•   仏さまの心にあった日本そして世界になどと大きなことを
      書いているが本日は現在の増税の問題についても考えていた。

      最近のEUの問題は、現政党の東アジア共同体のとき、
      そして先日の地域主権のときも合わせて考えていた。
      そして本日は「増税」について考えていた。

      税金の高いスェーデンでは過去、高齢社会が進んでいくにしたがって
      様々な問題解決のためエーデル改革が行われ地域分権に向かったことが
      あると思う。元々福祉国家であり、高福祉の国である。
      国から地域へということが行われた。
      国が、では理想郷かと言えばそうではないと思うことと
      そして現代の日本には理想的なコミュニティの形成が必要と
      考えたことがこのブログの現代のコミュニティの始まりかとも思える。
      税金の高い国である。

      もどるが現政権の「増税」について考えていた。
      EUのように統一通貨によって長い間かかって弊害がおきてきた。
      収支のバランスが悪いがそれを国が調整不可能になっていたと思う。
      そして世界の先進国は経済成長期にたてた政策に高齢化や経済成長が
      おいついていかないため、国家の支出のバランスが壊れてしまって
      いるように思う。

      現在、日本で急いで「増税」をする危険性について
      2年くらい前だったか日本で医療費の不足で制度改革のときに
      日本の年代別の収入、預貯金について取り上げられていたと思う。
      現役で働いている若い世代のほうが低収入であり収入が増加して
      いかないため、いつまでも年収があまり変化がなくなかなか高齢者の
      年金額になるまでにならない。預貯金ももちろんである。
      「医療費」の限界
      このとき私は社会問題になっていた現代の若年世代の就労意欲の低下への
      影響は実際どうなのだろうかと考えていた。
      そして年金についても経済成長期にたてたもの、そして高齢化が
      進んでいる今、改革を何度もしているが本当に今先が見えなくなっている。
      本当に見通しがたっていないのではないか。
      「年金」の限界
      そして子ども手当についてはこのブログにも書いてきたが
      仏さまの心には合っていない政策としか言えない。
      私が思うところは人の心や地域コミュニティを壊してしまう
      可能性が考えられる。日本という国が財政的にも精神的にも衰退し
      非常に危険な方向にいってしまうと考えている。
      「少子化、家族の形成の変化」の問題

      国家財政の非常に難しい時期にいる。
      年金改革はどの政党がおこなうのかと考えていたところもある。
      そんな中、改革の方向性なく今時点で増税を行うとしたら
      それはあまりに性急でこの先の何段階かの増税が考えられる中
      最も早める結果になるだろうと思う。

      そして結果は何段階かの増税、そのときに全体主義の思想が
      色濃くでてくることが考えられる。
      政策ではなく「あきらめ」である。
      何度も書くが軍事力の問題がない場合である。

      日本にはもっと可能性があるのではないか。

  •   真実はひとつである。

      最近、政治の話ばかりになったが、
      今日は仏さまと心の世界について考えていた。
      仏さまはこの世界に法を編み、「調和」と「発展」を考えられた。
      そして仏さまは愛である。

      「依他起生」人は人に依って生きている。
      人は人と調和していき、そしえ発展を求めることが大切。

      調和のために必要なものは何か。

      人と調和して生きていくためには、
      まず人を愛することから始めることが大切、
      しかしその愛の形もいろいろあって
      非常に深みのあるものだと思う。

      人と調和して生きていくためには、
      人としてしてはならないことがある。
      イスラム教の十戒、仏教でいう戒律ということもあるが
      現代のような競争社会で言えば
      例えば、人を陥れる嘘をついて自分が優位に立ったり
      人を悪者にして自らの罪を逃れたり、
      自分に不都合なことがあったら相手の悪いところを
      攻め続けて正当化したり・・・。
      いづれも神仏の不在を意味するものである。

