•  

    以前、このブログにMiroku shows the Godのことを
    書いたとき、ひとつの降魔になると書いたことがある。

    そのとき、魔の存在についていつかこのブログに書く
    ことがあるのだろうかと書いたと思う。
    たぶん一日のブログで済むことではないと思う。

    話は変わるが昨年、キリスト教の大切な教えである。
    「 汝の主を愛せよ。
      自分のことのように汝の隣人を愛せよ。 」

    このことを仏さまのことばを補足して書いた。  
    「 汝の主を愛せよ。
      なぜなら汝の主は愛であるからだ。
      ならば神性を持つ汝の隣人を愛せよ。 」

    実はこのことばの続きとも思えることが
    その後書かれた「THe Laws of the Universe 」の
    まだ書いていない続きの中に含まれていると思う。

    「魔の存在」というと西洋のものというイメージを
    持つのは私だけだろうか。
    もちろん様々な宗教で語られていると思う。
    迷える憑依霊とは違って、魔というものは
    積極的に悪を行い、悪に導くということになると思う。

    最初に書いた降魔のことでわかることがあると思うが
    「魔の存在」は悪いものである。人々を不幸にする。
    力で自分の思いどおりに支配しようとする。
    仲間を増やし、社会的に支配をしようとする。

    しかし、私が仏さまから何度もお聞きしていることに
    これだけでは説明できないものがある。
    その内容を直接書かないが、信仰における「魔」と
    いうものの心について考えてみたい。

    信仰で言えば「魔」の存在は逆に「神になりたい」と
    思っているのである。
    神仏はこの世をつくり人々を幸福にしたいと考えて
    おられる。
    そのために時代の精神になるような救世主が
    その時代時代におられ、真理という法によって
    人々を幸せへと導きたいと思っておられた存在があった。
    魔の存在はどうか、自分が世の中を支配し、
    人々を統治したら世の中はそれでいいのだと考えている。
    自分が偉い存在になり治めたらそれがいいと考える。
    全てが自分の思い通りになると神になったと思うようにも
    なることがある。

    キリスト教で「魔」の議論をすると「悪」であるとばかりに
    言われないことがある。
    キリスト教には罪に対し、反省、懺悔がある。
    あまりに不幸や災害が我が身に訪れると魔は神と契約して
    いるのかという考え方があると思う。
    このことについては「否」である。
    これの説明はまたの機会にする。

    「魔」の心には「なぜ、この地上で神として生きていた者と
    自分が同じことをしているのに、自分は地獄に落ち、
    苦しまなくてはならないのか」というものがある。

    私の行う降魔はかならず悟りの言葉が伴う。
    このブログで数々の降魔を行ってきたが、一番大きな
    ものは未だ先送りになっている。

    魔は「なぜ、この地上で神として生きていた者と
    自分が同じことをしているのに、自分は地獄に落ち、
    苦しまなくてはならないのか。」
    今世、多くの人が納得できる答えが出すときが来れば、
    世の中は大きく善転していく可能性がある。
    まだ、可能性としてしか言えない。

    別のことだが
    この世にいる人に「魔がとりついている」と
    いうことがあると思う。
    以前霊視、霊聴の正邪が難しいと書いた。
    もし、そういうことが公になれば
    その人にあるいは国にレッテルを貼ることになる。
    その人が成長できないばかりか、
    反発して友好な関係が築けないことが多い。
    もし、「魔がとりついている」というなら
    そう言っている人が自らその相手を浄霊していく責任が
    伴うものであると思う。

    そういう以前にどう多くの人にとってよい道に
    導くかという知恵が必要だと思う。

  • もし、このブログを読んでくださっている方の中に
    日月神示について興味がある方がいたら、
    申し訳ないので「日月神示」について少し書いておきたい。

    私はブログを書き始めて「日月神示」という本を
    買ってきた、しかしまだ開いていないということを
    何度か書いてきている、実際、本自体は開いていない。

    しかし、
    昨年秋に書店に行ったとき、なぜか一冊の雑誌を手に
    してた。表紙をみると「日月神示」について載っており、
    そのまま購入した。初めて購入した雑誌だっただが、
    縁があったのか、そのまま読んだ。
    私の心の中にあるユートピア社会の考え方というところから
    読むとわかることがある。
    失礼かと思うので詳細は書かない。

