• この題名で長く書くものはありません。

    私を攻撃している、
    王宮でハーレムを作っている幸福の○○は
    偽仏陀であり、偽キリストです。

    もちろん、その弟子達も
    偽仏弟子であり、キリストの使徒ではありません。
    彼らワールドの中にいます。

  • Real of Golgotha

     ユダヤ教 Judaismのメシアと言われた Jesus Christ。

     その教えはユダヤ教より個人的な悟り、社会的な価値観の面でも
    高い思想でした。
    神がおられること、隣人への愛の教え、人はその生まれによって
    差別されるものではないこと、愛によって社会を形成すること。

     宗教としてのパラダイムシフトとしては個人の戒律を
    基礎に社会の形成をし、そして社会、人類への愛の思想への
    シフトアップです。

     それ故にユダヤ教の神官たちはその教えの内容については
    認めざるを得ないものでした。
    彼らの神性が大きく揺さぶられ、そして自らの身の置き所が
    崩れていくことを恐れました。
    まただからこそJesusに嫉妬もしました。
    そしてその存在さえ無くなれば自らがまた高みに上がれるとも
    考えました。

     権威が絶対の社会で権威の外でメシアが法を説く時、
    為政者や多くの権威者は自らの身の置き所がどうなるのか、
    右往左往しました。

     その教えが広まるにつれ、その法が我が物になれば自分が
    メシアになれる、自分では生み出した法では無いが、
    その法を説く者が居なくなれば自分がその法を説くことで
    メシアになれる、そう考える者もいました。

     イエスJesusが説いた法はマリアMary Magdalen居なくて
    完成するものではありませんでした。
    それはマリア自身の愛と悟りの深さでもあり、Jesusが神と
    繋がる為にマリアが大きな役割を果たしていたからです。
    男性優位の時代にJesusの周囲に集まった信徒は女性が
    優位になることを認めませんでした。
    なんとか自分より悟りの高いMary MagdalenをJesusから
    引き離し自分たちの身をJesusの近くに置きたいと考えていました。
    悪い噂を流し、Jesusの近くに身を置くに
    ふさわしくない人間である、法を説くにふさわしくないと
    口々に言いました。
    ダビンチコードにもあるように、最後の晩餐の絵画には
    その風景がよく現れています。

     ユダJudahは己自身を最も愛した人間でしたが
    その心は嫉妬に狂い、
    Jesusを自分のだけのものにしたかったのです。
    本当に自分だけのものにしたかったのです。

     イエスJesusもマリアMary Magdalenもこれらのことは
    当時全てわかっていました。
    この神の法を広め、神の子である多くの人々が未来に向かい
    幸福に導かれるにはどうしたらよいか、そう考えていました。

    そしてはゴルゴタの丘があるのです。
    続きをいつか書きましょう。

  • このblogに仏教について書いた時期がありました。 
    初めの頃です。
    これもこのblogの「テーマ」のひとつです。

    全てのものに仏性が宿っている。
    「一切衆生悉有仏性」
    仏性とは神仏とは何かということに繋がっている。

    仏性、
    現在「悪」と見えし者にも仏性があるが、
    その仏性が何かの要因で捻じ曲がっている、
    または仏性として現れるものの逆のことをやっているが
    元には仏性がある。
    そういうことがあります。

    仏教の悟りとは他者の介入するものではありません。
    自分と仏との相対峙したところにあります。
    悟りにもそれぞれの深みがありますが、
    私が思うところでは神仏への確信の連続であると思います。

    自分の存在を誇示しそこに仏性を見出そうとするのは、
    子供の頃の話ではないかと思います。
    神仏と私(自分)というところには調和があります。
    この調和も「皆と仲良くしよう」という子供の頃の話では
    ありません。

    悟り、enlightement
    それには重なる神仏への確信と深さがあります。

    全てのものに仏性がある。
    神仏と私(自分)と対峙しているところに、
    その仏性は輝き、ひとつひとつに仏の意思を感じます。

    Let’s try.

  • *日記です*

    full moon.

     朝の陽を
      その身に受けた
       桜(はな)玉が

     輝き放ち
      天地を結ぶ

  • アラブの春より世界各地で民主化のデモが
    みられます。

    あれから4年、
    ここ最近のデモは民主化によるものばかりでは
    無くなりました。
    東アジアや世界でもそれはみられます。

    デモを行う時にリーダーは
    民主化 ” Democracy “を明らかにすべきです。

    現在のウクライナの問題は簡単ではありません。

  • 題名より2日早く書いています。

    日本に3.11の災害が起きて3年、
    私は震災の最中、blogを書き続けました。
    過去、大きな震災の最前線でボランティアに
    出ていた私はこの時、私の身体上のことで
    現地に向かうことができず、
    あの時、blogを書くことが私の使命として
    生活の最優先として書き続けていました。

