•  *日記です*
     このブログを読んでくださっている方はご存知だと
     思いますが同じブログを2つ、
     gooとFC2をほぼ同時に更新しています。
     今年の春、FC2のブログを増やしたときにハンドルネームを
     「みろく」から「蓮みろく」にしました。
     
     そして仏さまから2010.5.3、
     「あなたの名前は蓮みろくでよい」と言われました。

     本日の霊意識である仏さまと私の会話、
     たわいもない会話ですが書いてみたいと思います。

    仏さま  「例えば石ころが転がっているとする
          その石ころを蹴る者がいる
          あなたならどうするか       」

    蓮みろく 「その石ころがどんな石が見ます」

    仏さま 「そうだろう」

    仏さまはそう言われて少し微笑んでおられるようでした。

     仏さまは時々、私にこういう質問を投げかけることがあります。

  •  先日書いたこのブログの「経済成長期にあったものではないか」
     というところについてが違和感が残ったので補足します。
     私は経済に詳しいわけではないといつも書いているところですが。

     地域主権の過去、現在、未来を見つめていくこととして
     先日も過去からの視点と未来からの視点を書いた。
     しかし、現在のこの「地域主権」この言い方には問題があると
     思うが、国の役割が明確に定義されて日本が安定するものに
     なった場合、最後に「創造」として生み出せるものがあると思う。
     その時の国民はどの政党を選んでいるのだろうか。

     1993年は日本は「経済成長期」だったのではないか
     というより平成不況のど真ん中と言ったら良かったのかもしれない。
     日本は平成不況から脱するための政策を日々考えていた
     時期であり、経済成長期の感覚が抜けきれてない時期と
     言ったらよかっただろうか。
     そしてこれからの高齢社会の到来を告げた時代だったと思う。

     「93年宣言」は時代背景からみたら高齢社会となった
     スェーデンのエーデル改革の時期とほぼ同じ頃と見ていったほうが
     よいのかもしれない。ただ、スェーデンは社会民主主義の
     行政、財政の基盤での改革をおこなっていることが日本の財政との
     違いではないかと考えるところである。

     今、現政権のいう「地域主権」の経済成長やそれに伴う
     「規制緩和」についてはまた書くときがあったら書いていきたい。

  •  この題で「地域主権」について書いていきたい。
     創造と破壊、そして創造という題名にしたが
     「自由と繁栄」に含まれる内容になるだろうと思う。
     何回に分けて書いていくことになると思う。

     以前、このブログに「地域主権」について丁寧に考えたいと
     書いたことがあった。
     実はまだ丁寧に思恵をするところになっていない。

     知識もままならないところだが必要だと思い、
     現時点で考えていることを書いていきたい。
     その前に社民党の「93年宣言」
     「社会民主主義」「小さな政府、大きな自治体」
     と現政権のつなががりはどうなったのか、
     聞いてみたいと考えた。
     そして日本の有数の経営者の理想が元となった
     「地域主権道州制」について前政権は2008年以降
     どう考えているか、それについても聞いてみたい。

     基礎知識の少ないところから
     現時点での「地域主権」について問題になるだろう視点を
     書いていきたい。
     まず、政府と目指す方向にまとまりがないことに不安がある。

     それからもともと「地域主権」が経済成長期にあったものでは
     ないか、現時点の財政困難なときに同じ政策をしても
     すぐに成り立たなくなるのではないか。
     目の前の課題である社会保障の問題について方向性を
     出していくことが先決ではないか。
     経済、雇用についてはもっと先に出てくることだと思う。
     
     またこの先、財政が緊迫したときに地域主権は
     どう動くかというところである。
     消費税の話で「消費税を地方で変化があってもいいのでは
     ないか」という意見を言われた方がいたが、こういう意見こそ
     日本という政府自体が考えをまとめていかなくてはならない
     ものだと思う。
     そして地方主権になった場合の「国税」「地方税」の考え方は
     どうなるのかが非常に大切なところだと思う。

     それから地域主権にするための地方自治体の人材がどうなのか
     関西のほうで自治体として有利な点をもつところで
     「地域主権」は有効に役立つのは理解できる。日本全体から
     みたらそういう自治体は多くはないと考えられる。