      人は正しく生きなくてはならない。
      神仏は永遠である。

       Miroku shows the God 27

     「 昔も今も
         神仏は永遠(eternal)であり、不滅である。
       
       そして永遠の真理がある。
       人は様々な時代をすごし、様々な歴史を築いてきた。
       しかしどのような時代でも貫き通す永遠の真理がある。

       あなたがたはこの「永遠の真理」を求めて
       転生輪廻をしている存在であるのだ。

              Master of Master             」

  •   「自由と繁栄」について経済的な見方から
      「神の見えざる手」について書いてきた。
      このことから2つのことを書きたい。

      自由と繁栄のための経済成長には必要な要素として
      「資本」そして「経営」の力が必要というところだった。
      自由主義、米国は様々な発想で企業家たちが立ち上がっていき
      そして残るものは残り、消えていくものは消えていく。
      米国からみて日本は「社会主義国家」であると言われるということを
      このブログに以前書いたが、それなら他の社会主義国と違い、
      なぜ民主主義の中で米国から社会主義国家と言われるようになったか。
      もちろん国家に世界経済、世界の福祉についての視点が
      早期からあったことはわかる。
      なぜこんなに経済成長してきたかと考えると経済の中に「自由主義」が
      上手に取り入れられてきたためだと思う。
      日本の経済成長は米国との関係保持に大きく役立ってきた。
      今まで軍事力がない日本を「技術」や「企業」そして「企業の精神」が
      日本を守ってきた大きなものであると思う。

      「市場の失敗」から市場の調整が必要となり、国家の介入があった。
      しかし、日本は市場の「需要」と「供給」のバランスについて
      現在ただ今のバランスや近い未来予測を超えて「無限の発想力」をもち、
      経済成長を遂げてきたのではないか。
      そして単に競争社会で「勝利する」ことより、より良い「製品」を
      作ることの喜びを知っていたのではないかと思う。
      こういう力が日本企業を世界に押し上げてきたと思う。

      失いたくない日本経済の力だと思う。

  •   自由と繁栄について書いてきた。
      今、日本は参院選に向かっている。

      先日このブログに現首相は社会主義より全体主義的な
      様相を感じると書いた。

      現首相は「最小不幸をなくす社会」と言われたが
      これは「社会主義」の思想そのものである。
      また現首相は相対する政策を同時に並べているという矛盾がある。
      郵政を廃案にして地域主権の矛盾をなくしても
      社会主義の社会保障は地域主権との矛盾は大きいものだと思う。

      現在、世界の社会主義国は経済成長について考えている。
      日本には社会主義インターナショナルに属す社会民主党が
      あるが何が違うのか、その時々に出す公約の違いだけなのか。

      これから参議院選に向かい、今回の議席数だけで
      今後の日本の未来を「社会民主主義」を国民が選択するのか、
      または今までの「民主主義」の中での生活を新たな政策で
      改善していくか選択するのはあまりにも国民にとって
      重大な問題だろうと思う。
      この選択を国民全体に問わずしてそして現政権が
      「社会民主主義」を名乗らず、その思想を展開して
      いくとしたら国民を裏切ることになるのではないだろうか。

      もし、現政権の中で国民のためにそう考えて強行に
      そうしようとしているのならすでに日本には「民主主義」で
      ないものであるとも言えるのではないか。
      ここに全体主義的な様相を感じると書いたひとつがある。

      前回、民主党は国民にとって「民主主義」の中の公約と
      思っていた。今回、社会民主主義の思想を基本に置いて
      政治を行っていきたいとするなら、これほど国民にとって
      重要なことを今回の参院選で国民に問うなら
      国民の後悔は大きなものになると思う。

  •   先日から「 神の見えざる手  invisible hand of God 」に
      ついて書いていたがこのことについては今回で終わりにして
      引き続き「自由と繁栄」については書いていきたい。

      自由主義経済で「神の見えざる手」により分配されるはずだが、
      資本家たちは利益を手にしているが労働者や国民には努力しても
      分配がない、現在の情報社会では、その労働の扱いについて
      正当かどうかと考えることができる。
      そして労働者が不当と考え、不満をもつことが資本家から
      みて正当であるかどうかということがあるが、
      仏さまの目によってどちらかが大きく仏さまの心にかなっていないと
      反作用が起きてくることも十分考えておかなくてはならないと思う。

      仏さまは人間に「自由」を与えてくださっている。
      それは時間と共に発展していくことにもつながっている。
      本当の「自由」とは何か
      米国のように「他からの不干渉」や個人の「自己決定」は
      それは人間個人の自由であって、国家という集団、
      また組織や地域の中の個人としてとらえていくときに
      不足していると考えられる。

