•  「仁」とは何か
     絶対なる宇宙の法に帰結する。
     宇宙の力に逆らうものに仁無し。

     人の器とは
     人の器とは、その時々の器ではあるが、
     その人が一歩進めばその分だけ
     大きくなるものである
            

     生きるとは
     生きるとは
     日々を至誠をもって生きることである。

                  1990.8.1

    仁とは何か、
    netで調べるとどうでしょうか。
    中国思想の「五常の徳」のひとつであり、
    孔子の中心的な倫理でしょうか。

    孔子は「仁」を大切にしました。
    真に孔子の思想を説くものに「仁」の無い人は
    いない、そういうことであると思います。

    孔子はこの世に生をもった時代の現象と共に
    宇宙の成り立ち、宇宙に張り巡らされた法を
    その身で感じ取っていました。
    そういう者は神の厳しさだけではなく、
    神の愛が何であるか感じ取ることも
    できるのです。

    神の愛を感じる者にとって、
    「仁」は神の愛であり、「仁」を大切にし
    体現するものは神の愛を体現しようとする者、
    そういうことになります。

    いや、自分はそうはなれないだろうと
    いうことではなく、
    自らの「器」というものは、
    大きくしたいと思い努力をすれば、
    それに応じて大きくしていくことができます。

    しかし、その為しなくてはならないことは
    日々、至誠に生きるということが大事な
    人として生きる道であるということです。

    孔子の思想を重んじる方は
    この世的な価値観からいったん自らを
    切り離して自らの生きる道を
    整えるということが大切であると思います。

  •  *日記です*

    今、身近にある私の日記のはじまりは

    「からからまわる糸車、
     因縁因果、善因善果、悪因悪果」
              1990.7.8

    というものからはじまります。

    この世を創った神がおられ、この世には
    神の法があり、因果の理法があると
    私が悟ったしばらく後からのものです。
    悟ったときの日記は現在不明です。

    因果の理法を悟ると共に
    もうひとつ悟ったことがあります。

    それを表わしているのが
    「人は苦しむために生まれてくるのではなく、
     向上する為に(または救いから向上へ)
     生まれてくるのです」
            1990.7.18

    ついでにこのblogの始めのころに書いた
    芥川龍之介の「蜘蛛の糸」についての内容を
    書いてみたいと思います。
    私が芥川龍之介の本を読んで夢中になったのは
    小学校高学年くらいの頃でした。
    それ以降は読んだことはありません。

    1990.7.25
    「蜘蛛の糸より
     どんな罪人にも慈悲の心がある。
     それにより人間は神仏に救われ得ること。

     しかしまた自分ひとりだけ良い目に遭おうと
     するエゴイズムが結局は他の人々を
     救われないものとすると共に自分をも
     破滅させる。
     
     カンダタの心には個我の心があった。
     彼は向上し正義の道へ入ろうとする
     真面目な願いの奇跡的な力を知らなかった。

     それは蜘蛛の糸のように細いけれど、
     数百万の人々を運ぶことができる。
     そしてその糸をよじ登る人が多ければ多い程、
     その人の努力は楽になる。

     しかしその過程でいったん人間の心に
     「これは私の物だ、正しさの幸福を
      独り占めしてこれは誰にもやるまい」と
      いう心が起こるや否や、糸は切れて人は
      元の個別の状態に堕ちてしまう。
     利己主義は呪いであり、真理は祝福である。

     地獄とは利己心(エゴイズム)の心に
     他ならない。

     
     今日この話をなぜ書きたかったかというより
     本日ここに記事を書きたかった内容は、
     あっと若い頃に私に不倫の噂があったのは
     このblogに書いているレイプ事件と同一です。
     彼は全てを私のせいにすりかえました。

  • 2015年、新年の言葉です。

    伊勢神宮、天照大御神からではありません。
    Master of Masterからです。

    「日本と世界の祈りの年」
    This year is ” Prayer of Japan and the world “.

