• なんでもないとき・・・。
    そんなとき、もっとよりよい自分になれるように幸福の芽を探そう。

    苦しいとき、悲しいとき・・・。
    自分も周りも幸福になるための幸福の芽を探そう。

    誰かが苦しんでいるとき・・・。
    その人が苦しみから抜け出せるよう幸福の芽を探そう。

    幸福の芽はたくさん集まると生きていく智恵が増えていく。
    そして現代のことばでいうリスクマネジメントもできる。
    不幸の芽を摘んで幸福に生きていくことも大切。
    不幸の芽があったらそれをどうしたら幸福の芽にできるか、考えて実行してみよう。
    もし何か不安があったら・・・。
    リスクマネジメントのできる人に相談してみたり、リスクマネジメントができるような心の本を読んでみたり、この世の中に何か、自分に得るものがないか探してみよう。
    リスクについて考えてみて、そして勇気をだして一歩前に踏み出そう。
    だんだん生きていく智恵が増えていって自分も周りの人ももっと幸福になる。

    発展的に生きることが大切。
    自分の幸福の芽を見つけてそれを伸ばしていこう。

  • 「慈悲」と「慈愛」、共に「慈しみ」の文字がある。
    「慈しみ」はそのとき一時のものではない。
    時間の中で人の苦しみを何とかしたいというものが含まれる。

    私たちが苦しいとき、悲しいとき、辛いとき、仏さまが「慈悲」、悲しみの目でみておられる。
    人の悲しみを慈しみの思いでみておられる。

    「慈悲」
    人生の中で人は苦しみ、悲しみの時がある。
    仏さまはその苦しみ、悲しみから抜け出して幸せになりなさい、そのために自分の心を省みて、もし、間違ったことや周りの人に迷惑をかけたことがあったら改めなさい。
    とどまってばかりいないで前向きに生きなさい。
    もっと自分を高めなさいと思っておられる。
    だから・・・
    仏の子である人も「同悲同苦」の思いでその苦しみからどうしたら抜け出せるか、それを知っている人はその人にその導きをしなさい。

    「慈愛」
    自分も周りの人も知らないうちに、間違いや傷つけることがある。
    今、間違ったことをしていることや傷つけていることもある。
    苦しみの中でどうすることもできないでいることもある。
    仏さまはその苦しみやその人の間違いをみて何とかしたいと思っておられる。
    自ら気が付いたら改めなさい。
    だから・・・
    人はその人が間違っているから、悪いからと言って責めてばかりいてはいけない。
    人は人を愛しなさい。
    人はお互い愛し合いなさい。
    そのとき相手の人は気がつかないかもしれない。
    愛してもむしろ反撃してくるかもしれない。
    それを慈しみの心で愛し続けなさい。
    限りなく優しく愛し続けなさい。
    時にはその愛が救済としての強い導きが必要になることがあるかもしれない。
    共に幸福になる道を歩きたいという思いで愛しなさい。
    最初に、人を愛しなさい。

    「慈しむ心」が大切、「育む心」が大切。

  • 「慈悲」ということばに畏怖の思いがある。

    「慈悲」は慈しみ悲しむとそのまま・・・。
    他にも解釈はあるのだろう。
    しかし、今までの仏教の「慈悲」をまるで考えずに今日、考えている「慈悲」について書いてみたい。

    「慈悲」の「悲」は「悲しみ」なのだと思う。
    仏さまははるか遠くにおられるのではない。
    この地球を内包している仏さまがおられる。
    もし、自分の体が仏さまであったら、肉体の中のどこかが痛かったり、苦しかったりしたらどうだろうか。
    辛いのではないか。悲しいのではないか。
    仏さまはまるごと地球の全てを内包しているからだから人間が苦しい時、悲しいとき、自分の身を痛めていてそれが悲しい。
    この地球で仏性をもった仏の子が「自由」を与えられ、それによってうれしいことやよかったこともあるが「自由」な故に間違ったこともしてしまう。
    その間違ったことをして苦しんでいる人間や悲しんでいる人間を見ていて悲しい・・・。
    しかし、ただ悲しんでいるのではない。
    その悲しみを慈しみの目で見て「より善きものとなりなさい」と・・・。
    そして「人はひとりではない、だから愛し合いなさい、調和して幸福になりなさい」
    そう思われているのだと思う。

