•   先日から「 神の見えざる手  invisible hand of God 」に
      ついて書いていたがこのことについては今回で終わりにして
      引き続き「自由と繁栄」については書いていきたい。

      自由主義経済で「神の見えざる手」により分配されるはずだが、
      資本家たちは利益を手にしているが労働者や国民には努力しても
      分配がない、現在の情報社会では、その労働の扱いについて
      正当かどうかと考えることができる。
      そして労働者が不当と考え、不満をもつことが資本家から
      みて正当であるかどうかということがあるが、
      仏さまの目によってどちらかが大きく仏さまの心にかなっていないと
      反作用が起きてくることも十分考えておかなくてはならないと思う。

      仏さまは人間に「自由」を与えてくださっている。
      それは時間と共に発展していくことにもつながっている。
      本当の「自由」とは何か
      米国のように「他からの不干渉」や個人の「自己決定」は
      それは人間個人の自由であって、国家という集団、
      また組織や地域の中の個人としてとらえていくときに
      不足していると考えられる。

      現在の日本で「共生」ということばもあるが
      仏教で言えば「依他起生」、人は人に依って生きていると
      いうことがある。
      人は世の中にたった一人しかいなければ自分を
      表現する必要がない。
      人はたった一人しかいなければ他の人とくらべて
      苦しむ必要もないが、自分を磨くこともなく、
      自分の肉体の成長以外に意味をもつものがない。
      喜びも楽しみも少ないものである。  封印Ⅲ

      人は人の中で生き、そして人が本来持っている
      「向上していこうという心」が 
      何かを求め、何かを生み、何かを継続していく力となっている。
      それが資本家にとって「自由な発想」、「より高い自己実現」
      更に心が深くなると企業家として「企業理念」、
      労働者の育成、正当な賃金いう価値観をもつようになる。
      そして労働者側も企業人としての「努力」
      「自由な発想」に「正当な評価」を求め、
      社会人としての良識ある「自由」の享受があるのだと思う。

      仏さまは「調和」と「発展」を求められる。
      人が自由の中で調和的な考えを忘れてしまい、物質だけの価値に
      生きていくことがよいことだとは思われていないと思う。

       Miroku shows the God 26
       
       「 人よ
         私はあなたがたに自由を与えた
         自由の中で様々な発展を求めよ

         しかし、人は一人では生きることができない
         お互いの存在を認め合い、共に生きよ

         自由の中で調和的な社会を築き、
         そして共に繁栄の道を選べ

         そうしていくことで
         その社会は長く続くことになるだろう 
     
              
               Master of Master      」

  •   私がこのブログに政治のことを書いているのは
      民主主義を超えたところに現代のコミュニティがあると
      いうところから始まった。

      現政党の首相が代わり、風が変わったと感じた人は
      多いのだと思う。
      わたし自身も五感を通じて感じているものがある。
      それは前首相が環境問題や福祉政策のことを
      その発言や政策に感じるところだったが
      現首相は同じ民主党でも全く感触の違う人だと思う。
      前首相が福祉政策から社会主義へということを
      このブログに書いてきたが
      現首相は社会主義より全体主義的な様相を感じる。

      先日、「自由と繁栄 5」で「地域主権」について
      書いたが今日更に考えていたことは「地域主権」と
      「EU」についてだった。
      現在、その内容が明らかになってきているが、
      以前EUについてそれぞれの国が自国を守ることが
      大切だと書いたと思う。

      現時点でのことだが「地域主権」の未来に
      「自由主義経済」とそして現在の「EU」の問題が
      重ねて見える。このことについても今後考えていきたい。

  •   国家組織のリーダーについて、
      民主主義、共産主義、軍事政権というもの、
      また一定の間全体主義の形をとった後の独裁主義について
      以前このブログに書いた。

      国家組織にリーダーは必要である。
      国民が幸せになるリーダーとは何か。

      現在、軍事力をもった民主主義政権下で国民が「支配」を受けず、
      民主的な中で自由を与えられているのはなぜか、
      当たり前だといわれるかもしれないが現時点で三権分立が
      取り入れているからだと書いた。

