• 心を科学する。
    私がこのブログを始めたのは現代のコミュニティの形成について書いていきたい、そしてそれは民主主義国家の中で形成されるというものだからである。

    政治について
    民主主義において民主主義の形から社会主義国家を形成しようという声なき政策がなされているということ。
    それは社会主義であっても民主主義だといって全体主義の様相を現す可能性があるかもしれない。

    中国の軍事力を得て「権力下の平等」を形成する。
    今、子供手当が必要と言っている人はどうなるだろうか。

    中国への軍事力に対価的に国家財政から支出があり、またこれからしようとする政策がおこなわれていくと今の財政では1~3年後に財政困難がやってくる。
    本格的に社会主義国家にならざるをえない。
    今必死になって学ぼうとしている英語が必要なくなり、学歴社会というものもなく、軍事力を強化し学力も均一になるような学校教育を与えられ、中国語が学校教育に取り入れられる。
    差がでないように均一なものを学び、そしてその後も就職で悩まず、選択もなく決められた仕事をすることになる。
    与えられた仕事をしないことは許されない、みな平等でなくてはならない。
    贅沢はできない、平等でなくてはならない。
    今日本にある娯楽は許されないのだ。

    今を必死で生きている人が求めているものはあると思う。
    今までの民主主義の行政のやり方をかえなくてはならないのはそのとおりだと思う。
    しかし、今、日本の国民は大きな岐路にいる。

    民主主義を選ぶか、社会主義を選ぶか、国民の選択肢はすでにその様相が明らかになってから、
    またそれが実現してきてからはもうない。

    選択肢は今なのだ。

  • 心を科学する。
    今の民主党の支持率と国民の心の作用のところで全体主義が展開してからその先について書く必要がなくなった。
    以前このようなブログを書いた。

    政治のことで書いてきたがそれは私がこのブログを始めたのは現代のコミュニティの形成について書いていきたい、そしてそれは民主主義国家の中で形成されるというものだからである。

    政治について
    今の時点で言えることは全体主義にはならず、明確に言えば、日本の国民は民主主義を捨て民主党という社会主義政党を選び、なおかつ軍事力においては自国ではなく米国でもなく中国に依るという政党を選び、そしてそれを形成すべく過程にあるのではないかと思うことだ。
    以前、社会党が与党となったときに社会民主党とならざるを得なかったのは民主主義国家の価値観を捨てて社会主義を国民が選択するということが考えられなかったからだと思う。
    しかし、今はその逆で民主主義において民主主義の形から社会主義を形成しようという声なき政策がなされているということ。
    それは社会主義であっても民主主義だといって全体主義の様相を現す可能性があるかもしれない。

    中国の軍事力を得て社会主義のトップにたつのは小沢氏だろう。
    それは理想から発展した「平等と平和」の理念ではなく、「平等と権力」というものを形成する。

    民主主義を選ぶか、社会主義を選ぶか国民の選択肢はすでにその様相が明らかになってから、
    またそれが実現してきてからはもうない。

    選択肢は今なのだ。

  • みろく神示をこのブログに書いてあれから1週間、ブログ再開しました。
    私はこの世の中やブログの中だけでなく、この世の中だけで完結しないところにもいるので
    お休みしていても忙しい。

    みろく神示について、もともと神示は仏さまの愛なんだと思う。
    法が先におろされている場合、信仰が立っていてその法に添って生きていこうとしたとき、その道を歩もうとしたときに苦しみは少ないのだけれど、なかなか法があってもこの世界でその道を実践しようとする人が少ない、そして影響力の大きい人が大切なことに気がつかないと幸福な世界を築くことが難しい。
    だから神示はその困難なことが起きる前に現されるもの。
    仏さまの愛のことばであると思う。