  • 心を科学する。

    もっとも最初に「心」ってなんだろう。
    知識は頭で覚える。学習する。
    知識を使うには知恵が必要、この知恵は心で行われる思考を重ねたもの、知識があって思恵を行い知恵になる。

    「今、何考えているの?」って聞かれて「こんなこと・・・」って答えられるのが心の中身
    以前のブログにも書いたけれど自分の心がわからないという人がいたらそれはいつも思いったったら行動している人、思いと行動が常に一緒な人、悪く言えば、頭にくることがあったらすぐに怒る人、心の存在を知っている人は今、自分が怒っていることわかるから、その怒りをどうしたらいいかって考える。

    悲しいと感じるのは頭ではなくて「心」
    苦しいって感じるのは頭でなくて「心」
    さみしいって感じるのは頭でなくて「心」
    それから
    楽しいって感じるのは「心」
    うれしいって感じるのは「心」
    ありがたいって感じるのも「心」
    幸せって感じるのも「心」

    心って大切なんだ。

    神仏は「時間」を作られた。
    だからこの世の中には時間が流れている。
    「行雲流水」
    心は苦しいことに留まるとそれがずっと続いてしまう。
    心も雲や水の如く流れ、留まることなく前進しよう。
    何かに執着することなく、留まることなく進んでいこう。

  • 苦しいとき、辛くて涙が止まらないとき、
    やがて時間が癒してくれたら、幸福になろうと思って幸福の芽を探そう。

    ずっとずっと前の私・・・
    辛くて自分の時間を止めたくて・・・

    あるきっかけではじまった周囲の容赦ない攻撃の気持ちや態度に辛かった、苦しかった・・・。
    長い間理由もわからなかった。
    最初は「なぜ?」「どうして?」と思った。
    どんどん悪者にされていく。
    随分たってからわかった理由も理不尽なものだった。
    濡れ衣、きせられたりもした。
    この苦しみをこのままにして許せるか、涙が止まらない・・・。
    止まらない涙に一言「すみません」と言ったらそれで全て私があやまったことにされた。
    いっそ私の時間を止めたら、そうしたら終わる。
    私の心は辛さと苦しみでいっぱいだった。

    そのとき「正しさっていったい何か。」と知らず知らずのうちに模索していた。
    自分が間違っているのか、どうなのか。
    相手の人たちが正しいとも思えなかった。

    苦しみが長い間続いた。
    そのとき、心の奥から何度も響いてくることばがあった。
    「育む心が大切なのだ、慈しむ心が大切なのだ。
    それが一番価値のあるものだ。」というものだった。

    その環境から離れ、幸福の芽を探しはじめたとき、私はこの心に響いていたことばを思い出した。
    「慈しむ心」これは「慈悲」なのか。
    「慈悲」ということばには畏怖の思いがある。
    今考えれば「慈悲」は仏さまの心を現すものだからなのかもしれない。
    私はあのときとても辛かった、だからこそ、人には「慈しむ心」を忘れないでいたい。
    そう考えていたら「慈愛」ということばが心の中に浮かび、そしてこの「慈愛」ということばが好きになった。

    ずっとずっと前の私・・・。
    22~25年くらい前の私・・・。

  • 本日、Happy sproutを書き加えた。

    苦しいとき、辛くて涙が止まらないとき、幸福の芽を探して、がんばってみる。
    そうすると幸福に向かっていけるんだっていう意味。

    落ち込んでも、やがて時間が癒してくれたら、幸福になろうと思って幸福の芽を探す。
    初めに心が幸福になろうと思っていることが大切。
    幸福の芽は心の中にあるのかもしれない。
    自分の心が「幸せになりたい」って本当に思うところから始まる。
    そしてそれから自分の幸福の芽を探そう。

    ずっとずっと前の私・・・
    辛くて自分の時間を止めたくて・・・
    そんなときに見ていた植物の小さな芽が私が時間を止めようとしているのに毎日少しづつ少しづつ成長していく。
    そんな姿を見て、時間はただ流れているだけではない、時間が流れるにしたがって植物は成長していく。
    世の中に時間の流れと共に成長しようとする力がある。
    時間の流れの中で全てのものは成長していく。
    そんなことに気がついてからまた私も前向きに生きなくてはならないと思った。
    そして今、こうしている自分がいる。
    仏さまがおられると毎日毎日感じながら・・・。