      民主主義が全体主義になっていくとき、扇動的なものが
      おきるということもこのブログの政治について書き始めた
      最初のころに書いたと思う。

      今、日本の政治に問われるものは、「責任の所在」では
      ないかと思う。
      国民全体の民意をどう組み入れて政治をおこなっていくか。
      そしてそれが国民全体の利益となり、国民全体の幸せに
      つながり、また個人としての幸せにもなるか。

      国家組織のリーダーが一国を任せ、国全体を幸せになる
      方向に動かしていけるか、
      後日また書きたいがひとグループや限定された民意をそのまま
      国全体の民意として取り入れるのでは政治として
      不足があると思う。

      現在の日本の民主主義では政党として責任を負っていると
      いわれているが、責任が分散していることで問題の長期化、
      また国民からみると政党の様々な意見が乱れ飛んで
      情報に押し流されていって結果がみえにくいという
      結果になっているようにも思える。

      政治責任、政策の責任をはっきりとして
      悪い意味でも良い意味でも責任の分散がないほうが
      国民が納得していくものではないか。
      ここで、自由の国である米国の大統領制が
      独裁主義にならず、政治責任を果たしていることに
      ついても考えていきたい。

  •   先日、福祉について世界最高水準と言われると既存のものは
      価値観の転換が必要、
      安心できる社会づくり、国づくりがもっとも大切なのではなく、
      基本的な形として家族を守り、そして地域、
      国を守っていかなくてはならないというものがあり、
      国家有事のときでなければ家庭での幸福が国全体の幸福に
      つながっていくと考える視点を忘れてはいけない。
      それが新しい福祉の最高水準に至っていくものではないか。

      以前もこのブログに書いたが、
      自由主義での経済成長の中、市場の失敗から
      経済政策、福祉政策が進められた。
      このとき、福祉を必要とした多くの人々は政府の作った
      大型施設に収容された。今は収容ということばはなじみがない
      ように思う。今言われる大きな政府が、大型の福祉施設を
      たくさん作っていったのだと思う。
      しかし、福祉の進歩によって、現在に至ってはひとりひとり、
      個人について考えていくようになった。
      
      現在までの福祉は大きな政府が安心できる社会づくりで
      大型施設を作り、また小さな政府が地方分権の中、
      コミュニティをどうすすめていくかというところであったと思う。

      今までは大きな施設、またコミュニティについても
      社会と個人でとらえている。
      日本の介護保険は家族についてふれているがもっと進めて
      個人と家族が幸福であるためにどうしていくかという視点が
      大切だと思う。
      多くの人は家族の中で育ち、かけがえのない、そして代替のない
      家族の中で生活をしている。
      人としての幸福とは何か。
      個人の福祉はその人自身の幸福と家族の幸福につながるもので
      なくてはならない。人はまず自分自身のために生きていると
      思うが、そして家族のために生きているのであり、
      社会のために生きているというものと少し距離がある。
      逆に考えていけば、社会から家族を含めた個人ではなく、
      社会から個人の福祉と考えるところに
      ずれが生じているようにもみえる。

      日本は高齢社会の中、これからもっと施設志向が強くなる
      ように思う。しかし、その奥にあるものは「家族に迷惑を
      かけたくないから、そして家族と良好な関係を保ちたいから」
      ではないのだろうか。
      このブログの最初に書いたが「家族力」を強める、高めると
      いう視点と個人を含めた家族全体の幸福という視点が必要、
      特別なことではない。
      現代のコミュニティに個人と家族をとらえることは
      大切なことだと思う。
      
      それが大きな政府築いてきた福祉国家というものを
      大きく変える新しい福祉国家となると思う。
      個人と家族の幸福が国家の幸福となるような視点が必要である。

  •   「私の悲しみを握りしめたこの手を今世、開くことはないだろう」
      その悲しみ、ひとつは私の「希望」を奪われる苦しみ、
      もうひとつは私を悪とし、私から信仰を奪おうとする人たちから
      くる苦しみですが、本来奪えるものではないのです。

