• 心を科学する。
    超高齢社会になり多くの日本の国民は「福祉国家」を希望するだろうか。

    今の民主党が国家が主導する「大きな政府」に戻り、「福祉国家」を築こうとすることに賛同するだろうか。
    日本が社会主義に傾倒するようになると現時点では中国寄りにならざるを得ない。

    なぜか。
    日本は独自に軍事力をもたなくてもよかったのは今までアメリカの軍事力に守られ、またアメリカにとっても日本は様々な意味で有益だったからである。
    日本は社会主義に傾倒していくと自由主義、民主主義であるアメリカを切り離し、社会主義国家である中国寄りにならざるを得ない。
    それが先にブログに書いたが日本に軍事力がないため今普天間基地移設問題が日本がアメリカを選ぶのか、中国を選ぶのか、そういう選択が含まれているということになるのだ。
    外国人参政権がそういう選択を含むことになるのだ。

    現在、福祉国家と言われる国が平和で軍事力を持たない国があるだろうか。
    世界有数の福祉国家は徴兵制があり、また軍事大国である。
    軍事を持たない日本が「福祉国家」だけを求めることがいかに幻想にすぎないことか気がつかなくてはならない。

    そして社会主義国は平等を求めすぎるために国家が繁栄しない。
    だから資本のある国が自国のものとできるならそれは望むところだ。
    日本は軍事力がない。
    その結果、社会主義に傾倒し中国寄りになると中国の配下に置かれる以外に道はない。
    そのときの日本を想像できる日本人は少ないと思う。

    今、日本の国民は大きな岐路にいる。

    今を必死で生きている人が求めているものはあると思う。
    今までの民主主義の行政のやり方をかえなくてはならないのはそのとおりだと思う。
    民主主義を選ぶか、社会主義を選ぶか、国民の選択肢はすでにその様相が明らかになってから、
    またそれが実現してきてからはもうない。

  • 心を科学する。

    では社会主義とはどんなものか。
    それはたくさんの文献や教育機関、研究機関で学んでみたらいいと思う。
    私がこのブログに書くのは現世における現在・過去・未来のとらえかただ。

    「共産主義」の考え方をもとに社会主義と社会民主主義、現代はとらえるなら近代世界各国でみられる社会主義国家の歴史を教訓としてとらえる必要があると思う。

    主に理想を元に社会主義国が建設されそして衰退し、民主主義国に変わってきている現状をみれば声なき政策で社会主義国に向かおうとしている日本は、政治について興味をもたず危機感を持たない日本人はいったいいかなるものであるか。
    そのこと自体に非常に危機感がある。

    何も知ろうとせず、未来が自分の思い描いているものと全くちがう国家の中で生活することになったときに誰のせいにもできない。
    民主主義国家の中ではひとりひとりが知ろうとしなかったこと自体が結果を導いてしまったということになる。

  • 世界が破壊の道を選ばないために仏さまは言われる。

    みろく神示8

      『 米国よ。
          日本の国の小さな基地、普天間だが、
          小さい基地だが今、
          これから世界を大きく揺さぶる基地でもあることに
          この日本の誰もが気がついていない。
               もう少し、日本に時間がほしい。 』

    今、日本の普天間が世界の民主主義と社会主義の狭間にある。
    普天間から米国が離れた時、その普天間が中国の手中に収まり、大きく世界を動かそうとする力を
    発揮しようする可能性は大きい。

    日本は、普天間から米国の基地がなくなっても、また普天間が軍事力のある社会主義国の手で社会主義国の基地となる可能性は非常に大きいことに気づかなければならない。

    民主主義から未来への発展の可能性をもつ日本が自らその未来を手放してはならない。

  • 心を科学する。

    人は希望を持つことが自分の心を高揚させ、未来に夢膨らむ。
    ましてそれが国家というものに対する希望ならば大きい。
    マニフェストを作り、これを実行していけば国民は幸せになる、民主党がそう考えていただろうと思うことは難くない。

    民主党党首はどうだろうか。
    理想を胸に描き、自らの手で実現したかっただろうと思う。
    その心は友愛を元に平和を求めていただろう。
    しかし、いざその道を歩き始めたらその道は厳しく、そして自分の思い通りにはならない。
    何ひとつ自分の思い通りにならない。
    「本当は友愛で平和な世の中を作りたい。
    しかしこの現実じゃ無理だ」と民主党党首の心の叫びが聞こえるようにも思える。

