• 忘れなくていいからその悲しみを
    抱いたまま今日を生きよう。

    天上の世界に還ったあなたの愛する人は
    あなた方の悲しみの姿を見ています。

    「 苦しくない、痛くない、寒くない、大丈夫。
      だから安心して、そんなに苦しまないで。 」

    突然のことに
    最初は怖かったのです。苦しかったのです。
    痛かったのです。寒かったのです。

    天上の世界へ還ると非常に大きな光の中で
    時間をかけて本来の苦しみのない世界の
    住民になります。
    先に還った人々に会うこともあります。

    「 ねえ、心配しないで、大丈夫。
      ずっとずっと苦しかった訳じゃない。
      あの時、あの一瞬のこと後悔しないで。

      天国から見ているから。
      いつかあなたが天寿を全うして
      還ってきた時に、
      懐かしむ日が来ることを知っているから。 」

    だから、一日一日を大切に今日を生きよう。

    もしご家族やご親族の霊が身近にいるように感じ、
    天上の世界へ還っていないと思われる方がおられましたら、
    あなた自身があの世があり、天上の世界があると
    強く思い続けてください。
    その思いがやがて霊を天上界へ押し上げていくでしょう。

  • 今まで現代のグローバルスタンダードを経済や雇用などの
    面から書いてきていました。

    福祉は広義の福祉と狭義の福祉と言われると思いますが、
    今日は狭義の福祉の意味合いで書いていきます。

    このブログに以前書いた「泥の中に入っていって光る石を
    見つけるProf.様」に福祉で言われる「自立支援」の形から
    もっと社会に転換が必要なのではないか、自立支援から
    「人権と自立」に向かい、一つの方向をみていかなくては
    ならないと考えているということを伝えました。

    これについて回答はなかったのですが、
    この情報の時代に支援する側からみた「自立支援」という
    言葉を使うのではなく、支援を受ける側からもみて
    社会の一人として生まれ、そして社会の一員として何かを
    していくということを大切にしていくという意味で
    「人権と自立」を伝えたかったのです。

    一つの方向とは社会を共に生きていくということです。

    経済からみて弱者救済だけの意味で財政を考えるのではなく、
    経済から見て自立支援の形で財政を考える、
    そして支援を受ける側でも社会の一員としての自己を考え
    何かをやっていく、その人のできることをやっていくと
    いうことが今、非常に大切だと考えています。

    現代のグローバルスタンダードです。

  •    Miroku shows God 52

    「 人の不幸を望む信仰者よ

      これより後

      あなた方が他の人を傷つけたが如く
      あなた方は傷つき

      あなた方が他の人を苦しめたが如く
      あなた方は苦しみ

      あなた方が他の人から奪った如く
      あなた方は奪われ

      あなた方が他の人を嘲笑った如く
      あなた方は嘲笑われ

      あなた方が他の人を消し去った如く
      あなた方は死を迎えるとよい
     
      これは天罰ではない
      
      あなた方が望んだ姿なのだ

          Master of Master    」

  • 理想社会というとユートピア社会という言葉が
    浮かびます。
    もう随分前になりますが、「ユートピア」という本を
    読んだことがあります。
    私のブログに以前書きましたがこの本を読んで
    大調和の世界で時間が止まっていると思ったのが
    この時の感想でした。

    様々な宗教で理想社会が説かれていると思います。
    ユートピア社会は一人ひとりの心にユートピア価値観が
    確立していき「ユートピア社会」が現れてきます。

    未来の理想社会はもっと違う形になると思いますが、
    元なる真理は同じですので考え方やその方向性を
    知る、心に刻むことが大事です。
    現代の理想社会をそれぞれの心に築き、ユートピア社会に
    向かうことがこの現代に非常に大切なことです。

    今まで書いてきたところで大きな枠組みは
    調和の中で発展を目指していく社会、
    発展とは自由と繁栄を目指す社会、
    多様性を受け入れる社会、
    元なるものは神仏への信仰です。

    現代社会で今変革していかなくてはならないことがあり、
    継続的にこのブログにも書いています。

    理想社会はもちろん犯罪の無い社会ですが、
    しかし、犯罪にもよりますが罪があってもそれにより
    厳しい体罰があるものではなく、
    悔い改めることでやりなおせる社会でもあります。

