•  まず、「Miroku shows the God」について書きたい。
     今、日記を振り返ると最初に書き始めたころはまだ、
     このブログのみろく神示の始まり、日月神示について
     書く未来が決まっていなかったことがわかった。

     このブログに書いている「Miroku shows the God」の
     部分については仏さまからのインスピレーションに
     できるだけ忠実に、また読んでくださる方にわかって
     いただきやすいように書いている。
     そのまま書くというものはそのまま書いているが
     インスピレーションだけでは、まずイメージが
     先におりてくるので私自身への言葉として
     おりているものを変換していることがあったり、
     誤解を招きやすいものを変換したり、
     また仏さまの怒りや悲しみについては
     そのままブログに書くに忍びないものがある。
     私自身が書くのが辛いこともある。
     私が書くのをためらうとかなり厳しく
     「書きなさい」とインスピレーションが
     あることも多くある。
     
     このブログに様々な真理(法)が含まれているが
     その元となるインスピレーションがある。

     昨年4月5日は私が真理のため、たとえ一人になっても
     仏さまと共に生きる決意を固めた日だった。
     
     昨年の5月4日  Maser of Master
     「 よくここまで成長した
       思う存分、その身にまとった法を説くがよい 」
     このインスピレーションをいただくまでに
     私自身どれほどの困難、苦しみがあり努力したか、
     添えて記載しておく。
     
     他にも数々あるがそれが私を不惜身命にし
     勇気となり、今こうやってブログを
     続けている力となっていると思う。

         蓮の小さなつぼみ

         

     先日、心の時代を生きる2で菩薩の姿について書いた。

      「 泥中に咲く蓮華の花が
        自らが花を咲かさんとして
        努力してきた道を伝え

        また目の前にいるその人が
        自らの過去世の修行の姿であると思い
        導き、そしてその人の花を咲かす
        手助けをする姿である 」

     今回、蓮華の花から仏道の言葉がでてきているが
     全体のイメージとしておりているのは
     神仏への畏敬の思いがある信仰者であり、
     Master of Masterへの信仰がある人々へと
     いうものである。
      
     仏教の言葉で「抜苦与楽」というものがある。
     苦しみを抜いて幸せになること、
     またその道筋のこと
     無明の闇から抜け出て幸せをつかむことだと思う。

     信仰者から見ると自分の身の回りにいる人の
     苦しみについてその苦しみの原因をなんとかしたいと
     その人を裁く気持ちが多く生じることがある。

     しかし、闇を払おうとしても闇は消えない
     闇は朝陽が昇ると消えていく。
     仏さまへの信仰と真理が広がっていくほうが
     世の中は光となっていく。

     一人の人の苦しみもその苦しみを取り出して
     改めなさいと言っても困難なことは多い。
     それより負の要因をつかみながら、その人の
     仏性、光の部分を探しそれを大きくしていくほうが
     はるかに人は幸せになれる。
     「幸福の芽」を探し、育てていくことが大切だと思う。

     国家、組織のリーダーでも同じことがある。
     原因をつかみ、リスクマネジメントを十分にしていきながら、
     その国家、企業、団体の光の部分を伸ばしていくことが
     発展していく力となる。
     苦しみ、闇をなんとかしようとばかり努力をしても
     維持していくより低迷していき、
     発展への道は見えてこない。

     「幸福の芽」は自他共に仏性を探す道であり
     光を見出し、そしてそれを伸ばしていくことでもある。

  •  
     お盆なのでもう少し蓮の花を、
     先回一緒に撮った蓮の花です。
     
     


        

     植物には成長のエネルギーがある。
     そして人間にも成長のエネルギーがある。
     種から芽を出し、成長していき、
     そしてやがてつぼみになり、花が咲く。
     様々な花がある、どれひとつと同じ花はない。
     その成長のエネルギーを
     いかに良きエネルギーに育てていくか。
     今の時代、一番先に言わなくてはならないのは
     自己責任であり、誰のせいにしても人は幸せに
     なることはできない、自分自身の力でつかんで
     いかなくてはならないと思う。
     そして社会や国家がいかに人が幸せになるものを
     創っていくか、
     様々な問題に気がついたとき、その現在ただ今から
     どうしていくかが大切なのだと思う。