      私は仏さまから大きな意味でのいくつかの使命を明らかに
      されています。また大きな意味での使命とくらべると
      小さな意味での使命もあります。
      それについてご自分もそうなりたいと思う人がいるでしょうか。

      このブログで「自由」についてすでに長く書いてきていますが
      書いている私自身の精神世界は例えていえば、子ども頃に読んだ
      「雪の女王」に連れ去られた「カイ」のような状態であると
      感じることがよくあります。それは精神世界の話ですが・・・。
      私自身は普通の人間として生きていますが、精神世界は
      かなり統御しており、されています。
      特に言われているのは「世の中の価値観に迎合するなかれ」

      先日から「現代のコミュニティについて」私自身のことを
      書いていましたが、精神世界でのことですが昨日、
      「あなたのブログを読んで仏さまについてわかった。 
      では仏さまとつながっていくにはどうしたらよいか、
      少し教えてほしい」というものがありました。
      (私に必要なものしか、つながらないように守られています)

      現実的な私と仏さまの会話はブログに書いているものの
      何倍もあります。
      しかし、ここに至った私の心は「一念三千」
      ひとつの思いを発するところからの統御がなされており、
      その思いが正しいか、真理に合っているか、
      また相対する人がいる場合、相手を正確に事実を見ているか、
      ほんとうにわずかな思いでさえ、仏さまが常にみておられ、
      たとえ私自身が不利になることでさえ、妥協は許されません。
      (こんなときは祈りをさせていただいています)
      その先に私が発することばがあり、感情を表現していくと
      いうことがあり、それは毎日毎日、思いのひとつひとつ
      ことばや行動について常時繰りかえされています。

      仏さまにつながっていくには、
      ことばを変えて言えば「仏さまとひとつになろうとすること」
      それには「太陽の如く、常に光を供給しつづける存在になろうと
      すること」
      この地球は太陽系の星です。太陽から常に光が供給されているように
      自分自身も常に「愛」を供給し続けたいと思い、実行をしていこうと
      することだと思います。
      「無我の境地から自分の心を他者への愛で満たしていくこと」
      そう考えていくことが大切であると思います。

      しかし、霊存在である神仏とひとつと言っても
      「神仏」と「我」と「ひとつである」と考えるところに
      間違いが生じることは多のだと思います。

      私の「悲しみの手」の悲しみでさえ、その感情が正しいものか、
      それを表現することがよいことか常に仏さまがみておられ、
      そして私自身はその度に確認をしています。
      「現代のコミュニティ」は私が現実にやっていきたいこと、
      しかし、この私の「悲しみの手」の意味は私の苦しみとして
      表現されていますが、仏さまが私に言われる使命の大きなひとつ
      「この世の価値観の転換」の意味があります。
      この「悲しみの手」を握りしめて、そこから新しい価値観、
      信仰観を確立していくという意味があります。

      この「価値観の転換」とは何か。
      世の中の「権力」「権威」
      組織における「権力」、現代社会で言えば情報という
      目に見えない「権力」、共産主義にもみられる階級による「権力」
      軍事力による「権力」、
      それから信仰を語りながら「権力」を「力」とするもの
      そういう「権力」は普通考えられますが、そういうものを超えて
      「権力という価値観」から「信仰という価値観」への転換
      「正しい信仰観の確立」に他ならないのだと思います。
      付け加えておくと、組織に「正しい組織力」、社会に
      「正しい情報」は必要です。
      それがこの「幸福の芽」のブログの大きな意味のひとつ
      なのだと思います。

          Miroku shows the God 25

          「 人よ
            この地球に住む人は皆、仏性があり
            私にとって、等しく仏の子である

            あなたがたの価値観が間違っているのだ
            この世の価値観から離れ、
            真理に合わせよ  」

  •   ここのところ、「現代のコミュニティ」について
      書いていますが、もう少し続けて書きます。

      私が「生老病死」から何か世の中が幸せになるための考え方を
      世の中に打ち出していきたいと思ったのは20年くらい前の
      ことでした。それから現在に至っています。