     「地域主権」このことば自体が日本という国家、政府という
     もののあり方を否定してしまうのではないか
     または逆にそれが偏った権力につながってしまうのでは
     ないか、そういう視点も大切だと思う。

  •  
     今、必要な人に届くようインスピレーションが
     あったのでそのまま記載しておく

     努力して、眠ることも惜しんで頑張って
     こんなに努力しているのだから
     だから報われるはずだとそう思う

     しかし仏さまは言われる

      Miroku shows the God 33

     「 人よ
       努力しても報われないことがある

       その努力は
       今、実りの時期ではないのかもしれない
       次の機会に実るのかもしれない

       人よ
       その努力は実にならないものかもしれない

       よくよく心を澄ましてみよ
       神仏の心に合った努力することが
       なにより大きな実りを得ることになるのだ    

          Master of Master          」

  •  *日記です*
     今、現政権の代表選について議論がなされている。
     現政権の変革と前政権の安定感と
     その両方が融合できる道はないのだろうか。
     また変革は一定期間を過ぎて
     安定期に入らないと破壊につながると思いながら、
     本日は日記を書きます。

     なぜか、このブログを書くようになってから
     私の中で「月」のイメージが強くなってきました。
     以前は特別なものではなかったのですが・・・
     月は何を想っているのでしょうか。
     ただ過去の記録をみると
     短いインスピレーションがありました。
     「日と月」2007.7.8
     その後にも同じくらいのものがひとつありました。

     先日、また1冊の本を購入しました。
     未だ、読んでいませんが一読させていただこうと思っています。
     このブログを書き始めてからもうすぐ1年たちます。
     過去2年間に数冊の本を購入しましたが
     わずか数ページ読むだけで終わってしまいました。
     思恵の時間のほうが圧倒的に多いのです。
     このブログに含まれる政治の内容については
     多くのインスピレーションと2年以上前の数年間、
     読んでいた本がかなり影響していると思います。

     昨年11月に民主主義を超えるものとして
     現代のコミュニティについて書き進もうとしていたブログでしたが
     政治のことを書きはじめ、その中で
     「混沌とした時代に変わったこと」を書いています。
     その時の写メが消えていると思いますが
     その中の一枚を今日改めて載せることにしました。

     2009.4月

     

     

  •  今日本が取り組む問題4で
     日本での雇用政策、来年度の失業問題など
     国家、国民にとって大切なことだと書いてきた。
     そのとき「適材適所」と「職業選択の自由」について書いた。

       特に福祉の仕事は人と人の間で成り立つ仕事である。
       もし、全く違う仕事をしていた人が失業したからといって
       福祉の仕事をしなくてはならないとき
       それを継続していくことは可能だろうか。
       よい仕事ができないばかりか、
       なかなか難しいのではないかと思う。

     このとき、来年度の公共事業の縮小、福祉に人材を
     という話があがっていたと思う。
     気がついて下さった方がおられたと思うが
     もう少し書き足しておく。
     来年度に限って言うと公共事業が縮小し、
     福祉が増大するならば
     その公共事業の人材がそのまま福祉の仕事をすることになる。

     雇用政策で福祉の仕事について教育の場を拡大しても
     やはり、公共事業の現場におられた方が
     全て福祉の仕事に向いているかというと難しいと思う。
     
     現政権が理想を描くスェーデンでも過去人材育成として
     こういう場合は困難であったと思う。
     やはり「適材適所」が良い仕事をしていくということを
     書き足しておく。

     全く違うことだが福祉のことで
     先日、TVでマズローの欲求段階説について
     現代はどうとらえらるかというものをやっていた。

     私は現代の高齢社会となった日本ではうつなどもあり、
     高齢者についてはまず欲求を起こすために
     心の価値観が大切、心が健康であることが大切、
     家族皆んなの心の健康が大切であると思う。
     
     福祉教育を受ける人たちだけではなく
     心の教育が大切であると思う。

  •  8/23読みづらかったので追加記載しました。

     今日は「心の時代を生きる4 ユートピア社会と精神世界」
     について書きたいと思ったが、その前に書いたほうがよいと
     思うので「霊能者とそのワールド(霊界)」について書きたい。