  • *日記です*

    diaryに書いたとおり、新年は
    伊勢に行きました。
    いつも強行軍を組んで行きますので
    かなり心身の負担が大きいのですが、
    今回は雪で時間がかかりました。

    参拝の順番としていつも外宮から参ります。
    鳥居を入る前に一礼して境内に入ると
    そこから別世界に入っていきます。

    外宮 2015.1.2 p.m.

    内宮 2015.1.2 p.m.

    五十鈴川橋 2015.1.2 p.m.15.25
    この写メは掲載を別ページにしようと
    思いましたが、同じ境内なので
    このページの最後に載せることにしました。

  •   *日記です*

    今年の初めにも書きました。

    2010年の年の初めは「日月神示について」
    この年の終わりは「宇宙の法」でした。

    2011年は「神性の向上を目指す」で始まり
    この年の終わりには「愛と正しさ」という
    二つの価値観が大切であることを
    書きました。

    2012年の年の初めは「浄化の年」で始まり
    この年の終わりには「ascension2012」を
    書きました。

    2013年は「信仰の年」で始まり、
    年末は「God is love」を書きました。

    2014年は「激流の年(Raging stream)」で
    始まり、年末は書いていません。

    なぜ、書かなかったかですが、
    私にとっても今年は「激流の年」であり、
    昨年末から身近なある人とその仲間達によって
    この人たちの不都合を自分達の都合の
    良いようにする為に意図的に私を破壊された為に
    なかなかブログを書くことが
    できなかったということがありました。
    結果、多く社会の為に書きたいと思ったことを
    書くことができませんでした。

    来年はどんな年となるでしょうか。

  • Miroku shows God

    Master of Master say、
    Master EL say、
    そして神々が言われます。、

    幸福の○○が今回のように不認可であろうと
    これから何か弾圧があろうと
    それにより神々が怒り、
    天変地異や災害が起きることはありません。

    彼らには神の世界、この宇宙の大調和が
    いかなるものかわからないからです。

    今、地球規模で混乱と災害の多い時代に
    突入してきています。

    彼らが神を軽んじることは
    神の世界では許されないことです。、

    社会を混乱や破壊に向かう言動を
    繰り返していること自体で
    より社会や世界に
    混乱と災害を招くことになるでしょう。

  •  Miroku shows God

    私の言葉で書きます。
    Materから書きなさいと指示です。
    ナンバーは後ほど入れます。

    教祖の代わりの霊能者がいます
    ghost medium
    村○さん、
    そしてもうひとり。

    教祖の能力をカバーしています。

    ghost writer
    読んでいませんが、
    “永遠の○○の世界”は
    どなたが書いたのでしょうか。

  • 幸福の芽のブログを書き始めて
    5年の歳月が過ぎました。

    私にとって時の流れが早かったかどうか、
    濃い時間を過ごしていたように思います。

    私は多くの人の為に様々な視点から
    「幸福の芽」を書いてきましたが、
    法だけ取ろうとするたくさんの人と出会ってしまい
    非常に残念です。
    もちろんそうでない方もおられますが。

    このブログは最初から私の神、
    Master of Master(Sun God)と共にあります。

    本日、Masterから書き始めてから
    5年たつことを告げられ、振り返りました。

    Master of Masterは言われました。
      
    「 神とあなたが説いた法を取ってあなたを
      否定するのは、あなたに法を説かせている私を
      否定しているということだ。

      それは神に対する信仰が無いという行為である。

      神の法を取って信仰無くば、それは
      重い罪である。
      あなたを否定するのも重い罪である。       」

  •  今年2月に雪を通り抜けて出雲大社にでかけた時、
    私にとってたいへんショックなことが起きました。

     私は今年1月2日にこのブログで
    私と天之御中主神の来世について書いています。

    「 Divene Origin Messengerについて 2014.1.2」

    http://blog.goo.ne.jp/mai77337733/e/67a25f473f28c72ddc6dfa927f674fef

     昨年11月3日に出雲大社に参ったこと、
    そして遠くない未来の来世、共に生まれる予定を
    立てておられることを書いています。
    この時のブログに書いていませんでしたが、
    今世私が生きている間に世界が安定した社会が
    築けるところまでいき、私の命を終える計画を
    立てていました。
    そして来世、天之御中主神と共に生まれる時は
    残念ながら非常に荒れ狂う天変地異の中、
    救世の法を説く計画を立てていました。