      その中で明確に「心の時代」を築いていきたいと思い、
      「現代のコミュニティ」と「心の時代へのパラダイムシフト」の
      中心部分が明らかに形づくられてから3年たっています。

      「現代のコミュニティ」について考えはじめたのは、前にも
      書きましたが現代の社会問題を解決のキーとなると考えたからで、
      人が悲しみ、苦しみから離れ、幸せになっていくためのものになると
      思ったためです。

      それから、
      「私の悲しみを握りしめたこの手を今世、開くことはないだろう」
      先日そう書いたことがありましたが、あのとき、どんな悲しみを
      握りしめているのだろうと考えたでしょうか。

      ひとつは私の希望を奪われる苦しみ、この「現代のコミュニティ」の
      中心部分が明らかになった3年くらい前から二河白道の道を歩いて
      います。この考え方は社会に役立つと確信しましたが、
      私自身を一方で認められながら、一方で私を虐げ、私を否定し、
      そして成りかわりたいという人たちから道を阻まれる苦しみ、
      先日感じたような濡れ衣きせられそうになったり、何度も
      この身を切り刻まれるような苦しみの中、進んできています。

      もうひとつは私の信仰が深くなればなるほど、私を悪とし、
      私から信仰を奪おうとする人たちからくる苦しみです。
      それはたった一言の意見から始まった。
      しかし、信仰は本来奪えるものではないのです。

      私の悲しみを握りしめたこの手、
      この手は握っていたら、「希望」がありますが、
      開けば、パンドラの箱を開いたときのようになるかもしれません。 

       Miroku shows the God 24
       
       「 信仰者よ
         何度も何度も私のことばを聞いているはずである

         それでも変われないというのなら
         その運命を受け入れよ            」

       みろく神示 1
       
       「 日と月の間に地球を内包していた仏さまが現れる 」

        法を体現することが最優先である

  •   先日から「 神の見えざる手  invisible hand of God 」
      について書いてきた。
      信仰のある諸外国では「神」と言われることがどれほど大きなことか
      わかると思うが、この日本にはここでいう「神」という存在自身の
      存在や重さを理解できる人は少ないと思う。

      また、共産主義も「神の不在」を意味するが、本来「在った」ことをも
      意味している。共産主義のリーダーが「神」への信仰のもと、
      社会を作っていったら、また違うもっと高度な世界観をもった可能性が
      ないわけではないと思う。

      名のないときから、宗教的な社会主義的な考え方はあったと思う。
      現在、これに近い社会主義国家を形成し、維持していこうとしている国も
      あると思う。

      もどって、「神の見えざる手」により分配されるはずだが、
      資本家たちは利益を手にしているが労働者や国民には努力しても
      利益がこない、
      このことは現代は、時代が情報社会になってきたことで自分以外の人の
      情報がある程度つかめるため、「神の分配」ではなく、
      その労働の扱いについて正当か、どうかと考えることができる。

      そして日本のような民主主義で人が不当と考え、不満をもつことは何か、
      それが仏さまの目によって正当性があるとき、それによって
      反作用が起きてくることも十分考えておかなくてはならないと思う。

      不当とは何か、
      労働者としてその賃金について何かしらの原因かまたは原因なく
      不当だと感じること、
      労働者として自らの生産性や自らの発明について全く評価を受けず
      使用されること。
      労働者自身が身に覚えない不利益をこうむること、
      身に覚えない差別(いじめ?)を受けることなど、
      そういうことが考えられると思う。

      民主主義の場合の正当性について「不当でない」ことから
      書いた。

  •   先回のブログにもう少し足していきたいと思います。

      情報社会の中、一日で全世界に情報が回っていく、
      国家や経済、福祉の情報も同じく、世界に
      かけめぐっていきます。
      もはや、情報統制をしている国でなければ、
      情報を一国に収めておくことは不可能です。

      グローバルな視点が国家や経済、福祉に
      求められる時代になりました。
      世界競合の中、最高水準とは何かと考えられています。

      そういう点では日本の学力が低下し、日本のトップリーダーたちが
      世界で通用しなくなるような国づくりはしてはならないと思います。
      そして、経済の繁栄や福祉国家としても先日書いた
      米国の社会保障制度のように世界水準とは何か、その中で国は
      国民のために何を考え、これから何をしようとするかということが
      求められていると思います。