      現在の日本で「共生」ということばもあるが
      仏教で言えば「依他起生」、人は人に依って生きていると
      いうことがある。
      人は世の中にたった一人しかいなければ自分を
      表現する必要がない。
      人はたった一人しかいなければ他の人とくらべて
      苦しむ必要もないが、自分を磨くこともなく、
      自分の肉体の成長以外に意味をもつものがない。
      喜びも楽しみも少ないものである。  封印Ⅲ

      人は人の中で生き、そして人が本来持っている
      「向上していこうという心」が 
      何かを求め、何かを生み、何かを継続していく力となっている。
      それが資本家にとって「自由な発想」、「より高い自己実現」
      更に心が深くなると企業家として「企業理念」、
      労働者の育成、正当な賃金いう価値観をもつようになる。
      そして労働者側も企業人としての「努力」
      「自由な発想」に「正当な評価」を求め、
      社会人としての良識ある「自由」の享受があるのだと思う。

      仏さまは「調和」と「発展」を求められる。
      人が自由の中で調和的な考えを忘れてしまい、物質だけの価値に
      生きていくことがよいことだとは思われていないと思う。

       Miroku shows the God 26
       
       「 人よ
         私はあなたがたに自由を与えた
         自由の中で様々な発展を求めよ

         しかし、人は一人では生きることができない
         お互いの存在を認め合い、共に生きよ

         自由の中で調和的な社会を築き、
         そして共に繁栄の道を選べ

         そうしていくことで
         その社会は長く続くことになるだろう 
     
              
               Master of Master      」

  •   私がこのブログに政治のことを書いているのは
      民主主義を超えたところに現代のコミュニティがあると
      いうところから始まった。

      現政党の首相が代わり、風が変わったと感じた人は
      多いのだと思う。
      わたし自身も五感を通じて感じているものがある。
      それは前首相が環境問題や福祉政策のことを
      その発言や政策に感じるところだったが
      現首相は同じ民主党でも全く感触の違う人だと思う。
      前首相が福祉政策から社会主義へということを
      このブログに書いてきたが
      現首相は社会主義より全体主義的な様相を感じる。

      先日、「自由と繁栄 5」で「地域主権」について
      書いたが今日更に考えていたことは「地域主権」と
      「EU」についてだった。
      現在、その内容が明らかになってきているが、
      以前EUについてそれぞれの国が自国を守ることが
      大切だと書いたと思う。

      現時点でのことだが「地域主権」の未来に
      「自由主義経済」とそして現在の「EU」の問題が
      重ねて見える。このことについても今後考えていきたい。

  •   国家組織のリーダーについて、
      民主主義、共産主義、軍事政権というもの、
      また一定の間全体主義の形をとった後の独裁主義について
      以前このブログに書いた。

      国家組織にリーダーは必要である。
      国民が幸せになるリーダーとは何か。

      現在、軍事力をもった民主主義政権下で国民が「支配」を受けず、
      民主的な中で自由を与えられているのはなぜか、
      当たり前だといわれるかもしれないが現時点で三権分立が
      取り入れているからだと書いた。

      民主主義が全体主義になっていくとき、扇動的なものが
      おきるということもこのブログの政治について書き始めた
      最初のころに書いたと思う。

      今、日本の政治に問われるものは、「責任の所在」では
      ないかと思う。
      国民全体の民意をどう組み入れて政治をおこなっていくか。
      そしてそれが国民全体の利益となり、国民全体の幸せに
      つながり、また個人としての幸せにもなるか。

      国家組織のリーダーが一国を任せ、国全体を幸せになる
      方向に動かしていけるか、
      後日また書きたいがひとグループや限定された民意をそのまま
      国全体の民意として取り入れるのでは政治として
      不足があると思う。

      現在の日本の民主主義では政党として責任を負っていると
      いわれているが、責任が分散していることで問題の長期化、
      また国民からみると政党の様々な意見が乱れ飛んで
      情報に押し流されていって結果がみえにくいという
      結果になっているようにも思える。

      政治責任、政策の責任をはっきりとして
      悪い意味でも良い意味でも責任の分散がないほうが
      国民が納得していくものではないか。
      ここで、自由の国である米国の大統領制が
      独裁主義にならず、政治責任を果たしていることに
      ついても考えていきたい。