    一人ひとりが幸福になることが大切、そしてたくさんの人が共に生きているのだから隣にいる人も、遠くにいる人もお互い、幸福であることが大切。

  • 心の科学を仏教からとらえる。

    四諦八正道。
    「苦」「集」「滅」「道」のこの「苦しみ」とは実際どういうものなのか、それを「因果の理法」「縁起の法」でとらえてみてそれを「集める」ところから始める。
    それから苦しみがなくなった状態をイメージし、それに向かっていく道程を考え行っていく。

    そうすると「抜苦与楽」
    苦しみを抜いて、幸福な人生を歩むことができる。

  • きのうのブログを修正した。

    心の科学は「原因結果の法則」がある。
    仏教で「因果の理法」と「縁起の法」というものがある。

    まず「因果の理法」
    「因」「縁」「果」「報」
    「因果の理法」は原因があって結果がでてくる理(ことわり)、よく「因果応報」ということばを聞く。
    何か苦しみがあったら自分がその原因を作ったのだから今結果としてこの苦しみがある。
    それは原因があって結果が出たのだから自分のせいだから当然その報いを受けることになる。
    これは良い意味でも同じことがいえる。
    良い事があったら自分がよい種の蒔いたからよい果実が実ったのだ。それは原因結果でそうなった。
    因果はその空間(環境)と過去・現在・未来の三世で捉えることができる。

    そして「縁起の法」
    「因」「縁」「生」「起」
    何か「因」となる事象があると仏さまが「縁」をつけて、更に前の「因」から次の「因」が生まれ、そしてまた事象が起きてくる。
    「縁起の法」は「空間縁起」と「時間縁起」がある。
    何か「因」があると「空間~今現在の環境」の中で仏さまの縁で事象があり、また同時に「時間~今までの人生や前世」の中で仏さまの縁で事象が起きる。
    この世に偶然はない。
    しかし、人間心で仏さまの縁を全て理解できるものではない。
    潜在的に不幸を呼び寄せたい人はその縁を不幸の縁としてしか捉えられないし、発展的に考えられる人はそこから「幸福の芽」を探し出すことができる。

    人間はいつも同時にこれを見る目を持たなくてはならない。
    この物質でできた三次元にいながら「精神世界」「心の世界」に生きる姿である。
    こちらが本来の姿なのだ。
    「心の存在」「心の価値」がある「心の時代」、心の向上を目指していくことが大切なのだ。
    決して霊的なインスピレーションを常時受けたり、霊能者である必要はない。

    世代間連鎖をひも解くものがこの中にある。
    そして世代関連鎖をひも解くカギは「心」なのだ。
    決して「虐待をされた」ことが原因でまた「虐待をしてしまう」ことで解決することではない。

  • 心を科学する。
    「人間中心療法」「認知行動療法」

    必要なのは心を科学するセラピストの存在。
    そして神仏の存在であり、死後の世界観である。

    何がその時代の、その国の正義なのか。
    永遠の生命をもち、人は生まれ変わるのか。

    仏教からこの療法を考えてみると神仏はこの世界に「時間」と「空間」を作られた。
    「空間論」の中で療法があり、「時間論」がない。
    ないというより少ない。
    仏教にはこの「時間論」である世代間連鎖をひも解く、因果の理法がある。

  • 心を科学する。
    先日、現在の日本を「苦集滅道」で考えた。
    国民の心、民意でとらえると・・・
    日本の国民は「自由」を享受していたい。
    安定した生活が困難な人は安定した生活がしたい。
    そして行きついたのは「公務員に対する怒り」である。

    民主主義から全体主義に向かっているように見えるとも書いたが、一部の意見が国民の多数の意見のようにみせる扇動作用が働いていて、その意識を使って全体主義に向かっているようにみえた。

    しかし、ここまできて国民の「怒り」の思いが消えてきていて今度は「不安」に変化している。
    この不安を解消すべく強く先導していくカリスマ性は現政権にはないのだ。
    民意、心の作用として捉えると国民は自由を享受したいと思っていて、ここで全体主義に向かっていくものではない。
    全体主義は一時的なもので、そして神仏の思いにかなったものではない。

2026年4月
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930