    神仏は永遠の生命の中、私たちの魂の向上を目指しています。
    あの世があり、この世と転生している転生輪廻があるというのも
    前世いかなる人も改めてまたやりなおせるという世界観です。

    理想社会は一夫多妻制ではなく、
    夫婦共にユートピアの元になる家庭を築き、
    それにより地域へ社会へもユートピアが広がる、
    そういう社会です。

    そのために教育が大切です。
    心の価値観を築き徳ある社会を築くために
    徳知教育をすすめることが大きな基盤作りになっていきます。

  • ※20:55加筆、修正しました。

    自己保身の心は自分を守ろうとしてうそをついたり、
    誰か身近にいた人のせいにしたり、その環境にいる人のせいにしたり
    そうして自分を守ろうとする心です。
    または相手を無き者(亡き者)として自分を正当化しようとする心、
    自分を守るためなら積極的に人を害してでも自分を守る心です。
    非常に悪意があるもので、私はこれを「積極的な悪」と呼んでいます。

    以前、知って犯す罪と知らずに犯す罪とどちらのほうが
    罪が重いかと書いたことがあります。
    この時の知って犯す罪は自分が悪いと知っていて犯す罪、
    自分のことを悪者として認識し、そう思われても仕方ないと
    思っている人の罪、
    知らずに犯す罪はこれは因果の理法と関係があり、
    因果の理法で気づきがないとどんどん罪が重くなってしまうと
    いうことがあります。
    しかし、このどちらも悪としては「消極的な悪」となります。

    「積極的な悪」も「消極的な悪」もどちらも間違った行いですが、
    人を害しても自分を守ろうとすることは実は非常に重い罪です。
    日本という法治国家の中でもそういう内容が多く含まれていると
    思います。

    合わせ鏡は普通、二つの鏡で自分の姿を映し出して見るものです。
    ひとつの鏡で自分を映し、違う角度からもうひとつ別の鏡で
    自分の姿を映して合わせ鏡にして自分の姿を見る。

    相対する人は自分の合わせ鏡であるということが昔から
    言われていると思います。
    自分のしている行動を相対する人もしていて同じことを
    している自分の姿を現しているということであると思います。
    自分が気がつかないで相手の行動をみて自分の姿だと気づき、
    ちょうど合わせ鏡で自分を映し出しているように見え、
    行動を改めるということでひとつの悟りの縁になると思います。

    ここ数年も、それよりずっと長い長い期間も、
    私を悪者に仕立てようと裏で動きまわっている人たちがいます。
    私のブログにも時々、私に攻撃をしてくる人として
    書かれていますが、この人たちはなぜそのようなことをしているか、
    それは後ろめたさがあるからです。
    何もなかったら長い時間かけて追いかけてまで私を悪者に
    仕立てる必要はないでしょう。
    私が表に出ると自分たちの悪いことがばれてしまうという
    自己保身の心があるからです。そうでなければ長い時間かけて、
    そのような行動をすることはないでしょう。
    そしてそのような人たちは周りの人を巻き込んでいきますが、
    本人の前には現れません。

    私がこのブログの2010年7月に書いた私の人生を大きく
    変えてしまった事件の人もその人がもっと若い頃にそういうことを
    していた人で私は怖かったのです。
    私に罪をきせた人もいます。自分を守るために多くの人を
    巻き込んでいます。
    最近書いた「出会った人」もそうです。自分の過去の罪を言わず、
    私のことは自分に罪を着せられないように私の悪口を
    言いふらしました。私がこのブログを書き始める前のことです。
    長い年月、私を追いかけて悪者にしようとしています。
    そして「彼女」は私が「嘲てはいけない」と伝えた後、上の人を
    巻き込み、数年間の私の説得を無視してずっと私を排除し続け、
    彼や彼らから聞いた悪口を言いふらしました。「彼女」の妹が
    そこの所属で何をしたかも顧みることもなく
    私を悪く言い続けました。(主エルの指示で書いています)
    パンドラの箱を開けてしまったのはこのような心を持つ彼らです。