     ところが2月16日に再度出雲大社に出かけたときに
    Master of Masterはそれを許さないと言われました。
    道中の時間でほぼ24時間くらいは対面して
    話をしていました。
     結果、Divene Origin Messenger
    (アメノミナカヌシノカミ)と私は
    ずっと先の未来に出会うことになり、そして
    それ以降、天之御中主神は多く話すことが
    なくなりました。
    1月2日に書いた内容は1ヶ月で消失してしまいました。

    そしてMaster of Master(Sun God)は
    言われました。
    「 あなたは私のものである」と。

    同時に今世私が生きている間に世界が安定した社会が
    築けるところまでいき、私の命を終える計画は
    無くなり、荒れ狂う社会と天変地異の世の中は
    来世でなく、今世その激流の中に入ります。
    まさに新年の言葉「激流の年」を向かえています。
    私の邪魔をし、私が神の世を創ことの邪魔を
    するものがいつまでも目覚めず、
    そして次から次へと邪魔をし続け、
    神と私の法を盗り、神を蔑ろにするからです。

    そして今、
    3000年後の未来も変わりつつあります。

  • もう数年間になると思いますが、
    災害が多発しています。

    私のブログは神仏について書いてきています。
    神仏からみて災害はどう見えるか。

    まず、雨風があるのは地球の自然現象です。
    今、私は多くの桜の木と蓮に囲まれて過ごしています。
    桜も蓮も必要があると私に語りかけてきます。

    強風に煽られる蓮をみて痛々しいと思いました。
    蓮は言いました。
    「揺れるのも自然」
    強風に耐えてそれを受け止めるのもこの地球の自然の中で
    そして時間の流れの中で生きているということです。
    以前書きましたが孔子が雨が降り、それが通り過ぎるのを
    静かに待つという心境、こういうことが
    時として必要であり、いつでもあり得ることです。

    人生の中でも嵐の中でイノベーションをかけ、
    駆け抜けるということもあるでしょうが、
    起きる嵐によっては静かに受け止め通り過ぎるのを
    待つということもあると思います。

    しかし、雨風も災害になるとそれでは済みません。
    神仏からみたらどうか。
    地球という大きな環境の中で時間の流れの中で
    多くのものを育んでおられる。

    また人も様々な環境の中で多くのものを育み、
    発展を目指す心が大切であると。
    (育むのを忘れた?)

    東日本大震災の時に書きました。
    起きる災害に神仏の思いはどこにあるのか、
    その意味を見出す、考えざるを得ないことです。
    「 maitri diary 2011.3.31 予知について 」

    神仕組みは幾重にも重なっています。
    個々について何かしら意味があるのは個人の悟りと
    して一人ひとりが神仏と対面して長い時間をかけて
    悟るものであると思います。

    東日本大震災の時の神仏の真意はまだ書くことが
    できません。
    その環境で影響力の高い人の思いが関係あると
    いうことは確かにあります。その環境というものも
    地球が、一国が、地域が、組織が、
    またその組織の一部が、ということを鳥瞰的に
    見つめることができると神仕組みのほんの一部を
    知ることができるのだと思います。
    (最近私の身の回りに起きたことについては
     神仏にお聞きしたところ、トップの方がと
     いうことではありませんが、全体として正法、
     真理が広まることを邪魔をしたということは
     ありませんか?)

    目的のある祈りは大切です。
    祈りをあげると人はそれを確実に
    遂行しようとする力が本来湧き出てくるもので
    あると思います。
    また、起きること免れないならば大難を小難に
    変えていくのも祈りです。

    このように書いている私も日々祈り、
    神仏に日々思いを向け、思慧を重ねている、
    決して通りやすい道を歩いている訳ではありません。

     

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