•   自由主義について先日書いたが
      続いて書いていく。
      「 神の見えざる手  invisible hand of God 」
      ということばがある。
      「自由」は多くの発想を生み、競争原理も働き、
      そしてそれを実行していくことで
      「富」を多く生み出すことができる。

      「神の見えざる手」とは自由主義経済が
      発展していくと結果として全体の利益が
      達成されるというものだ。
      しかし、実際は市場原理主義による弊害や
      社会問題がおき、「市場の失敗」という結果を
      みることになる。
      そして福祉政策として国家の介入が必要になった。

      ではこのとき「神の見えざる手」はなかったのか。
      神仏はこの世の中を時間の中で
      「調和」と「発展」をめざすように考えておられる。
      「発展」は「自由」の中人間にまかされているのだろうか
      「調和」については神仏の手が差し伸べられるのだろうか。

      自由主義経済で「発展」ばかりに心が
      向いてしまってはいけない。「調和」と「発展」とを
      目指していくことが大切なのだ。
      「自由」というものも、この「調和」と「発展」について
      考えていかなくてはならない。
      そこに神仏の心にかなった「繁栄」がある。

      「生老病死」、人には避けられない苦しみがある。
      「依他起生」、人は人に依って生きている。
      そして人は皆、個性をもち、様々な人生を歩んでいる。
      もっとも大切なのは個人の「努力」だと思う。
      しかし、全ての人がその人の「努力」のみでは
      どうにもならないものがあるのが事実である。
      そこに福祉が必要となる。

  •   哲学や宗教を考えるとき
      人はもともと善なるものなのか、それとも悪なのか
      そういうことから始まることがある。

      過去の宗教にそれぞれ考え方があると思う。
      時代時代の認識が作用したこともあったと思う。
      先日からのブログで民主主義と共産主義について
      書いてきた。以前、ブログの中で民主主義は
      仏さまの思いに合っていると書いたこともあった。
      民主主義は根本に国民の良識が必要なのだ。
      この良識は「人には仏性がある、仏さまと同じ性質がある」と
      いうものと一致している。

      昨日のブログの最後に民主主義には「教育」と
      そして「知識」と「良識」が必要だと書いた。
      もうひとつ大切なものは「正しい情報」である。

  •   国家組織のリーダーについて先日このブログに書いた。
      民主主義と共産主義のリーダーの違いは何か。
      もう少し書いていきたい。

      主義思想ではなく、独裁主義というもの、
      軍事政権というものがある。
      軍事政権は主義思想からではなく
      軍事力を手にしたリーダーを中心として
      組織を作った人たちが国を制圧していく。
      独裁主義はカリスマ性のある人物、
      または政権の中で権力、軍事力を手に入れた特定の人が
      出てきた場合、それによって制圧して形成されていく。
      一定の間全体主義のかたちをとることがある。
      独裁主義も軍事政権も国民は「支配」を受けることになる。
      そして元来平等を求める共産主義は
      他国に対する軍事力を強化していくことで国民を
      「支配」している。ここには矛盾が生じているが現実である。

      国家組織にリーダーは必要である。
      国民が幸せになるリーダーとは何か。
      逆の視点で考えれば軍事政権、独裁主義のリーダーは
      根本に人を国民を自分の思いどおりにしたい、
      支配したいという心がある。

      では軍事力をもった民主主義政権下で国民が
      「支配」を受けず、民主的な中で
      自由を与えられているのはなぜか。
      当たり前だといわれるかもしれないが現時点で
      三権分立を取り入れているからだ。
      (三つのうちの何かが権力を強くもつようになると
      「民主」が守れなくなるが)
      今、「自由」を享受している国民は「自由」が
      なくならないとわからないかもしれない。
      また「自由」がないと思う国民は「自由」と
      いうことがどれほどの幸福かと思うだろう。