  •   先日、福祉について世界最高水準と言われると既存のものは
      価値観の転換が必要、
      安心できる社会づくり、国づくりがもっとも大切なのではなく、
      基本的な形として家族を守り、そして地域、
      国を守っていかなくてはならないというものがあり、
      国家有事のときでなければ家庭での幸福が国全体の幸福に
      つながっていくと考える視点を忘れてはいけない。
      それが新しい福祉の最高水準に至っていくものではないか。

      以前もこのブログに書いたが、
      自由主義での経済成長の中、市場の失敗から
      経済政策、福祉政策が進められた。
      このとき、福祉を必要とした多くの人々は政府の作った
      大型施設に収容された。今は収容ということばはなじみがない
      ように思う。今言われる大きな政府が、大型の福祉施設を
      たくさん作っていったのだと思う。
      しかし、福祉の進歩によって、現在に至ってはひとりひとり、
      個人について考えていくようになった。
      
      現在までの福祉は大きな政府が安心できる社会づくりで
      大型施設を作り、また小さな政府が地方分権の中、
      コミュニティをどうすすめていくかというところであったと思う。

      今までは大きな施設、またコミュニティについても
      社会と個人でとらえている。
      日本の介護保険は家族についてふれているがもっと進めて
      個人と家族が幸福であるためにどうしていくかという視点が
      大切だと思う。
      多くの人は家族の中で育ち、かけがえのない、そして代替のない
      家族の中で生活をしている。
      人としての幸福とは何か。
      個人の福祉はその人自身の幸福と家族の幸福につながるもので
      なくてはならない。人はまず自分自身のために生きていると
      思うが、そして家族のために生きているのであり、
      社会のために生きているというものと少し距離がある。
      逆に考えていけば、社会から家族を含めた個人ではなく、
      社会から個人の福祉と考えるところに
      ずれが生じているようにもみえる。

      日本は高齢社会の中、これからもっと施設志向が強くなる
      ように思う。しかし、その奥にあるものは「家族に迷惑を
      かけたくないから、そして家族と良好な関係を保ちたいから」
      ではないのだろうか。
      このブログの最初に書いたが「家族力」を強める、高めると
      いう視点と個人を含めた家族全体の幸福という視点が必要、
      特別なことではない。
      現代のコミュニティに個人と家族をとらえることは
      大切なことだと思う。
      
      それが大きな政府築いてきた福祉国家というものを
      大きく変える新しい福祉国家となると思う。
      個人と家族の幸福が国家の幸福となるような視点が必要である。

  •   「私の悲しみを握りしめたこの手を今世、開くことはないだろう」
      その悲しみ、ひとつは私の「希望」を奪われる苦しみ、
      もうひとつは私を悪とし、私から信仰を奪おうとする人たちから
      くる苦しみですが、本来奪えるものではないのです。

      私は仏さまから大きな意味でのいくつかの使命を明らかに
      されています。また大きな意味での使命とくらべると
      小さな意味での使命もあります。
      それについてご自分もそうなりたいと思う人がいるでしょうか。

      このブログで「自由」についてすでに長く書いてきていますが
      書いている私自身の精神世界は例えていえば、子ども頃に読んだ
      「雪の女王」に連れ去られた「カイ」のような状態であると
      感じることがよくあります。それは精神世界の話ですが・・・。
      私自身は普通の人間として生きていますが、精神世界は
      かなり統御しており、されています。
      特に言われているのは「世の中の価値観に迎合するなかれ」

      先日から「現代のコミュニティについて」私自身のことを
      書いていましたが、精神世界でのことですが昨日、
      「あなたのブログを読んで仏さまについてわかった。 
      では仏さまとつながっていくにはどうしたらよいか、
      少し教えてほしい」というものがありました。
      (私に必要なものしか、つながらないように守られています)

      現実的な私と仏さまの会話はブログに書いているものの
      何倍もあります。
      しかし、ここに至った私の心は「一念三千」
      ひとつの思いを発するところからの統御がなされており、
      その思いが正しいか、真理に合っているか、
      また相対する人がいる場合、相手を正確に事実を見ているか、
      ほんとうにわずかな思いでさえ、仏さまが常にみておられ、
      たとえ私自身が不利になることでさえ、妥協は許されません。
      (こんなときは祈りをさせていただいています)
      その先に私が発することばがあり、感情を表現していくと
      いうことがあり、それは毎日毎日、思いのひとつひとつ
      ことばや行動について常時繰りかえされています。

