• ※diaryから転載、編集しています。

    叩かれて強くなることは大切かもしれません。

    非情な嫌がらせに心が凍ります。
    私は弱い人間と思います。

    嫌がらせもいろいろな原因があるでしょう。
    人と違ったところを言われる。心無い競争の中でもある。

    嫌がらせをされるには原因があります。
    そういう言い方をする人が少しでも世の中から減り、
    愛ある世界を見たい。

    嫌がらせをされて、あるいは叩かれて痛い、辛い、悲しいと
    いう心を忘れてはいけないと思います。

    私は叩くことを肯定はしたくない。
    そして最初に嫌がらせをしたのに自らを弱くして権力者の力で
    人を陥れるような人たちを肯定できません。
    そういう社会が真実の世界ではないと思うからです。

    そういうことを肯定したら社会は良くはなりません。

    だから信仰を片時も離さず、
    ブログを書き続けているのかもしれません。

  • ※diaryから転載、編集しています。

    情報とは一方から入った情報が正しいとは限りません。
    それで一喜一憂しているとつい感情的になり、
    全体像が見えません。

    リーダーとして経験を積んだ方ほどその情報源は誰か、
    一方からの情報ではないか、相対的にみてどうかということを
    考える必要があるとお考えだと思います。

    情報を発信する方々にも一方からの情報や、
    偏った情報ということに注意が必要と思います。
    または意図的?でしょうか。

    なぜ、本日情報について書いてきたか、
    思い出すきっかけがあったのですが、
    以前「天罰だ」と発言した方がおられましたが
    私の記憶ではその後に「地元の人がかわいそうだ」と
    続いていたように思います。

  • 一方で非常に追い詰められていますが・・・。

    不昧因果ということばをdiaryに書いたので
    不昧因果と菩薩の境地について書いていきたいと思います。

    先日、diaryで小惑星の衝突について
    神仏の求める「調和」と「発展」に向かっていくことが
    大切でそれによって回避することができる可能性が
    あると書きました。
    もうひとつ大切なことを付け加えます。
    正しい信仰と正しさを求める心が大切です。
    正しさは十戒や八正道だけではなく、
    人と人の関係の中にあるものの意味が
    大きいと思います。

    不昧因果(ふまいいんが)、
    どんな人でも因果の理法はくらますことができない。
    因果の理法から脱した人というのは
    因果の理法をよくよく知って
    それによって左右されることがない境地、
    悟りの境地に至った人のことを言うと思います。
    正しさの確立、
    確立といっても普遍的なものと流動的なものと
    あります。
    自分の周りに起きている因果の理法が見える人は
    自由自在の境地となると思います。

    なかなかそうはいかないと思います。
    人は他の人の悪いところは目につきやすい。
    だからこそ、できる限り相対する人、好きな人も
    嫌だと思う人にも良いところを
    同時に見つけることが大切と思います。

    そして菩薩の境地について今まで2度ほど書いてきたと
    思いますが、因果の理法からみていく菩薩の境地とは
    相対する人の悪いところや因果が見えたら
    そこから脱するための法、救済のための知恵を
    その人に伝えることを常にしていこうと思っている、
    そういう愛の心を持っていることが大切なことと思います。

      Miroku shows God 44
     
    「 無数の菩薩(天使)が排出できる  

       Master of Master
               2004.10   」

    *追記2011.6.11*
    自分の周りに起きている因果の理法が見える人は
    自由自在の境地となると思います。
    インドの時代の仏さまの悟りの境地でもあります。
    そう仏さまが言われます。

  • 「 現代のコミュニティについて 」そして
    「 続き 」は私が現代のコミュニティについて書くことに
    なった理由について書いてきたと思います。
    この内容には私の「悲しみの手」そして「パンドラの箱」と
    いう言葉を使っています。
    今日はdiaryから後日「続き 6」を追加するつもりで
    「続き 7」を書いていきたいと思います。

    幸福の芽の題で「不幸の芽を摘む」を書いたとき、
    反対の視点から
    「幸福の芽を摘む人」を次に書きたいと思っていましたが
    書かないで終わっていました。
    内容として近いとするなら「いじめ」について
    書いたものと思います。
    仏教でお話しするなら幸福の芽は自分作りであり、
    小乗に近いものでしょう。
    不幸の芽を摘むは知恵を身につけてリスクを
    減らしていくこととなると思います。
    そして幸福の芽を摘む他の人の存在があります。
    それは大乗、良い法が広まっていくことが
    大切と思います。

    個人個人が小乗を行って自らの身を修めていましたら、
    それでよいのでしょうか。
    それだけでは世の中は良くなっていくでしょうか。
    他の人の幸福の芽を積極的に摘もうとする方々がいます。

    自分のことだけを大事にし、
    他の人をいじめたり、蔑んだり、
    せっかく努力してもその努力をなきものにしたり、
    またその成果を自分のものとしたいと思い、
    そういう行動をしたり、
    例え自分が間違っているのがわかっていても
    力のあるものに寄っていくことで
    自分が有利になろうという卑しいことをしたり、
    そうして他の人を陥れたり、
    自らのために嘘や偽りを使って自らを正しいという。
    他の人の過去にまで遡っていって悪く言う。
    そうやって人の幸福の芽を摘む人々がいます。
    他の人の幸福の芽が伸びてきたときに
    それ自体が面白くなくその芽を摘もうともします。

    言葉が悪いかもしれませんが、
    偽善者であったり、
    本来の仏性があまり現れていない状態と
    いうことになると思います。
    そしてひとつの原理もあります。  封印Ⅳ