     かなり前に書いたが私はあまり霊や霊界のことをこのブログに
     書きたくない、心の世界、精神世界のことを書いていきたいと
     していたがいつの間にか、神示が入ってきてかなり霊界のことを
     書いてきているのかもしれない。

     あまり書きたくないが霊能者について書いていく。
     
     時々、友人と「精神疾患と霊能者は紙一重かもしれない」と
     真剣に話をすることがある。
        霊視ができる→幻視、幻覚がある
        霊聴ができる→幻聴がある
        体外離脱がある→テレポーテーションができる?
        テレパシーが通じる→妄想のときがある
        神々の世界からインスピレーションがある
             →私には神?がついて指導している
              誰かが頭の中で命令している
        憑依霊→他の人格がある

     精神疾患の場合は相手に非常に攻撃的、
     または自分を責めているなど不安が強い、
     自己の認識ができないなどいろいろあると思う。

     宗教的な霊能者は主になる神または仏がいる。
     そして「救済」の面をもっているというところだろうか。

     いろいろな宗教にはそれぞれその宗教が作り出している
     ワールド(霊界)、精神世界がある。
     そのワールド(霊界)で支配している神仏か、
     神と称しているものがこの世の人の集団の環境を支配し、
     作り出していることがある。
     霊界や宗教を知らない人にとっては洗脳だろうか。
     良い宗教だと感化力かもしれない。
     日本にも数多くある霊能者を主とする宗教では
     その団体の霊能者たちは同じ環境で同じワールド(霊界)を
     認識している。
     しかし違う団体の霊能者たちはまたその環境でその団体の
     ワールド(霊界)をみている。
     だから霊能者は善に生き、無我な心でいないと
     真実の世界ではなく、
     その霊能者が求めているワールド(霊界)を
     ひきつけてくる可能性は高い。
     結果、宗教的な指導者である霊能者が見ている
     ワールド(霊界)がその人の心が引きつけた世界になり、
     現実社会もそれに応じた世界にみえてくるため、
     霊界も現実社会もゆがんで見える。
     心が善であり、正しく見る(仏教八正道の正見)と愛が
     必要である。
     

     神示や神おろしの人には魔が入らないようにそのための空間を
     作ったり、古来より真偽をみるためにその人とは別に
     識別する人がいることがある。
     真実の仏さま(神仏)の世界に目覚めた人々は世界が広くても
     同じ認識のワールドの中で同じものをみて、
     つながっていくことができる。真実の世界だからである。

     宗教団体が違っても個人の憑依霊の見立てが
     同じことはあるかもしれない。ただ認識の違いがある。
     霊能者同士でも例えば・・・
     一人の人が「この人に悪霊が憑いている」と片方で
     思っているがもう一人の人は
     「今相手は霊視をして自分に悪霊が憑いていると
     皆に吹聴しようとしている」とわかる。
     どちらもその人の捕らえ方と思うだろうか。

     精神世界に敏感な人は世の中に一定の人がいる。
     また修行により自らの心をつかみ、敏感になる人もいる。
     人に揉まれ、経験智の元でシックスセンスが磨かれる人もいる。
     本当に神仏の世界につながるためには必要な要素がある。
        まず、無我(自らを空しくする)の境地、
        そして無我の境地から多くの人の幸福のため
        愛を常に考えてそれを中心にしていくこと、
        善悪の規準(法)、認識があることだと思う。

     私は今までにある一定期間、神々の霊指導で精神修行を
     何度か繰り返している。
     以前にも書いたがその中に「一念三千」がある。
     精神修行の中で繰り返し「慢心してはいけない」
     という指導があり、これは長い間徹底的に続いた。

     最初の修行の頃、「人の救済」について指導を
     いただいた内容を書いていく。
     誰かが必要としているのだと思う。
     「霊力で何とかしようとしてはいけない」
     「霊力ではなく、法力を身につけること」
     という内容になると思う。