      そして民主主義が独裁になるときは
      どんなときか書いていきたい。

      ひとつは全体主義的な思想を打ち出した人が
      権力(軍事力)を手にしたとき、
      それから一政党が大きくなりすぎて、法そのものを
      自由に変えることができるようになったときである。
      一政党が最大権力をもったとき、法そのものを変更し、
      独裁主義を作っていくことが可能になってしまう。
      日本のように軍事力を他国に依っている国は
      ある一定のものを越えて利害関係が成立しなくなった場合、
      他国からの支配を受けるということにもなる。

      「自由」は「支配」を受けない代わりに必要なものがある。
      それは「教育」であり、「知識」と「良識」である。

      日本は「自由」を失わなければ
      「自由」というものがどれほどありがたいか
      わからないのだろうか。

  •   昨日は私の心の中は
      「底から光を放つ」という感覚のある日だった。

      昨日、また太陽の写メを撮っていた。
      この現象は「光の調整を行っている神」が関係があると
      以前インスピレーションをいただいていた。

      私のブログで書かれている仏さまは この地球の神仏、
      そしてこの地球の神仏の世界を現すために
      たくさんの神々が活躍されているのだと思う。

      

    2010/ 4/25 12:24

  • 先日のブログで
    現在もっとも国民の未来にとって大事なことは
    沖縄普天間基地移設問題の解決と
    雇用政策についてであると思うと書いた。

    労働者派遣法が格差を生んだと考えた現政権は
    その政策の内容を未だみてはいないが
    その視点は大切だったと思う。
    今日は雇用政策について書きたい。

    税金の無駄を除去しようと公共事業の縮小となった。
    逆に公共事業の拡大をしようとすれが
    国家財政により国内の経済循環をおこし国力を
    増すことは普通に考えられることだと思う。

    大きな公共事業を中止し、それに関係する雇用が消失し
    そしてその地域の経済の循環が生み出されない。
    国はそれに変わる雇用対策は急務であると思う。

    また子ども手当の大半がもし家庭の貯蓄になった場合
    税金の社会還元が減少する。個人の貯蓄の増加はみられるが
    地域での経済循環の悪化をまねく。
    この経済循環の悪化をまねいた結果
    また目にみえない失業率をあげてしまうことになる。

    様々な問題、政策の検討も大切だが
    実際国民と地域のための雇用についての対策が
    国力を失わないために急務であると思う。
    タイムラグが大きく影響を及ぼすことを忘れてはならない。

  •   *日記です*
      先日、「蜘蛛の糸」のことをブログに書いたためか
      それともこのブログのハンドルネームの
      「みろく」に「蓮」をつけたせいか
      「蓮の花」について考えていた。

      ハンドルネームに「蓮」をつけたのは
      「みろく」というハンドルネームがすでに使用されていて
      使えなかったからという理由なのだが、
      今日、今はないが生家に蓮の池があったことを思い出した。

      私が生まれた生家の敷地内、南側に10坪くらいの
      蓮の池があった。
      夏になると白い蓮の花が咲いた。
      家人から
      「蓮の花は朝早くにポンと音を立てて開くのだ」と
      聞いていた。
      いつか、その花開く音を聞いてみたいと思い、
      そして未だにまだ、聞いたことがない。

     今年の夏は朝早くに「蓮の花」の音を聞きに
      行ってみたい、そう思った。

  •    

      先日からの続きで今日は「自由主義」について
      もう少し書いていきたいと思った。
      しかし、現在の日本政治のあり方そのものが
      変化を求められているというものを先に書きたい。

      前政府から内閣人事局、公務員制度改革は言われていた。
      かなり検討されてきたと思う。
      そして現在の民主党下では「事業仕分け」が行われている。
      今解決する問題を考えるとき
      現在もっとも国民の未来にとって大事なことは
      沖縄普天間基地移設問題の解決と
      雇用政策についてであると思う。