    自分たちが悪いと知っていて相手を攻撃し自己を
    正当化しようとする、
    その人たちの後ろめたさは相手を攻撃し無き者にすれば
    自分が正当化されると思って攻撃している。
    その心は醜く、攻撃をしている相手の姿を合わせ鏡で
    見ているように見える。この姿は・・。

    ではどうすれば良かったのでしょうか。
    まず、悪を犯さなかったら良いでしょう。
    人は間違うことがある、しかし、悔い改めることもできます。
    間違ったときに人のせいにして自己保身に入らないことは
    もっとも大切です。
    自ら身を整え、日頃においては「寛容さ」を身につけると
    いうことも大切なことだと思います。

  • ある宗教団体に過去世弥勒菩薩と言われる
    「女」(lover?)の方がいるそうですが
    私とは関係ありません。
    まさか、過去世の魂が霊界で私を指導しているなどと
    言ってはいないでしょうが。

    少し前に私の過去世について書きました。
    私の過去世は仏さまの時代、弥勒菩薩として
    転生しています。この時は男性でした。

    私のもうひとつのブログに
    2009.11.26「仏と弥勒菩薩の会話」
    2010.8.12「蓮みろくという名」というものがあります。

    私は最初のcallingから神仏より「みろく」と言われました。

    最初から私のブログの名に「みろく」を使いましたが、
    ブログを見ている人が本当にそうではないかと思えるまで
    神仏が私に名乗ることを禁じていたのです。
    そして2010.8.12神仏が「みろくでよい」と
    言われたということです

  • 現在言われている協定についてですが、
    本日、指導霊から現代のグローバルスタンダードに
    ついてのinspirationを頂きました。

    「 世界に打って出るということと
      様々な人を尊重するということと
      どちらかひとつを選ぶという選択肢ではない。
      
      なぜ、二つの選択肢があって片方しか、
      選んではならないかと考えるのか。
      同時に行うということを選ぶことだ。   」

    これは新自由主義と福祉の増進の両方を別々に
    とるのではなく融合していくこととが大切と書きました。

    元なるものは「人権」と「自由」
    「自由」からくる経済の成長と様々な国や人がいることを
    認め合い、両方同時に行っていくということです。
    この時の自由は「経済の自由」という新自由主義の
    既存のものとは違います。

    日本にどなたか交渉できる方が出てきてくださることを
    祈っています。

  • ここのところ因果の理法と私自身の悟りについて
    書いてきました。
    禅定について書いていきます。

    今までの信仰者そして精神修養として禅定する人は
    普通に考えて禅寺に篭もるとか精神修養ができる施設の
    ようなものに行くと考えるのではないでしょうか。

    これからの信仰者は精神修養とこの社会の中で
    生きていくことを両立させていく必要があります。
    個の悟りを得てそこに留まっていられません。

    個の悟りを得ながら社会の幸福を考えていくことが
    必要になります。

    私は「忙しい」という文字が好きです
    自分が忙しい時には心が亡ぶということを
    思い出させてくれます。
    またリーダーになってくると忙しい時にもっと
    たいへんなことが起きてくることなどよくご存知の方も
    多いと思います。私にとって日常茶飯事のことです。
    その対処方法はストレスを感じる前に瞬時に優先順位をつけて
    ひとつひとつこなしていくという経験を重ねていく必要が
    あると思います。
    その中でまたストレスが高くなると「忙しい」という文字を
    思い出すようにしています。

    そういう社会ですから日々疲労感が大きい中では禅定に
    入ることは困難です。
    日々、自らを振り返る時間を持つことが大切です。

    雑多な社会で禅定に入るには疲労感が少ない日に精妙な
    静かな環境を選ぶ必要があります。
    現代社会で生きているとこの世のものである体に日々
    様々な人の思い、念が張り付いていますので
    心を整え、心を安定した状態におくことが大切です。
    その為に疲労を除き、ひと時人との接触をできるだけ
    少なくできる環境を選ぶことです。

    このブログを書いている部屋は霊的な磁場を
    保てるようにしています。
    精妙な神の光に近いように感じる環境を選ぶことが
    大切だと思います。

    日々は自分を振り返り、時々そのような禅定の時間を
    取れるよう自分で設定していきます。
    このことについてはいつかもっと書くことが
    あるかもしれません。