    このブログの
    「日と月の間に地球を内包している仏さまが現れる。」

    「日月神示」で「みろく神示」がはじまり、かなり負荷が
    かかっているということを先日書いた。

    本当にそうだが、仏さまの心をそのまま受け取っていくと
    やはり書かなくてはならないことは書かなくてはならないと
    強く思う。
    それは私が最も大切な仏さまの心だからである。

  • 先日心の法則2で「合わせ鏡の心」を書いた。

    「合わせ鏡の心」ということは消極的に言えば、
    人に対し寛容であれということにもなる。
    もっと積極的に言えば、人が幸せになるような
    行動をしていくということになる。

    寛容さというものを持つ人間は
    度量や器が大きいと言われるのではないか。

    特に組織のリーダーや育成の仕事をしている人は
    この「寛容さ」と「耐力(私は忍耐力より耐力と
    いうことばのほうが積極的なイメージがあると思う)」
    というものが非常に大切だと考えているのではないか。

    私は「寛容の美」という考え方が好きである。

     「 我、必ずしも真ならず
       彼、必ずしも偽ならず、悪ならず 」

    仏教からきただろう韓国の「悪」という概念の
    考え方とは違うものである。

    善悪をしっかり分けて道を進むことも
    必要な時があり大切だが
    「寛容の美」は人に対し、
    自らの心に常にそれを刻み、他者をみていくことで
    謙虚さが生まれてくるように思う。

  • 心の法則1を先日書いた。
    心は現実世界につながっている。

    心は自と他が「合わせ鏡」となっていることが多く、
    まず人の批判をするより
    自分の心を見つめる、省みることが大切である。

    人が人の批判をしていると体外同じ心で
    相手の人も思っている。

    夫婦でけんかをすれば、同じ怒りの心で対面している。
    お互い怒りの心の部分しか表現されないこともある。
    どちらが悪いというより歩み寄ろうとする心が
    みられないこともある。
    また、どちらかが意図的に行っていることもある。
    仏さまの目は厳しい 。

    心は合わせ鏡ということは
    人の批判はするより、批判という形ではしないほうがよい。
    「勝ち負け」の力関係の話でなんの進展もなければ
    返って停滞を生むことになる。

    人の批判をする前に
    まず自らの心の中に同じものがないか、
    組織ならその組織のリーダーの中にその心がないか、
    現行でおこなわれてないか、
    十分に考えてみる必要がある。その組織の弱いところになる。

    この世の価値観では力のあるものが力があるから
    その立場だからさまざまなことが許されるというように
    見えることはあるが、仏さまから見て、
    その人の立場の違いで許されるということはない。

    自分は正しいことを言っているという、
    正義をかざして言っていても
    単なる批判で発展を停滞させることもある。
    また、正義と批判はちがうものである。

    心を整えて日々生活していくことが大切。
    まず自らを省みて、仏さまに対し詫びることがあれば詫び、
    また前向きに生きていくことが大切。

     追記
     「合わせ鏡」の考え方は仏教からみるともう少し深みが
      ある。自らを省みるよう縁として与えられていたり、
      全く違うことと捕らえていたのに本質は同じだったり
      することがある。
      その原因や理由が違うがその人からみると現象として現れ、
      その人に気づきの縁を与えられているものであることがある。

     注意
      再度、書くが今回の内容に仏さまの怒りの心が多く
      含まれている。

  • 昨年5月から書いていた「自由と繁栄」について
    あの後も何度も書きたい内容が心に到来しては流れている。

    このブログの「心の時代の枠組み2 民主主義を超えるもの」
    の内容に含まれるものだと思う。
    すでに現存の民主主義を超える内容が含まれていると考えて
    いただいているのではないかと思う。
    「民主主義を超えるもの」の入り口だと思う。

    「自由」については「自由主義」と「新自由主義」を超えて
    「自由と繁栄」について神仏への信仰を含めて書いている。

    「国富論」時代が悪いかというとそうではないが、
    時代の流れの中でさまざまなことが起きていると
    いうことなのだと思う。

    その過去・現在を見て未来を認識し、未来を創ることが
    大切だと思う。
    そして相対的な見方も大切。

    書き足りていない、そのことを残念に思う。
    他のことも・・・
    そして今は消費税増税についても書き足りてはいない。

  • このブログの副題が
    「心の時代へのパラダイムシフト」だが私は数年前に題名は
    違うがこの内容とコミュニティケアについて論文を
    書いたことがある。