      特に福祉について世界最高水準と言われると、既存のものは価値観の
      転換が必要、安心できる社会づくり、国づくりが 
      もっとも大切なのではなく、
      基本な形として家族を守り、そして地域、国を守っていかなくては
      ならないというものがあり、国家有事のときでなければ
      家庭での幸福が国全体の幸福につながっていくと考える視点を
      忘れてはいけないと思っています。
      それが新しい福祉の最高水準に至っていくものではないか、
      そう考えています。
      ソーシャル・インクルージョンは問題のある社会に必要、
      しかし必要なのは、ソーシャル・インクルージョンではなく、
      家庭内にお互いの愛があることであると考えます。
      そのために何をすることがよいのか。

      まだまだ、このブログの先に進んでいきたいと考えています。

  •   「神の見えざる手」についてもう少し書きたいが
      今日は私のことを書きたい。

      もう随分長い間このブログを書いてきた気がしています。
      最初の読者の方と最近の政治色の強い内容と読者の方も
      変わったのでしょうか。
      私はきっと最初から読んでくださっている方もずっと
      読んでくださっているのではないかと思っています。

      なぜか、「現代のコミュニティ」は経済の発達した今、
      世界の課題であって、これをどう展開したらよいかと
      真剣にほんとうに真剣に考えている方々がおられることを
      私自身も知っているからです。
      そして私も真剣に真剣に考えているひとりです。

      「経済の成長」と「現代のコミュニティ」
      これは現時点では単に地域にコミュニティが必要だが
      どう形成するかという課題かもしれなません。
      社会のあらゆる問題を解決していくためのキーに
      なるものでもあると考えられます。

      けれど、時間の中でとらえると
      「経済の成長」によって失ったものを取り戻すことにも
      近いかもしれません。
      「神の見えざる手」のように「宗教的な世界観」、「精神性」から
      「この世の価値観」「唯物論」に変わってしまったものを
      取り戻すことかもしれません。
      「経済の成長」と書いたけれど、経済が高度成長する時期や
      経済が低迷してしまう時期があるがその中で普遍的なものは
      何かということかもしれません。 
      そして「人間にとって本当に大切なのは何か」
      という探求する旅の過程かもしれません。

      それはまさに「心の時代へのパラダイムシフト」となる
      そう考えてこのブログの副題にしました。

      「現代のコミュニティ」を考えていくときに大切なのは
      今までの歴史であり、そしてその歴史を残し続け、
      転生輪廻をしている私たちが成長してきていることだとも
      思っています。

      「現代のコミュニティ」でこのブログを読んで
      くださっている皆様、いつもありがとうございます。
      それからこのブログを見て何かしらご自身の心の琴線にふれ、
      共鳴し、考えてくださっている皆様、ありがとうございます。
      そして最近は心の時代の枠組みとして民主主義を元に
      政治的なことも多く含まれてきました。

      今日は心からの感謝をお届けします。
      このブログを縁に、
      皆様自身の「幸福の芽」が見つかりますように祈念して。

  •   このブログの中の「現代のコミュニティ」に
      ついて書きたい。

      私はこのブログで「現代のコミュニティ」について
      書いているが、何もブログに書かなくても
      実際、現実的に、いつか、自らこのことについて
      やっていきたいと考えているからである。

      だからインターネットは私にとって
      ひとつの「ツール」であると書いた。

      そしてこのブログにはいくつもの封印がある。
      それを現実にやっていった場合どういう展開に
      なっていくかと考えている。

      今世、私はいつかそれがかなうときがくるか
      その希望をもってこのブログを書きつづけている。

      *追記*
      一昨日書いたブログの中で「濡れ衣着せられた感触」と
      書きましたが、本当に着せられると困るので
      はっきり記載しておきますが、
      このブログは特定の団体や宗教団体と関わりのあるもの
      ではありません。
      そして仏さまはどこかにおられるのではなく
      この地球を内包し、私の心の中におられます。

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