       「人間が人間を救うことは不可能である。
        (人間が霊能力があったとしてもその力で
        人を救うことはできない)
        物質的な世界の中での救いはこの世のもので
        救うことは(その場限りでの救い)可能である。
        人の心を救うには神仏の縁により自分の中の善に照らし、
        その人の救いの一部を担うのである。(神仏や神仏の
        世界の神々たちがその大部分を担う)
        神仏に救いを求め、そして神仏に対する感謝と
        神々に感謝することだ。
        ならば善をより多くの人に与えられるように学べ。
        善の縁を頂けるように学べ。
        人の心をより多く照らせるように学べ。
        そして人を善くする善の縁のひとつになれる自分で
        いられるような姿勢を忘れるな」

     このブログに初めてだろうと思うがこれは
     このブログに出てくる仏さまのことばではなく、
     神々の中の一人の方のことばである。

       ※追記1
       日本にも世界にも数多くの霊能者がおられ、
       実際活躍されている方も多いのだと思う。
       それから研究所みたいなところもあると思う。
       このブログを読んでいただくとわかると思うが
       私にとって霊能力を磨くということには
       あまり興味がない。
       つまり霊能力で競うつもりも念力で競うつもりも
       全くない。
       私にとって大切なのは仏さまです。

       ※追記2
       霊や霊界についてあまり書きたくないと書いたことに
       ついて再度考えてみたがやはり地獄の様相については
       今までの宗教にまかせたい。仏教や世界各国の宗教で
       古来から現されている。
       次元上昇1で信仰と心の価値に目覚めと書いたときに
       地獄という善悪二元論についてもっと書く必要があった
       のかもしれないが、このブログの特徴として時間の
       流れの中で進んでいるので限界があり、今までも
       もっとも大切だ思うことしか、書いてきていない。
       内容の多くは読んでくださっている人の仏性に
       呼びかけているものである。この世は一念三千、
       現在ただ今の心が天国にも地獄にもつながっている
       ということが大切。地獄について書き始めたら
       きりがないが善悪を知るために地獄の様相が
       必要だということがあるが、この世で善悪をみて
       善を選んで生きていくことが大切。
       天国に次元的な層が存在するのも仏教や世界各国の
       宗教が現しているとおり、しかし地獄様相はいろんな
       地獄があるというだけでなく地獄にも天国の次元に
       相応する層が存在する。
       この世の価値の罪の深さだけでなく、その人の生前の
       影響力の大きさに関係がある。例えば企業のトップとなり、
       一生を終えた人が二人いて、この世の価値観で
       みれば業績として差がないとすると一人の人が
       心の価値に目覚め、信仰が篤く、多くの人の幸せを
       考える人で、もう一人は信仰があるといっても
       神仏を軽んじ、人づきあいが良いが心では悪いことを
       考え、結局営利と自分の欲得しかなかった、
       その企業にいた人も影響を受けて同じような考え方しか
       できなかった。
       先の一人の人は善人と言われる人より次元の
       高い天国に還るが、後の一人は先の人と全く反対の
       次元相応の地獄にいく。
       だからと言って次元的な地獄だけが存在する訳ではなく、
       多様な地獄が存在する。
       次元上昇2で宗教的な菩薩の境地を書いたが
       もっと深く書く機会があったら書きたい。
       それは善悪二元の世界観を転換(反転ではなく)
       していくような一面があり、価値観を大きく
       変えていかざるを得ない世界である。
       

      
    追加含め、今回は長くなってしまいました。

  • *日記です*
    いじめと因果応報を書いていたら
    日本のアニメーションの話を書きたいと思った。
    今や日本はアニメで世界に出ている国でもある。

    私も今は見ることもないが、ずっと以前に見た
    「風の谷のナウシカ」と「天空の城ラピュタ」は
    心に残っている。
    たぶんどちからも「心」がテーマだからだと思うと
    同時にこれからの時代の警告としては十分だと思う。

    「天空の城ラピュタ」は神になりたい、
    人を支配したいという心と
    それは間違いであるという心が示されている。
    こんな構図はこれからの時代
    有り得るのだとと思う。