    神示からしばらく離れてまたブログを続けていきたいと思う。
    心が大切、心の時代を作っていきたい。

  • みろく神示6はもうひとつ重なったインスピレーションがあったことがわかったので重ねて再度本日、書いておく。

    日月の本当の意味は
       『 日と月の間に地球を内包している仏さまが現れる 』
        そして『 自他共に幸福なる道が真理である 』

    仏さまは言われる
       『 信仰者よ
         自らを正しい者とし、自ら愛する者だけを愛し
         そうでないものを排除する者よ
         信仰のなかにあって、自らの過ちを正せない者よ
         他の人を傷つけて下におき、
              なお自分が正しい信仰者だという者よ
         その己の心を見てみるがよい     
         いかなる心か
         相手を傷つけ相手の存在を否定することの罪を
                      忘れてしまったか
         私は自他はひとつだと言ったはずだ     
         自分のみを生かさんとする道はまた自分をも
                      否定する道なのだ 

         その心をこそ正せ、そこからはじまる 

         
         相手の痛みを感じることができない者よ
         相手を傷つけ、痛め、
         そして自らが傷んだからといって
                 なお他の人を恨もうとするか 』
         

    仏さまの悲しみははかりしれない。

  • 日月の本当の意味は
       『 日と月の間に地球を内包している仏さまが現れる 』
        そして『 自他共に幸福なる道が真理である 』

       『 信仰者よ
         信仰のなかにあって、自らの過ちを正せない者よ
         他の人を傷つけて下におき、なお自分が正しい信仰者だという者よ
         相手を傷つけ相手の存在を否定することの罪を忘れてしまったか
         自分のみを生かさんとする道はまた自分をも否定する道なのだ  

    その心をこそ正せ、そこからはじまる 』

    これは自らが信仰者と名乗るものがそうであるからこそ、間違いがあった時にそれを認められず、相手を否定し続けることがある。
    たぶん、世間の人より信仰あるものはその信仰によって激しく、強く神仏より正義を求められるものなのだということだと思う。

  • この地球の仏さまが編まれた法、正法といわれるもの、真理ともいう。
    普遍的にあるもの。
    そしてその時代時代の正義があるとこのブログに書いた。

    神示とは何か。
    神を示すという字を使う。
    他の解釈はわからないが今、私が考えていることをブログに書いていく。

    私のいう神示とは降魔に近い。
    降魔とはいったいどういうものか。
    魔はそもそも存在するのか。
    その説明が必要なときがあったら書いてみたい。
    神示が降魔に近いのは今の世の中で病気や大きな災害等、そこに魔ともみえる神仏にかなわない想念が溜まっていたり、特別な神仏の意図があったりする場合、神示として現すとその言葉の影響力と精神世界の変化で実際、災いが起きなくて済む場合と言葉ありても聞かなくてはならない人々に届かない、
    また届いても変化に乏しく精神世界に変化が現れにくい場合、または逆の方向で変化した場合、実際に起きてくる。
    起きたからそれ自体が魔だと解釈してはいけない。
    むしろ魔だと認識できるものは少ない。
    やはり神仏の心は更に良くなってほしいという心だからだ。
    そういうものだと解釈している。

    仏さまは愛である。
    前にもブログに書いたが仏さまは人間に自由を与えた。
    その自由を仏さまの心に合うように使えば幸福になり、その逆に使うと苦しみを産む。
    人間は苦しい時だけ「なぜこんなことが起きるのか」と神仏に問うことが多い。
    しかし、もとより心正しく、自他ともに幸福な道を選べば苦しまずに済む。もうひとつ停滞を選ばないことも大事なことだ。

  • 日月の本当の意味は
       『 日と月の間に地球を内包している仏さまが現れる 』
        そして『 自他共に幸福なる道が真理である 』

    本日、世間で言われている日月神示のことを知らずにここ数日同じ題名でブログを書いたがいけないのではないかと思い、日月神示を改め、みろく神示に直した。
    ただ、最初のインスピレーションが「日月」だったため、この言葉はそのまま使用していく。
    今だ、日月神示を読んでいない。
    そして私は他のことについてもこのブログに書いていきたい。
    私がこれがみろく神示だと思うインスピレーションがあったらブログを書いていくことにした。
    だから日月神示と全く違う話になる可能性がある。
    私のこのみろく神示は非常に流動的でその日につかんでいるインスピレーションで大きく方向性が変わっていく可能性さえ感じるところだ。