      仏さまにつながっていくには、
      ことばを変えて言えば「仏さまとひとつになろうとすること」
      それには「太陽の如く、常に光を供給しつづける存在になろうと
      すること」
      この地球は太陽系の星です。太陽から常に光が供給されているように
      自分自身も常に「愛」を供給し続けたいと思い、実行をしていこうと
      することだと思います。
      「無我の境地から自分の心を他者への愛で満たしていくこと」
      そう考えていくことが大切であると思います。

      しかし、霊存在である神仏とひとつと言っても
      「神仏」と「我」と「ひとつである」と考えるところに
      間違いが生じることは多のだと思います。

      私の「悲しみの手」の悲しみでさえ、その感情が正しいものか、
      それを表現することがよいことか常に仏さまがみておられ、
      そして私自身はその度に確認をしています。
      「現代のコミュニティ」は私が現実にやっていきたいこと、
      しかし、この私の「悲しみの手」の意味は私の苦しみとして
      表現されていますが、仏さまが私に言われる使命の大きなひとつ
      「この世の価値観の転換」の意味があります。
      この「悲しみの手」を握りしめて、そこから新しい価値観、
      信仰観を確立していくという意味があります。

      この「価値観の転換」とは何か。
      世の中の「権力」「権威」
      組織における「権力」、現代社会で言えば情報という
      目に見えない「権力」、共産主義にもみられる階級による「権力」
      軍事力による「権力」、
      それから信仰を語りながら「権力」を「力」とするもの
      そういう「権力」は普通考えられますが、そういうものを超えて
      「権力という価値観」から「信仰という価値観」への転換
      「正しい信仰観の確立」に他ならないのだと思います。
      付け加えておくと、組織に「正しい組織力」、社会に
      「正しい情報」は必要です。
      それがこの「幸福の芽」のブログの大きな意味のひとつ
      なのだと思います。

          Miroku shows the God 25

          「 人よ
            この地球に住む人は皆、仏性があり
            私にとって、等しく仏の子である

            あなたがたの価値観が間違っているのだ
            この世の価値観から離れ、
            真理に合わせよ  」

  •   ここのところ、「現代のコミュニティ」について
      書いていますが、もう少し続けて書きます。

      私が「生老病死」から何か世の中が幸せになるための考え方を
      世の中に打ち出していきたいと思ったのは20年くらい前の
      ことでした。それから現在に至っています。

      その中で明確に「心の時代」を築いていきたいと思い、
      「現代のコミュニティ」と「心の時代へのパラダイムシフト」の
      中心部分が明らかに形づくられてから3年たっています。

      「現代のコミュニティ」について考えはじめたのは、前にも
      書きましたが現代の社会問題を解決のキーとなると考えたからで、
      人が悲しみ、苦しみから離れ、幸せになっていくためのものになると
      思ったためです。

      それから、
      「私の悲しみを握りしめたこの手を今世、開くことはないだろう」
      先日そう書いたことがありましたが、あのとき、どんな悲しみを
      握りしめているのだろうと考えたでしょうか。

      ひとつは私の希望を奪われる苦しみ、この「現代のコミュニティ」の
      中心部分が明らかになった3年くらい前から二河白道の道を歩いて
      います。この考え方は社会に役立つと確信しましたが、
      私自身を一方で認められながら、一方で私を虐げ、私を否定し、
      そして成りかわりたいという人たちから道を阻まれる苦しみ、
      先日感じたような濡れ衣きせられそうになったり、何度も
      この身を切り刻まれるような苦しみの中、進んできています。

      もうひとつは私の信仰が深くなればなるほど、私を悪とし、
      私から信仰を奪おうとする人たちからくる苦しみです。
      それはたった一言の意見から始まった。
      しかし、信仰は本来奪えるものではないのです。

      私の悲しみを握りしめたこの手、
      この手は握っていたら、「希望」がありますが、
      開けば、パンドラの箱を開いたときのようになるかもしれません。 

       Miroku shows the God 24
       
       「 信仰者よ
         何度も何度も私のことばを聞いているはずである

         それでも変われないというのなら
         その運命を受け入れよ            」

       みろく神示 1
       
       「 日と月の間に地球を内包していた仏さまが現れる 」

        法を体現することが最優先である