• リーダーとしてその組織の人間関係をどうするか。
    何かトラブルがあったときどう対処するか、
    些細なときもありますが、手間を取られることは多いと思います。

    ある人が一方的に相対する人の悪口を言ってきたら
    どう対処するか。

    組織ではなく友人なら自分の友人を
    大切にするということもあると思います。
    質の良い友人関係を築いているなら、多少厳しい助言を
    することもあるでしょう。

    私が今まで出会った良きリーダーは
    心に正義感を持ち、組織の中の人間関係のトラブルに
    中立的な立場で見つめられ、真実を見極めようとする方が
    多かったように思います。
    一方的な見方をせず、両方の立場を見て、調整を図り、
    トラブルを大きくしないことが
    また組織を守ることとになるのではないでしょうか。

    本日、思い出したことがありました。
    もう10年以上前ですが、
    このブログにも書いていますドラッカー氏の経営学にまだ出会う前に
    デール・カーネギー氏の「人を動かす」という本を繰り返し
    読んだことがありました。
    「人を動かす」ということはなかなかこの言葉だけで重みがあります。

    「人を動かしたい」(自分の良いようにしたい)と思っても
    人はなかなか動きませんが
    「人が動きたい」と思えるような環境下では
    人は自然と動き始めるのかもしれません。

  • 確か、子供の頃、絵本で読んだように思います。
    昔話、人の心が読める霊能者の話でした。
    いいかげんな内容になってしまいますが、
    書いていきます。
    どなたかご存知の方、いらっしゃるでしょうか。

    ある村に人の心が読めるおばあさんがいた話です。
    そのおばあさんのところに来たお客に
    おばあさんは「おまえは今、○○○ということを
    考えていただろう。」
    確か、お客はそうだと言って恐れたと思います。
    しかし、そのお客の前で囲炉裏端で栗がはじけたか、
    何か棒のようなものを折ってしまったものが
    そのおばあさんに当たってしまいました。
    人の心が読めるおばあさんがその木の切れ端が
    自分に当たることは読めなかった、
    そういう話だったと思います。

    実際、そういうことは多いと思います。
    人の心読めるという人は言葉として読むのでしょうか。
    それとも念で読むのでしょうか。(殺気でしょうか)
    言葉にならない思いを読むということもあると思います。

    私は積極的に人の心を読もうと思うことはほとんど
    ありませんし、そんな労力を使うことと時間が
    もったいないと思うくらいです。
    それより、神仏の思いはどうなのかということを
    常に考えていると思いますし、重要です。
    先日、私の知り合いが
    私が人の心が読めるのではないかと思って、
    念でことばを送ってみたという方がいました。
    念が弱かったせいもあるのでしょうが、
    全くわかりませんでした。
    しかし、肝心なこと、その人にとって大切なことは
    言葉にならずとも分かることがあります。
    方向性が救済なら、必要に応じて分かります。
    でも必要以外は知りたいとも思いませんので
    やはりわからないというが多いと思います。

    通常の言語によるコミュニケーション、
    その思いが分かっていても分からなくても
    大切と思います。

  • 「 主よ、
      主エルよ、
      
      この日本が神仏への信仰のもと
      復興いたしますように。

      主エルよ、  
      
      どうぞ、福島から広がった放射能が
      軽減致しますように。
      どうぞ、福島原子力発電所の問題が
      早期に解決の方向へ転換していきますように。

      神々の主エルよ、

      主エルよ、
      主がおられ、私たちがおります。
      主の存在なくして、私たちはありえません。

      主エルよ、
      どうぞ、福島原子力発電所の問題と
      放射能から私たちをお救いください。 

      そして今の政治の混迷から復興へ
      お導きください。

    主エルよ、
      心より祈念致します。        」      
     

  • この地球を内包している神、Master El、
    Master Elは人々が愛と正しさを追求していき、
    個性を持った様々な悟りの花を咲かせる世界、
    この地球文明をユートピアにしようという壮大な計画を
    たてられました。
    それは過去、現在の歴史の中で既に見え隠れしているものでもあり、
    未来に向かって築くものでもあります。

    あなたは神仏への信仰のもと、どんな花を咲かせますか?