  • 日月の本当の意味は
       『 日と月の間に地球を内包している仏さまが現れる 』
        そして『 自他共に幸福なる道が真理である 』

    まず、日本
    信仰をもつということは正法を行い、現すこと。
    自分の都合のよいところだけやっていくとか、自分の都合のよい解釈をしてやっていくとかしていないか。
    自分に甘く他人に厳しく正しさを求めてないか。
    様々なことが起きた時に自己保身になり、周りのせいや、誰かのせいにしていることがないか。
    法をねじ曲げて伝えていないか。
    自分のみ救われようとしていないか。

    正法とは過去のものを集積した法であり、また今新たにあるものである。

    仏さまは言われる。
       『 そうでなければ幸福な世界は現れない
         そうでなければ私があなた方を
             救おうにも救えないではないか 』

  • 日月の本当の意味は
       『 日と月の間に地球を内包している仏さまが現れる 』
    ということを意味するときのう書いた。
    神仏は過去現在、
    必要な時代に必要な宗教によって人間に法を残している。
    仏さまは言われる。
        『 私はすでに地上に法をおろした
          人が共に幸福になる法をなぜ、行じようとしない。
          法を行じていれば、苦しむことなどなかったはずだ。
          求めよ真理を、求めよ信仰を、 
          自他共に幸福なる道が真理である 』

    本日あらためて言われた。
    仏さまは言われる。
        『 日と月はふたつでひとつにならなくてはならなかった。
          法を行じ、ふたつがひとつになれば苦しむことはなかった。
          しかしひとつにならなかったから
          みろく神示が行われることになった。 』
          
    そして仏さまの悲しみもまたとても深いのだ。

  • このブログをずっと読んでくださっている方は私があまりスピリチュアルなものに興味がない人間だと気がついているだろう。
    神仏は100%おられる。
    UFOはあるかないかと言えばこれはわかるから有る。
    霊現象もなるかないかと言えばこれもわかるから有る。

    でもブログを開始してから、この2~3か月の間に「次元上昇」とか「アセンション」とか、「マヤの予言」(映画があるのは知っていたが見ていない)
    「日月神示」などの言葉があることを知った。
    どれもまだ言葉しか知らない。
    ただフリーメーソンやノストラダムスの予言はかなり以前に1999年前に本で読んだことがある。

    そんな私だがなんとなく読んでみようかと思い、おととい「日月神示」の本を購入した。
    簡単な説明と表紙と帯を読んだが今日までで、まだ1Pも開いていない。
    この先も必要な時が来なければ開くことがないように思う。

    そして昨日、本を開くことなく、「日月」のインスピレーションをいただいた。
    日月神示をよく知っている人から見たら全く違うことを言っているのかどうなのかわからない。
    今言われている日月神示がどういうことで行われているか、2~3行読んだだけなのでよくわかっていない。

    でも日月神示の2~3行の説明を読んで感じたことがある。

    日月神示の本当の意味は
       『 日と月の間に地球を内包している仏さまが現れる 』
    ということを意味する。

    地球の仏さまは巨大な霊意識なのでその姿を現すことができない。
    神仏はこの世を創造したことからその姿を現すことができない。
    だから過去の歴史の中でもそして現代でも神仏がこの世界を発展と調和のベクトルで幸福な世界を
    現すために「法」を残している。
    必要な時代に必要な宗教によって人間に法を残している。

    これから世の中が大きく変化し苦しみの中に入る。
    実際、私はこのブログ以外に今までにできる限りのことはした。
    この身とこの心がまるで鋭い刃物かなにかで切り刻まれてしまい、そして痛み続けている。

    昨日のインスピレーションからみれば初めに「信仰者」
    この時に大切なのは「法を体現すること」
    宗教の中で真理となって説かれている法

       『 善き人となれ、人を愛せ 』

    様々なことが起き、そこに地球の法となっているものが確認されるだろう。
    そこに地球を内包する仏さまの姿をかいま見ることになるだろう。

    地球を内包する仏さまは言われる。
    世界で過去の歴史でも言われている master of master

        『 私はすでに地上に法をおろした
          人が共に幸福になる法をなぜ、行じようとしない。
          法を行じていれば、苦しむことなどなかったはずだ。
          求めよ真理を、求めよ信仰を、 
          自他共に幸福なる道が真理である 』

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