         

  •   何度も泥中の花について書いているが
      蓮華の花は仏教の言葉で「上求菩提下化衆生」に
      つながっていくと思うと書いた。

      インドの頃の僧団では心の修行を行い、
      自らの悟りの向上を目指し、仏さまに近づいていき
      悟りを得ることを修行としていた。
      インドの時代は階級があったので上下という表現だが
      仏道修行者は自らは仏さまを求め修行をしていくが
      一方では衆生に仏法を伝え、悟りの道に
      導いていくことが大切だった。

      泥中の花はインドのお釈迦様の時代に
      仏道を求め、心を磨き清らかな花を咲かせることが
      大切というものだと思う。

      心の時代を生きる1では「三諦円融」
      あの世とこの世があり、心の向上を目指し、その中で
      仏さまの意図を感じ取りながら生き、そしてそれを
      社会にも反映していくこと、仏さまの意図に添って
      今の時代を生きていくことが大切であると思うと書いた。

      インドのお釈迦さまの時代から年月がたち、
      学問、教育がある時代、そして情報社会に生きる
      私たちにとって「心の時代を生きる」とはどんなことか、
      それには仏さまはいったいこの社会をどうみているのかと
      考えてみることが大切だと思う。

      本来、仏さま、神仏の目は
      この世とあの世の全てを見つめている存在である。
      現代社会であの世の存在を知りながら、神仏と一体になって
      神仏の目で見たらこの世はどう見えるか、、
      「どうしたら多くの人が幸福に生きることができるか」を思い
      それを社会に反映しながら生きていくことが大切であると思う。

       「 泥中の花は自分を磨き、きれいに咲くが、
         泥も根も暗闇の中、もがきながら一生懸命に生きている。
         泥も根も心のどこかで花にあこがれ、花になってみたいと
         思っている。 」

      仏さまは蓮華の花のみではなく、その泥も根も暗闇の中で
      迷っている。また葉があり、花が終わって実になろうと
      するものもある。その全てに仏性が宿っている。
      そして空気があり、太陽の光がある。
      その環境の中で仏性をもつ泥も根も
      花に向かっていくにはどうしたらよいか、
      幸福になるにはどうしたらよいか、そう考えていると思う。

     


         

         Miroku shows the god 32

       「 仏道を求める者よ
         蓮華の花を咲かさんとするものよ

         神仏の存在があり
         そして永遠の生命があることを
         多くの人に伝えてほしい

         そしてあなたがたのその悟りの力で
         この世の多くの人々を幸福に導いて
         いってほしい

         それは泥中に咲く蓮華の花が
         自らが花を咲かさんとして
         努力してきた道を伝え

         また目の前にいるその人が
         自らの過去世の修行の姿であると思い
         導き、そしてその人の花を咲かす
         手助けをする姿である

         それが菩薩の境地である

             Master of Master        」

      これは現世に自らが花咲かせようとする
      地湧の菩薩の境地、世のリーダーの境地である。

      大いなるものへの信仰のもと
      自らの心をつかみとり、
      自他共に心を大切にし幸福な世界を築かんとする
      そういう心の時代を生きることだと思う。

      次元上昇の2段目である。  


      

  •   先日、今日本が取り組む問題6で内需のことを書いたが
      日本の貯蓄は消費しにくいものになっていると思う。
      団塊の世代以前方々の貯蓄が多く
      これからの高齢社会、社会保障の不安があり
      それを消費しにくいからだ。

      今、日本が国債を発行してすると誰が購入するのだろうか。
      一般では貯蓄を持つ世代の人々だろうか。
      しかし、現代はグローバルな情報社会でもあり、
      インターネット時代でもある。

      米国の経済政策の2で「自由」の限界について書いた。
      人には仏性があるとこのブログに長い間書いてきた。
      しかし、その仏性の現れ方は人それぞれである。
      それは子どもの頃からの環境、教育に大きく影響される。
      そして共産主義で教育された国の人々には
      自由主義で教育された人々と違う正しさの価値観がある。
      また宗教性の高い国ではその環境を支配している
      正しい価値観がある。
      そのどれもが仏性かと言われれば、
      それは歴史の中でその時代の宗教的な正しい価値観は
      あると思うが、歴史が流れ、
      現代ではこのグローバルな世界での正しい価値観、
      そして元となる仏性というものがある。