    それを読んでくださった教授は
    「この日本経済の中でうまくいくだろうか」という
    感想の心を下さった。
    私はその時、「経済が満たされているときにはかえって
    できないのではないか、むしろ今のような時代だからこそ
    できるのではないか」と考えていた。

    論文の一部を記載する。
    『21世紀日本は超高齢社会と共に介護を通し、
     「モノ」ののみの価値観から離れ、心の大切さに
     価値を見出し、「何かができる」という心身の発達以外に
     心の価値が形成され、心の豊かさを求め、心の発達を目指す
     「心の時代にパラダイムシフト」する。
     やがてその価値観が学校教育にも取り入れられ、国民全体が
     心の発達を目指していく。かくて日本は福祉先進国家となる。
     (確か国家という言い方が違うと指摘されたと思う)   』

    この文章の前後には「権利意識」により「モノ」の価値観が
    上になる時があることやコミュニティケアについても書いている。

    そして別の論文で「心の発達について」新たな視点を書いている。

    この論文は単なる夢物語ではなく、たいへん真剣な思いで
    書いたものである。
    このブログはそのために書き始めたのだ。

    しかし、私の意図と関係なく、仏さまの意思により
    そして必然的に日月神示についてふれることになり、
    このブログの「みろく神示」を書くことになってしまった。
    今では私にとっては非常に負荷の高いものになった。

  • 「心の科学2心の法則」については
    また続けて書いていきたい。
    今日は「組織づくり」について書きたいと思いながら、
    優先的に大切なものを書いていく。
    組織づくりについては「現代のコミュニティ」で
    少し書いているがボランティア活動、特定非営利法人など、
    組織を作るときのリーダーの考え方、注意していかなくては
    ならないことを書いてみたかった。
    そして継続するにはリーダーという立場の人が
    その一代限りの組織とするのか、永続的にするのかを
    最初から考えて活動をしていかなくてはならないと思う。
    後日、書いていきたい。

    このブログに「Master of Master」と書かれた
    Inspirationがよく書かれているが、
    既に長く語られている宗教や
    現在ある数多くの宗教で言われる「Master」と
    違いがあるだろうか。
    通常宗教上の「Master」という存在があるが
    「Master of Master」と書かれているのは
    一言で言えば「地球神」である。
    現存の他宗教でこの「地球神」のことを書かれていると
    「地球神」自体は意識としてひとつなので内容が
    重なってくることもあると思う。
    そういう現象が起きているならそれぞれで内容、意味合いが
    同じか、受け手で異なることがあるのかもしれない。

    私のInspirationは「Master of Master」と書かれて
    いるときは直接頂いているInspirationで書かれているので
    この世界の人から頂いているものではないし、
    誰かに操られて?書いているものでもない。
    直接いただいている。
    ブログを書く前から頂いていたので自分自身で驚きは
    ないのだが考えてみたら大きなことだと本日あらためて考えた。
    知人には話をしているが宗教を仕事としてしている人と
    このブログの話をしたことはない。
    だから誰かにとられそうということが起きるのか。
    でもこのブログに手を出したらいけないと思う。

    昨日、どなかたからかInspirationで「慈悲」の力について
    尋ねられたので答えた。

    弥勒は「慈しみ」という意味があると読んだことがある。
    「慈悲」は弱いものか。
    人が人に慈悲の行為をしようとするとき、あるいは社会に
    対してや福祉などで慈悲というものを現そうとするとき、
    ともすれば「優しさ」や「慈しみ」などの行為は
    強くないもの、むしろ弱いものに感じるだろうか。
    しかし、私が思う「慈悲」は非常に強いものに思う。

    人がひとり慈悲の行為を行うことも非常にたいへんな力が
    必要だと思う。
    人が人に行為としてする「慈悲」は一人ひとりは
    小さな思い、行為かもしれないがこれが集合となり、
    また循環し始めたら大きなものとなる。
    まして「慈悲」というものは仏性の中で最大の力を
    発揮するものだと思う。
    「慈悲」の行為を支えるのは信仰であり、だからこそ
    仏さまの「慈悲」の力が大きく動くものだと思う。

    信仰に裏づけされた「慈悲」は最大の力を発するとき
    それは大きな力となると思う。

    *追記
    「地球神」という表現について書き添える。
    大きくこの星としての地球文明を創る神としての
    「地球神」という意味だったが、
    以前このブログに書いたことがある「地球意識」は
    「地球意識」と書いたほうがよいのではないかと思う。