    心を科学する。
    希望を実行していく時、失敗をすることがある。
    失敗しても絶望をしてはならない。
    仏さまは失敗しても自他共に幸福になる道を歩こうとしたとき、そしてまたがんばろうと思った時に
    その人に合ったその人だけの扉を用意される。
    その扉はなかなか開かないかもしれない。
    その扉は開くのに時間がかかるかもしれない。
    しかし、その人だけの扉は必ずある。

    人は失敗し絶望の淵にたつことがある。
    しかし、絶望してはいけない。
    絶望は破壊する心。
    自分を破壊する心、周りを破壊しようとする心。
    絶望は自己を正当化するときに力で抑えようとする。
    それは権力、国家で言えば軍事力である。
    絶望し自他共に傷つけてはならない。
    自他共に破壊の道を歩んではならない。

     仏さまは言われる。

      『 この世の価値観だけにとらわれてはならない。
          心が大切。自他共に幸福なる法を選ぶことが大切 』

  • 心を科学する。
    私がこのブログを始めたのは現代のコミュニティの形成について書いていきたい、そしてそれは民主主義国家の中で形成されるというものだからである。

    政治について
    民主主義において民主主義の形から社会主義国家を形成しようという声なき政策がなされているということ。
    それは社会主義であっても民主主義だといって全体主義の様相を現す可能性があるかもしれない。

    中国の軍事力を得て「権力下の平等」を形成する。
    今、子供手当が必要と言っている人はどうなるだろうか。

    中国への軍事力に対価的に国家財政から支出があり、またこれからしようとする政策がおこなわれていくと今の財政では1~3年後に財政困難がやってくる。
    本格的に社会主義国家にならざるをえない。
    今必死になって学ぼうとしている英語が必要なくなり、学歴社会というものもなく、軍事力を強化し学力も均一になるような学校教育を与えられ、中国語が学校教育に取り入れられる。
    差がでないように均一なものを学び、そしてその後も就職で悩まず、選択もなく決められた仕事をすることになる。
    与えられた仕事をしないことは許されない、みな平等でなくてはならない。
    贅沢はできない、平等でなくてはならない。
    今日本にある娯楽は許されないのだ。

    今を必死で生きている人が求めているものはあると思う。
    今までの民主主義の行政のやり方をかえなくてはならないのはそのとおりだと思う。
    しかし、今、日本の国民は大きな岐路にいる。

    民主主義を選ぶか、社会主義を選ぶか、国民の選択肢はすでにその様相が明らかになってから、
    またそれが実現してきてからはもうない。

    選択肢は今なのだ。

  • 心を科学する。
    今の民主党の支持率と国民の心の作用のところで全体主義が展開してからその先について書く必要がなくなった。
    以前このようなブログを書いた。

    政治のことで書いてきたがそれは私がこのブログを始めたのは現代のコミュニティの形成について書いていきたい、そしてそれは民主主義国家の中で形成されるというものだからである。

    政治について
    今の時点で言えることは全体主義にはならず、明確に言えば、日本の国民は民主主義を捨て民主党という社会主義政党を選び、なおかつ軍事力においては自国ではなく米国でもなく中国に依るという政党を選び、そしてそれを形成すべく過程にあるのではないかと思うことだ。
    以前、社会党が与党となったときに社会民主党とならざるを得なかったのは民主主義国家の価値観を捨てて社会主義を国民が選択するということが考えられなかったからだと思う。
    しかし、今はその逆で民主主義において民主主義の形から社会主義を形成しようという声なき政策がなされているということ。
    それは社会主義であっても民主主義だといって全体主義の様相を現す可能性があるかもしれない。

    中国の軍事力を得て社会主義のトップにたつのは小沢氏だろう。
    それは理想から発展した「平等と平和」の理念ではなく、「平等と権力」というものを形成する。

    民主主義を選ぶか、社会主義を選ぶか国民の選択肢はすでにその様相が明らかになってから、
    またそれが実現してきてからはもうない。

    選択肢は今なのだ。

  • みろく神示をこのブログに書いてあれから1週間、ブログ再開しました。
    私はこの世の中やブログの中だけでなく、この世の中だけで完結しないところにもいるので
    お休みしていても忙しい。