      現在の政策はどうかももちろんだが
      そしてその後に三権分立の日本の政治のありかたを
      考えていかなくてはならない。
      「事業仕分け」をした後どうするか。
      根本的なありかたを時間をかけて変えていくとしても
      今官僚「行政府」に問題があるなら三権分立の中、
      やはりその問題を解決すべく、新しい制度改革を
      行うことが大切だと思う。
      しかし、それは内閣府が官僚を力で抑えるというものではなく
      三権分立を守りながら行政府をいかに透明性を
      見出せるシステムにつくりかえることができるか・・・。
      そういうシステムは見出すことが可能だと思う。
      現政権にとってもまた自民党にとっても
      この課題解決策を出していくことは
      次期選挙に大きく影響を及ぼすものであると
      考えられるところだ。

      過去、イギリスでは大きな政府で官僚の問題が
      大きく取り出されたことも忘れてはならないもので
      あると思う。

  •    先日、福祉について民主主義と共産主義からみたものに
       ついてこのブログに書いた。
       「自由主義」について続けて書いていく。

       では米国ではどうか。
       米国は「自由主義」が大きく位置づけられている。
       現在の米国大統領が社会保障制度の改革として
       全国民の医療保険制度改革に取り組んだ。
       「自由主義」でそして努力が報われる国、米国・・・
       世界で福祉政策が進む中、
       しかしまだ人種の壁があることなどで
       先日の経済政策(違う方法もあったと思うが)や
       今回の医療保険制度改革の流れが
       生まれていったのではないかと思う。

       今回医療保険制度は「社会主義」だと言われながら
       かなりの難関を突破して成立した。

       米国からみたら現在の社会保障制度がある日本は
       どうみえるだろうか。
       戦後しばらくたってから社会保障制度、
       国民皆年金、国民皆保険を進めてきた日本こそ
       米国からみて
       「日本は社会主義国家である」と
       言われるものであったのだ。

       自由主義は今、社会保障政策を欲している。
       社会主義は豊かさを求めている。
       民主主義はどうだろうか。
       資本主義からみたらどうだろうか。
       ここにもうひとつ先日も書いたが
       フランスの家族手当でも大きな意味がある
       「企業」という要素が必要なのだ。

       日本はどうだろうか。
       日本の国民はどう考えているのだろうか。
       現実的には医療、年金、福祉政策に
       財源がないのが現状なのではないだろうか。
       そしてその行く先が日本の未来を考えることで
       とても重要なものとなっているのだと思う。

       このブログの「現代のコミュニティ」も
       この点で関係があるものでもあるのだ。

  •    主義主張は人の考え方を変化させ、生き方を変える。
       国家のように環境として与えられたり、
       自らの仏性が自らの心の指針として見出したり
       人や本に出会って共感していったり

       日本の国民の場合はどうだろうか
       民主主義を自ら勝ち取ったわけでなく
       あまり考えずに平和を享受してきたのではないか
       今、国民ひとりひとりが考えなくてはならない
     
       数ヶ月前に自民党が党名を変えようと思ったが
       変わらなかった。話し合いの内容は知らないが
       今の日本の国民にとって「自由」と「民主」という
       主義主張が大切だと考えて変わらなかったのなら
       主な問題を解決しそれを実証してみてほしい。

       共産的な思想の中での「福祉」とはなにか
       平等の思想をもとにすすめていくものだと思う。
       民主主義の福祉は大きな意味での福祉では
       国民全体の福祉、社会保障(年金、医療、環境、地域など)
       がありそれを越えて福祉が必要な人が国民がいる。
       今の民主党の子ども手当は
         子育て支援政策
         少子化対策(子どもが少なく国が衰退していくことを
               防止していく政策、経済、社会保障の
               ための政策)
         国民に格差をなくし平等をもたらすもの
       実際に何を目的としているのだろうか