    人々が生かし合い、ユートピア社会を築くという世界の中で
    どんな個性の花を咲かせますか?
    政治、経済が得意な方はユートピア社会の中、
    そういう個性を持った花を咲かせます。
    芸術が得意な方はユートピア社会の中で多くの人に
    感動を与えるでしょう。
    科学やエネルギーで新たなものを創造し、
    利便性に寄与するという方もおられるでしょう。

    何も得意なものはない、なんの取り柄もないという人、
    「あなたの笑顔が見たくて」
    「あなたと一緒にいるとほっとする」という人も
    なにも大輪の花ではなくても、
    清らかな花、温かみのある花を咲かせるでしょう。

    百花繚乱、あなたはどんな花を咲かせますか?
    Master Elはそういう花がたくさん咲くことを望んでおられます。

  • ※diaryから転載、編集しています。

    21年くらい前に覚醒してから私は根本神仏に対する信仰と
    畏怖の思いしかありません。

    今年の春先のことだったと思います。

    私への嫌がらせがひどくて悲しくて辛いと涙しながら
    Masterに伝えましたところ、
    「 私が一緒に泣こう 」と言われました。
    この苦しみをわかってくださるなら、
    耐えなくてはならないと思いました。

    つい先日、私への嫌がらせがひどく、
    また長引くので初めてMasterに伺いました。

    「 Master、
      この苦しみはMasterが私に与えたものですか? 」
      
    Masterは言われました。

    「 あなたは私の悲しみを知っているだろう   」

  • ※diaryから転載、編集しています。

    *日記です*
    もう随分前ですが、私は何年も男性恐怖症でした。

    近くに男性がいること自体が嫌で硬いバリアを作っていたと思います。
    だから男性の多い所にはいませんでしたし、
    接触もほとんどなかったと思います。
    ひどいことを言ったこともありました。

    今は普通だと思います。

    妙な話を書いていますが、本日、思い立ったので書いていきます。 

    今日、そんな男性恐怖症だった頃のことを思い出したのは、
    今現在、このままのこの人たち、
    男性として(人として)とても受け入れ難いと
    思う人たちと対面しているからと思います。

    私が男性恐怖症から徐々に抜け出していったのは
    「出会い」の大切さを知ったからでした。

    何人か、人が集まっていたとき、
    ある男性が最近の自分の話を始めました。
    その人の利他の想い、行動を聞いていてふと涙が出ました。
    身近にもこんな男性がいるということに
    驚きと感動がありました。

    その後、私はそういう人にもっと会ってみたいと思うように
    なりました。
    そういう人の話を聞いてみたいと思うようになりました。
    男性でも女性でもそう感じられる人の話を直接聞いてみたいと
    思いました。

    見た目ではなく、心で聞くことを大切にしたのは
    この頃からかもしれません。
    自分自身が共鳴し、感動する人に会える喜び、
    それを知ってから私は男性恐怖症ではなくなりました。

    良い「出会い」は人を変える力があります。
    それを自ら求めることも大切と思います。

    その後も私が危険だと思った男性に会ったと
    以前書いたことがありますが、
    一方で私は真剣に利他の思いを持つ人たちとの
    出会いやお話を伺うことで恐怖心を抱くことはなくなりました。

    そういう人たちとの「出会い」を今も大切にしています。  

  • ※diaryから転載、編集しています。

    信じていた人に裏切られた、尊敬する人に裏切られた、
    信じていたものの結果が最悪の事態だった。
    または信じていた教え、法が自分の仏性と相反したことを
    進めていくなどが起きてきた時、現実が受け入れられないことがある。

    心が壊れます。

    通常でも人間の成長過程、特に青年期の頃、
    自らの中で「正しさとは何か」を強く求める時期がやってきます。
    その時、本人の心が求めるものと全く反対のことが、
    つまり現代の言葉を使うなら大人の都合の価値観を
    強引に押し付けられた時、「心」が壊れることがあります。

    心が壊れたとき、一定期間を過ぎ取り戻せないと
    欲が非常に強くなるか、 または反対に生きる気力さえ
    無くなるということがあると思います。

    ひとことで療養をすすめますと書くにはあまりにも
    悲しいものと思います。

    処方箋として
    前者はしばらく混乱の環境と距離を置いてみる。
    時間を置いてみることが大切と思います。

    後者は自分の人生の責任は自分しか取れない、
    既に歩き始めているのですから
    その矛盾に「切れない自分」をできるだけ、
    自分自身の為に作ることが大切と思います。