    ではどうしたらよいか。
    やはり、質のよい教育を基盤に持つことが
    大切と思います。
    そういう行為が悪いということを
    知ることが大切と思います。
    そういう心(精神)を培うことが大切と思います。
    そういう精神を持った国家が形成されることが
    大切と思います。
    そういうことがあったらそれは間違った行為であると
    そう思える社会を作ることが大切と思います。
    もうひとつ大切な原理がありますが 
    「いじめ」や嫌がらせが少ない国家、社会を作るという
    ことが必要です。
    まだまだ、言葉が足りていません。

  • ※diaryから転載、編集しています。

    全体主義について3で
    全体主義から独裁主義になりやすいと書いていきました。

    日本はそうはならないと思うでしょうか。
    どうでしょうか。

    全体主義になってきたときに独裁主義を形成したいと
    思う組織があると独裁主義になる法改正を重ねていき、
    結果、法により独裁的な政権を築きます。
    「自由と繁栄」から遠くなります。

    先日も書きましたが、今、日本はこの危機の可能性も
    明らかになりつつあると思います。

    日本の小選挙区制はどうでしょうか。
    すでに導入時警鐘を発した方はおられたのではないでしょうか。
    今、発している方もおられるのではないでしょうか。

    この混乱時ですが、選挙制度について考えていかなくては
    ならないのではないでしょうか。

  • ※diaryから転載、編集しています。

    月は地球に向かって落下することはないと思いますが、
    小惑星が地球に衝突する可能性はないとは言えないと思います。

    宇宙を科学からみて起きる可能性があるのでしたら
    宇宙の法則に則って可能性はあるでしょう。

    神仏からみましたら小惑星が地球にぶつかるということは
    それには意図があります。
    不調和があり、破壊があります。

    神仏が求める「調和」と「発展」に向かっていくことが
    大切なことでそれによって回避することが
    可能であると思います。

  • まだ、net宗教について考えていた最中でしたが
    もっとも早くinspirationをいただきました。

    皇室とMaster Elについての関係、解釈についてです。
    この説明するにはとても奥深く時間がかかります。
    民族、人種、国家観、歴史等、様々なことを
    書かなくてはなりません。
    しかし、本日は結論だけ書いていきます。

    今まで私のブログを読んで頂いておられるのですから
    日本に今、私が居て日本神道の神々が必要と思われる時は
    指導をくださることはご理解いただけると思います。

    Master Elは地球の創世の頃から今まで指導されてきた神です。
    位置づけとしては歴史にみられる世界の正教の神々を
    指導される神になります。
    日本神道の神は今明らかになっていないものが
    世に現される時、どのような神かお分かりになることが
    あると思います。

    日本の皇室だけではなく、世界の王室について
    書いていきますが、
    民族(民族問題としてではなく)と国家、
    そして皇室、王室は現時点で民主化している国家も
    その存在はとても大切な意味があると思います。
    もっと様々な視点から書く必要があります。
    後日にいたします。

    いつか世界の皇室、王室と民主化についても
    書かなくてはならないと思っています。

    そして私のことですが主エル(Master El)は神ですが、
    私は今世、この時代に主エルの言葉を伝えるための使命を
    持った者という位置付けだけでよいと思います。
    もっと違った視点から私のことを書くことが
    あると思います。

  • 私や私のブログを攻撃したり、
    私のブログを乗っ取ろうとしたり、
    自分たちのものとしたい方々がいますが、
    いっそのこと、蓮みろくという宗教家として
    net宗教を形成していると
    設定すればよいのでしょうか。

    法体系は今までブログに書いてきたものを整理し、
    補足すればよいだけのものを説いてきていると
    思いますし、そのつもりで書いてきました。

    net宗教として宗教名を決めればよいのでしょうか。
    考えています。

    希望の未来はMaster Elの言葉の上に築かれていきます。

     幸福の芽happy sprout
    「前人未到の世界1」 2010.9.12
    「前人未到の世界2」 2010.9.13

  • 「 Master El,

      I believe in Master El.

      I have sadness in my hand.

      My tears will flow.     」

    Master Elは言われます。

    「 現存の世界の大きな宗教の神々は
      争いを好んではいない。

      過去、人々を正しい道に導き、
      人々が共に生きていくための
      法を説いたのである。

      聖戦とはそれは世界の大きな宗教の神と神が
      どちらかが正しく、どちらかが間違いである、
      だから戦うというものではない。

      本来、聖戦とは神と魔との戦いである。

      現存の世界の大きな宗教において
      それぞれの神々をないがしろにすることが
      間違いなのだ。

        Master of Master          」

      

      現存の世界の大きな宗教において
     

  • ※diaryから転載、編集しています。

    ナラティブ・セラピーについて少し書いていきます。

    ナラティブについはその中のアクシデントを
    「人」と「環境」の両方を「時間」で
    読むということが大切と考えています。

    幸福の芽の2009.12.6に「心の時代の枠組み3 心の科学3」で
    心理療法について書いています。
    「 仏教でみた療法、  神仏はこの世界に「時間」と「空間」を
      作られた。空間論」の中で療法があり、「時間論」がない。
    ないというより少ない。仏教はこの「時間論」である。
      世代間連鎖をひも解く、因果の理法がある。       」

    私の中で構築している心の救済理論、
    これが「心の科学」になるのですが、
    「空間」としての「人」と「環境(環境の中の人々を含む)」の関係、
    その中で起きるアクシデントとそれを「時間」
    その人生のストーリーの中で読み、
    それを除去、または緩和、または本来のものに戻すということで
    前向きに1歩を踏み出す力になるということを考えています。
    これがナラティブセラピーに近いのではないかと思っています。
    この続きはいつか書きたいと思います。

    先日、「依存」について自動書記という形で書きました。
    「人には発達を望む仏性(神性)がある」
    これについては数年前にすでに考え方としてまとめたものがあり、
    いづれブログに書きたいと思います。