    心を深く向けてみた。メッセージのみを書くと
    「私が大きく動くときは根本神仏の意志が働いているのだ」
    ということだった。

  • 心を科学する。

    このブログで「心の力」ということを
    何度か書いてきた。

    心には力がある。
    どんな力だろうか。

    自己を卑下をして自分は不幸だと思い続けると
    本当は幸せを求めていても残念ながら
    不幸しかやってこない。
    自分なんてどうせ・・・と思っていると
    いつの間にかもっとそう思うようなことに
    なってくる。
    自分は誰かのせいで不幸だと思うと
    その人を許せず、自他共に不幸になっていく。

    自分自身が気がつかないで
    不幸を引き寄せている人も多い。
    自分の心の中で繰り返し、思い浮かぶものが何か、
    よくよく見つめてみてそれを打ち消し、
    新たな発展的なビジョンを繰り返し
    入れていくことが大切だと思う。

    自分の心が幸福になりたい、成長したい、
    発展したいと思えば、心の方向性ができて
    継続するとそういう道が開けていく。
    幸福の芽を見つけ、育てることが大切。

    ただ、仏さまの心に合わないということが
    その道の扉を閉じてしまうことがある。
    そんなときは自らの心を見つめて
    自分だけの幸福を求めていなかったか
    考えてみる、省みることが必要となる。
    自らの心を科学していく。
    自分だけの幸せを求めていなかったか。
    そのために他の人を害していなかったか。
    自らを律していくことがとても大切である。

    日本が自国が繁栄し、世界にとっても良い影響を
    与えていける国になれると心を持つリーダーが増え、
    そうだと思う心を持つ国民が増えていけていけば、
    実際そういう精神世界が形成されてきて
    現実にいろいろ変化がおきてくる。
    逆に他国と戦おう、戦って勝とうという
    攻撃的なリーダーが増えると
    そういう精神世界ができて破壊に
    向かう力が働いてくる。

  •   [ The Law of the Universe ]

      Everything has a divine nature.

      Everyone has the nature of the Creator.

      「全てのものに神性が宿っている。
       あなたがたには創造主の性質が宿っている 」

      Divine origin created space and time.

      Divine origin created

      The laws of this universe.

      The laws has
      a vector of harmony and development.

      「根本神仏は空間と時間の概念を作った。
       根本神仏はこの宇宙に法を編んだ。
       その法は調和と発展というベクトルを持つ。」

      [ I’ll speak to you more slowly.
     
       But,I have minimal time to speak with you.

       I created you in my thought.

       There were my thought, “Everything,Be exist.”

       I created the great universe.

       Then,I spoke you,”Live together,”

       “Make happiness together. 
     
       You come into being in the great universe.

       This is the Law of the Universe. ]

      「もう、少しゆっくり話をしよう。  
       しかし、私が話をする時間は僅かである。
       私は念いの中であなたがたを創った。
       ”全てのものよ、在れ”と念い、
       この宇宙を創ったのだ。
       そして、あなたがたに
       ”共に生きよ、幸福なれ”と言った。
       そうやってあなたがたは生まれてきたのだ。
       これが宇宙の法である。        」
     

      What’s divine nature?

      It is Love,Right,Beauty,Cooperation,

      Growth,Development…

      Ask Your Heart,
     
      Seeking happiness,Seeking the truth,
     
      Others bring up,Want to improve society,
     
      and many more…
     
      But…

      「神性とは何か。
       それは愛であり、善であり、美であり、
       協調、成長、発展・・・
       幸せになりたい心、真理を求める心、育む心、
       社会を良くしたい心、それから・・・。
       しかし・・・                」

      この続きはもう少し先になります。

  •   *日記です*
      ここ数ヶ月なかなか更新できない状態です。
      
      まず心の王国を守ること、私の心の世界の価値観を
      守ることに相当な力を要しています。
      違う価値観をもってこられても、やはり違うものは
      違うと思うのです。
      私の心の作用はどこかに様々な影響が出ると
      思っています。
      心の作用についてももっとブログを書いていきたい。
      
      それからネット上、PC上のこともかなりあります。

      でも、本日思い立ったのです。
      もし、このブログが私のものでなくなっても、
      またゼロから始めてもいい。
      きっとこのブログを読んでくださっている人は
      違う人が書けば、私が書いているのではないと
      気がつくでしょうし、
      また始めれば見つけてくださると思います。

      そろそろ終盤でしょうか。
      「Launcherによる攻撃」をする気配を感じていますが。