  • ※diaryから転載、編集しています。

    いろいろなエネルギー源があると思いますが、
    例えば太陽光発電についてです。

    集光が第一段階、深く研究を進めるともう一段階、
    その奥に新たな発見があると思います。

    最も早く実用化する可能性が高いと思います。

    神仏への信仰を心に持ち、
    今、人のために力になりたいと思っている方、祈りとともに
    進められる方おられませんか。

    今までと同じ発想ではありません。
    既存のパネルほどの面積はとりませんが、
    面積当たりのコストはその分割高になると思います。
    そういうイメージです。

    グローバルスタンダード、
    まず、自国の力を使うことが 各国大切でしょう。
    共同ということもあります。

    そして他国に介入する前に自国の開発をすすめることが
    大切と思います。

  • ※diaryから転載、編集しています。

    精神的に病むこと、さまざまに考えられますが「病因」と処方箋です。

    多くは自己認識と社会の評価の差を認識したときに生じます。
    個人がその人の価値観の中だけで
    生きていた時はわからなかったものですが、
    ある時、社会の中で現実的に自己評価を突きつけられたとき、
    「現実を受け入れられない」ということがあると思います。

    そこで「心」が不安になり、この不安な時期を通りすぎると
    「こんなはずはない」「これは環境が悪い、社会が悪い」と
    自己を肯定し、社会を否定します。
    または「誰かが自分を攻撃する」と考えるようになります。
     
    「被害妄想」による自己の拡大か
    「誇大妄想」による自己の拡大をして
    無意識のうちになんとか心の不安を安定させようとします。
    それが社会的な中でなんらかの行動となって現れます。

    受け入れ難い現実に「心」が不安になり、この不安期の中で
    現実からの逃避ということもあります。
    若いときは現実を受け入れられず、
    本来の本人の個性を持った魂が後退し、
    多重人格の様相を現すと思います。
    高齢者の場合の重度の認知症状が
    突然出現する場合もこれに該当すると思います。
    憑依現象のひとつです。
    本人魂が優位に立てないということがあります。

    処方箋は「療養」をお勧めします。

  • 本来、人は「自立」に向かうエネルギーを持っています。

    経営学のドラッカー氏の「新しい現実」について
    「人権」と「自立」ということを
    このブログでは書いてきました。

    まだまだ、いろいろな方向から
    書いていくことになると思います。

    世界経済が高度成長していない現代だからこそ、
    「人権」と「自立」と思うのです。
    人を人として思えない、人の痛みが
    理解できない社会に
    「人権」と「自立」だと思うのです。
    人の痛みが理解できる社会なら
    今、世界で「民主化」が起きたでしょうか。

    「人権」という言葉は通常「人としての権利」、
    ひとりの人として扱われていないのではないか、
    または不利益を被ったということで
    本来ひとりの「人」として生きる権利のために
    使われるのだと思います。
    権力を行使する人、つまり「強者」に対し
    「弱者」という風な捕らえ方もできると思います。

    「自由主義」や「経済至上主義」など
    非常に自由な考え方をすると権利主張ばかりに
    なって調和がとれなくなります。
    それは対価的な唯物的な考え方になるでしょう。
    その反作用で平等を強く求めることになるでしょう。
    強いものが勝つような「弱肉強食」の動物的な感覚が
    強くでるかもしれません。
    これでは「弱者」の権利を守ることはできません。

    権力を持っている側の人々の「人権」というのは
    「人権」という言い方は違うのかもしれません。

    人が万物の霊長であることを許されるのは
    「愛」と「知」に基づくものだと思います。

    「人権」、人としての権利とは
    人の痛みがわかるということだと思います。

    しかし、「人権」を主張するということは
    半面で「自立」していなくてはなりません。
    または「自立」に向かって努力していかなくては
    なりません。
    困難なことにあってもできる限りの
    努力をしていくことが大切であると思います。
    皆が共に生きる社会ではそういうことが
    とても大切なことであると思います。

    「人権」を求める人は常に「自立」に
    向かっていくことが大切です。
    「人権」を求められた社会は
    「自立」に向かって支援を行う必要が
    あると思います。

    経営学の中で労働者が一人の人としてとらえられる。
    「人権」です。
    そしてだからこそ、労働者は
    「自立」して生きていく必要があります。

    そういうことが社会でも福祉でも世界経済でも
    とてもとても重要なこととなると思います。

    世界経済にひとつの倫理が必要と思います。
    グローバル・スタンダードです。