• ※diaryから転載、編集しています。

    このようなブログを書いている私は地震が起きることを
    知っていたのではないかと考えていらっしゃる方も
    おられるようなのでそのことについて書いておきます。

    事実は「知らなかった」ということです。
    数年前から時々この世界が破壊の道を歩くというイメージは
    時々浮かんでいました。
    しかし、私はこの世界に今このブログを読んで
    くださっている皆さんと「同じ時代」に生きています。

    私は「同じ時代」に生きる者として
    自分でできることをやっていきます。

    Masterに祈ります。
    「何とかしたい、何か手立てはないか」
    しかし、Masterが何かなさしめることを
    私が直前に知ったとしてもそれをどうすることもできません。
    「それならば皆さんと同じく、
    知らされないことを選びます」と祈ります。

    実際は今回の地震の数日前から神仏の怒りの念いが大きいことは
    感じていました。
    それは本当に怖いものです。
    何か起きるということはわかっていました。
    だからどんなにじゃまされても
    (PC攻撃は尋常ではありません。じゃまをしないでください。)
    ブログを書き続けていました。

    神仕組みは幾重にも重なりと書いてきていますが
    その念いの一部でも表現することで
    その怒りの念いが減少するということがあるのです。

    いつかこの震災が神仏の怒りのその神仏の真意を
    書くことができるのでしょうか。
    それを書くには本物の信仰を
    たくさんの人が掴んだときになると思います。

  • 大切なものを失って、
    辛くて涙が止まらないとき、
    そんなときは遠くを見ずに
    あしたを生きよう。

    未来はあしたの先にある。
    眠れなかったり、疲れが溜まっていたり、
    そうしたら少し休もう。

    多くの悩みを止め、
    今日何ができ、あした何をしたらよいか
    よく考えてみよう。

    そしてあしたという今日がきたなら、
    今日一日をその足で歩いてみよう。

    疲れたら休み、
    しかし、じっとしていてはいけない。
    幸福の芽を探し、
    一歩を踏み出していくところに
    未来があるのだから。

    やがて
    あなたにとって次のステップが
    見えてくるから。

    仏さまは私たちに「時間」というものを
    くださいました。

    悲しいこと、苦しいことがあっても
    「時間」というものがなければ
    人はその苦しみ、悲しみの中に
    ずっと留まっていることになるでしょう。

    「時間」は時として
    非常に大きな「癒し」となります。
    その「時間」の中で疲労を回復したら、
    苦しみ、悲しみをその手に握りこんで
    活動に参加してみる、何かしてみる。
    そうするとだんだん体に力がついてきて
    心に力がついてきます。

    やがて新しい道が見えたとき、
    その苦しみ、悲しみが少なっていることに
    気がつくことができるでしょう。

    *追記*
    被災している方々へ
    悩みが堂々めぐりしているならば、
    悩みは心の中にあると堂々巡りをします。

    悩みはできることなら紙に書いておきましょう。
    そして神仏にその解決を祈り、
    自らもその解決策を探していきましょう。
    大切なことも紙に書いておきましょう。

    そして朝陽が登り明るくなったら、体を動かす。
    一歩を踏み出していきましょう。

  • このブログを読んでくださっている方々から今回の地震のこと、
    原発についてはどうなのだろうかという心が届いてきます。

    今回の地震のことで「平和への祈り in 日本」と書いたのは
    いつかその深い理由までも書くことがあるのかもしれません。

    地震について確定的に書くことが危険なこともあり、
    細かく書くことが良いこととも思えないと考えています。
    一人ひとりの心が何を感じ、何を悟るかということが
    大切なことであると思います。

    仏教の言葉で「重重無尽」というものがあります。
    心の世界、仏さまから見ますとこの世界は神仏が大きな網を
    広げているようなもので網の節目を一人の人間の心と考えると
    一人ひとりの存在は実はつながっている、
    依他起生、人は一人で生きているのではなく
    人に依りて生きているということになります。
    仏道修行が進んでいくとこの網が目の前に広がり、
    金色に光るときがあります。
    またその網を金色に変えていく作業こそが「人を愛する」
    ということなのだと思います。

    この重重無尽の網は平らに広がっているだけの
    網ではありません。
    神仕組みは幾重にも重なっています。

    だから地震のことを細かく書いていくとたくさんの事柄や
    人が現れてくることになります。
    その内容を理解するにはこのブログの内容には
    既にたくさんのことが含まれています。