      ただ、過去、現在、未来の歴史の中での正義を
      捕らえて考えられる国家と自国の価値観のみが
      正しいと思う国家では自由主義、民主主義を主として
      判断する考え方のみでは交渉しにくい、考え方や常識の違いを
      十分に踏まえていかないと困難、知恵が必要となると思う。

      世界戦争は起こるか。
      世界戦争は何も軍事力だけの問題ではなく、
      静かな静かな戦略的な侵入ということが
      国家を揺るがし、国力を弱めることもあると
      考えなくてはならないのではないか。

      今、日本は国債は日本人が購入しているとしているが
      すぐにそれがくずれていくのではないかと考えられる。
      世界からみてもっとも安心できる国債だからである。
      国債を購入するのは誰か。

      先般からのEUでの問題やそれから米国の国債の購入先を
      考えてみてもこれからの日本の国債を購入しようとするのは
      主に海外になる可能性があるのではないか。
      その結果どうなるか、十分に考えてほしいと思う。

      それから今、日本と他国の平和と安定のために
      何が必要かという問題があると思う。

      以前このブログの「軍事力と共同体」に書いたが
      大きな共同体を護るにはまず、自国を護り続けることが
      もっとも大切なことであると思う。
      他国と平和と繁栄の為のパートナーとなるために
      日本に今もっとも必要なのは他国と同じ土俵にのり
      話ができるための国を護る軍事力であることを
      考えてほしいと思う。

  •   なぜ、だろうか。
      日本経済が海外に向けてばかり経済成長を探している。
      現在の日本では内需を拡大する要素を探すことのほうが
      大きな成長がみられるだろうと思う人はいないのだろうか。
      私は何度も書いているが経済に特に詳しいわけではない。
      だが、来年の日本経済は今年の日本経済と
      大きく変化してしまうだろうと予測がたっている。
      日本経済、そして世界経済の中の日本で
      大きな問題がいくつも見られる。今後、また書いていきたい。

      今ままでは外需の拡大で経済成長した。
      しかし、今外需を拡大すると低迷が長引くという構図を
      みている人はいないのだろうか。
      少なくとも今のままでは来年は外需さえ
      現在より低迷しているだろうと予測されるのではないか。
      今では言われているが、消費世代の収入減少、消費縮小の問題に
      ついてはもっと政策で解決できるものはある。
      それから日本はまだ新しいものについて消費の力が十分にある。

      そして現政権が言われている「地域主権」について
      以前からある若い政治家から強い強い心が届いている。
      「この理想に問題はないか」
      後日この問いにも丁寧に考え、答えてみたいと思う。

      最近言われている現政権の言われる「超党派」に
      正義はあるのだろうか。
      政権政党が提案、それを議論していくというごく普通の
      ことがなされることが大切なのではないかと思う。

  •   
      この日曜日にインスピレーションがあった。
      「まず信仰者」という言葉から始まったみろく神示の
      インスピレーションについて
      ひとつの使命(役割と言ったほうが良いか)が
      終わったと。
      もっとも簡単に言えば仏さま(Master)の怒り、悲しみを
      私がこの身に感じたことによるものだ。
      霊的な神仏の存在。

      使命と言えば到達するところ、または終着点があると
      思うがそのことについては今後に期待したいと
      言えばよいだろうか。

      私自身はかなり辛いことだった。

      ただ、このことについて書いてきた中で
      様々な時期に様々な人の仏性のきらめきを感じた。
      この感触がなかったらきっとここまで
      書いてこなかったと思う。

      日月神示の内容はわからない。
      今後もこだわって書いていくことはないと思う。

  •   他の人が愛されたら愛はなくなるものだろうか
      このことで人は悩むのだと思う。

      例えば子どものときに親から他の兄弟より愛されなかった。
      辛い・・・
      本当に辛い思い出があって兄弟も許せない。

      例えば恋人、自分より他の人を選んだ、自分を愛してくれない。
      辛い・・・
      本当に辛くて生きているのも苦しい。

      例えば友人、自分が仲良くしたいと思っているのに、
      他の人と仲良くって自分が置き去りにされているように思う。
      辛い・・・
      どうしていいかわからない。

