ブログの副題に「心の時代へのパラダイムシフト」と書いた。
実は真剣にこのことを考えている。
本日の思恵の中、「心の時代へのパラダイムシフト」が起きるためには「心の時代」を象徴する価値観、それに基づく言葉が必要で、ある一定の量が必要なのだということ。
現代のコミュニティというタイトルで書いているブログはこの「心の時代へのパラダイムシフト」と
関係が深いのだ。
現代のコミュニティの中で大切な何か、この何かは「心の時代へのパラダイムシフト」を起こすものと
なると思う。
ひふみ神示(日月神示)の大奥山
ブログの副題に「心の時代へのパラダイムシフト」と書いた。
実は真剣にこのことを考えている。
本日の思恵の中、「心の時代へのパラダイムシフト」が起きるためには「心の時代」を象徴する価値観、それに基づく言葉が必要で、ある一定の量が必要なのだということ。
現代のコミュニティというタイトルで書いているブログはこの「心の時代へのパラダイムシフト」と
関係が深いのだ。
現代のコミュニティの中で大切な何か、この何かは「心の時代へのパラダイムシフト」を起こすものと
なると思う。
自他はひとつである。
このことはたいへん深い意味がある。
いくつか意味があると思うがそのひとつは自分も他人も仏性があるから自他はひとつということ。
仏性は仏さまの性質、その時代時代の背景はあるが普遍的な正しい価値感は同じものがあること。
そして「喜怒哀楽」の感受性もまた同じなのだ。
これは地球まるごといつの時代でも言える。
うれしいこと、たのしいこと、悲しいこと、苦しいこと、辛いこと、他の人のことをよく考えている人は他の人がうれしいと自分もうれしいと感じる。
他の人が悲しいと自分も泣きたくなる。
他の人の感受性に感応していくことができる。
自他はひとつなのだ。
だから傷つけあうのはよそう。
お互い愛し合う存在でいたい。
自由主義の強く影響している世の中、競争原理というものがあり、競争するから良いものができ、良いサービスが生まれてくる。
競争原理はある程度フェアな戦いと思う。
いや、悪い知恵や悪い企てをして汚い戦いはしたくないものだ。
競争原理の落とし穴がある。
共存することはなく、自然淘汰とされる。
市場の中では必要ではある。
しかし、心の中ではどうだろう。
人は競争して相手の存在を消してしまおうとする。
自分が勝ったらそれでよい、そう考えていってしまう。
世の中勝ち負けの世界で勝ったら、相手の存在があったから自分がよく伸びたのだ、勝つ人はそう考えてほしい。
いろんなものがあっていいのだ。
いろんな個性あるものがあっていいのだ。
だって競い合って勝ち続けて相手の存在を否定し続けていったら、誰もいなくなってしまうのだから。
人は人に依って生きている。
他の人の存在は自分の存在にとって必要なのだ、他の人の存在を大切にしよう。
だから人を愛さなくてはならないのだから。
だから自分という存在だけでなく、たくさんの人が一緒にこの地球に住んでいるのだから。
王国があった君主制から自由主義が始まり、自由な世の中では大きな格差ができた。
だから共産的な、社会主義的な考えができた。
けれどそれでは人は人として生きていく喜びが少ない。
平等の中には停滞があり、また喜びも楽しみもそして発展も少ない。
格差を生むが自由は人に喜びも楽しみも与える。
自由と平等
その間に民主主義を超える心の時代の枠組みが存在するのだ。
現代のコミュニティケアの形成の要素として?福祉とした。
このコミュニティケアを地域でまとめる人はどんな人がするか。普通はコーディネーターと言われている人のことだと思う。
今、世の中で言われているのは定年退職後で社会でまとめ役だった人だろうか。
今までに地域でリーダーとして活躍した人だろうか。
私とコミュティについて話をする友人がいる。かなり長い友人。その友人との話。
その友人は私に言ったこと。
まとめ役は福祉の支援業務をしている人がいい。
なぜって一人一人の心を考えてくれるじゃない。
いろんな人のいろんな意見をまとめてやっていく。
高い理想をトップダウンでやっていくのでは人はついていかない。
高い理想を持ちながら人の意見をよく吸い上げられる人がその地域に合ったものをみんなで一緒に作り上げていくのがいい。
納得して、今日ここに書いた。
彼女にそのシステム一緒に考えてねとつけたして別れた。