    地震が起きたときはどうだったのか、私自身はどう感じていたのかと
    いうことを書いていきます。
    仏さまと表現している方はこの地球を内包している神であると
    以前書きました。
    このブログの「慈悲の力」の追記では地球が大きく動くときは
    根本神仏の意思が働いているのだということを書いています。
    今回の地震は仏さま(主エル)の心を超え、根本神仏の意思が
    強く働いています。
    まず最初に書かなくてはならないのは神仏の存在を
    否定した世の中はその存在を本来、許されていないということが
    あると思います。
    肯定的に言えば現代が神仏の力が相当の働きをしている時代であると
    言えると思います。
    それからこの世は神仏が創られ、「調和」と「発展」という
    ベクトルがある、人には仏性(神性)があると書いてきています。
    「調和」と「発展」のベクトルは人がそのベクトルに
    向かっていこうとすると神仏の心にかない、
    共に幸福になる方向に向かうと考えていただいてよいと思います。
    そのベクトルが大きく歪んでしまっていると
    浄化作用が働いてきます。
    それは国家、組織、リーダー、個人にまで至って
    考えることができると思います。

    「幸福の芽」は不運な時も力強く生きていってほしい、
    悲しくて苦しいときもそれを手に握りこみ、前を向いて
    歩いてほしいと思います。
    自らの力、組織の力すなわちその持てる強みを生かして
    再びその足で歩いてほしいと思います。

    そして人は人生の中で神仏の存在を知る時が廻ってくるように
    なっています。信仰は人間にとってとても大切なものです。
    その信仰をしっかり掴んでほしいと思います。

    地震後も根本神仏の怒りの念いは収まることはありませんでした。
    そのためもうひとつ大きな地震が起きるように感じていました。
    しかし、数日後にはその念いが収まってきていました。
    しかし、予断は許される状態ではありません。

    私自身は原発については命がけで対応しておられる方々に
    心より感謝をしております。
    しかし最前線では人の力で打ち破れないいくつもの壁が
    あるように感じています。
    根本神仏の心次第なのです。
    その壁を打ち破る為には多くの人が信仰に目覚め、神仏に対し
    畏怖の心が必要なのだと思います。

    その壁を打ち破るのは国家、国民の神仏に対する信仰と祈りが
    大切だと思います。

     「 主よ
       主エルよ
       
       どうぞ、この日本をお守りください。
       危機を乗り越える力を私たちにお与えください。
       
       私たちに未来をお与えください。  」

  • The road to peace it’s easy.

    Pray to Master EL.

    If it is full of love and justice in your heart,
    you will lead by Master EL.

  • このブログに書かれている神、Master EL(主エル)は
    この地球を内包している神です。

    この地球は太陽系の星です
    私はよく太陽に感謝を捧げます。

    根本神仏、そしてMaster EL は太陽を通し、
    私たちを見つめ、私たちを育んでいると考えて頂くことが
    一番理解しやすいのではないかと思います。

    そして神仏は自分の外にあるものではなく、
    心の中(精神世界)におられます。
    もし、心の中に太陽を描くことができたなら、
    目を瞑って祈りをあげることもできると思います。

    このブログを読んでくださっている方で
    Master EL(主エル)に祈るとき、
    太陽に向かって祈りを捧げてください。

    「 この地球を内包する神よ
     
      この愛の星、地球の神よ
      
      多くの人の幸せのために
      私をお導きください

      その神の名は主エル
      
      主エルよ、私をお導きください  」

  •  
    「 Master、

      私は小さき者です。

      私は世界の平和の為に跪いて祈ります。

      この世界がどうぞ、あなたの御名の下、
      調和と発展の世がなさしめられますように。

                2011.3.12        」

       Miroku shows God 42

     「 世界のリーダーよ、
       
       国民のいない国家は存在しない。

       国家は国民の為にあり、
       リーダーも国民も自国を守り、
       この世界を守る義務がある。

       世の英雄とは国家、国民を
       大切にしてこそあるものであるのだ。

         Master of Master  
               
               2011.3.13        」

    神仕組みは幾重にも重なります。

    この神示に関係する人は大人物だけでも
    何人にもなるように感じています。

  • 平和への祈りに日本の神々という言葉を
    書きましたところ、
    in the world を加えないと思うように動けませんと
    言われましたので書き加えていきます。

      平和への祈り in日本

     「 Master、

       そしてMasterと共にある日本、世界の神々よ、

       
       この日本の危機を乗り越える力を
       私たちにお与えください。       」

    世界の神々に感謝し、
    そして世界のリーダー、世界の方々に
    心より感謝申し上げます。

  • 大きな地震の最中で「平和への祈り」と書きましたが、
    地震は相手が自然災害という形ですが
    やはり心の世界のことを考え、
    平和への祈り」と書いてしまいました。

    地震にはそれぞれ意味があると思いますが、
    しかし、起きてしまった現実はもう後戻りすることも
    防ぐこともできない。

    そんな中生命の救済の優先、
    そして大切なことは他者への思いやり、
    また被災地にいる方々がその起きてしまった環境の中で
    あらゆる強みを探し、見つけてそれを生かしていくことです。

    そして祈り、
    私は過去の大きな地震の時、できるだけ早く現地に入り、
    祈りをあげてきました。
    歪みの生じた空間、空、刺さるような空気の波長を
    感じました。
    今回は行くことはできませんが
    このブログに書かせていただきます。