    報道から流れる苦しみの思いを受け止め、
    そしてその時、私にできることを
    できる限りやろうと多くの時間を思慧に使い、
    blogを書き続けていました。

    あれから3年、
    日本は「絆」を合言葉に復興へ向かいました。
    「絆」とコミュニティについてです。

    「現代のコミュニティ」は最初に書いたように
    このblogのテーマのひとつです。
    「現代のコミュニティ」は実は私が社会福祉を
    学んだ時に私のテーマであると確信した為に
    このblogのテーマにしたものです。

    経済と福祉とコミュニティ、
    世界では狭義では社会福祉は
    個人に対する福祉ということがあります。
    特に社会主義国家では
    個人の福祉として捉えられています。
    家族は夫婦であり、子供が独立しています。

    では自由主義ではどうでしょうか。
    家族より個人の自由を追求しているということが
    あるのではないでしょうか。
    今、世界に進んでいるグローバリズムでは
    どうでしょうか。
    昨年、ある東アジアの都市の福祉の
    取り組みについてお話を聞く機会がありました。
    私はコミュニティについて質問をしました。
    新興国として台頭したこの国家では
    福祉、信仰についてもはや自由主義国家と
    変わらないと思いました。
    経済が繁栄し、核家族化が進んでいました。

    もとに戻りますが、
    日本は3年前の大震災後、「絆」を大切にしました。
    「絆」の基となるものは「家族」であると思います。
    日本の近代の歴史は「家族」という絆を大切に
    築いてきたものではないでしょうか。
    近代の日本経済の原動力となったものはその形は
    見えなくなっていますが、家族であったと思います。
    日本の経営の考え方の元は「家族」という単位であり、
    Mr.Druckerもそれをよくよく知っていたと思います。

    3.11日本発、世界へ
    現代の日本について言えば、不足していると
    思いますが、日本が見つめなおし、
    経済そして福祉に「家族」としての価値観を持つことの
    重要性を今年、この日に書いておきたいと思います。

  • グローバリぜーションが進む中、
    新興国が台頭してきている、
    経済的な見方によってはそう捉えられるでしょう。

    今や経済大国になったChinaはいつ、
    愛を語り始めるでしょうか。待っています。

  • 現在のグローバリゼーションはそのままですと
    世界に新自由主義を展開するということになります。
    経済としての話です。

    しかし、今この時代、
    これだけ経済、文化が広まった時代に、
    社会福祉の理念が全世界に広まっていく時代に、
    グローバリゼーションに愛が無くてどうでしょうか。

    グローバリゼーションと愛、
    それはグローバリゼーションが新自由主義ではなく、
    自由と愛を理念として進み、世界平和を祈るものでは
    なくてはならない、そういうことであると思います。

    グローバリゼーションと愛の社会、
    それは自由と繁栄そして愛の発展の姿です。

  • 「神国日本を創る」~大国主大神

    以前天照大神からも同じinspirationを頂いています。

    2/16、この日は関東の降雪がひどかったのですが、
    私は雪を通り抜け、出雲大社に参拝しました。

    出雲大社で祈りに入ると、大国主大神による
    「神国日本を創る」という力強いinspirationがありました。

    道中は問題なかったのですが、今回の祈りには
    邪魔が多く入り、審神者(サニワ)に時間がかかりました。

    審神者を行うという行為を常にする者にとって
    完全憑依で霊言というものは難しいものだと思います。
    私ができないかと言われるとそうではありません。
    私はトランス状態になることはありません。
    通常の意識の中で意識が二重、三重に
    なるようなイメージで霊媒となることはありますが、
    長時間そうなることはありません。
    審神者の意識が強いためです。

    前置きが長くなりました。

    「神国日本」というとは神風が吹く国とイメージを
    するのでしょうか。

    「神風」、確かにそういうこともあると思いますが、
    では神風が吹く日本の国の国民が全く神に無関心であったり、
    神を蔑ろにしたり、偽りの神を名乗る者が台頭しているようで
    あるならば日本の神、神々はどうするでしょうか。
    国を変えたいと思うのではないでしょうか。

    「神国日本」、
    それは神の国を世界に示すということのみではなく、
    日本の国民の神の国へのパラダイムであり、そういうことで
    「神国日本」を作り、示すということになります。

  • 幸福の○○教団様

    私はあなた方のような霊言を行って天から
    全てをもらおうとしている人たちと違い、
    私のblogに説かれていく法は自助努力の結果です。

    主ELは教団の神ではないでしょう。
    主ELはblogに書いていく私の法を褒めてくださり、
    Master of Masterも私が説く法を
    褒めて下さることが多々ありました。

    私の法が教団の法だと言いたいのならば、
    あなた方の教祖はいったい何者なのでしょうか。
    その教祖が説く法を法としているあなた方は
    いったい何者なのでしょうか。

    私が説く法があなた方の教団の法と言うのならば、
    あなた方はおかしな教団のおかしな人たちでしょう。

    T.Mさんも私にとっておかしな方です。

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