    話を戻すが
    日本のアニメーションには実によく霊界が出てくる。
    なぜ、こんなに出てくるのか不思議だと思う。
    もちろん見ている訳ではないがCMなどを見ても
    「霊界」「念力」「法力」「封印」「魔術」など
    本当にたくさんの霊界を含んだ話が多い。
    これを見た世代の子どもはどう感じるのだろうか。
    あるところで有り得ないと思いながら
    アニメーションの世界に入り込む楽しさがあるのだろうか。
    どうなのだろうか。

    霊界は現にある。

    日本のアニメーションが世界に出ていく。
    世界の子どもたちやアニメーションのファンは
    いったい霊界をどうつかんでいるのだろうか。

  •  このブログにもいくつか因果の理法について
     書いてきた。
     「因果の理法は人を幸せにするためにある」と
     書いた。

     仏教の言葉で因果の理法というと
     同じ因果のことで「不昧因果」「因果応報」と
     いうものがある。
     もう少し言えば、「縁起」などもある。
     思い立つまま書いていく。

     「不昧因果」は因果を昧ますことはできない。
     特に悪いことをするとその因果が回ってやがて
     自分の身に起きる。良いことをするとまた
     自分の身に返ってくるということだと思う。

     「因果応報」特に悪いことが起きたときに言われ
     その元となる現象があり、そして今の悪い現象が
     おきているのだ、因果がまわり、報いがあったのだと
     ということだと思う。

     「いじめ」はあってはいけないのだが
     どんなところにもある。
     歴史上、「そもそも人間とは・・・」という
     人間の醜悪な部分として捕らえた差別問題について
     現代は数多く取り組んでいる方々がおられることだと思う。

     いじめる人に仏性はないか。
     悪いことをする人に仏性がないか。
     そういう人を見ていると仏性はあるのだと思う。
     ただ、その仏性が現れにくい。
     現れにくい人やそういう時に
     「それでも仏性を信じよ」というより
     距離をとり、時間を待つほうがようのだと思う。

     特にいじめの問題についていうと
     いじめる人は必ず、正論を見出そうとする。
     いじめは悪いことだと自らの心が
     知っているからなのだと思う。

     いじめているのにいじめじゃないという場合は
     「大儀名文」をかざす。
     またいじめているのに言い訳するときは
     「その子が悪いんだ」という相手の悪いことを
     取り上げ、いじめる理由にする。
     また「みんながその子がいやだと思っている」と言って
     いやな子であるように噂を流し、仲間を増やす。
     また日本のアニメーションンの影響か、
     「因果応報」と言ってその子が悪いから
     いじめられて当然と言っていじめを正当化する。
     どれも人間として、してはいけないことだと思う。

     このブログに書いてきたように「因果の理法」は
     人を幸福にするために仏さま、神仏が法を
     この世界にめぐらしたものである。

     「因果応報」は仏さまの扱う神仕組みであり、
     人が人の手でおこなうものではない。
     まして人間が小さな神になって人を裁き、
     いじめ、不幸にするものではない。

     人が人に「因果応報」として悪しきことをしていたら
     それは権力の問題であり仏さまの意思ではない、
     仏さまから見ると神の如く振舞う人間が同じ人間を
     裁き、傷つけている姿にしか見えないのだと思う。

  •  混沌とした時代に
     様々なことがおきてくる。

     


         

     これは今年5月に撮った写メの一枚だが
     これを見ると憂鬱な気分になる。

     世界では
     天変地異のような大きな災害が相次いでいる。
     今年は世界で豪雨、熱風が襲う。

     天の声(神仏の思い)に耳を澄ませて
     みる必要があるのではないか。

     一番大きなものは神仏の存在を
     認めないこと、人間が全てであるという心
     また神仏さえ自分の思い通りにしようとする心

     仏さまは愛である。
     だが神仏の存在を否定した愛は
     本当の姿ではない。
      
     先日「祈りの力」を書いたが
     全てを失ったとき、また全ての力を失ったとき
     いや、それ以前に全てを無くさないために
     仏さまへの信仰による祈りがもっとも
     大切なのだと思う。

     先日このブログに書いたが
     東南アジア、オセアニアの地震は
     地殻の変動、しばらく繰り返し
     地形の変化が出てくるのだと思う。

2026年4月
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