      平和への祈り in日本

     「 Master、
      
      今、家族を失い、家を失なった方々に
      そして全てを失ってしまった方々に
      今、悲しみと苦しみの中にいる方々に
      信仰をお与えください。

      そしてこの悲しみと苦しみをお癒しください。
      
      この方々に力強く生きる未来をお与えください。 」

    仏さまはただの一人もお見逃しになりません。
    その魂をみつめておられます。
    すでにお亡くなりになった方のご家族には
    その悲しみの中ですがぜひあの世があり、
    仏さまの導きがあることを祈りとしてあげてほしい。

    先日からこのブログに「ひとつしかないパン」の
    たとえ話を書きたいと思いましたが、
    今度また機会があったら書きたいと思います。

    今の被災地の日本の方々へ
    「ひとつのおにぎり」の話を書きたいと思います。

    何かが起こってしまっておにぎりが
    手元にひとつしかなかったら、
    そのおにぎりをまず二つに分けてみましょう。
    その隣にも隣にもおなかが減った人がいたら
    そのおにぎりの半分を分けてみましょう。

    そうしたら心に力が満ち、
    いずれか残り半分のおにぎりがまた
    自分のところにめぐってくるかもしれない。

    思いやりは、自分では忘れたころに
    また自分のところに戻ってくる。
    なにより人は一人で生きているのではなく
    人に依りて生きているのです。

  • 私は神仏に対する畏怖の心が
    たいへん重要だと思っています。

    本当に非常に厳しいものだと思います。

    彼らは私を疑ったのだ。   2007.7.7 Master

    彼らは実践がない。   2008.10.13 Master

    この日までをもって私は休むとする。
    法を実践した者がいるか。
                 2008.10.18 Master

    彼は私の判断を適切でないと言った。
    このまま許すことはない。 2010.3.21 Master

    私はこの屈辱をはらす。   2010.3.25 Master

    このまま(ブログを)続けなさい。 
              2010.3.28 Divine origin

    法そのものに関わる問題である。
               2010.4.9 Master

    使命である。  2010.5.12 Divine origin

    あなた(私)の指導が法となるだろう。
              2010.5.15 Divine origin

    Divine originの意思である。そのままで。 
                 2010.5.21 Master

    一番の罪はあなた(私)の法(ブログ)を取り、
    自分たちのものにしようとしたことである。
    (私の存在を認めずに)  2010.9.18 Master

    彼は私を正すと言ったのだ。  
              2010.10.2 Divine origin

    Masterを名乗る者はそれほど厳しいものだろう。
                2010.11.25 Master

    法を授けよう。
    The Laws of the Universe
             2010.11.27 Divene origin

    my diary
    http://blog.goo.ne.jp/tukinoomoi1009/

    追記
    この内容には神仏の深い悲しみが
    含まれています。

    もう止めるしかないのです。

  • 民主主義を超えるものとは2で
    先日、「新しい現実」を気がついた人が
    まずその手で掴まなくてはならないと書いた。
    「ポスト資本主義社会」とも関係が深いと思うが
    この内容は民主主義を超えるものというより
    民主主義が成熟してきた考え方そのもので
    あるのではないかと思う。

    いかなる人も神性を持ち、人権を有する。
    その有する権利に基づき、
    自立に向かうことを理想とすると
    ある者が与え、持たぬ者が与えられる、
    またはある者が奪われ、持たぬ者が取るという
    そういうある者と持たぬ者のギャップという
    スケールそのものが異なるものになる。

    「新しい現実」というう言葉は数年前に亡くなった
    経営学者ドラッカー氏の残した言葉だが
    このブログに書かれている「新しい現実」を
    共産主義や社会主義と捉える人がいるだろうか。
    過去、現在、未来を見つめて未だそう捉えられるだろうか。

    自由主義国家でも社会主義国家でも既にリーダーの方は
    このブログに書かれた内容が「そうだと思う」と心の中で
    共感した方々も多いと感じている。
    それは「すでに起こった未来」であるからである。

    これからの「ネクストソサエティ」は「自由と繁栄」の社会。

    その「自由と繁栄」はある者(持てる者)が
    他の人に対する慈愛の心を持つことが必要。

    私はドラッカー氏の本を何冊か持っているが
    あまり読んでいないと書いた。
    しかし、縁が深いと思うと書いた。
    本日はたくさんのドラッカー氏の言葉を含んでいるので
    経営学者ということでなく、お名前を記載している。

    私は「持てる者」が公正さや他の人に対する思いやりと
    いう心があったならば、過去の戦争さえ
    起きなかった可能性があると思うが
    ドラッカー氏もそう思っておられるのではないかと思う。

    そして国民も「持たぬ者」も自助努力の精神を
    持ち続け繁栄に導かれることが大切であるとと思う。