      例えば社会の中で、ある人に自分が認められたいって思うけれど
      自分に気がついてくれない、自分の評価が低い。

      愛してほしいって思っても自分の思うように愛してもらえない。

      親はかけがえのない存在、
      なぜか自分だけがかわいがられなかった。
      親は自分の人生に関係が深いから
      自分がその親をその家庭を選んで生まれてきていると
      考えるほうが間違っていないと思う。
      子どもの頃だからいろんなことがわからない。
      自分が親になったときに初めて親の気持ちが理解できた、
      そういう人は多い。

      恋人、自分の手に入れたい、束縛したいけれどできない。
      その恋人は一生の伴侶でないかもしれない。
      世の中にはもっと自分に合う人がいるのかもしれない。
      そう考えていくと人は自分に合った人に後にめぐり合う。

      そして友人、友人も自分がその友人を束縛したいって思えば
      思うほど、きっと離れていってしまう。
      自分だけの思いが強すぎて窮屈なのかもしれない、
      もっとゆったりとすることが大切なときもある。

      社会の中で認められない、評価されないって
      自分で思っているけれど、周りの人はその人の力を
      じっと見ているところかもしれない。
      周りの人は評価できるかどうか考えている最中なら
      努力していきながら忍耐力が必要かもしれない。

      少し、心の向きを変えていつもの自分と違うところから
      考えてみること、人生の中で大切なことだと思う。

  •   ニューエイジという言葉があるが、
      いつもどおり既存の考え方にとらわれず書く。

      私はニューエイジは「心の時代」であると考えている。
      仏さま(Master)がおられ、そして心の時代 が到来する。

       仏さまは言われる。

          Miroku shows the GOd 31

         「人よ
          自らの心の仏性を信じよ
          新しい時代の創造が始まっているのである

          そして次世代を創る青年たちよ
          あなたがたの心に響き、きらめく
          その仏性を大切にしなさい
     
          様々なことが起きてくる中
          新しい価値観の創造がはじまっているのだ。

               Master of Master      」

  •   先日から携帯TELのカメラで撮った蓮の花を
      載せています。
      見ればわかると思いますが、素人です。

         

         この世にて この世にあらず 咲く蓮華
              仏の光 我が身に灯す   

      歌も素人です。
      ちょうど仏教の言葉にある「自灯明法灯明」でしょうか。

       

      

      泥中の花について先日書きましたが
      蓮華の花は仏教のことばで
      「上求菩提下化衆生」につながっていくと思うのです。
      
      これはインドの頃の僧団の言葉ですから上は仏さまですから
      信仰のある人ならそれで大丈夫だと思いますが
      今、日本で上とか下とかいう表現は適切でないかもしれません。
      「上求菩提下化衆生」これについて
      今度「心の時代に生きる 2」で書きたいと思います。

         

  • *日記です*

    このブログを長く読んでくださっている方は今どきになんてひらがなが多い文章だろうと思っている方がおられるでしょう。

    先日も内容がかなり重かったものに「ものごとを成功させるには」という題でブログを書きました。

    今は日常的にほとんどPCでしか文字を書きません。

    ですから変換していくのでいくらでも漢字で書けるのですがなぜ、ひらがなかというとただひらがなが好きなのです。

    日本のいろは 「 いろはにほへどちりぬるを・・・ 」

    ひらがなの曲線や品、優しさが好きです。

    漢字が多い文章より「心がほぐれる」と思うのです。

    ひらがなは日本にしかない文化の大切なもののひとつではないのでしょうか。

    政治的なこと今までたくさん書いてきました。

    「自由と繁栄」まだまだ書き足りないのです。

    書いている途中になっているものもあります。

    他にも書きたいことがあります。

    しかし、今は悲しみのほうが大きくてブログの更新はしていきたいと思いますが、政治のことなかなか書き始めることできません。

    この悲しみの手を開きたくないと強く思っています。

    仏さまがおられますから。

    泣き弥勒像を思い浮かべ、なぜあのような悲しい表情をしているのか、ふと考えています。

    今私に起きていること、こんな冷酷で残酷なこと、もうこれ以上、他の人に起きないことを祈念します。

    これ以上続けてはいけない。

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