たぶんこれからも登場してくる。
「依他起生~えたきしょう」
人は人に依って生きる。
人に依って生かされているから他の人に感謝をする。
人に依って生きているから人と人の間の苦しみにも意味がある。
自分ってどういう人間だろうって考えてもわからない。
自己満足に良いように解釈しても他の人はそんなこと思ってもいない。
自分がどんな人であるかは自分の周りの人によって表現されている。
他の人がどんな人間か自分でもあの人はこんな人って思っているものがある。
それが集まってだいたいその人物というものが表現されている。
個性としての自分は自分としてあるものはある。
しかし、自分がどういう人間かと言われるとそれは自分の周りの人がその人をどう思い、どう表現しているかに依る。
だから天使になりたいと思っている人は他の人に天使だと思われていることが大切。
自分が仏だって、菩薩だって思っている人は他の人に仏だ、菩薩だって思われていることが大切。
普通の人でいたいという人は常識的に生きて普通の人でいることが大切。
自分ってどんな人って思われたいかと考えてみたらやっぱり人にやさしい人、人を大切にできる人、立派な人でいたい、徳ある人でいたい、偉い(偉人という意味で)人でいたい、なんて考えるのではないだろうか。
人は人に依って生き、周りの人に依って自分が表現される。
人を愛する人はとてもすばらしいなって思いませんか。
人を愛する人だって周りの人に表現されるってとてもすばらしいなって思いませんか。
だから人を愛する人間になろう。
人を愛すると周りの人はあなたが愛する人だって思う。
そうすると相手の人からも愛が表現されてくる。
どんどんいろんな人を愛するといろんな人の愛も見えてくる。
「重々無尽~じゅうじゅうむじん」
人と人は網のようにつながっている。
人と人はお互い影響しあい、人は人に依って成り立っている。
愛する人が増えると人と人との網の糸が愛に変わってくる。
自分が見ている世界が愛になってくる。
そんな姿を見て仏さまは喜ばれておられると思う。
仏教のことばで「依他起生~えたきしょう」
人は人に依って生きている。
人は自分と仲のよい人と会いたいと思い、相性のよい人とめぐり逢いたいと思う。
しかし、そんなめぐり逢いだけではない。
四苦八苦という言葉がある。
普通は苦労してたいへんなことっていう意味。
仏教のことばで「四苦」とこの四苦にもう4つ苦しみを足して「八苦」になる。
最初の「四苦」はよく聞く言葉「生老病死」
後の4つは
「愛別離苦」愛している人と別れること
「怨憎会苦」いやな人と出会ってしまう苦しみ
「求不得苦」欲しいものが手に入らない苦しみ
「五陰盛苦」いろんな欲が止まらない苦しみ
人は人に依って生きている。
自分がほしいと思っているものはなかなか手に入らない。
「怨憎会苦」
会いたくない人にも会ってしまってこの人に出会いたくなかった。
この人さえいなければよいのにって思ってしまう人に出会ってしまう。
しかし、人は人に依って生きている。
お互い生かしあっている。
だから自分のこの苦しみをこの問題を心の向きを変えて解決して幸せになろう。
人は転生輪廻をしてその心を磨いて自分も他の人も共に幸せになろうとしているのだから。
現代のコミュニティの要素に家族があるといった。
家族の力が大切と言ったが同時に家族がいる家庭でもコミュニティケアが必要なのではないか。
この少子高齢化の時代、共働きの家は多い。
仕事をやめて介護をするかどうか。
また子育てと介護と同時にしなくてはならない、介護が重複しているなど。
家族の多い家庭にコミュニティケアがいらないのか。
必要なのではないか。
それがコミュニティケアの参加者を増やしていくことになるのではないか。
それが経済にも影響があることではないのか。
そんな視点も必要だと思う。
コミュニティケアの中のさまざまなことにそれぞれのスキルが必要。
でもスキルにはよくいう大義名分も必要なのだ。
それは地域住民にその地域をよくしよう、地域のために何かしようとする人のものであったりマザーテレサにあこがれるような高度なものであったりすると思う。
マザーテレサはきれいなところにいるわけでない。
様々な人の生きざまを全て受け止め、真に強い他者への愛がそれを浄化していく力があるのだと思う。
コミュニティケアは大義名分とシステム作りが必要なのだ。