       今日は民主主義国家で福祉が必要な人の
       「福祉」について書いてみたい。

       人は少なくとも不足なく生活したい。
       可能ならもっとよい生活をしたい。
       しかし個人の障害や様々な差別、制限がある生活を
       望む人はいないが実際一人ひとりの人生でいろんな境遇の
       人がいてその家族がいる。
       ひとつの国の中でとらえれば日本の人口比率の中で
       戦争、公害などその時代時代でみられる障害を除いて、
       障害や環境などで福祉が必要な人は
       一定の人口比率がみられるものだと思う。
       福祉の必要な人である。

       民主主義では個人個人が自立した生活をしていく、
       また自分で選び自分の人生について責任をもって
       社会生活を営んでいくことがもとにある。
       そして国や地域での生活を安定してすごしていきたいと
       思うから国民の義務として税金を払っているのだと思う。

       しかし、一方で福祉が必要な人がいることも理解している。
       その福祉が必要な人に必要な福祉政策をとられることが
       国民が一番納得していく政策なのではないか。

       法の成立が先にあって政策やその趣旨があとに
       なることは民主主義ではないのではないか。
       趣旨がはっきりしない政策の実行に未来がみえない。

  •    *日記です*
       自分の人生の中で強く影響した人とか本とか
       他のものでもよいが自分の考え方、思想を大きく
       したものって振り返るとみんなあると思う。

       私に影響した大きなもののひとつにかなり前に
       (本当にかなり前のこと)読んだ芥川龍之介の
       「蜘蛛の糸」がある。
       私が芥川龍之介の本を読んだのはほんの一時だった。
       「羅生門」を読んで言いようのない重い気持ちに
       なったことは「蜘蛛の糸」と対象的に思い出す。

       昨年は宮沢賢治の「貝の火」についてときどき思いを
       めぐらせていた。
       「貝の火」はうさぎの子ホモイがひばりからお礼に
       もらった宝珠の話だがその「火」の意味の奥に隠された
       ものはいったいどんなものか考えていた。

       最近また「蜘蛛の糸」を思い出している。
       本は読む人や読むタイミングによって全く違うものに
       見えたり、奥深さがわかったり、そしてその本に
       出会った時の自分の姿を思い出してみたりする。

       「蜘蛛の糸」は天国のお釈迦様が雲の間から
       地獄に落ちたカンダタを見つけて、以前蜘蛛を
       助けたことを思い出され、カンダタに細い蜘蛛の糸を
       天国から垂らされる。
       カンダタは目の前の蜘蛛の糸を頼りに上っていくが
       あるとき下をみると自分に続いてたくさんの人が
       上ってきている。
       それを見てこれでは糸が切れてしまうと
       「この糸は俺のものだ」と言った瞬間、
       蜘蛛の糸は切れてしまう。

       この話を思い出すたびに視点が同じだったり変化したり。
       自分が苦しいとき、自分の目の前に蜘蛛の糸を
       見つけたときはその糸を切らないようにしたいと思う。
       また、誰かが苦しいときにその人の蜘蛛の糸を捜したい。
       それから全体のイメージを見て、
       仏さまの「救済」とは何かを考えさせられたり、
       人としての「救済」とは何かを考えてみたり
       仏さまは悪事をたくさん行ったカンダタが蜘蛛を
       助けたときのカンダタの仏性をみて助けようとされた、
       人の仏性をみることが大切なのではないか。
       仏さまはカンダタを見放したのではなく
       また天国に還るために地獄で悟るための時間を
       お与えになったのだろうか、
       地獄とはこのような心の人が落ちるのか、
       カンダタの下に続いて上ってきた者は糸が
       切れて悲しかっただろうか、同じような心を
       持っていたのだろうか。 
      

       ときどき「蜘蛛の糸」を思い出しては考えてみる。

       追記
       あれからまた思いをめぐらせ、「蜘蛛の糸」のカンダタが
       「この糸は俺のものだ」と言わなければ、一番先頭にいた
       カンダタも後に続いて上ってきた同じような悪事や
       心を持った人たちも一緒に天国にたどりついたのではないか。