    過去仏さまが僧団を作り、そこで長い時間禅定をし
    悟りを求めるということができましたが、
    その時は仏さまがおられたことと環境を整えていた為、
    自分の周りの人にあまり左右されず、ひたすら悟りを求めて
    心を整えていくということを行うことができました。
    現代社会はいかに修行の環境を整えたところにあっても
    他者の念が邪魔をすることや情報が氾濫した世の中でもある為
    個の悟りとして悟りを求めるだけに留まらず、
    他者や環境まで含めて正見を見極めていく必要があります。

    追加で因果の理法についてもうひとつ、
    相対する人が自分を害すると思った時、神仏はその人自身に
    気づきを与えていることが多く見られます。
    自分が悪かったという簡単な気づきだけでないことも
    多くあると思います。
    その中で神仏はそういう相手を排除したり、魔が入っていると
    言って切り捨てるのではなくそういう相手に
    いかなる愛を与えるか、知恵を学びなさいと
    言われているということです。

  • ※2/29追加しました。

    因果の理法と悪魔について書いてきました。
    そして宇宙大網のことを書きました。

    自らを省みて
    自分、相対する人、環境を神仏の心である
    正見で見ていくと
    「重々無尽」
    因果の理法が紐解け、人と人の関わりが大きな網の目の
    ように見えます。結び目が人になります。
    もっと大きく見ると人だけではなく、
    世の中の全てのもの、森羅万象が見えてきます。
    自分の仏性が解かり、相手の仏性が解かり、
    森羅万象にも仏性があるのが解かります。

    このブログの初めの頃に書いています。
    2009.10.25、10.26「山川草木悉有仏性」
    2009.11.3、11.16、11.17、11.18、11.19、11.22
    「依他起生」

    「真空妙有」
    私はこの言葉がとても好きです。
    縁起により真に「空」神仏の作られた世界を
    知ることでこの世が妙なる世界に見えてきます。
    この時神仏が愛であると解かります。
    自分が省みていた世界が神仏から見た世界となり、
    神仏の愛により気づきを何度も与えられていたり、
    自分の弱さを知ります。
    それをひとつひとつ丹念に見ていくと神仏の
    作られた世界を見ることになり、
    この世界がすばらしいものに見えてくる瞬間があり、
    非常に心の深いところから歓喜の思いがあふれてきます。

    「光明荘厳」
    そしてその世界から神仏の目から見たら今の社会が
    どうあるべきか、神仏の理想社会とはどういうものか、
    現在の環境がどうしたら良いのかという価値観が
    生まれてきます。
    その世界観が神仏の光明に満ちた荘厳な世界で
    あることが解かります。
    幾重にも重なり繋がる大網がそれまでただの網目に
    見えていたものが黄金に変わります。

    「利自即利他」
    因果の理法が紐解けると神仏の理想世界が解かり、
    自分が悟ったことで自分を変革し、また周りの人に
    とって良きことを積極的にしていこう、そうすることで
    神仏から頂いた愛をお返ししたいと思います。

    「抜苦与楽」
    社会変革を求め、多くの人に幸せになってほしい、
    神仏の心に合った正しさを知ってほしいという心が
    強くなっていきます。

    神仏は愛であるという私の悟りです。

    それでも一度は普通の生きたいと強く思う程の
    ことがありました。
    しかし、神仏はそうした私を許さなかったと
    いうことだと思います。

    ※2/29追加
     普通に生きたいと強く思い、巡り合った人がいますが、
     この人は私が努力して共に生きようしても仕事を
     しない人だとわかりました。私はこの人が後に仕事を
     して生きていくことができるような人と巡り会って
     ほしいと願いました。もうひとつ、私の悲しみを
     受け止めてくれると思いましたがそんな人ではなく、
     かえってその悲しみを私の弱みとして私を利用しようと
     するという「危険」を感じたからです。
     そして私はある会場で「正しさと愛と両方が大切」と
     言ったことがあるということについて、この人は
     この会場の主催者の内の人になりたかった人だったのに
     当時ボロボロになっていた私は辛くてその話をして
     しまったということがあります。 
     今何が起きているか、Master ELは私に明確に
     伝えることはありません。