    みろく神示について、もともと神示は仏さまの愛なんだと思う。
    法が先におろされている場合、信仰が立っていてその法に添って生きていこうとしたとき、その道を歩もうとしたときに苦しみは少ないのだけれど、なかなか法があってもこの世界でその道を実践しようとする人が少ない、そして影響力の大きい人が大切なことに気がつかないと幸福な世界を築くことが難しい。
    だから神示はその困難なことが起きる前に現されるもの。
    仏さまの愛のことばであると思う。

    神示からしばらく離れてまたブログを続けていきたいと思う。
    心が大切、心の時代を作っていきたい。

  • みろく神示6はもうひとつ重なったインスピレーションがあったことがわかったので重ねて再度本日、書いておく。

    日月の本当の意味は
       『 日と月の間に地球を内包している仏さまが現れる 』
        そして『 自他共に幸福なる道が真理である 』

    仏さまは言われる
       『 信仰者よ
         自らを正しい者とし、自ら愛する者だけを愛し
         そうでないものを排除する者よ
         信仰のなかにあって、自らの過ちを正せない者よ
         他の人を傷つけて下におき、
              なお自分が正しい信仰者だという者よ
         その己の心を見てみるがよい     
         いかなる心か
         相手を傷つけ相手の存在を否定することの罪を
                      忘れてしまったか
         私は自他はひとつだと言ったはずだ     
         自分のみを生かさんとする道はまた自分をも
                      否定する道なのだ 

         その心をこそ正せ、そこからはじまる 

         
         相手の痛みを感じることができない者よ
         相手を傷つけ、痛め、
         そして自らが傷んだからといって
                 なお他の人を恨もうとするか 』
         

    仏さまの悲しみははかりしれない。

  • 日月の本当の意味は
       『 日と月の間に地球を内包している仏さまが現れる 』
        そして『 自他共に幸福なる道が真理である 』

       『 信仰者よ
         信仰のなかにあって、自らの過ちを正せない者よ
         他の人を傷つけて下におき、なお自分が正しい信仰者だという者よ
         相手を傷つけ相手の存在を否定することの罪を忘れてしまったか
         自分のみを生かさんとする道はまた自分をも否定する道なのだ  

    その心をこそ正せ、そこからはじまる 』

    これは自らが信仰者と名乗るものがそうであるからこそ、間違いがあった時にそれを認められず、相手を否定し続けることがある。
    たぶん、世間の人より信仰あるものはその信仰によって激しく、強く神仏より正義を求められるものなのだということだと思う。

  • この地球の仏さまが編まれた法、正法といわれるもの、真理ともいう。
    普遍的にあるもの。
    そしてその時代時代の正義があるとこのブログに書いた。

    神示とは何か。
    神を示すという字を使う。
    他の解釈はわからないが今、私が考えていることをブログに書いていく。

    私のいう神示とは降魔に近い。
    降魔とはいったいどういうものか。
    魔はそもそも存在するのか。
    その説明が必要なときがあったら書いてみたい。
    神示が降魔に近いのは今の世の中で病気や大きな災害等、そこに魔ともみえる神仏にかなわない想念が溜まっていたり、特別な神仏の意図があったりする場合、神示として現すとその言葉の影響力と精神世界の変化で実際、災いが起きなくて済む場合と言葉ありても聞かなくてはならない人々に届かない、
    また届いても変化に乏しく精神世界に変化が現れにくい場合、または逆の方向で変化した場合、実際に起きてくる。
    起きたからそれ自体が魔だと解釈してはいけない。
    むしろ魔だと認識できるものは少ない。
    やはり神仏の心は更に良くなってほしいという心だからだ。
    そういうものだと解釈している。

    仏さまは愛である。
    前にもブログに書いたが仏さまは人間に自由を与えた。
    その自由を仏さまの心に合うように使えば幸福になり、その逆に使うと苦しみを産む。
    人間は苦しい時だけ「なぜこんなことが起きるのか」と神仏に問うことが多い。
    しかし、もとより心正しく、自他ともに幸福な道を選べば苦しまずに済む。もうひとつ停滞を選ばないことも大事なことだ。