     

  • 因果律、縁起の法、因果の理法言葉は違いますが、
    因果の理法について書いていきます。

    その前に私の悟りのことを書いていきます。
    以前、このブログの2011.7.17幸福の芽~mercyにも
    少し書きました。

    私は20数年前から「正しさ」とはどういうことか、
    ずっと考え続けています。
    そのひとつの答えが「愛と正しさ」です。

    もうひとつ根幹なるものに因果の理法があります。
    その悟りを得る前にはたくさんの宗教書(学者の方からみて
    わずかなものです)や自己実現の本を読みました。
    20年以上前です。6月か7月でした。
    この頃の日記はなぜか今手元に残っていません。
    1週間くらいの禅定と反省、法雨を流しました。
    ある時全ての因果が紐解け、
    因果の理法が根本神仏の愛であると悟りました。
    悟った時禅定に入っていて大宇宙と一体となったと
    いう表現ではありません。
    後になってからですが黄金に輝く宇宙大網を
    みたことがあります。
    宇宙の真ん中、中心の意識体が自分という存在を
    見つめている。
    宇宙の根源なる神と一筋の意識でつながったと
    いうことになると思います。

    因果の理法は神がおられること、
    正しく生きることが大切、そして周りの人との調和が
    大切であると心の底から確信させました。
    この時はまだたくさんの宗教の本を読み続けていて
    どこの宗教団体にも依らず、席をおいていない時です。
    その悟りで私は神に誓願をたてました。
    「神は愛である。神の役に立ちたいと思います。
     神の子である人々の役に立ちたいと思います。
     道をお開きください。           」
    神は何時でもこの誓願を忘れません。
    今では神は時々言われます。「あなたは私のものだ」と。

    この悟りの時は様々に人生を振り返りました。
    反省に正見が大切です。
    過去の理不尽な扱いに自分が悪いのに気がつかない
    のではないか、相手が自分を責めているがどちらが
    正しいのか、相手の言っていることに正しさがあるか、
    環境がどうなのか、神の心に合わせてどうなのか。

    因果の理法が紐解け、様々なことを整理し、
    私は神の御心にかなうよう陰徳を積みました。
    神はいつもいつも見ておられました。

    縁起、良いことをすると良いことがまた自分に
    廻ってくる。良いことをしたり、信心深いと
    幸せになれる。幸福になる道で日本人は
    この法を信じておられる方が非常に多いのでは
    ないかと思っています。
    ただ最近は継承できないという現実があります。

    因果の理法、善因善果、悪因悪果、
    良い結果を得ているのは良い原因がある、
    悪い結果が出ているのは悪い原因がある、
    この時の原因は現在、過去、過去世です。

    因果応報という言葉があります。
    因果応報とは結果論です。
    すなわち、この結果が出ているのは
    悪い原因があった、あるいは良い原因があった。

    この地球に様々な歴史があり、その時々の宗教が
    あった。過去は法の整備が整っていなかった。
    今現在世界は法治国家がすすんでいると思います。

    以下過去の日記です。

     「 因果の理法は宇宙の法である。

       因果は根本なる神が廻すものであり、
       それを人為的に廻すのは悪魔の所業である。

       なぜなら悪魔はそれによって積極的に人を害そう、
       殺そうとするが、
       神は愛故に、その人の発展を望むが故に理法を
       もって気づきを与えるものである。

       因果の理法は現象が現れて後、語られるもので
       あり、こうであったからこうあるのではない。
       こうなったのは過去こうであったが正しい神の
       縁である。

       つまり、人の弱みまたは悪しきことを見つけて、
       攻め立て殺さんとすることは悪魔のすることで
       あり、真実を求めることが悟りに至る道である。
     
                      1993.4.19   」

    因果応報という言葉を巧みに使い、見せしめと称して
    いやがらせを行うというのは社会的にないことでは
    ありません。悪です。その人たちの価値観のなかで
    恐怖を煽る独裁か、社会性の乏しいひとつの世界観を
    みている人々の中でみられることです。

    Master ELは言われます。

     「 あなたの法である。
       それで良い。   」

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